しゅれでぃんがー 2021/02/11 14:46

感想

 漫画やゲームが面白くて、SNSで感想を呟く。製作者のブログを引用し、間接的に感想や持論をリプする。自己を表明する手段が発達した現代社会では、そういう光景がよく見られる。

 誰かがやっていた新しい感情表現は、ネットミームとなり爆発的に広がる。ツイッターで思い出せるのは、現場猫の「ヨシ!」という指差しの絵をコラージュしたり、藤子・F・不二雄氏の『ノスタル爺』の1シーンをコピペしたり(作品自体をそのまま画像上げるのは1コマだけだろうと犯罪だと思うけど)。リツイートといいねボタンをバンバン叩く絵もあっただろうか。感情表現が苦手な人は、既にある表現方法を真似たり。そのままパクって自分で流用する。

 これ自体は、別に悪い事ではないと思う。犯罪は良くないけれど。想いを伝えるために、想いを伝える手段を模倣する。それは、結果的に自己を表明する手段となり、その人の感情を表に出す補助輪となる。それを禁じれば、自己表現が上手い人しか創作物の感想を口にしない、寂しい世の中になってしまうだろう。

 ただ、そうやって記号化されたネットミームでは、細かい気持ちは伝えられない。大まかな「好き」しか表現できないので、何が好きだった、とか、何処が良かった、なんてことは伝えられない。だからミームに頼らず自分の言葉で感想を送ってくれる人は、創作者にとって嬉しい存在である。でも、それはただネットミームを振り回すだけとは一線を画す能力が必要なので。そういう人とは、なかなか出会えない。


 私は感想を送る時、心がけていることがある。それは「返信が必要そうな文脈を使用しない」ことだ。以前、他のエッセイで私の文字の書き方は一人遊びの壁打ちである、みたいなことを書いた気がするが。感想を書く、というのはそれに似ている。自分が良いと感じたこと、良かった物。その想いを文字にして、相手に投げつけるのである。相手が投げ返してくるかどうかはどうでもいい。大切なのは、「自分の気持ちを余すことなく文字に起こして送ること」だ。だから極端なことを言えば、相手がどう思うかもどうでもいいし。送った後に、返信してくれたかどうかも見に行く必要は無い。本来、感想とはそういうもの。一方通行な物なのである。

 学校では「相手の気持ちを考えろ」と教えられる。ただ、それは状況によりけりだ。なまじ、それを深く考えすぎてしまう人ほど、創作物への感想というのは書けない。相手をおもんばかってしまうばかりに、こんなこと書いたら気分悪くするかな、とか。こんなの書いたら変な奴みたいに思われるかも。なんてことが思考の堂々巡り。そのうち袋小路に入ったり、考え疲れて筆を置く。現代風に言えば、ブラウザバックとか書いてる途中の感想を全部消してしまう。感想を書くこと自体には、相手の事情なんて不要なのだ。なにせ、「創作物に関する感想」なんだから。作った人は、そこには関係ない。そこをまず理解することである。

 だからといって、相手を傷つけていいというわけではない。常識的に考えて、また、相手の気持ちを考えて。倫理やモラルに反することや、暴言など。人として言ってはいけないことは、書いちゃいけない。でも、何々がつまらなかった、とか、ここがダルかったとか。そういうのは「感想」なので言ってもいい。でも、それで自分が製作者に嫌われたとしても、それは甘んじて受け入れなければならない。「書いたことに責任を持つ」。それは、どんな文字でも一緒。そこに製作者もユーザーも関係無い。その一点においては、作者も読者も対等であり、同じだけの権利を持っている。ゆえに、同じだけの義務も同様に負う必要があるのだ。


 いくつも感想を書いていくと、どういう風に書けばいいのか分かってくる。また、何度もたくさんの相手の反応を見ていくと、蓄積した経験から「言ってはいけないこと」もなんとなくわかってくる。「ゲームとして面白くなかった」、というのは言ってはいい(どう思われるかは自己責任)が、「ゲームじゃなくてCG集で出せばいいのでは?」とは言ってはいけない。それは、現時点の製作者の実力がそこまでしかなくて。次回作以降に繋がる作品なのかもしれないからだ。難しいけど、越えてはいけないラインはある。そこの見極めもできてくる。あくまでも、作品への感想はいい。だが、作品自体を否定するようなことは言ってはいけない。それは感想におけるマナー違反だ。


 そうやっていくと、そのうち製作者のブログのちょっとした記事にも感想が書けるようになってくる。ある意味、ツイッターと同じだ。合いの手と言うのだろうか? 返信を求めず、また、返信のしようが無い感想。というのが書けるようになってくる。そういうのはけっこう気楽である。Ci-enにはスタンプ機能みたいなのもあるから、読みましたよ程度のニュアンスでドングリやらハートのスタンプ打っとけば既読通知みたいなこともできるし。

「返信が無くてもなにも思わない精神」というのを培うことが、感想を書く技術の向上につながる。あくまでも、「自分の想いを伝える手段、方法」。感想とは、それ以上でも以下でもない。まずは、それを正確に認識することである。

 そうやって気軽にコメントを続けていけば、そのうち些細な事にも反応してコメントをくれる人、といずれ製作者に認知される。そこで初めて、その他大勢以外との差が生まれる。「不特定多数」の中から「認知されたユーザー」に変化する。それが、感想の力である。


 たまに見かけるが、そこまでやってないのにいきなりコメントで要望をあげ(それ自体は一回なら別にいいけど)、無視されたら「返信待ってます」とか何回も同じ要望やら質問をコメントで投げたり。友だちみたいに馴れ馴れしく話しかけるのはのはおこがましいよね。

 あなたとわたしは友だちじゃないけど、という歌があるけど。まさにそれ。ただゲームや漫画買っただけのユーザーが、その場の思い付きでづけづけさしでがましいコメントするもんじゃない。そんなことを言うのなら、そもそも自分で創作すればいいのだから。理想の作品を。自分の趣味趣向で他人の作品に強○まがいの要望を出している時点で、感想を書いた人の程度が知れる。


 話が逸れた。何が言いたかったかというと。世の中、もっと気軽に感想が送れる人が増えればいいな、ということだ。その為にこういう感じでまとめて見た。感想というのは、キャッチボールではなくドッヂボール。投げつけて逃げるぐらいでちょうどいい。書いた感想自体はその時点で記憶から消してしまおう。

 弾の投げ方に自身が付いたら、書いた感想をもう一度見に行く。そして、返信が付いたら、それに対して返信できそうなら別の記事で感想を書く時にでもちらっと触れてみたり。あくまで自分からは一方的に投げつけるが、投げ返してくれたものにだけ反応する。ブログへの感想というのは、それの繰り返しだ。


 そのやり取りの中で、感想を書くのが上手くなる。そしてある日、ふと気づく。想いを伝え、相手に様々な感情を与え、生み出す「感想」という文章は。それ自体もまた創作物の一つであり、作品なのだということを。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索