しゅれでぃんがー 2020/10/07 00:50

請求書

 勤務日数や内容を自分で管理する人にとって、請求書というのは生命線だ。これを出さないと給料がもらえないし、内容に書き洩らしがあると再提出やら金額が減ったりなんて自体が起こる。毎回書くのが面倒くさいが、書くことに一切の不備が許されない。

 最近、こんなことがあった。リフォーム屋の親方と帰り道に話をしていて、元受けからの代金の話になった。親方はいつも安い安いと文句を言う。私は前まで、特に深入りしようとは思わず軽く聞き流していたが。長い付き合いで、この人は一生学習しないし、改善の案も考えないだろう。一生同じ文句を言い続けるのだろう。それを私は、一緒に働く間。ずっと聞き続けなければいけないのだろうと、とうとう確信した。改善する努力も、改善案も考えない人間の愚痴を聞き続ける。その不毛さたるや筆舌に尽くしがたい。いい加減嫌気がさしたので、助言をすることにした。その内容は以下、箇条書き。


・行った作業は全部箇条書きで記入する
・記入した作業全てに値段をつける


 この二つを守るだけで、請求書は限りなく適正に近づく。なにせ、全ての行動に理由が付き、値段が付くのだ。相手が「高い」と言ってきたとしても。「でもやりましたから」で勝負あり。相手にごねる余地を与えない。だって、その作業をしなければ工事はできなかったんだから。

 よくよく聞けば、請求書もテキトーに簡略化して書いてるらしい。そんなことをしたらごねられるに決まっている。そして、その値引き交渉に対抗する手札が請求書なのだが。肝心の請求書の内容がスカスカではどうにもならない。請求書とは適切な給料を得るための武器であり、相手の理不尽な値引き交渉を跳ね返す防具なのだ。

 これを言ったら、今度は「それするとめちゃくちゃ値段高くなるで」と罪悪感がありそうに言い始める。私は頭が痛くなった。奴○根性が染みついている。高かろうが安かろうが、請求書の金額はどうなったっていいのである。だって、やったことを全部書いて値段つけてるだけなんだから。どれだけ高くなろうが、ねつ造していないならその額が適正だ。それを納得させるために、全ての行動を箇条書きにし、相手の反論を許さないようにしているのだから。そして、ここまでやって初めて相手の「高い」という言葉に、「それはあなたの見積もりが甘かったからでしょ」と反論できるようになるのだ。請求書の中身がテキトーだと、こちらが不当に値段を釣り上げているように言われてこちらが悪者にされてしまう。しかし、請求書を完璧に仕上げれば。相手の営業が無能だから予算オーバーした、お客からお金を引っ張ってこれなかった、ということにできる。請求書を出した側の正当性が主張できるのだ。


 お金に関してルーズな人は、儲からないとか利益が出ないとか軽々しく口にする。しかし、利益を出す努力は全然してなかったりする。私はそういう人は苦手だ。しかし、自分も文句言いつつ色々理由つけて仕事を変えず文句ばっかり言ってたりするので、我が振りを直さなければならない。

 その手始めとして、労働環境の改善の一環として。不毛な文句を理論武装でつぶし、労働環境改善に乗り出してみることにする。適切な労働の対価とは、戦わなければ得られないのだ。

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