しゅれでぃんがー 2019/08/18 10:50

『天気の子』は『君の名は』を越えたか? ※『君の名は』『天気の子』ネタバレ感想注意

 『君の名は』が面白かったので、今回はどうかと観に行ってみた。しかし、上映時間中殆ど目を開けてられないぐらいに、私には受け入れられなかった。何故、私は『天気の子』を受け入れられなかったのだろうか。それについてをまとめてみようと思う。

**・『天気の子』の気になった点

1.主要人物たちの背景の薄さ
2.人物たちのやり取りの不自然さ
3.この作品は映画向きの作品だったのかどうか
4.犯した罪に対しての罰の軽さ
5.まとめ**

 これらを一つ一つ考察していこう。



1.主要人物たちの背景の薄さ

 この映画の主人公は家出少年である「森嶋帆高」(以降ほだか)と、彼の家出先にいた少女の「天野陽菜」(以降ひな)だと思うのだが、彼らの生きてきた背景というのが殆どと言っていいほど描写されない。


 ほだかは故郷になんらかの嫌なことがあってフェリーで家出してきた。が、何が嫌だったのかは描写されない。


 ひなは母親が最近亡くなってしまって、弟と一人暮らし。物語が進むにつれて児童相談所(以下児相)の職員から訪問を受けていること、実はほだかより年下だったことなどが分かってくる。(年下と偽っていた理由については不明)


 このように、物語内での数年前から現在までくらいのことは描写されているのだが。彼らの学生時代や交友関係、家族関係などが一切描写されない。不自然なほど、徹底的に。

これはおそらくわざとなのだろうと私は受け取った。


 ほだかは、家出の理由が描写されてしまえば、よほどのことでもない限り「この程度の理由で家出して、こんなにも大勢の人に迷惑かけまくっているのか」と視聴者に思われてしまうだろう。でも、理由を明示しなければほだかが他人に迷惑をかけまくるのを見ても、「何故こんなことをしているんだろう……?」という疑問が先に立つ。もしかしたら、「どんな理由があればこれほどまでに人に迷惑をかけられるんだ……?」という疑問のほうに目を逸らされる人もいるかもしれない。


 ひなは、児相から逃げる理由が分からない。予想がつく範囲で考えれば、児相を得体のしれない物と認識していて弟と引き離されたり家が無くなったりすると思っているのかもしれない。年齢を偽ってバイトしたり、水商売で働こうとしたりと現状を維持しようとする努力が強く観られるのだが。やはり、何故そうまでして今の生活を守りたいのか、という理由が分からないので全く感情移入ができない。上映中、「何故そこまでして現状を守りたいんだ……?」と、ただただ戸惑うしかなかった。


 主人公たちの過去をぼかすのが手法、と言われればそうなのかもしれない。しかし、私には、彼らが強迫観念に突き動かされたようにふるまう理由を用意できないから描写しないことで逃げたようにしか見えなかった。



2.人物たちのやり取りの不自然さ

 フェリーで助けられたところの一連のやり取りや、銃発見から最後に撃つところは触れないでおこうと思う。一昔前の美少女ゲームなんかではよく見た展開のような気がする。私がどうしても気になったのはひながほだかのことを「少年」と呼び始める一連の流れだ。銃ぶっぱなした相手に笑いながら少年、なんて何がどうなればそういう呼び方になるのか……この映画の不自然さは、ほだかが職を求めて彷徨うところから、銃を見つけ、ひなに「少年」と呼ばれるところまでに集約されている気がする。

 ここまでが一番、この物語で都合がいい流れなのである。


 しかし、悪いところばかりではない。良い流れの部分もあった。それは何処かというと、ほだかがバイトし始めたところである。バイト先の社長である須賀さんは、酸いも甘いも噛み分けたようなとてもまっとうな大人である。ほだかのふわふわとした世界が、須賀さんの前では現実に戻る。出自不明の少年を働かせている時点でおかしな話ではあるのだが。それでも須賀さんは「オカルトゴシップ記事というアングラな仕事」で生計を立てていて、「自分の子どもの件で裁判をしてるかもしれない」ような、社会で生きる大人なのかもしれない。
 


3.この作品は映画向きの作品だったのかどうか

 この作品の天気の描写は確かに綺麗だ。水滴の落ちる様や、地面で冠型に弾ける描写は美しかった。だが、全体を通してみた時、この作品は映画でないと作れない作品なのか? という疑問が湧いてくる。一言で言えば、ゲームのビジュアルノベルで表現力は事足りたのではないだろうか?

 これについては、題材に良いも悪いも無いだろう、という意見もあると思う。しかし、私はあえて言いたい。映画を作るのであれば、その題材も映画で無ければ作れないような仕組みであるべきだ。PC美少女ゲームが全盛の時、『天気の子』のような感覚を受ける作品はたくさんあった。それらは18禁ゲームだったけど、ここに優劣は決してない。ましてやこの作品の監督はもともとそっち系の出身、だからそういう傾向が色濃く出たのも分かる。しかし、だからこそ、ゲームと同じ作りで映画を作ってはいけないと思うのだ。ゲームっぽい、と思った時点で、じゃあこれゲームで作ればよくなかった? わざわざ映画でやるほどの題材なの? って思ってしまうのだ。


 ゲームっぽいけど映画じゃないとできないね、という点を、私は『天気の子』から見出すことはできなかった。



4.犯した罪に対しての罰の軽さ

 物語終盤、ほだかはひなを助けるために警察署を脱走する。その途中女子大生のなつみさんと、社長であった須賀さんに助けられる。そのおかげでひなは助かる――と、いうのはどうでもいいのだ。大切なのは「助けてくれた人たちがどうなったか?」、である。

 なつみさんはスクーターで警察を撒くために信号無視やスピード違反、右折や左折禁止を破ったかもしれないし、一方通行を無視したかもしれない。そして最後は警察車両に体当たりである。ここまで行ったらもはや助からない、罰金どころか懲役だろう。

 須賀さんはほだかに噛みつかれ、捕まえようとする警察を妨害した。さらには児童誘拐までつくかもしれない。こちらも下手したら一発で会社がつぶれてしまい、彼自身も牢屋に入っていたことだろう。

 この二人はほだかの為に最低でも前科がつくようなことをした。それに対し、ほだかは保護観察(と謹慎?)で済んでいる。少年法、というやつだろうか。大人たちにここまでしてもらって、本人はこんなにものうのうとしている。私はそれが耐えがたくて苦しかった。なんてことをしでかしたんだお前は……という想いしかなかった。許されはしないけど、二人に土下座しろよ、とまで思った。

 話の展開に銃を出す必要性はあったのか? というのは問うまい。しかし、少年少女の思い込み、若気の至りでは済ませられないような犯罪行為をほだかはしたのだ。それは、子どもだからというだけの理由で許されていいとは思えない。現実でも少年法があるから、もしかしたら同じような結果になるのかもしれない。けれど、人として、この少年を私は許せなかった。



5.まとめ

 私の中の『天気の子』の総括は、

「青年期特有の思い込みで現実逃避した結果、運に恵まれて女の子と出会い、周りの助けのおかげで人生が破綻せず彼女ができた話」

 である。
 こうとしか言いようがない。『君の名は』ではある程度主人公たちの家族や友達たちの描写があり、そして隕石は過去の話だった、という設定に支えられてそつなくまとまっていた良作だった。しかし、『天気の子』は家族や友達は一切描写されず、主人公たちの周囲だけがクローズアップされ、生贄の話も巫女の話もひながたまたま神社に行っただけのようで因果関係が殆どない。そのせいでただただ不自然さが浮き彫りになっている。

 しかし、今思えばこれらすべてもわざとだったのかもしれない。家族や友達を描写しないのは主人公たちが強迫観念に追い詰められているという暗示。家出少年と巫女はどちらも特に必然性はなく、だからこそお互いにたまたま出会った、という作りにしているのかもしれない。(『君の名は』もたきくんは何故選ばれたのか謎だが)

 だからといって、それが上手い手とは私は思えない。説明すると都合が悪いことに全部蓋をして、さも理由があるように、壮大なように見せかけるような手法は。この作品の中身の無さを映し出す鏡である。
 『君の名は』で過去と現在を繋ぐというネタも使ってしまったし、今回のギミックはどうするか……という問いに対する答えを見つけられず、全部誤魔化してとりあえずまとめました。というのが真相だったりはしないだろうか。



・最後に


 『君の名は』である程度の地位を気づいた監督は、『天気の子』で安全策を置きにいったのか、はたまた自分の殻に閉じこもったのか。それともこれこそが自分の作品だ、と自信をもって送り出したのか。進化なのか退化なのか、それは私にも分からない。でもだからこそ、次の作品はどんな風になるだろうか、と期待せずにはいられない。

 私はこれからも監督の作品を追い続けようと思う。その到達点は一体どこなのか、何処へ行くのか。興味深く注視する。

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