しゅれでぃんがー 2020/05/18 21:00

寂しさ

 言霊ということばがある。手元にある辞書で引いてみると、「言葉に宿る霊力」、という意味があるらしい。霊力というものがなんなのか定かではないが、とりあえず。ことばには力が宿っているのだそうだ。

 私はそういう考え方は好きである。昔、投稿掲示板時代に作品の感想で褒められた時なんて嬉しかったし、応援されたらやる気もでた。サボテンに話しかけたら花が咲く、なんて話もロマンチックである。学術的どうなのかは知らないが、話しかけたおかげで花が咲いた、なんて考えるのもポジティブでいい。みんな誰しも温かい言葉をかけられると、元気が出るものなのだと思う。だから私も恥ずかしがらず、大好きとか、素敵とか、素晴らしいとか。そう感じた時は素直に伝えることにしている。そういう日頃の心がけで、誰かが元気になってくれたら嬉しいと思いながら。


 私は音楽が好きで、ポップな曲を好んで聞く。その中で最たるものは、私にとって『KING OF PRISM』である。『プリティーリズム』という少女向けシリーズから派生した、どちらかというと女性をターゲットにした、男性アイドルアニメだ。しかし、一度見ればきっと分かる。あのアニメは老若男女問わず楽しめる、きらめきに溢れた作品であることを。

 この作品のキャラたちが歌う曲は、どれもきらめきに溢れている。大好きとか、ありがとうとか。明日はきっと楽しい。未来は輝いている。そんな、聞いているだけで眩しくなるようなことばが、歌詞の中に溢れている。元気の無い時に聞いていると、いつの間にかちょっとだけ元気になっている。そんな力が、歌にある。これもまた言霊というやつなのだろうか。


 ことばには、他にも色々なものを込めることができる。悲しい気持ちを込めれば悲しいことばになる。怒っていることばは人を同調させたり、傷つけたりする。感情を込めることで、ことばは無限に色を変える。その中で。私が一番好きな感情は、寂しさという感情だ。

 寂しいということばを辞書で引いてみると、「1.心細い。さみしい。2.ひっそりしている。3.とぼしい」と書いてある。ふむ。私が寂しいということばを捉えている意味とは、やや違う感じである。私にとっての寂しいは、まだ他にも意味がある。

 心細さやさびしさというのは、さびしくない時があったからこそ、それを寂しいと感じる。ゆえに、寂しさという感情は。思い返せる過去がある人しか、感じることがない。ならばその正体は、懐かしさと呼ぶのかもしれない。

 過ぎ去りし時を思い返し、色々なことを想う。それは消えずに一生心に残り続けるが、しかし、それを思い返す今、この場には決して戻らない。あるけれど、もう触れることはできない。それを私は、とっても寂しいと感じる。しかし、この寂しさは。決して嫌な感情ではない。むしろその時のことを思い返し、その時の努力や苦労、嬉しかったことや悲しかったこと。不安。心配。焦り。悲しみ。その時感じたたくさんの、そして強い感情が。過ぎ去った今も心に甦る。その寂しさが、胸を温めるのだ。

 懐かしい過去に想いを馳せる。それはとても贅沢な時間だ。だから、寂しさとは人間が感じられる感情の中で、最も贅沢な感傷ではないだろうか。そう感じているからこそ、私が書く文字には。どこまでも寂しそうな影が潜んでいるような気がする。これはもう染み付いているので、もしかしたら治らないかも。でも、それでいいとも思っていたりするけれど。


 口に出すことばはその場で消えてしまう。しかし、文字ならそこに残る。そこに綴った文字の中に、その想いは生き続ける。私は今日までつらく悲しい毎日を送ってきた。タイムマシンもこの世には無いから、それを変えることもできない。だから、その想いを文字に込め、時折自分で読み返す。文字に眠る悲しみを呼び起こし、自分で自分を慰める。これを乗り越えた自分なら、きっとこれから何が起こっても大丈夫。当時の記憶を思い返し、今を生きる自信に変える。

 文字は過ぎ去った時を封じ込め、何度でも解き放つことができる。そんな、素敵な力がある。そこに込めるのは想いだけではない。想いと共に記憶を込めて、過去の自分を刻むのだ。刻まれた自分は永劫不変。消えることなくその文字の中にとどまる。時を経て読み返すたびに、刻まれた自分は新しい感情を今生きる私へ与えてくれるのだ。

 私は祖父の介護をしていて、それが終わった時。手元には何も残らなかった。むしろ、借金だけが残った。私が過ごした介護の十数年は、祖父の死と共に忽然と失われた。今日まで過ごした自分というのは、形ある物を何も私へ残さなかった。何も残らなかった現実は、過ごした時間の意味すら疑っていく。私が生きてきた時間それ自体が、何の意味も無かったのだろうか、という疑問すら頭をもたげる。そんな時、私は昔の記憶をたどり、それを込めた文字を読み返す。そこに記された自分の想いが、自分自身に意味をくれる。自分の生きた意味を、過去の自分を読んで確認する。それは他のどの表現媒体の中でも、文字が一番優れているのではないかとすら思う。だからこそ、私は文字を愛してやまないのかもしれない。


 以前、ゲームのデバッグに参加した時。ついにマスターアップ当日となり、デバッグが終了する日になった時。私はとても寂しくなった。マスターアップまでの約一か月間。朝も夜も無くデバッグに明け暮れた時間。それが完全に終わってしまう。このまま何も残さなければ、記憶の中からもいつか消えてしまうかもしれない。そう思い、私はデバッグ掲示板のスレッドのスクリーンショットを幾つか残した。誰にも見せない私だけの記憶。このスレッドに書かれた文字たちが、デバッグの思い出を形として残してくれる。そしてふと懐かしくなった時、一人でそれを読み返す。

 デバッグの記事を書いたのもそうだ。楽しかったこと、辛かったこと。頑張ったこと、至らなかったこと。そして、自分にまた書き始めようと思わせてくれた出来事、その想いを。私はあそこに込めている。いつでも思い出せるように。そして、忘れないように。


 誰も知らず、そしてデバッグに関わった方々みんながいつか忘れ去ってしまったとしても。読み返せば、私だけがそれを思い出せる。その寂しさは懐かしさとなり、その懐かしさは心を豊かにする。私は時々、その贅沢な余韻に浸る。

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