しゅれでぃんがー 2021/10/11 22:44

ツンデレとママみに見る社会学 ~犯罪系ヒロインからばぶっておぎゃるまで~

 Twitterでふと、目にしたツイート。最近はツンデレキャラをあまり見かけなくなった。昔は流行っていたのに、というような内容。それを見て私も共感した。私の中には、おそらくこれが理由じゃないか、という論がある。今回は、それについて書いてみようと思う。





 ツンデレという属性は、一般的にはおそらく「好きな気持ちを素直に表すことができず、いじめたり悪口を言ったりして素直になれないキャラクター」という認知ではないかと思う。事実、私もツンデレという言葉が現れた当時はそういう印象であった。しかし、ツンデレ人気が高まるにつれ、そのツンの部分がどんどん先鋭化していった。そして、最終的に見るに堪えないようなキャラクターが(私にとって)、昭和から平成初期にかけて次々に生まれていった。


 私の中で大きな存在感を持つツンデレといえば、『ゼロの使い魔』のルイズであろう。その前に、『灼眼のシャナ』のシャナもいるにはいるが。シャナはどちらかという、むしろ平成後期から令和付近のツンデレに近い、マイルドなツンデレだ。私もシャナは普通に見ていられた。ただ口やかましいだけの幼い少女だったからだ。だが、当時のユーザーたちを魅了した『ゼロの使い魔』のルイズというキャラクターは、私にとって、嫌悪の対象だった。

 何故嫌悪していたか。理由は簡単だ。人を人とも思わぬ物言い、扱い。殴る蹴る。怒鳴る。なじる。世界観がファンタジーで、しかも主人公である平賀サイトは人間以下の階級である使い魔だったから成立していたが。それでも、身を挺して傷を負い戦うサイトに対し、憎まれ口しかきかないルイズ。私はそれが生理的に許せなかった。社会的、ルイズの育ちや背景、それらが分かった後ですら、彼女を好きになることはできなかった。どんな理由があろうとも、他者を迫害してはいけない。それは道徳的に当たり前のことだからだ。

 何故サイトがそれでもルイズに従っていたのか。それは物語後半、ガンダールヴのルーンのパッシブ効果のせいであると語られた。ルイズがサイトを粗末に扱う理由も、サイトがルイズに対してある種の無償の愛を持つ理由も作品の設計図の中に組み込まれていた。そして、それはきちんと語られた。あの作品は、ツンデレをきちんと物語として、道理を成立させたすさまじい作品だった。私は今でもルイズは好きじゃないけれど、あの作品の造形の見事さにはずっと敬意を抱いている。ツンデレを無条件で成立させず、物語の仕組みに組み込んで説得力を与えているからだ。


 しかし、『ゼロの使い魔』以降のツンデレたちは、『ゼロの使い魔』ほどツンデレの仕組みに頓着していなかったように思う。主人公をけなし、怒鳴り、殴り蹴り。雑に扱えばツンデレで許されると思っているかのようだった。当然のことながら、それで許されるほど人間の心情は甘くない。顔が可愛いだけで何をしても許されるなら、その世界は地獄である。

 創作物にリアルの価値観を持ち込むな、と言うのであれば。創作物で現代物を題材にしてるにもかかわらず、法律を無視するような、人権を侵害するような描写をしてそれが無条件に成立している状況を作るな、と私は言いたい。『ゼロの使い魔』のように異世界とか常識が現代と違うような世界観を造れ、主人公の身分を奴○以下などの人以下の扱いを受けるに足る理由をつけろ、それでも主人公がヒロインを嫌わない理由を作れ。【顔が可愛い】だけを理由にゴリ押しするんじゃない。創作物だからという免罪符に、甘えて胡坐をかくんじゃない。

 可愛ければ何をしても許されるような風潮に、私は虫唾が走っていた。


 漠然とした思いであって、当時の私はそこまで正確に自分の気持ちを理解していたわけでは無い。ただなんとなく、あのキャラほんとに嫌いだな、と見るたびイライラしているだけだった。この感情の理由、実像を明確に掴んだ作品があった。それが、竹宮ゆゆこ氏の『とらドラ!』だ

 竹宮ゆゆこ氏の作品は、『わたしたちの田村くん』で初めて知り、ファンになった。主人公の造形がやや不自然で無骨な部分があったものの、内容はじつに面白かった。私はあの作品で、相馬広香が好きだった。ツンデレな造形をしながらも、現実を逸脱しない。過度な理不尽さを見せない。そして、主人公の気を惹こうと全身全霊で努力する。作中の、主人公の前で泣きながら「私のことを好きになってよ」と心の奥から絞り出すように言った言葉が印象的だった。好きな人に意地悪する子どものような造形。でも、その気持ちを最後は言葉にして示した。じつにけなげでいじらしい。あの作品で、一番好きなヒロインで。竹宮ゆゆこ氏の作品の中で、一番好きなヒロインだった。

 そんな竹宮ゆゆこ氏が、新作を出すと聞いた。楽しみだった。発売日に買った。そして、愕然とした。なんだこのキャラは――相馬広香の良いところが、全部無くなっている。この作者さんの良いところが全部消えたような作品。読み終わって、私はしばらく愕然としていた。

 ヒロインの逢坂大河。彼女は、まぎれもなくツンデレである。だが、その造形はより時代に合うようチューンナップされており――私にとって、生理的に受け入れられない姿になっていた。このキャラは、なんと物語最初の方で。主人公の家にバットを持って突っ込んで、窓ガラスを割るのである。器物破損と傷害罪。完全に犯罪者だ。主人公に対する態度もすさまじい。名誉棄損まで追加である。やることなすこと一挙手一投足。上から下まで犯罪だ。主人公はそんな彼女をたしなめるのではなく。とりあえずまず警察に通報して、慰謝料を払わせるところから始めるべきだと私は思った。

 ヒロインは三人いたが、川嶋亜美以外はかなり不自然な造形。記号化をしようとしているものの、行ききっていないもどかしさがある。なのに、世界観は現代で高校生。どうあがいても、逢坂大河の行動はどれもこれもが法律違反で引っかかる。彼女が捕まらないのは、ただただ主人公が通報して訴えないからでしかない。それが私の嫌悪感に拍車をかける。特に、主人公含むコミュニティ内のもう一人の男が、キャラ付けのためか、脱ぎ癖をつけられていたのは見ていられなかった。一巻ではそんな様子無かったはずなのに……。アニメ版を見てやたら脱ぐその親友を見ながら、私は目を覆っていた。

『らんま1/2』や『うる星やつら』のような描写をしながら、リアリティ水準は現実を踏襲している。高橋留美子氏のように、その世界のリアリティ水準自体をその世界専用に調整したりはしない。窓ガラスを割ったら次の日何の理由もなく直ったりしない。怪我をしたらそのまま次の日に包帯を巻いてくる。そのアンバランスさが、そのまま作者さんの苦悩を映しているように感じた。

 この作品はとても人気で、しばらくはコンテンツとして市場を盛り上げていた。私もアニメのEDの『オレンジ』という曲は好きである。一時期ずっと聞いていた。サビが好きである。ただ、オレンジ色になりたいからといって、法律違反を○すのはどうかと思う。

 この作者さんと編集部の間でどのようなやり取りがあったのかは分からない。『とらドラ!』がどのような経緯で生まれたのかも知りようがない。ただ、私は。この作者さんの作品を読むことは、おそらくもう無いだろうな。と、思いながら。『とらドラ!』一巻を本棚に仕舞った。


 現代では、そういったヒロインは殆ど見かけなくなった。暴力に訴えたり、物を壊したりしない。あくまでも犯罪を行わない造形が主流である。それはおそらく、現代人がそんな傍若無人を許容する心の余裕が無いからだろう。

 流行りのヒロインの造形は、社会を映す鏡である。社会全体にゆとりがある時は多少我が儘だったりじゃじゃ馬でも、愛玩動物を眺めるように可愛がる余裕がある。ただ、現代人は様々な要因で疲弊している。可愛い、よりも、怒りや苛立ちが先に立つのだ。

 現代でばぶったりおぎゃったりする作品が流行っているのは。私としては、現代人が【癒されたい】と思っているからだと考える。ボイス系作品はだいたいそれ系だ。あと、凌○系とか、カミングアウト系とか。現代のユーザーは、創作物でまで邪険に扱われたくない、疲れたくない。優しくされたい。よしよしされたい。ちやほやされたい。癒されたいのだ。





 現代社会を眺めていると、今後もしばらくは甘やかし系作品が流行るであろうと思っている。コンテンツの流行り廃りは、世の中の流れと密接に関係があるのではないかと思う。

 まあ、学も無く実績もない私如きの考察など。虚しい空論でしかないかもしれない。

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