しゅれでぃんがー 2019/09/02 23:14

このすば 紅伝説に見る「フリ」と「オチ」の仕組み(ネタバレ注意)


このすば熱冷めやらず記事のネタを考えていて、ついさっき復習がてら映画を見直してきた。今回は、紅伝説におけるシナリオの構造についてを考察していく。



目次

・「フリ」と「オチ」とはなにか
・紅伝説における「フリ」と「オチ」
・紅伝説の唯一「フリ」が無い部分について
・紅伝説の仕組みに見るギャグ映画の弱点
・まとめ



「フリ」と「オチ」とはなにか

 私は生まれも育ちも大阪で、小さい頃から「吉本超合金」とか「爆笑オンエアバトル」などのお笑い番組を見て育った。そのせいか、わりかしお笑いに関しては知識を蓄えることができた。これは物語作成や分析にも生かすことができる能力なので、今でも重宝している。

「フリ」とはネタの中で最初に置くものであり、ボケのきっかけというか、ボケを成立させるための説得力のようなものである。分かりやすいものといえば、「押すなよ、絶対押すなよ!」と熱湯風呂の前で仲間に連呼するダチョウ倶楽部の上島龍平とかだろうか(もちろん姿はブリーフ一枚)。やるなよ、と言ってやるとか、押すなよ、と言ってボタンを押すとか、勝った! と言って勝ち誇るとか。そういう行動が「フリ」となる。

「オチ」とはネタの最後に置くものであり、フリを活かし笑いに昇華するものである。前述した熱湯風呂であれば入ろうと心の準備をしているところに「早く入れよ」と言いながら蹴飛ばして叩き込むとか、3・2・1で入るからな~と言ってるところを3と言った瞬間に蹴っ飛ばして叩き込むとかだ。フリに対して、オチに関しては若干のバリエーションがある。

 物語に関してもそう。特にエンタメはそれが無いと成立しない。このすばは原作もアニメも必ずこの「フリ」と「オチ」を守っている。異世界転生最強物へのカウンターとして書かれたこの作品だが、エンタメとしてはお約束を忠実に守る模範的な作品なのだ。



紅伝説における「フリ」と「オチ」

 この映画に置ける最初にして最大のフリは「爆裂魔法」である。カズマさんはマグロを爆破しためぐみんに対して「もっと他のつかえる上級魔法を覚えろ!」と怒鳴る。そのフリが回収されるのが一番最後。めぐみんの冒険者カードを受け取っても他の上級魔法を覚えさせず、独白でめぐみんを肯定する。これは笑いのフリではないが、仕組みとしては同じである。喜びも、悲しみも、怒りも、憎しみも、そして笑いも。全てはフリとオチで作り出せるものである。
 ここに掛かっているのが「爆裂魔法の点数」でもある。クエスト失敗した冒頭では0点と断じたが、一番最後のハート爆裂は120点だ。なんとも綺麗にフリを回収したものである。御見事。

 ラノベ一冊の設計図にも言えることだが。一番最初の一頁目にフリを仕込んでおき、クライマックスシーンからエピローグの当たりで回収するのが一番見た目のいい仕組みである。物語を書こう、作ろうと思っている人は、まず手始めにそれを意識すると良いだろう。



閑話休題


 その次のフリが「モテ期」である。これに関しては積み重ねの技法が使われている。モテ期である、というフリに対していくつものモテイベントを描写することで畳みかける仕組みだった。冒頭で「もっとちやほやされてもいいんじゃないだろうか」、からの「カズマさんの子どもが欲しい」。このフリは「手紙が嘘だった」というところで回収される。その後も女オークのところとか、めぐみんとのイベントとか、シルビアとのイベントとかで繰り返しモテ期であることがフリとして強調される。
 そしてそのフリが最大出力で回収されるのが、カズマさんが死ぬ瞬間。あの魂の叫びである。ある種断末魔のようなモテ期宣言は、感動すら呼び起こした。その後に胴上げされるところでもさらにしつこく印象付けてくる。

 「爆裂魔法」と「モテ期」はこの映画における根幹となるフリである。他の全てのイベントはそこに肉付けしていっただけに過ぎない。原作の五巻とこの映画は、この二つのフリから構成されているのだ。



 その次のフリは「パンツ」である。ゆんゆんの子どもが欲しい宣言にカズマさんは鼻息も荒くパンツを脱ぐ。それは結局未遂に終わったが、それ自体が次の展開のフリ。パンツを自分で脱いだカズマさんは、今度は女オークに脱がされる。ゆんゆんの子づくり宣言と女オークの部分は紐でつながっていて、どちらが欠けても破壊力が削がれてしまう。
 話の展開上ゆんゆんに遅れて出発したカズマさんたちが現地でゆんゆんと合流しなければならない、というのが先に決まっていて。その理由をどうするか考えた時に女オークイベントが生まれたのだろうと思う。魔王軍に見つかって里の人が助けに来る、というところまではすんなり考え付くだろうが、その理由をどうするかはとても大事なところである。そこにゆんゆん子づくり宣言自体をフリにしたカズマさん子づくられピンチはあまりにもスマートで感心してしまう。うならざるを得ない。この脚本はすげぇなぁ。

 その魔王軍に見つかったところでも、めぐみんとゆんゆんが喧嘩しているところにダクネスが静かにしろと言った瞬間カズマさんがデカい声でボケるとか、近くで打ったら巻き込まれるって女オークのとこで言ってたのに魔王軍に向けて爆裂魔法撃っちゃうめぐみんとか、細かいフリとオチがちりばめられている。この脚本の人は、フリとオチがよくわかっていると思う。
 この辺は原作だとたしかめぐみんが魔力暴走しそうだから治すために馬車で紅魔の里に行く、という話だったはずなので。映画の尺的にもそんなに時間が割けないからテレポートで一瞬で移動させ、ゆんゆんも人気があるし紅魔の里編だから絡めたいのできっかけをゆんゆんにしよう、という風にしたのだろうと想像しやすい。テレポート使えるやつはウィズにして、ウィズのとこにはバニルがいるから自然にこの二人をこの話に登場させることができ、さらにはカズマさんの知的財産権ネタに絡ませて紅魔の里にも来させちゃえ、となったのだろう。改めて見ても、よくできたシナリオだ。展開に無理がない。

 ただ、唯一ひとつだけ無理がある場面があるのだが、それは後述しよう。



紅伝説の唯一「フリ」が無い部分について

 
 この映画は本当によくできていて、大きなフリである爆裂魔法とモテ期を背骨として、いくつもの小さなフリとオチを筋肉として、一つの塊となっている。しかし、唯一フリが無い要素がある。それは何処かというと、シルビアが復活するところである。カズマさんが死んでオチをつけるためにもあの展開は都合がいいし、必要なものではあるのだが。ただ、一つ。

「何故シルビアが生き返ってさらにベルディアとかの今まで倒した魔王軍幹部と融合したのか」

の理由が無い。ここだけが唯一、本当に唐突である。たぶん、脚本の人もここだけは用意できなかったのかもしれない。だから理由を説明せず、雰囲気でごり押ししたのだろう。だが、ここは見る人が見ればすぐ分かる。ばれてしまう。あ、ここだけ整合性取らせるの無理やったんやな、と。

 後半の展開は確かに熱い。元気玉展開でカズマさんもろともシルビア撃破。めぐみんとゆんゆんの発射の構図がどう見てもグレンラガンでなお熱い。だが、その展開になった理由である「シルビアたちの復活」。この根本的、根幹の部分がふわふわしてしまっているせいで、純粋に楽しめない。ここの土台が骨抜きだから、クライマックスに思考の不純物が混ざってしまい乗り切れないのだ。

 これだけが、この映画唯一の欠点だろう。改変自体はよかったのだから、その足元もきっちり固めておくべきだった。



紅伝説の仕組みに見るギャグ映画の弱点

 このすばは分類としてはギャグである。なのでネタを挟むのはアイデンティティにおいて大切だ。だが、それを重視するがゆえに、ある問題がこの映画には発生している。それは「途中で物語が停滞していると視聴者が露骨に感じる時間帯がある」という点だ。
 次の図を見て欲しい。

 雑な手書きなのはこれが正式な出版用記事ではないので許してほしい。もし本にまとめることがあればちゃんとペイントででっちあげるか、友だちに依頼して作ってもらおう。(もちろん報酬は支払う。現金で)
 このように、クライマックスに向けて徐々に右肩上がりでボルテージを高めていくのが理想的な物語の仕組みだ。一応『天気の子』はこの仕組みではあった。ストーリー物なので。
 しかし、このすばはギャグであり、ある意味ストーリー物ではない。その結果、何が起こったかというと。

 このように、紅魔の里に着いてめぐみんが夜中にゆんゆんの家まで逃げ出すまでは物語が先に進んでいたのだが、ゆんゆんの父親に手紙が嘘だった、と言われた後は物語が停滞してしまっている。里に着いた時点で目的が達成されてしまったので、次の目標が無く宙ぶらりんになってしまったからだ。里の観光中にギャグは挟まれているのだが、目的が無いせいで本当にただの観光になってしまっている。だから、観ている人には「面白いけどここまでの流れに何か意味あるの……?」という疑問を持ってしまう人が出る。私とかね。
 まあ物干しざおは一応説明すべき要素ではあったのだが、説明が必要な要素といえばそれぐらいである。めぐみんの母校で同級生たちの顔見せもあったけど、ある意味あれも無くていい部分である。ゆんゆんとめぐみんの過去の話を入れたかったのかもしれないが、ちょっと脇役に時間割きすぎだと思う。
 このように、二日目の観光からめぐみんの家に帰るまでの部分で物語がほとんど動かずにギャグの羅列と雑な伏線紹介だけになっているせいで、物語が停滞してしまっているのだ。だが、この映画は頑張っていると思う。それでもギャグはくすりとするクオリティを保っていたし、最低限の伏線も挟んでいたからだ。

 しかし、もっとこれをスマートにするとすれば。二日目の観光の部分で「シルビアと他の幹部たちが復活する理由」に説得力を持たせるイベントを組み込むことができていれば、最後の流れにも説得力が生まれて自然になっていたと思う。



 最後の展開での理由付けを諦めてしまったこと、二日目の観光の場面をただのギャグタイムで終わらせてしまったこと。この二点がこの映画の弱点であった。
 
 

まとめ

 ちょっともったいない部分はあったが、それも些細なことである。私はこの映画を変わらず120点だと思っているし、本当によくできていると感心している。この記事を読んでくれた方は、特に「爆裂魔法」と「モテ期」の使い方を参考にして自分の作品のフリとオチに生かしてみるといいだろう。

 最初でフって最後でオトす。これがエンタメの基本にして原点である。

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