しゅれでぃんがー 2019/11/25 01:32

あまえんぼアペンドに期待しつつ思っているの独り言

 夏休み系ゲームに目覚めるきっかけとなった思い出深いゲーム。しかし、いくつか触って抱いた面白さランキングでは、ぶっちゃけて言うと最下位だ(相対的であって面白さの基準で言うと十二分に面白いぞ。誤解しないでくれよ?)。ダントツトップは幼心の君にさんの『ぼくのひみつの夏休み』。夏休み系とはちょっと違うが、WLCソフトさんの『魔女さまの奴○くん』も二番手につけている。

 これらの作品と『あまえんぼ』には明確な違いがある。その違いは一体何だろうか、という話を今回はしよう。


 結論から言うと。その違いとは、【キャラクターに物語があるかどうか】にある。

 『ぼくのひみつの夏休み』では、各キャラとのイベントがあって、それにより濡れ場に流れ込むのだが。彼らは最終日に近づくにつれ、徐々にマップから消えていく。そのキャラが消える日に会いに行くと、お別れを言われるのである。

 お別れを言うということは、彼らの予定は初めから決まっていたということ。自分の都合でこの町に来て、自分の用事を済ませて自分の日常に帰っていく。自分だけの物語を持っているのである。決して、主人公にヤられるためだけの存在などではない。彼らにとっては、主人公ですら【島で出会ったちょっと特別な少年】でしかないのである。

 別に骨抜きにされたっていい。少年に堕とされるのも作品の方向性ならいいだろう。しかし、夏休みだけの関係なのだから、最後はちゃんとさよならをしないといけないのである。それをせず主人公からも何も言わず、最終日が来てはいバイバイ。なんてことになると「結局お前にとって彼らはさよならすら言う価値の無い相手だったのか?」と思ってしまうわけである。

 いなくなる日の後に町の中を探しても、そのキャラは何処にもいない。挨拶にこなかったから何も言わずお別れになってしまう。その時、そのキャラが帰ってしまったことに気づき、プレイヤーは寂しさを覚える。最終日に会いに行くとみんなが主人公とお別れをする。イベントは無くても、切なくなる。『ぼくのひみつの夏休み』には、キャラクター一人一人にも夏休みがあるのである。


 『魔女さまの奴○くん』では、一番最後に全員のその後が描写される。奴○くんの働きによっていったいどうなったのか。彼らの人生の結末をちょっとだけ覗くことができるのだ。たったそれだけのことで物語の満足度は大きく変わる。作るのはとても手間だろうけれど。


 Ci-enの記事を見ていると、サブキャラをメインにして最終日に手紙くれるらしいのでそこらへんがかなり改善されそうだね。欲を言えば、生態系調査の女の子とかは28日ぐらいに「今日で帰るんだ……」みたいな会話して最終イベントでもしてくれたら最高だと思う。そういうのが全キャラ分あれば、あの世界間の中でのキャラクターの存在感がぐっと強化される。この子たちもちゃんと生きてるんだな、と実感できると思う。





 しゅれでぃんがーは、結末の無い(わざと描写しないとかでない限り)物語を推奨していません。

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