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ちょっとイケないことの記事 (18)

おかず味噌 2020/06/25 02:50

ちょっとイケないこと… 第十三話「共感と共犯」

(第十二話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/334324


「僕、知ってるよ?」

 純君は告発する。その状況はまるで、サスペンスドラマのラストシーンのように。

――やめて…!!

 シーンと静まり返った空気の中、私は咄嗟にそう思った。

――言わないで…!!その先を。私の過去の過ちを。

 あるいは真剣に、半ば強引に話の続きを遮ろうと考えた。

――お姉ちゃんが悪かったから。もうこれ以上、あなたの罪を咎めたりしないから。

 己の言動を懺悔するように、懇願するように彼に祈った。


「お姉ちゃんが『おもらし』しちゃったこと」


 だけど彼の口蓋は無情にも開かれ、同時に私の視界は絶望に閉ざされたのだった。


 室内が静寂に包まれる。会話の順番からすると次は私のターンであるはずなのに、何も言えずに黙り込んでしまう。

「な、何を、馬鹿なこと言ってるの…?」

 長大な間を置いてかろうじて絞り出した言葉はけれど、それさえも間違いだった。この場で返すべきなのは質問ではなく、より無意味な疑問であるべきだった。

「え?」とか「は?」など、そうした一文字と疑問符のみであるべきだった。

 そうすることで、会話自体をそもそも成り立たせず。愚問だと一蹴することこそが私にとって唯一の正答であり、私自身を正当化するための正道であったはずなのに。

 彼からの手厳しい指摘が的中していたために、適切な選択肢を見失ってしまった。そうして再び、彼の番になる。

 純君は何も言わなかった。ただじっと黙ったままだった。だけど彼の沈黙の意味は私のそれとは大きく異なる。何かしら言葉を返すことを私が要求されたのに対して、彼はそのまま無言で居続けたとしても一向に構わないという余裕のある沈黙だった。

 思わず私は後退してしまう。今すぐここから退散したいという衝動に襲われる。


 それでも私は絶対に撤退するわけにはいかないのだった。ここは弟の部屋である。だけど私の家の一部でもある。あくまで限定的な所有権が与えられているとはいえ、それは両親が決めた暫定的な領有権により効力を発揮するものに過ぎないのである。

 つまり、ここは彼の部屋であってそうではない。春から大学生になったといっても未だ親の脛を齧り続けている実家暮らしの私についても、それは同様であるように。

 私の部屋もまた、この家の一部に過ぎず。リビングや洗面所、トイレに至るまで。私は生活圏の多くを彼と共有していて、どうしたって顔を合わせる距離に共存する。

 ゆえに、私は逃亡することが叶わなかった。

 ここで一時的に背を向けたとして、直ちに彼との関係性が失われるわけではない。だからこそこの場で解消しておかなければ、彼の疑問は不協和音として残り続ける。いくら平常を取り繕おうとも、非日常からの残響は日常に影響を及ぼし続けるのだ。


 私は後退する代わりに一歩前進した。およそ数メートルの空間を縮めるみたいに。姉弟の数年間の空白を埋めるみたいに。

 私の行動が彼にとっては予想外だったらしく、彼はびくっと震えて目を逸らした。両手で必死に頭部を庇っている。姉から暴力を振るわれるとでも思ったのだろうか。その反応は私にとっても想定外のもので、弟に恐縮されたことに私は深く傷ついた。

 ベッドに座る純君を見下ろす。彼は相変わらず痛みを堪えるように瞑目している。あくまで立ち位置からか、立場的なものからか、彼のことを見下しながら私は言う。

「ヘンなこと、言わないでくれる?」

 またしても責める口調になってしまう。最善手ではなく、むしろ悪手ともいえる。あるいは彼の暴いた秘密が事実ではなく、単なる妄想や苦し紛れの嘘であったのならそれで良かったかもしれない。

 だがあの夜のことは紛れもない事実であり、他ならぬ私自身がそれを知っていた。

 だとすれば私に出来るのは、姉という立場を利用し弟を黙らせることだけだった。姉弟の強権を振りかざし強○的に彼の口を塞ぐことでしか逃れる術を持たなかった。あまりにも分の悪い賭け。はったりを見せつけ、ポーカーフェイスを装うことでしか私の敗北を覆す手段はなかった。


――そもそも彼はなぜ、私の秘密を知り得たのだろう?

 私があの日『おもらし』をしてしまったことは間違いない。不浄に濡れた心と体、『尿』に塗れたアソコの感触がそれを覚えている。

 だけど私が粗相をしたのは○○さんの家で、だ。彼の家の廊下で、トイレの前で、私は『おしっこ』をまき散らしてしまったのだ。

 自宅に帰った私が真っ先にしたことは、『おもらしショーツ』を洗うことだった。純君が私の醜聞を知ったのだとすれば、おそらくその時だ。

 深夜まで遊び歩き帰宅した姉。その姉があろうことか洗面所で下着を洗っている。あまりに無謀で無防備な後ろ姿。彼はその光景を無断で覗き見てしまったのだろう。そして間もなく、彼は一つの結論に行き着いたのだろう。

――お姉ちゃん『おもらし』しちゃったんだ…。

 と。つまり彼が言ったのはあくまで憶測から導き出されただけの推論に過ぎない。犯行の現場を目撃したわけではなく、というより彼がそれを見るのは不可能なのだ。それは私と○○さんだけの秘密であり、家族だろうと他人が知ることはないのだ。

 だとすれば、私にもまだ戦える余地は残されている。わずかなりとも勝算はある。だけどそのためには、今や周知の事実となった羞恥の秘密を認めなければならない。私があの夜、洗面所で何をしていたのかということを…。


「『これ』の事、言ってるんだよね?」

 手に持った一枚の布を純君の眼前に突き出す。それは洗濯済みのショーツだった。すでに汚辱の痕は拭い去られているとはいえ、未だ恥辱の過去は拭い切れなかった。

 彼は私を見た。私の顔色を窺い、次に私の手に握られている黒ショーツを眺めた。やはり彼はその布に執拗なまでの興味があるらしかった。

 マタドールのマントみたく、荒ぶる闘牛の如く彼の視界からそれを見失わさせる。血走った眼があからさまに白黒とし、かつて黒があったはずの余白を彷徨っていた。

「私が『パンツ』を洗ってるのを、見ちゃったんだよね?」

 優しい口調で彼に問う。穏やかな声音は再び、姉としての響きを取り戻していた。やや遅ればせながらも彼は頷いた。あの夜の「答え合わせ」を期待するように…。


「純君」

 彼の名を呼ぶ。ゆっくりと確かめるように。じっくりと言い聞かせるように。

「女の子の体は、男の子とは違うの」

 唐突に違う議題を投げ掛けることで話題をすり替える。私のよくやる手法だった。

「純君は寝てるとき、パンツの中が濡れちゃってたことない?」

 ふいに自分自身に向けられた問いに、彼は驚きを隠せないでいるらしかった。

「な、ないよ…!!」

 彼は慌てて否定する。そこに少しばかりの誤解が含まれているように感じられた。どうやら私の訊き方が悪かったらしい。

「『おしっこ』とかじゃなくて。もっと別のもので…」

 彼の勘違いを訂正する。すなわち「夢精」である。私が言外に匂わしていたのは、まさしくそれだった。


 彼は考え込む素振りを見せた。質問に真面目に答えようとしてくれているらしい。姉である私に決して言いたくない、本来ならば言わなくてもいいことを言うべきかと真剣に悩んでいるらしかった。

「実は…」

 ようやく彼は口を開いた。己が秘密を打ち明けようと、心の扉をわずかに開けた。

「一回だけ。朝起きたら、なんか濡れてて…」

 自己の罪を白状するように彼は言った。(それは事故のようなものなのだけど)

「違うんだよ!漏らしたんじゃなくて…」

 あくまで『おねしょ』ではないのだと言いたいらしい。

「その…。なんか、ベトベトしてて…」

 その正体を私は知っていた。だけど純君は知らないらしかった。保健体育の授業で習わなかったのだろうか。今まさに思春期を迎えた同性や異性の体の成長について、あるいはその兆候について。

 性に興味津々なクセして、その知識はあまりにも稚拙であるらしい。私は姉として弟の勉強不足が気掛かりになりつつも、だがこの場においてはむしろ好都合だった。


 私はあえて沈黙する。疑問に解答を与えることなく暫く泳がせてみることにする。今度は私の方が余裕たっぷりに構える番だった。

 案の定、彼の表情に不安の色相が浮かぶ。眉間に皺を寄せて心配そうにしている。少しばかり可哀想になってきた。

「ねぇ。僕、ヘンなのかな…?」

 裁定を求めながらも肯定を望まず、疑問形を用いる彼に対して。

「そんなことないよ!」

 私は強く否定し、優しく断定した。

「それはね。男の子だったら誰でも経験することなんだよ?」

 とはいえ男子ではない私には分からない。聞き知っただけの知識に過ぎなかった。

「女の子にだって、そういうことはあるんだよ?」

 ようやく自分に有利が傾いてきたところで、会話を本題に戻す。


「そうなの?」

 私が撒いた餌に、すぐさま彼は食い付いてきた。

「だからお姉ちゃんがあの夜、『パンツ』を洗ってたのは…」

 ついに訪れた、彼が待ちわびた解答の瞬間。

――そういうこと、なの。

 だけど、その先を曖昧にぼかして煙に巻く。

 私はそれ以上何も言わなかった。女子の秘めたる事情については言わずに留めた。それは純君がそう遠くない未来に否が応でも知ることになるだろう。

 あるいはその時に彼は気づいてしまうかもしれない。「高校生探偵」じゃなくても分かってしまうことなのかもしれない。それでも、今はまだ…。


「だから私のそれは、別に恥ずかしいことじゃないの」

 はっきりと断言したのち。

――純君がそうなように、ね。

 思い出したように言い添える。彼に共感するように。共犯関係を確認するように。

 彼は「あっ!」という顔をした。何かを悟り、全てを理解したような表情だった。今まさに彼の誤解は、私が示した別解により解かれたらしかった。

「そうなんだ…」

 彼は納得したように小さく呟いた。あくまでも真実にたどり着いたわけではない。私自らが偽装し、あえて真相を捻じ曲げたのだから。

 だけど、これで少しは彼も分かったはずだろう。人に秘密を知られるということがどれだけ恥ずかしいことなのか、と。


「姉川の戦い」が終結を迎える。論争とさえ呼べない、一方的な論述が終えられる。

 純君は無言になる。心地よい沈黙は、私にとっての勝利の余韻であった。

 それでも彼はまだ不安を抱えているみたいだった。未だ解き明かされていない謎が残っているようだった。

「じゃあ、これも…。ヘンなことじゃないのかな?」

 次週のヒントを待つこともなく、意を決したように彼は言う。それは私ではなく、自分自身についての疑問であるらしかった。

「えっ…?」

 無意味な疑問を私は問い返す。彼の手はいつの間にか太腿の付け根辺りにあった。いつからそうしていたのだろう。いつからそこを押さえていたのだろう。

 やがて純君はアソコから手をどける。そこにあったのは…。


 パジャマのズボンの中で窮屈そうに屹立した、彼の「おちんちん」だった。


――続く――

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おかず味噌 2020/06/20 23:15

ちょっとイケないこと… 第十二話「謝罪と反省」

(第十一話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/258937


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」

 純君は謝り続けている。お腹にあるスイッチを押すと予め録音された台詞を喋る、一昔前に流行った「ぬいぐるみ」みたいに何度も同じ言葉を繰り返す。

 感情の起伏が感じられない玩具と違い、その声からは悲嘆と悲愴が伝わってくる。

「ごめん…なさい!!」

 ついに純君は泣き出してしまう。すでに可愛らしい瞳から涙は溢れていたけれど、そこに嗚咽が混じることで号泣を始めてしまう。

 純君がこんなにも盛大に泣くのを見るのは、果たしていつぶりだろう。少なくとも彼が中学生になってからは一度も目にしていない。

――もう、泣かないで…。

 私は出来ることなら、そんな風に声を掛けてやりたかった。あくまでも姉らしく、目の前で泣きじゃくる弟を慰めてあげたかった。だけど私にはそれが出来なかった。なぜなら彼の涙の理由は、私に大きく関わったものだったから…。

 今の私に出来ることはただ一つ。彼が泣き止むのを待って、彼の口から事の顛末を聞くことだけだった。


 枕の下から見つかったもの、それはショーツだった。彼の部屋にあるはずのない、あってはならないものだった。そうだと分かった瞬間、疑問が幾つも頭に浮かんだ。

――あれ~?おかしいな~?

 私はまるで「名探偵」にでもなったみたいに。だけどそこに使命感や正義感などは微塵もなかった。「たった一つの真実」になんて、私はたどり着きたくなかった。

 そこで、私は一つの事実に行き当たる。それは最初から気づいていたことだった。

 疑問が幾つも脳裏を掠めたとき、あえてその問いだけはしないように避けていた。あるいはそれさえ訊いていれば、彼にあらぬ疑いを掛けずに済んだのかもしれない。私が無意識の内に除外していた問い、それは…。

――これは、誰の?

 という、ごく当たり前の質問だった。

 明らかに純君のものではない、女性ものの下着が部屋から見つかったという事実。だとすれば真っ先に問うべきは、それが果たして誰のものであるのかということだ。一体どのようにして手に入れたものなのか。盗んだものなのか、貰ったものなのか、買っただけのものなのか。(それはそれで「なぜ?」という疑問は拭えないが…)

 仮にきちんと対価を支払って手に入れたものならば、それは決して犯罪ではない。理由はどうであれ、その行為は正当性を帯びることになる。

 だけど、私は最初からその可能性を否定してしまっていた。


 見覚えのある下着。それは紛れもなく「私のショーツ」だった。

 もちろん名前が書いてあるわけではなく、私としてもいちいち自分の所有している下着一枚一枚を覚えているわけではない。

 だけど、その下着だけは覚えている。はっきりと記憶と網膜に焼き付いている。

――前面上部に小さなリボンのあしらわれた「黒いショーツ」。

 それは、あの日。私が初めて○○さんの家で『おもらし』した日に穿いてたものに間違いなかった。

 あの夜のことは数週間経った今でも鮮明に覚えている。我慢の限界、理性の崩壊、膀胱の決壊、羞恥の公開、先立たぬ後悔、不可能な弁解、甚大な被害、汚辱の布塊。それら一つ一つの感慨を、私は詳細に渡って述懐することができる。

 それをきっかけにして、私と彼の関係は進んだ。いや、進んだといって良いのかは分からない。だけど現に今日だって、ついさっきまで彼の家にお邪魔していたのだ。そこで、またしても『おもらし』をしてしまったのだ。


 だけど、今日に限っていえば。深夜の洗面所での惨めな後始末を私は免れていた。まるで何事もなかったかの如く、粗相の物的証拠の隠蔽および隠滅に成功していた。

――そうだ、私は今…。

「ノーパン」なのだった。本来であれば持ち帰るべきはずの『おもらしショーツ』を道中で捨てて来たのだ。私は穿かないまま帰宅し、そのまま弟の部屋を訪れていた。

 これではどっちが犯罪者なのか分かったものじゃない。純君のことを問い質す前に私だって罪を犯している。「痴女」「露出狂」、罪名でいうなら「猥褻物陳列罪」。

 だけど、それにしたって。彼の犯した罪がそれで洗い流されるわけではなかった。どうして彼がそれを枕の下に隠していたのか。そもそもなぜそれがここにあるのか。私は毅然とした態度で、平然を装いながらも、彼に言詮させなければならなかった。


 ひとしきり泣いた純君は落ち着いている。相変わらず顔を手で覆っているものの、ひとまず会話が出来そうな程度には回復している。私は彼に訊ねてみることにした。

「これ、お姉ちゃんの…だよね?」

 動かぬ証拠を突き付けつつ、彼を問い詰める。責めるような口調にならないように気をつけながら、あくまでも確かめるというだけのつもりで訊いた。

「本当にごめんなさい!!」

 再び、純君は謝罪を口にする。またしても泣き出してしまう。まるで子犬のように「わんわん」と声を上げて泣き叫ぶ。

 私は困り果てた。時刻は一時前、朝の早い両親はとっくに寝ている時間帯である。こんな深夜に喚いているとなれば、何事かと起きて来てしまうかもしれない。

 今ならまだ私と純君、二人だけの秘密に留めておくことができる。いつの間にか、私自身も共犯者になってしまったかのような気分だった。


 ベッドに座った純君の元に近づく。彼の手に優しく触れ、包み込むように握る。(もちろんショーツを床に置いてから)

 純君はつぶらな瞳から大粒の涙を零しながらも、恐る恐る私の目を見返してきた。戸惑ったような顔で(戸惑っているのは私なのだが…)上目遣いで見つめてくる。

 守ってあげたくなるような幼さを滲ませた表情に、私は純君を抱き締めたくなる。だが、まだそうするわけにはいかない。彼の口から真相を聞いてからでなければ…。

「どうして、こんなことしたの?」

 今一度、訊き方を変えて言ってみた。というよりも彼を犯人だと決めつけた上で、その動機について触れた。

「ごめ…」

 再び、同じ台詞を繰り返そうとする純君を。

「もう謝らなくていいから」

 私はすげなく打ち切った。少しばかり厳しい口調になってしまったかもしれない。彼の体が怯えたように震えたのが、掴んだ手からも伝わってきた。

「ちゃんと、話してみて」

 怒らないから、と私は念押しした。


 暫しの沈黙が訪れる。純君の表情が次々と変化する。彼は迷っているらしかった。どう話せばいいものか、あるいはどこから話すべきなのか、分からない様子だった。

 私は純君を急かしたり追い込んだりすることなく、彼が自ら話し出すのを待った。

 やがて、彼の口元がもごもごと動き始める。微かに開いた唇から、ぽつりぽつりと自供が始められる。

「その、ちょっと気になって…。女子が、どんな『パンツ』を穿いてるのかって…」

 軽犯罪における犯行の動機とはいつだって、好奇心による興味本位から生まれる。ごくごく一般的な好意に過ぎなかっただけの感情が、やがて恋心へと変わるように。

「だから、それで…」

 彼はその先を言いづらそうにしている。それでも私は決して助け舟を出さない。

「お姉ちゃんの、なら…。すぐ手に入りそうだったから…」

 無差別ということか。たまたま近くにあったのが私のものであったというだけで、「誰のでも良かった」のだろうか。

「イケないことって、分かってたんだけど…。どうしても我慢できなくて…」

 罪の意識はあったらしい。だとすれば直ちに許されるというわけではないけれど、少なくとも情状酌量の余地くらいはある。

――というか、もう許す!!

 私は元々、弟には甘いのだ。己の罪を白状する健気な彼の姿に、私の方がいい加減耐えられなくなってきた。


 あるいは、私の下着で済んで良かったのかもしれない。

 もしこれが人様のものだったら、私一人の裁量ではどうにもならなかっただろう。中学生のやったこととはいえ、裁きは免れない。(それが裁判によるかは別として)

 仮に同級生に知られでもしたら、彼は「死刑判決」を下されることになるだろう。女子からは軽蔑の視線を浴びせられ、男子からは好奇の目で見られ、一生その罪咎を背負って生きていくことになる。

 ほとぼりが冷めるまで「カノジョ」だって出来ないだろうし、「いじめ」にだって遭うかもしれない。いくら己の犯した罪の報いであるとはいえ、それはあんまりだ。

――だって、純君はこんなにも…。

 私は彼を抱き寄せた。姉弟でこんなこと生き別れになってからの再会でもなければ本来あり得ないことだ。それでも私は彼の頼りない体を、ほんのちょっと見ない間に逞しくなった体を抱き締めていた。


「もう大丈夫だから」

 慰めるように言う。そんなにも穏やかな声が発せられたのは自分でも意外だった。もっとこわばるかと思った。不器用に不自然になってしまうかと思っていた。

 だけどその声はごく自然に口から出た。それはやっぱり私がお姉ちゃんだからだ。弟の罪を許してあげられるのは、姉である私をおいて他にいないのだから。

「誰にも言わないから」

 私は純君を抱き締めたまま言う。彼が心配に思っているだろうことを先回りして、まずはその不安を拭ってやることにする。そう、これは秘密なのだ。私と純君だけの誰にも知られることのない二人だけの…。

 それでも私は姉として、もう一つ彼に言っておかなければならないことがあった。


「もう二度と、こんなことしないって約束できる?」

 私は抱擁を解いて、きちんと純君に向き直ってから言う。誰にだって過ちはある、問題はその後どうするかだ。同じ過ちを二度と繰り返さないことこそが重要なのだ。それさえ誓ってくれたなら、この件については今後一切話題にしないことにしよう。私自身もそう誓った。

 純君は首を縦に振った。頭を上下し何度も頷いた。最大限の了承のつもりらしい。だけど、私はそれだけでは許さなかった。

「ちゃんと返事をしなさい。わかった?」

 心を鬼にして私は言った。(ずいぶんと甘い鬼がいたものだ)

「はい…。わかりました」

 純君は素直に答えた。はっきりと誓いを立てた。

「よしっ!」

 あえて無理矢理に渋面を作っていた仮面を外した。満面の笑みで純君に対面する。それこそが私にとっての面目躍如であるというように。


「それにしても…」

 姉としての責務を果たし、一仕事を終えたことで気が緩んでいたのかもしれない。私は口を滑らせてしまう。二人で立てたはずの誓いを、私自ら破ってしまう。

「よりにもよって、お姉ちゃんのを盗らなくても…」

 私は言ってしまう。さも、ぶっちゃけるみたいに。彼がした行為の気まずさから、つい余計なことを口走ってしまう。

「そんなに欲しかったなら、言ってくれれば良かったのに…」

 言った途端に後悔する。そんなこと言うべきではなかった。たとえ冗談であっても決して口にしてはいけなかった。慌てて訂正を試みる。「ごめん、今のはナシで!」と軽い調子で軽はずみな前言を撤回しようとする。あるいは姉と弟の関係であれば、それも十分に可能であろうと高を括っていた。

 だけどその言葉はすでに私の口から発せられ、不穏な意味を持ち始めていた。


「本当に?」

 彼は訊き返してくる。その声は驚くほど冷静で、真っ直ぐな響きさえ持っていた。

「えっ…?」

 私も聞き返すことしかできなかった。彼のそれよりさらに無意味な言葉を返すのが精一杯だった。

「もしちゃんと言っていれば、お姉ちゃんは『パンツ』を僕にくれたの?」

 いよいよ彼の問いが意味を帯び始める。想定外の言及。私の冗談に端を発した、まさかの本気(マジ)。彼の眼差しは真剣(ガチ)そのものだった。

「いや…それはその…」

 今度は私が口ごもる番だった。

「わざわざ『盗む』必要なんて、なかったってこと?」

 ねぇ、と純君は迫ってくる。私は彼のことが段々と怖くなってきた。私の知らない別の誰かであるかのような気さえした。


「そんなわけないでしょ!冗談に決まってるじゃない…」

 思わず声を荒げてしまう。そうでもしなければ彼の追求から逃れられそうにないと判断したからだ。

「じゃあ、嘘をついたってこと?僕をからかったの?」

 それでも尚、純君は引き下がらない。あろうことか私を「嘘つき」呼ばわりする。私は自分の置かれている立場が分からなくなった。

――どうして、私が責められているんだろう…?

 責められるべきは、純君の方なのに。それでも私はあえて、そうしなかったのに。いつの間にか私の方が責められる側になっていた。

「そうやってお姉ちゃんはいつも、守れない『約束』をするんだ…」

 純君ははっきりとそう言った。私が一体いつ、どんな約束をしたというのだろう。しかも彼のその発言からは、さも私がその約束を「破った」のだと告げられている。だがそれも果たして何のことを言っているのか、理解不能だった。

 私は腹が立ってきた。自分の犯した罪を棚に上げ、相手ばかりを責めるその態度にもはや我慢ならなかった。


「いい加減にしなさい!」

 彼のことを突き放すように、私は言い放つ。

「女の子の下着に興味を持つなんて、恥ずかしくないの?」

 触れてはいけないデリケートな問題に、土足で踏み込んでしまう。

「それはイケないことなの!わかる?」

 有無を言わさずに私は断定する。間違っているのだと、恥ずかしいことなのだと。

「お願いだから、もう二度とこんなことをしないで」

 さきほどまでとは違い、うんざりとした口調で呆れたような表情で言う。

 彼は沈黙していた。私が責める口調になって以来、じっと私の罵倒に耐えている。反論はないらしい。かといって素直に受け入れてくれているようには見えなかった。その目は雄弁に語っていた。「裏切られた」という哀しみを…。

 彼は項垂れた。私から目線を外して、床の上を見つめている。こと切れたように、まるでスイッチを切られてしまった玩具のように。


――ちょっと言い過ぎたかな…?

 私は自省した。自制できなかった己の罵声を悔やんだ。だけど…。

 むしろ、これくらいで良かったのかもしれない。さっきまでの私が甘すぎたのだ。本当はこれくらい厳しく叱りつけなければいけなかったのだ。

 これも純君のためなのだ。こうでも言わないと彼は同じ過ちを繰り返してしまう。姉として弟を間違った道に進ませないために、これは仕方のないことなのだ。

「私は、純君を犯罪者にしたくないの」

 今さらながら取り繕うような言葉を掛ける。

「『ヘンタイ』になんてなりたくないでしょ?」

 私は言った。その後の末路を教え聞かせることで、彼を思い留まらせようとした。純君は相変わらず何も言わなかった。だけどきっとわかってくれたはずだ。


「じゃあ、今日はもう寝なさい」

 私は立ち上がる。床に落ちた自分のショーツを拾い上げ、彼の部屋を後にする。

「お姉ちゃんは、違うの?」

 久しぶりに彼は口をきいた。私の背中に向けて、不可解な質問を投げかけてくる。私は振り返った。

「どういう意味…?」

 怪訝に思いながら私は訊き返した。彼の言葉の意味が本当に分からなかった。

 再び彼は黙り込む。私から視線を外してそっぽを向く。何かを隠しているように、何かを知っているかのように…。


「僕、知ってるよ?」

 彼は告発を始めてしまう。その状況はまるで、サスペンスドラマのラストシーン。

――やめて…!!

 私は咄嗟にそう思った。その先を聞くことを拒んだ。だけどもはや手遅れだった。


「お姉ちゃんが『おもらし』しちゃったこと」


 彼は「禁断のワード」を口にした。

 トンネルに入ったように。私は突然、目の前が真っ暗になるような絶望を感じた。あるいはそれは、彼が私に秘密を知られた時と同じ心境だったのかもしれなかった。


――続く――

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おかず味噌 2020/05/11 05:49

ちょっとイケないこと… 第十一話「聴覚と味覚」

(第十話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/247599


「良かった。お姉ちゃん『トイレ』に行きたかったの…」

 不安を抱くような、安心を吐くような言葉。やや籠って聞こえづらかったけれど、それは紛れもなくお姉ちゃんの声だった。

 無関係の他人ではなく、無歓迎な客人ではなく、無我無心を装った人狼でもない。やはり僕は何のためらいもなく、ドアを開けてあげるべきだったのだ。

 それでも。僕はもう一度、ドアスコープを覗いた。一体どういう原理なのだろう、小さな覗き穴からでもお姉ちゃんのほぼ全身が見て取れた。

 今朝と同じ服装。だけどその顔からはいつもの笑顔が消え去り、困っているような焦っているかのような表情が窺えた。眉は垂れ下がり、唇はきつく結ばれていた。

 両手はお腹よりも少しばかり下の位置にあてがわれて、そこを強く押さえていた。両脚は「もじもじ」と何度も組み替えられて、足踏みしながら何かを堪えていた。

 もはや全ての証拠は揃い、自供さえも得られた。それは決して僕の憶測ではなく、あるいは過去の前科による冤罪でもない。

 あの夜に目撃した証拠隠滅の現場。お姉ちゃんの『おしっこ』という名の被疑者。それが今や体内に溜め込まれ、凶器なる『尿意』による再犯を企んでいるのだった。

 ひょっとしたらひょっとするかもしれない。僕がこのままドアを開けなければ…。


「ねぇ、純君。悪いんだけど、早く開けてもらえないかな…?」

 再びお姉ちゃんの声がした。その瞬間ふと我に返り、瞬く間に悪巧みは霧散した。

――僕はなんて、意地悪なことを考えていたんだろう?

 僕がまだ小学生だった頃、よく自分のお小遣いで漫画を買ってくれたお姉ちゃん。(もちろん僕は覚えていないけれど、ママが言うには)僕がまだ赤ちゃんだった頃、オムツを替えてくれていたお姉ちゃん。(それについては覚えていなくて良かった)

 そんな優しいお姉ちゃんを。なぜ、そんな酷い目に遭わせなくてはならないのか?ほんの一瞬でも魔が差し、束の間の期待をしてしまった自分を恥じた。

「卑怯者」「裏切者」。漫画の中で敵に向けられる台詞が、僕自身に浴びせられる。

 正義の味方になりたかった時期は卒業したし、最近では悪の側に魅せられることも少なくないけれど。あくまで僕が憧れるのはカリスマ性を兼ね備えた大悪党であり、姑息で卑劣な小悪党なんかじゃない。


 僕は鍵を解錠した。チェーンロックを外して、ドアを開放する。

 すぐにお姉ちゃんがドアの隙間から滑り込んでくる。僕に体が触れるのも構わず、僕の横をすり抜けていく。(僕はアソコが当たらないようにこっそりと腰を引いた)

「ありがとう、純君」

 僕の方を振り向きもせず背中越しにお姉ちゃんは言う。よほど余裕がないらしい。普段は決してしないような行儀の悪さで靴を脱ぎ散らかし、そのまま玄関を上がる。

 廊下を進んでいく。僕の手前もあってだろうか、廊下を走るなんてことはしない。あくまでも早歩きで、お姉ちゃんは念願の目的地へと向かう。

 ここまで切迫しているということは、家にたどり着く前から催していたのだろう。お姉ちゃんがいつそれを自覚したのかは分からない。だが仮にバイト先を出た時点ですでに行きたかったのだとしたら、かなりの距離と時間を我慢していたことになる。(どうしてバイト先で行っておかなかったのだろう?)

 そこで僕はある想像をしてしまう。それは経験から培われた「想造」だった。


――お姉ちゃんは、もう…。

『チビって』しまっているのかもしれない。『おもらし』まではいかないながらも、少量の『おしっこ』をパンツに染み込ませているのかもしれない。そうやってまた、お姉ちゃんはパンツを汚してしまっているのかもしれない。

 お姉ちゃんは先を急ぐ。ここは僕の家であるのと同時にお姉ちゃんの家でもある。もちろんトイレの場所は分かっている。だから迷うことなく一直線にそこに向かう。

 お姉ちゃんの後ろ姿を目で追う。その時、僕はといえば…。

 ただ茫然と玄関に立ち尽くしていることもできた。すでに僕は役目を終えたのだ。ドアを開けてやる、というごく簡単な作業。だけどその行いによって、お姉ちゃんにささやかな恩返しができたのだ。

 なぜお姉ちゃんが鍵を持っていなかったのかは分からない。多分忘れたのだろう。お姉ちゃんはしっかり者だが、やや抜けている部分もある。がさつではないものの、おっちょこちょいな一面もある。お姉ちゃんがあくまで「カンペキ」じゃないことを僕は知っているし、今ではその証拠さえも掴んでいた。


 僕も歩き出す。玄関を上がり廊下を進む。お姉ちゃんの後をついていくみたいに。お姉ちゃんの背中を追いかけるみたいに。小学生の頃の僕がそうしていたみたいに。

 あの頃のお姉ちゃんならば、僕が追いつくまでちゃんと待ってくれたことだろう。僕の手を引いて僕に歩幅を合わせてくれていたことだろう。だけど今のお姉ちゃんは僕の手を引いてくれることもなく、僕が後ろに居ることに気づいてもいなかった。

 再び僕の中に葛藤が生まれる。悪党じみた考えがよぎる。

――ここで僕が、邪魔をしたら…。

 お姉ちゃんの腕を掴むなり、後ろから抱きつくなりしたならば。

――離して純君!お願いだから…。

 お姉ちゃんは懇願するような目で、僕に訴えかけることだろう。

――お姉ちゃん、もう限界なの…。

 お姉ちゃんは絶望したような顔で、僕にすがりつくことだろう。


 そして。僕はついに目撃することになる。お姉ちゃんの『おもらし』を…。

 お姉ちゃんのショートパンツから次々と水滴が溢れ出し、足元に水溜まりを作る。漫画の中ではたった一コマに過ぎなかったシーンが、映像となって僕の前に現れる。そしてそれをしてしまうのは空想の人物ではなく、僕のよく知る実在の人物なのだ。

 あと少しの思い切りだけなのだ。お姉ちゃんに追いつくのは難しいことじゃない。もう少し僕が歩速を上げて先を急げば済む話だった。それだけで僕は願望を捕捉し、想像を補足することができる。チャンスの後ろ髪は、すぐ手の届く先にあった。

 だけど。僕にはどうしても、最後の一歩の踏ん切りがつかなかった。それによってお姉ちゃんとの関係が失われてしまうことを恐れたのかもしれない。それとも単純に「やっぱりお姉ちゃんが可哀想」という己の良心に屈してしまったのかもしれない。

 結局、僕はお姉ちゃんがトイレに行くのを阻止することができなかった。


 僕に邪魔されることのなかったお姉ちゃんは、ようやく念願の目的地に辿り着く。焦っているためか何度かノブを掴み損ねながらも、何とかドアを開けることが叶う。お姉ちゃんはトイレに入り、ドアを閉めた。

 僕とお姉ちゃんの間が再び遮られる。だけどそれは分厚い金属製のドアとは違い、薄い木製のドアだった。お姉ちゃんの発する振動が詳細に伝わってくる。

 最初に聞こえたのは布の音だった。擦れるような音。お姉ちゃんがズボンを脱ぎ、パンツを下ろす音だった。

 僕はつい中の様子を思い浮かべてしまう。今まさにお姉ちゃんの下半身が丸出しになっているという状況を…。

 ドア越しに息を殺し、耳を澄ませる。それから間もなく、ある音が聴こえ始める。


――シュイ…!!ジョボロロ~!!!

 それは『おしっこ』の音だった。お姉ちゃんの股間から迸る『放尿』の擬音。

 かなり溜め込んでいたらしい。その勢いは、心地良いくらいに真っ直ぐだった。

 激流が便器に叩き付けられ、重力に従って流れ落ちる。便器内に溜まった冷水と、お姉ちゃんの出した温水が混ざり合う。(果たしてそのどちらが清浄なのだろう?)

 お姉ちゃんの『排尿』は暫く続いた。せいぜい十数秒くらいのことだったけれど、僕にはその何倍にも感じられた。あるいは永遠にも続くとさえ僕には思えた。

 だけど、やがてそれは終わりを迎える。用を足し終えたお姉ちゃんは溜息をつく。間に合ったことの安堵によるものか、それとも『おしっこ』自体の快感によるものか僕には判らなかった。

 それでも僕にはお姉ちゃんのその吐息がとても「えっち」なものに感じられたし、その息遣いはドアを隔てた僕のすぐ耳元で聞こえているみたいだった。


 またしても、僕は意識を研ぎ澄ませる。

「カラカラ」と渇いた音がして、お姉ちゃんがトイレットペーパーを巻き取る。
「ブチッ…」と切られる音がして、お姉ちゃんが一回分をちぎり取ったらしい。
「スリ…、スリ…」と拭く音がして、お姉ちゃんのアソコがキレイに保たれる。
「ジャ~~!!」と無機質な音がして、お姉ちゃんの出したものが水に流れる。
「スルスル」と再び布が擦れる音がして、お姉ちゃんはパンツを穿いたらしい。

 お姉ちゃんがトイレのドアを開ける。僕は慌てて、二、三歩ほど後ろに下がった。まさか僕がドアのすぐ前に居て、お姉ちゃんの立てる音に聞き耳を立てていたなんて知られるわけにはいかなかった。

 トイレから出てきたお姉ちゃんと鉢合わせる。僕がいるとは思わなかったらしい。お姉ちゃんは驚いたように目を丸くしてから、少しばかりバツが悪そうに苦笑した。僕としても何だか悪いような気がして、目を逸らした。

 お姉ちゃんはそのまま洗面所に向かう。お姉ちゃんはトイレの中で手を洗わない。トイレを済ませた後はわざわざ洗面台で手を洗う。その気持ちは僕にもよく分かる。トイレの水というのは、キレイだと分かっていても何となく汚い感じがするのだ。

 洗面台で手を洗うお姉ちゃんの背中。その光景はまるで、デジャヴのようだった。


 鏡越しに、お姉ちゃんと目が合う。お姉ちゃんも僕の視線に気づいたらしかった。それ自体は何の問題でもない。今日のお姉ちゃんは秘密を隠しているわけじゃない。

 それでも。やっぱりお姉ちゃんにとっては見られたくなかった姿であったらしい。お姉ちゃんはトイレを我慢していたのだ。僕にもはっきりと分かるくらいに限界で、お姉ちゃんとしても僕に知られていることに気づいているだろう。

 そして、お姉ちゃんは『おしっこ』をしたのだ。それが僕に聞こえていたなんて、それを僕が聴いていたなんて、さすがにお姉ちゃんも思っていないだろうけど…。

 普段から顔を合わせている弟である僕に、生理的欲求を気取られてしまったのだ。もちろん『おもらし』の恥ずかしさなんかとは比較にならないだろうが、気まずさは大いに感じていることだろう。


「鍵。家に忘れちゃってさ…」

 お姉ちゃんは言い訳するみたいに言う。僕の思った通りだ。やっぱりお姉ちゃんはどこか抜けているのだ。

「純君が家に居てくれて良かった」

 もし僕が家に居なかったら、どうしていたのか?その時にはきっと…。

「そういえば、パパとママは?」

 お姉ちゃんは話題を変えようとする。そんなつもりはないのかもしれないけれど、少なくとも僕はそう感じた。

「買い物だよ」

 僕は答えた。

「そうなんだ。あれっ?純君はついていかなかったの?」

 お姉ちゃんは不思議そうに訊いてくる。せっかくのチャンスを僕が逃さないことをよく知っている。

「別に。ゲームしたかったから」

 僕は嘘をついた。「勉強するため」と言わなかったのは、そんな嘘はお姉ちゃんにお見通しだと思ったからだ。だからといって、本当のことなんて言えるはずもない。「お菓子より魅力的なチャンスを得るため」だとは…。

「へぇ~、何のゲーム?」

 タオルで手を拭きながらお姉ちゃんは訊いてくる。どうやら話題を変えることにはすっかり成功したらしい。

「アニマル・ハンター」

 僕は答える。それは僕がこの前の誕生日に買ってもらったばかりのゲームだった。(ちなみにお姉ちゃんには協力プレイ用のコントローラーを買ってもらった)

「そっか」

 お姉ちゃんは興味があるのかないのか分からないような反応をする。

「ねぇ、久しぶりに一緒にゲームしない?」

 まさかの誘いがお姉ちゃんの口から発せられたことに、僕は少なからず戸惑った。もうずいぶん長いこと、お姉ちゃんと一緒にゲームなんてしていない。

 だけどコントローラーをもう一つ買ってもらったのは、友達と遊ぶためというのももちろんあるけれど。元はといえば、お姉ちゃんと一緒にゲームをするためだった。話題のゲームを買ってもらうと知ったとき、お姉ちゃんから言い出したことだった。


――確か、そのゲーム。何人かで遊べるんだよね?

 お姉ちゃんに訊かれる。「四人まで、ね」僕は得意げに答えた。

――じゃあさ、私がコントローラーを買ってあげるから一緒にやろうよ?

 そこで、お姉ちゃんはまさかの提案をしてきた。

 昔はよく一緒にゲームで遊んでいたけれど。いつからか僕一人で遊ぶようになり、大学生になったお姉ちゃんはもうゲームなんて卒業してしまったのだと思っていた。それなのに。お姉ちゃんは僕が買ってもらうゲームに珍しく興味を示したのだった。

――え~。お姉ちゃん、ゲーム下手だもん…。

 照れ隠しから僕は渋った。だけど僕が隠していたのは嬉しさでもあった。

 約束通り、ママからソフトとお姉ちゃんからコントローラーを買ってもらった。「お姉ちゃんとゲームをする」というもう一つの約束が果たされることはなかった。

 結局、僕はほとんど一人で新しいゲームを進めた。発売前から期待していた通り、それは一人でも十分面白いゲームだった。僕は最近、主にそのソフトで遊んでいる。唯一、お姉ちゃんから買ってもらったコントローラーだけが今のところ出番がなく、新品のまま箱に仕舞われたままだった。


「別に、いいけど…」

 僕のどっちつかずの返答に対して。

「やった~!!」

 お姉ちゃんは大袈裟に喜んでみせる。

 今はあまりゲームをやりたい気分ではなかったけれど、特に断る理由もなかった。それにもしここで断ってしまえば、もう二度とその機会は訪れないような気がした。

「じゃあ、ちょっとお洋服着替えてくるから。先にお部屋で待ってて」

 お姉ちゃんから子供っぽくそう言われて、僕は大人しく部屋に戻ることにした。(洗面台のすぐ横、洗濯機の中のものに名残惜しさを感じながら…)


 数分後。僕の部屋のドアがノックされる。返事をするとお姉ちゃんが入ってきた。

 それからママとパパが帰ってくるまでの一時間。僕はお姉ちゃんとゲームをした。それは本当に久しぶりのことだった。

 お姉ちゃんはやっぱりゲームが下手で。僕が何度も「回復薬」を使ってあげても、あっけなく「死んだ」。その度にお姉ちゃんは僕に謝ったり、悔しがったりした。

 僕一人でなら簡単に倒せる「アニマル」でも、お姉ちゃんがいるせいで苦戦した。だけど僕はお姉ちゃんにムカついたりはしなかった。ただ純粋にゲームを楽しんで、どこか懐かしさのようなものを感じていた。

 それでも僕はゲームに集中できないでいた。お姉ちゃんの様子をチラチラと窺い、その度に洗濯機の中の記憶が蘇ってきた。

――お姉ちゃんは今、どんなパンツを穿いてるんだろう?

 僕の脳内はそのことで一杯で。お姉ちゃんの操作する「女性ハンター」が動く度、露出度高めの格好をしたアバター自体がまるでお姉ちゃん自身であるかのように。「見えそうで見えない」もどかしさに襲われるのだった。


 一時間後、パパ達が買い物から帰ってきた。僕が勉強してなかったことが分かるとやっぱり叱られた。

「ほら、言った通りじゃない!」

 鬼の首を取ったように、ママは鬼になったが如くお説教を始めようとしたものの。すぐにお姉ちゃんも一緒になってゲームをしていたことが分かると…。

「結衣も、あんまり純君の邪魔しちゃダメよ?」

 軽く注意しただけで、それ以上は何も言わなかった。僕たちは「イケない秘密」を共有するみたいに目配せをして、小さく笑った。

 その夜、家族皆が寝静まった頃。僕はトイレに行くふりをして洗面所に向かった。目的はもちろん洗濯機であり、中を漁るとすぐにお姉ちゃんのパンツが見つかった。

 本日のそれは「ピンク」だった。


 お姉ちゃんのパンツは、やっぱり汚れていた。

 昼間僕が見たのと同じく、いやそれ以上に。『おしっこ』がたっぷりと染み込み、ぐっしょりと濡れていた。今回は女子特有の汚れについてはそれほどでもなかった。僕はパブロフの犬のように、条件反射的に匂いを嗅いだ。

 お姉ちゃんのパンツは『おしっこ』臭かった。不純物がないせいか、より直接的にアンモニア臭が鼻腔を刺激した。

――お姉ちゃん、やっぱり『チビって』たんだ…。

『おしっこ』を便器に出し切ることができず、パンツの中に『チビって』いたのだ。いかにも生還したような顔をしておきながら、こっそりお股を弛緩させていたのだ。


 次に、僕はお姉ちゃんのパンツを舐めてみた。なぜそんなことを思いついたのかは自分でもよく分からない。だけど僕はすでに…。

「視覚」でお姉ちゃんの汚濁を認めて、
「嗅覚」でお姉ちゃんの芳香を確かめ、
「触覚」でお姉ちゃんの幻想と交わり、
「聴覚」でお姉ちゃんの音調を聴いた。

 残るはあと一つ「味覚」のみだった。

 お姉ちゃんのパンツの濡れた部分にベロを這わせ、そのままベロベロと舐め回す。サラサラとした舌触り、ピリピリとした味覚が僕の舌先を刺激した。

 甘味がするなんて思っていたわけではない。だけど想像を超える酸味は僕の思考を麻痺させ、同時に襲い来る苦味が僕を現実に引き戻したのだった。

 パンツから顔面を引き離す。そうしてさらに観察を続ける。お尻の真ん中辺りに、何やら薄っすらと『茶色いシミ』が付いていた。

――これって、もしかして…?

 疑念を抱くと同時に、僕はある疑問に囚われるのだった。


――あの時、お姉ちゃんは「小」ではなく「大」だったのだろうか?

 いや、そんなはずはない。トイレの滞在時間からも、ドア越しに聞こえた音からもそれは明らかだった。

 だとすれば今朝『排便』をした際(お姉ちゃんは毎朝「長めのトイレ」に入る)、上手くお尻が拭けずにパンツに『ウンスジ』を付けてしまったのだろうか?

 いや、それこそあり得ない。いくらお姉ちゃんが「カンペキ」ではないとはいえ、その失敗はもはや「ガサツ」を通り越し「フケツ」といっていいほどのものだった。

 再び僕はお姉ちゃんのパンツに鼻を近づけた。パンツの底ではなく後方の部分に。お姉ちゃんのお股ではなく、お尻が触れていた部分に。

 ふと僕の脳内に場違いな映像が流れる。あれは確か、春休みに動物園に行った時。あるいはもう少し直近の記憶でいうならば、急に催して公園の公衆便所に入った時。

 あまりにも野性的で暴力的な匂い。それは紛れもない『うんち』の臭いだった。

 お姉ちゃんは『おしっこ』のみならず『うんち』までもパンツに付けていたのだ。


 僕の部屋を訪れた、あの時――。

 お姉ちゃんは部屋着に着替えていた。だけどパンツはそのままだったのだろう。(その証拠に夕飯前に洗濯機を覗いてみたけれどお姉ちゃんの下着はまだ無かった)

 僕とゲームをしている間も――。(それが今では夢の中の出来事のように思える)
 晩御飯を食べている最中も――。(なぜかお姉ちゃんはいつも以上に饒舌だった)
 夕食後の家族団欒の一時も――。(お姉ちゃんのお胸やお尻ばかりに目がいった)

 お姉ちゃんはパンツを『おしっこ』や『うんち』で汚していたのだ。

 その現実に僕は混乱した。だけどその真実は僕を激しく興奮させたのだった。


 次の休日(その日も家族は全員留守だった)、僕はお姉ちゃんの部屋に入った。

 お姉ちゃんの本棚には相変わらず難しそうな本ばかりがたくさん並べられていた。だけど背伸びしたい年頃を過ぎた僕の、今日の目的はそこではなかった。

 片付いた部屋の中を移動し、背の低い家具の前に立つ。

 僕はしゃがみ込み、タンスの引き出しを上から順番に開けていく。

 一段目には、お姉ちゃんの服が入っていた。
 二段目にも、これまたお姉ちゃんの服があった。
 三段目にして、僕はついに「アタリ」を引き当てた。

 きちんと丁寧に畳まれ、整理整頓されたカラフルな下着たち。それは僕にとって、まさしく宝の山だった。僕は堪らずに宝箱の中に顔を埋めてみた。

 洗剤と柔軟剤の香り。不快な臭いなどするはずもなく、洗濯を終えたそれらからは現実のお姉ちゃんの不都合な情報が失われ、理想のお姉ちゃんの偶像を醸していた。


 ずっと、そうしていたかったけれど。やがて僕は顔を上げて、お姉ちゃんの下着を漁り始める。

 下着の種類は大きく分けて二種類。ブラジャーとパンツ。僕がより興味があるのはもちろん下半身に付ける方だった。

 可愛らしいデザインに目移りしそうになりながらも、あくまでも僕の目的は一つ。他の誘惑に負けないように探し求めていると、すぐにそれは見つかった。

(見たところさしたる装飾のない前面上部に取って付けたかのような小さなリボンがあしらってあるだけの)黒いパンツ。

 同じ色の下着は何着かあったものの、恐らくこれに間違いないだろう。

 あの日僕が見た、お姉ちゃんが手洗いしていた、僕にとってはきっかけとなった、お姉ちゃんの『おもらしパンツ』。後ろから盗み見ることしか叶わなかったそれが、時を経て今ついに僕の手に触れたのだった。

 僕の指は震えた。良心の呵責ではなく発覚の恐怖から平常心ではいられなかった。


 僕には前科があった。洗濯機の中のお姉ちゃんのパンツを漁ったという罪が…。

 だけど今回ばかりは、観察するだけではなく拝借するのだ。僕は揺るぎない証拠をこの手にすることになる。もし現物を押さえられたら、それでお仕舞いなのだった。

 とはいえ、これだけあるのだから一つくらい無くなったところでバレないだろう。

 本当ならばむしろ、洗濯する前の汚れた下着を手に入れたいところではあったが。そうするわけにはいかないいくつかの理由があった。

 お姉ちゃんは洗濯が終わった下着をきちんと「セット」でタンスに収納していて。もし片方が無くなれば不審がられる可能性があった。

 あるいは、お姉ちゃんの「シミ付き」のそれを僕が部屋に隠し持っていたとして。それの放つ臭いで気づかれてしまう危険性もあった。

 だからこそ僕は。お姉ちゃんが刻み付けた汚れは失われつつも、僕の網膜と記憶に刻み付けられた黒いパンツを「思い出」と一緒にポケットにこっそりと仕舞い込み、お姉ちゃんの代わりに「お守り」にすることにした。

 普段はそれを勉強机の鍵の掛かる引き出しに入れておき、たまに取り出してみてはそこにあるはずのお姉ちゃんの肉体を想像し妄想に耽るのだった。

 そうして僕は再び、元の生活へと戻った。


 朝起きて、顔を洗って、歯を磨く。トイレを済まして、手を洗って、朝食を取る。制服に着替えて、靴を履いて、登校する。授業を受けて、給食を食べて、下校する。帰宅して、漫画を読んで、ゲームをする。夕飯を食べて、TVを観て、お風呂に入る。歯を磨いて、宿題を終えて、ベッドに入る。深夜にベッドを抜け出し、下着を漁る。

 そんな毎日の繰り返し。これまでとほんの少し違った非日常の中にいるからこそ。まるで全てが本物のような、いつの間にか日常から抜け出してしまったかのような、どうにも落ち着かない気分だった。その原因はやっぱりお姉ちゃんだった。

 家族の誰も知らない秘密。それは僕とお姉ちゃんだけの秘密なのだ。


――続く――

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おかず味噌 2020/05/03 04:11

ちょっとイケないこと… 第十話「互換と五感」

(第九話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/247015


 僕は「長いトンネル」から抜け出せないでいた。

 朝起きて、顔を洗って、歯を磨く。トイレを済まして、手を洗って、朝食を取る。制服に着替えて、靴を履いて、登校する。授業を受けて、給食を食べて、下校する。帰宅して、漫画を読んで、ゲームをする。夕飯を食べて、TVを観て、お風呂に入る。歯を磨いて、宿題を終えて、ベッドに入る。

 そんな毎日の繰り返し。これまでと何一つ変わらない日常の中にいるはずなのに。まるで全てが偽物のような、いつの間にか非日常に迷い込んでしまったかのような、どうにも落ち着かない気分だった。その原因は間違いなく、お姉ちゃんだった。

 といっても。別に、お姉ちゃんの様子に何か変わったところがあるわけじゃない。今朝もお姉ちゃんは僕らと一緒に朝御飯を食べて、パパとニュースの話をしていた。僕は朝は眠いからあまり喋らないけど、それでもお姉ちゃんの声に耳を傾けていた。そして、僕の方が先に家を出た。今日はお姉ちゃんもバイトが休みらしく、晩御飯も家族全員で揃って食べた。お姉ちゃんは大学の話やバイトの話、最近観て面白かったテレビの話をした。いつも通りの何も変わらないお姉ちゃんだった。

 だけど僕は知っている。家族の誰も知らない、お姉ちゃんの秘密を…。


 深夜の洗面所でパンツを洗っていたお姉ちゃん。『おもらし』をしたお姉ちゃん。顔を見るたび、挨拶を交わすたび、そんなお姉ちゃんの姿がいくつも浮かんできた。だから僕はお姉ちゃんとなるべく目を合わせないようにした。変わってしまったのはどうやら僕の方なのかもしれない。

 それでも。僕の些細な変化に、お姉ちゃんも、家族の誰も気づくことはなかった。せいぜいママに「純君、今日はやけに大人しいわね」と言われたことくらいだ。

 お姉ちゃんは知らないのだろう。あの夜、僕がすぐ後ろで息を潜めていたことを。じゃなきゃ、そんな風に平然としていられるはずがない。お姉ちゃんは僕に対してもごく自然に話しかけてきた。「学校はどう?」とか、「好きな子は出来た?」とか。僕はそれが嬉しかった。お姉ちゃんは今まで通りのお姉ちゃんで、誰のものでもない僕だけのお姉ちゃんでいてくれることが。でも僕は知ってしまった。一歩外に出れば僕の知らないお姉ちゃんで、もう僕だけのものじゃないということを。

 僕はお姉ちゃんに訊いてみたかった。

――お姉ちゃんは『おもらし』したの?
――だからあの夜、パンツを洗っていたんでしょ?

 でも訊けなかった。訊けるはずもなかった。もし訊いたなら、本当にお姉ちゃんは僕の知らないお姉ちゃんになってしまうような気がして怖かった。

 一人で洗面所にいる時はまさに気が気じゃなかった。この場所で、僕は目撃した。ここで、お姉ちゃんは『おもらし』の後始末をしていたのだ。それを思い出すだけで顔が熱くなった。そして洗面台のすぐ横には、洗濯機があった。

 その中には、洗う前の家族の洗濯物がある。もちろん、僕の服や下着だってある。そこには当然、お姉ちゃんのパンツもあるはずだった。

 僕は今まで洗濯機の中を覗いたことなんてなかった。汚れ物を洗濯機に放り込むとその先は全部ママ任せで、きちんと畳まれた衣類がタンスに仕舞われることになる。きれいになったそれを、僕はまた着るだけのことだった。

 だけど。僕はいつからか洗濯機の中を覗いてみたいという衝動に悩まされていた。そこにあるお姉ちゃんの下着を確かめてみたかった。とっくに洗濯を終えたはずの、お姉ちゃんの『おもらしパンツ』がまだ残っているような気がして…。

 僕はお姉ちゃんのことを知りたいと思った。より正確には、お姉ちゃんの下着を。僕のパンツとはだいぶ形の違う、お姉ちゃんの黒いパンツを。もう一度見てみたい、という盲動に苛まれていた。

 そして。僕がその一歩を踏み出したのは、ある休日の午後のことだった。


 その日、家族は全員出掛けていた。

 パパとママは買い物に行くらしく、僕もついて来ないかと誘われた。いつもならばお菓子を確保できるチャンスなので絶対ついて行くけれど、僕はその誘いを断った。

「勉強があるから」と明らかに嘘と分かる理由を言ったが特に疑われることもなく、パパが「おっ!純君はエラいな!」と感心しつつ手放しで褒めてくれたのに対して。ママは「どうせ、ゲームの続きがしたいんでしょ?」と見透かしたようなことを言い「ゲームばっかりしてないで、ちゃんと勉強もしないとダメよ?」と釘を刺された。

 お姉ちゃんは今日もバイトで、夕方まで帰らないらしい。

 一人きりでいると、家の中がいつも以上に広く感じられた。もちろん今までだって留守番したことは何度もある。中学生にもなれば、それくらいは普通のことだった。だけどその日の僕はとても普通じゃない、とある計画を遂行しようとしていた。

 早速、洗面所に向かう。そこは僕にとってもはや特別な場所へと成り果てていた。まずは手を洗う。洗面所でする当然の行動だ。誰に見られているわけでもないのに、ここに来た理由を作った。鏡に僕の顔が映り込む。いつもと変わらない自分だった。だけど内側にいつもと違う自分がいるせいか、どこか歪で醜いものに感じられた。


 僕には選択肢があった。今ならばまだ引き返せる。このまま自分の部屋に戻って、ママの監視がないのを良いことに、心ゆくまでゲームを堪能することだってできた。あるいはママの予想を裏切って、真面目に勉強するというのも悪くない考えだった。ママは僕を見直すだろう。次に買い物に行った時、ゲームはさすがに無理だろうが、漫画くらいなら買ってもらえるかもしれない。

 僕にはまだ幾つものより良い選択肢が残されていた。だが同時に僕は思っていた。この機会を逃したら次にチャンスが巡ってくるのは果たしていつになるだろう、と。僕はそれまで待てそうになかった。僕の我慢はすでに限界を越えていた。

 それは。お菓子や漫画やゲームなんかよりも、僕にとっては魅力的なものだった。ママを見返すことはできない。だけどある意味で、ママの予想は外れることになる。

 もしバレたら、こっぴどく叱られるだろう。いや、叱られるだけならまだマシだ。僕は家族から軽蔑されることになるだろう。ママやパパ、そしてお姉ちゃんからも。僕は犯罪者になってしまうかもしれない。家族のものとはいえ、許されない行為だ。僕は牢屋に入れられて、二度とお姉ちゃんと会うことさえできないかもしれない。

――それでもやるのか?

 ついに。最後の選択肢が与えられる。「このまま犯罪者になってしまうのか」、「ごく一般的な中学生のままでいるのか」という最終的な決断を迫られる。それは「宿題をする前に遊ぶのか」、「宿題をしてから遊ぶのか」という日常の選択肢とはあまりに規模の違うものだった。結局、僕が選んだのは…。


 僕は洗濯機の中を覗き込んだ。その頃には、罪悪感のようなものは失われていた。あるいは単に麻痺していただけなのかもしれない。いや麻痺なんてしていなかった。僕は後ろめたさを抱えたままだった。要は、それに打ち克ったというだけのことだ。打ち克ってしまったのだ。

 一番上に、タオルがあった。昨日家族の誰か(お姉ちゃんかもしれない)が使ったものか、今日家族の誰か(やっぱりお姉ちゃんかもしれない)が使ったものだろう。それを取り上げる。すると、次にワイシャツが出てきた。間違いなくパパのものだ。昨日、最後にお風呂に入ったのはパパだった。その情報を元に逆算する。

 昨日、お姉ちゃんがお風呂に入ったのはパパの前だった。僕は生唾を呑み込んだ。しんとした家の中で、その音だけがやたらと大袈裟に響いた。僕は後ろを振り返る。誰かに見られているんじゃないか、と警戒する。だけどもちろん、入口にも廊下にも誰もいなかった。分かりきっていたことだ。それでもなぜか視線を感じる気がする。それは、あの夜の僕自身のものだった。

 パパの服を取り去る。正直あまり触れたいものではなかったけれど、仕方がない。僕はタオルとパパの服を抱えることになった。ひとまずそれを床に置くことにした。こんな所に置くのは不衛生かなとも思ったけれど、どうせ洗うのだから一緒だろう。そうして手ぶらになった僕は再び洗濯機の中を覗き込んだ。ここから先はいよいよ、お姉ちゃんの「ゾーン」だ。


 やはり最初にタオルがあった。それは紛れもなくお姉ちゃんが使ったものだろう。だけど僕はそんなものに興味はなかった。僕が求めているのは…。

 そして。ついに、それが現れた。タオルをめくると、その下にそれは隠れていた。まるで、宝物のように。それを見つけた瞬間、僕は目眩を感じた。待ち望んだものが突然出現したことに、僕の脳は情報を上手く整理できないでいるらしかった。

 それは「白のパンツ」だった。

 僕の思っていたものと違う。てっきり黒なのだと思い込んでいた。だけど違った。すぐに予想を修正する。

 お姉ちゃんだって色んな下着を持っているだろう。男子の僕もトランクスの柄には様々な種類がある。女子のパンツにいろんな色があっても不思議じゃない。

 それでも。お姉ちゃんの下着の色は黒だと、僕の中ではそう決めつけられていた。それは、あの夜に見た光景が僕にとっての情報の全てだったからだ。僕のイメージはしっかりと固定されていた。

 だけど「白」というのもなかなか悪くない気がした。より女の子らしいと思った。黒に比べると子供っぽいような気もしたけれど、どこか可愛らしい雰囲気もあった。それに。あくまでも異性として扱うのなら、その方が好都合だった。


 僕はお姉ちゃんのパンツに手を伸ばした。動作自体は何てことないものだけれど、行為の意味を考えるとたちまち僕の鼓動は早くなった。ドクドクと自分の心臓の音がはっきりと耳に聴こえた。

 ついに。僕はお姉ちゃんのパンツに触れた。それは同じ布なのに、僕のパンツとはずいぶん違う手触りだった。なんだかサラサラとした不思議な感触だった。

 僕はお姉ちゃんのパンツを持ち上げた。それはとても軽かった。ハンカチみたいにポケットに入りそうなくらいの大きさだった。しかもハンカチよりずっと薄かった。よくママに「ハンカチくらい持って行きなさい」と言われて僕はそれを嫌がるけど、これなら全然苦にならなそうだった。

 僕の手にパンツが握られている。あの夜見たものと色こそ違うけれど、紛れもないお姉ちゃんのものだった。お姉ちゃんが穿いて、脱いだものなのだ。それを思うと、微かに温もりを感じるような気がした。(お姉ちゃんがこのパンツを洗濯機に入れてもう長い時間が経っているのは分かっているけれど)

 昨日一日のお姉ちゃんの生活を振り返る。とはいえ、僕が知っているのはせいぜい家にいるお姉ちゃんだけで外でのことは知らない。家にいる時といってもリビングにいる時のことくらいでそれ以外のことは知らない。後は想像することしかできない。それでも一つだけ確かなことがある。それは…。


――お姉ちゃんが昨日一日、このパンツを穿いていた。

 ということだ。それだけでお姉ちゃんの秘密を全て知れたわけではもちろんない。それは秘密と呼べるほどのものでさえないかもしれない。秘密というならそれこそ、あの夜の出来事のほうがずっと…。だけど僕は考える。

――この小さな布が、お姉ちゃんの大事な部分に当たっていたんだ。

 お姉ちゃんの、女の子の部分に。『おしっこ』の出る部分に。僕は思い浮かべる。これを穿いたまま『おもらし』するお姉ちゃんを。

 そんなはずはない。このパンツは乾いている。お姉ちゃんは自分で洗うことなく、これを脱いでそのまま洗濯機に入れたのだろう。だとしたら…。

 僕はお姉ちゃんのパンツをより詳しく知りたい、という次なる願望に思い当たる。中身を見たい、内側を確かめたい、という欲望に襲われる。

 僕は手の中でパンツを動かした。両端を握るのを止め、片手で下から支えながら、もう片方の手で裏返すようにして、底の部分を露わにした。

 僕はお姉ちゃんのパンツの内側を見た。そして、思わず自分の目を疑った。

 お姉ちゃんのパンツは、とても汚れていた。

 普段僕を子供扱いしてくるお姉ちゃんを十分見返せるくらいに、それは汚かった。小学生の頃の僕だって、ここまで下着を汚したりはしない。『おしっこ』をした後は入念におちんちんを振っているし、もちろんパンツの中で『チビったり』もしない。それに。女子は『おしっこ』をした後だってちゃんと拭くのではなかっただろうか。実際見たことがあるわけではないけれど、たぶんそうだ。それなのに…。

 お姉ちゃんの白いパンツには、ばっちりと黄色いシミが付いていた。紛れもなく『おしっこ』によるものだ。それが、お股の部分にたっぷりと染み込んでいる。

 ふと僕の中に、ある疑問が生まれる。

――お姉ちゃんは『おしっこ』した後、拭かないのだろうか?

 几帳面でキレイ好きなお姉ちゃんに限って、そんなはずがないとは分かっている。だけどそうじゃないと説明がつかないほど、お姉ちゃんの下着には恥ずかしい痕跡が現に証拠として刻み付けられているのだった。


 さらにお姉ちゃんの下着の汚れはそれだけに留まらなかった。僕は観察を続ける。お姉ちゃんのアソコが当たっていた部分に、カピカピとした白いシミが出来ていた。それは、女子が「えっちな気分」になった時に溢れるものらしい。

 最初に『おしっこ』によるシミを見つけた時から僕はそれに気づいていた。だけど一度は見て見ぬ振りをした。なぜならその液体は女子特有のものであり、男子の僕が知らないものだったからだ。

 よく「濡れる」とか言うらしいが。僕にその感覚は分からず、同級生の女子たちがそんな話をしているのを聞いたこともない。僕の主な情報源は深夜のテレビ番組と、いつ知ったのかも分からない曖昧なものばかりだった。だけど僕が知らないだけで、実は同級生である女子中学生たちも「濡れたり」しているのかもしれない。そして、実は同級生である男子中学生たちも口に出さないだけで知っているのかもしれない。

 そう思うと、何だか僕だけが周りから取り残されているような焦りを感じた。


 僕は、童貞だった。

 とはいえ、僕の歳でそれは珍しいことじゃないはずだ。クラスメイトのほとんどが僕と同じだろう。むしろ「童貞」という言葉とその言葉の指す意味を知っているだけ僕は同級生たちよりも進んでいるのかもしれない。だけどそれは僕が彼らと比べて、人一倍「えっち」なことに興味がある「ヘンタイ」というだけのことで。だとしたらあまり誇らしいこととは言えなかった。

 あるいは周りの友人たち(よく一緒に遊ぶ雅也や淳史)も実はすでに経験済みで、僕にそのことを隠しているのかもしれない。

 いやいや、とすぐにその考えを否定する。僕はアイツらの顔を思い浮かべてみた。とてもじゃないが、女子からモテるとは思えない。確かに淳史は運動神経が抜群で、男子の僕から見ても憧れる部分はある。だからといって女子からモテるのかといえばそれは別問題だ。「かけっこ」が速ければチヤホヤされていた小学生の頃とは違う。同級生の女子たちは男子よりもずっと大人で、そんなに単純ではないだろう。

 それに。雅也なんかは、僕がクラスの女子とちょっと話しているのを見ただけで「お前、アイツのこと好きなの?」などとからかってくる。そんな彼がまさか女子と秘密の関係になっているだなんて、それこそ「ぬけがけ」というものだ。

 とにかく。少なくとも僕の知り合いには、そんなマセたヤツなんていないはずだ。女子の裸を見たこともなければ、女子のアソコがどうなっているかなんて知らない。それどころか女子のパンツさえ見たこともなく、だとしたら今の僕の状況というのはお姉ちゃんがいる者だけに与えられた特権なのかもしれない。

 いや普通はお姉ちゃんがいるからといって、その下着を漁ったりはしないだろう。これまでの僕がそうであったように。お姉ちゃんというのは性別としてはともかく、だけど「女子」として扱うべき存在では決してないのだ。


 それでも。僕の手は股間へと伸びていた。左手でお姉ちゃんのパンツを持ちつつ、右手でズボン越しにアソコを握り締めていた。僕の意思によるものでは断じてない。無意識に、自然にそうしていたのだ。いつか女子からされることを期待するように、あくまで予行練習として自分を慰めていた。

――お姉ちゃんはどうなんだろう…?

 それはつまり「お姉ちゃんは処女なのだろうか?」という意味だ。僕は想像する。このパンツの持ち主を、これを穿いているお姉ちゃんを。

 お姉ちゃんは大学生だ。中学生の僕とは違う。まだ二十歳になってないとはいえ、立派な大人なのだ。家族にも話せない秘密の一つや二つ(あるいはもっとたくさん)抱えているに違いない。その内一つが『おもらし』であり(それはどちらかといえば子供の秘密だけど)、経験済みということなのかもしれない。

 お姉ちゃんは、どこで、誰と、したのだろう?聞くところによると、そういうのは男性側からアプローチするものらしい。やっぱり女子よりも男子の方がスケベだし、そういうことに興味がある。

 お姉ちゃんは興味ないのだろうか?いや、そんなはずはないだろう。だからこそ、こうして下着を濡らしていたのだ。少なからず期待し、興奮していたのだ。

 お姉ちゃんが発情し、お股を湿らせる。普段のお姉ちゃんからは想像もつかない、好きな男子の前でしか見せない、僕の知らないお姉ちゃん。


 僕の妄想は膨らんだ。淋しさと嫉妬に焦がれつつも、やはり興味は尽きなかった。僕はズボン越しの右手をより速く動かした。未知なる快感が得られることを信じて、僕は疑似体験を加速させた。想像の相手は他の誰でもない、お姉ちゃんだった。

 今まさに僕の興奮は最高潮に達しようとしていた。だけど、まだ何かが足りない。想像だけではどうしても補えないもの。僕のまだ知らないお姉ちゃん。

 僕の左手にはお姉ちゃんの下着が握られている。そこに刻まれた秘密を知ることで自分を昂らせていた。いわばそれは視覚のみによる情報。それだけじゃ物足りない。もっと別の方法で、別の感覚で、お姉ちゃんのことを知りたいと思った。

 僕の顔はお姉ちゃんのパンツに近づいていった。顔がパンツに近づいているのか、あるいはパンツの方が顔へと近づけられているのか、「卵が先か、ニワトリが先か」僕には判らなかった。だけど確実に、その距離は縮まっていった。

 僕はお姉ちゃんのパンツの匂いを嗅いでみた。クンクンと鼻を鳴らすのではなく、深々と息を吸い込んだ。そこには「ステキ」で「えっち」な香りが待っている――、はずだった。


――ゲホッォ!!!

 僕は激しくむせた。鼻腔を満たした臭気に、吐き気さえ催した。吸い込んだものを吐き出そうと、異物を排除しようとする条件反射に思わず涙目になる。

――クサい!クサすぎる!!

 お姉ちゃんのパンツは異臭を放っていた。未だかつて嗅いだことない臭いであり、他に何にも例えようもないのだけれど、それでもあえて表現しようとするなら…。

 チーズや牛乳などの乳製品を腐らせ、そこに微かにアンモニア臭が混じっている、そんな独特の香りだった。興奮を高めるものではなくむしろ萎えさせるものだった。幻滅させる、といってもいいかもしれない。そこに女子に対する幻想は微塵もなく、妄想を醒めさせ、理想を破壊するものだった。

 現実のお姉ちゃんに重なるものでもなければ、非現実のお姉ちゃんを補うものでもなかった。あるいは僕の最も知りたくなかった部分であるかもしれなかった。

 それほどまでにお姉ちゃんのパンツはとんでもない悪臭がした。良い香りなどでは決してなかった。それ自体がもはや『汚物』のようですらあった。とてもじゃないがもう一度だって嗅ぐのは御免だった。それは、きつい罰ゲームのようだった。


 それでも。僕は再びお姉ちゃんのパンツを嗅いでみた。一度は背けた顔を寄せて、鼻を近づけた。そして今度は慎重に、少しずつ息を吸った。

 やはり鼻にツンとくる刺激臭。耐え難い臭い。一秒だって堪えることはできない。僕の嗅覚はすぐに悲鳴をあげた。だけど同時に体中に血液がみなぎる感覚があった。それは主に下半身へと向かい、僕の股間を痛いくらいに勃起させた。

 いや、すでに元々勃起はしている。これ以上ないくらいに、はっきりしっかりと。むしろ一度は萎えさせかけられもした。だけど今では…。

 僕はお姉ちゃん匂いで股間を愛撫されていた。いや、そんな平穏なものじゃない。乱暴すぎるその臭いは、僕のアソコを激しく励まし鼓舞したのだった。

 もはや居ても立っても居られなくなった。ズボンを下ろし、トランクスを脱いだ。僕のアソコが剥き出しになる。そそり立った僕のおちんちんが。

 すぐに直接、自分の手で触ろうと思った。ズボン越しより気持ちいいに違いない。だけど僕はその欲求を何とか抑えた。おちんちんを握りたくなるのを必死で耐えた。それはなぜなら、僕はあることを思いついていたからだ。

 僕の目先にはお姉ちゃんのパンツがある。僕の鼻先にはお姉ちゃんのシミがある。それを嗅ぐことで、匂いを確かめた。視覚と聴覚、その次は…。


 手に持った下着を下半身に移動させる。お姉ちゃんのパンツを股間に巻き付ける。柔らかくて薄い布の感触。先っちょに当たる部分はもちろん、お股の部分だった。

 僕はその小さな布を介してお姉ちゃんを感じ取り、その汚れた布と触れ合うことでお姉ちゃんに触れている。かつてお姉ちゃんのアソコにあてがわれていた部分が今は僕のアソコに当たっている。それを思うだけで、おちんちんの先から何やらヌルヌルとした液体が溢れてきた。

 お姉ちゃんの「染み付きパンツ」が僕から出たもので濡れる。お姉ちゃんの汚れと僕の穢れが直接的に混じり合うことで、間接的にお姉ちゃんと交わっている。

 ふと。全身に何かがこみ上げてくるような感覚があった。背筋がゾクゾクと震え、何かがアソコから飛び出してしまいそうだった。僕のまだ知らない何かが…。

 それを許してしまえばこれまで以上の熱情を得ることができる、そんな気がした。だけどそれをしてしまえば二度と正常に戻ることはできない、そんな危機も感じた。

 僕は予感を抱いた。今さら罪悪感に襲われた。だが快感には勝てそうになかった。

 僕のスピードはさらに高められた。右手の動きが、意識が、現実さえも凌駕した。

 そして。ついにその瞬間を迎える。

――ピンポ~ン!!

 ふいに、甲高い音が家中に響き渡る。僕の行為を正解だと肯定してくれるものではもちろんない。

 僕は心臓が止まりそうなくらい驚き、動きを止めた。チャイムの音だと気づくのに数秒掛かった。

――ピンポン!!

 再びチャイムが鳴らされる。今度は短く、客人の焦りが伝わってくるようだった。

 それは誰かの呼ぶ声であり、あるいは神様からのお告げなのかもしれなかった。「もう、それくらいにしておきなさい」と。

 僕は迷った。訪問者を無視して継続すべきか、預言者に従い中断すべきか、を。

 結局、僕は「神さまの言うとおり」にした。お姉ちゃんのパンツを洗濯機に戻し、トランクスとズボンを履き直し、玄関の方へと向かった。

 その選択が僕にとって正解であったのかは分からない。だけど結果的にいうなら、僕はその選択によってある一つの「洗濯」の可能性を失ってしまったのだった。


――ピンポン!!

 廊下を歩いている間、もう一度だけチャイムが鳴らされる。切羽詰まったような、そんな音。

――うるさいなぁ…。

 僕は不機嫌になる。あと少しのところで邪魔をされたから、という理由もあった。果たして、そんなにも急かす必要があるのだろうか?

 ようやく玄関にたどり着いた。だけど、すぐにドアを開けることはしない。

――ドアを開ける前に、まず誰が来たのかをちゃんと確認しなさい。

 ママからきつく言われていることだ。一人で留守番する時なんかは、特に。

 ママの言いつけに従い、僕は覗き穴に近づこうとした。だがその必要はなかった。


「ねぇ、誰かいない…?」

 ドア越しに心細く言ったその声は、僕のよく知っているものだった。

――なんで、お姉ちゃんが…?

 僕の頭は混乱する。

――お姉ちゃんはバイトで、夕方まで帰らないんじゃ…?

 確かにそうだったはずだ。だからこそ昨日の夜ママに「晩御飯はいらないから」と言っていたはずだ。それなのに。僕は動揺を隠せなかった。

 ふと昔読んでもらった童謡を思い出す。「三匹の子豚」や「赤ずきんちゃん」を。それらの物語を聞きながら、子供ながらに思ったものだ。

「どうして、ちゃんと姿を確認しないのか?」と。

 警戒しつつも僕はドアに近づいた。覗き穴に顔を寄せ、外に居る人物を確認する。


 そこにはお姉ちゃんがいた。僕の想像なんかとは重ならない現実のお姉ちゃんが。やっぱり本物だったんだ。僕がお姉ちゃんを偽物と間違えるはずがなかった。

 だとしたら、ドアを開けることにもはや躊躇う必要はなかった。

「ちょっと待って!」

 僕は答えた。

「あっ!純君…!!」

 お姉ちゃんは僕が家に居たことに喜び、安堵しているらしかった。ついさっきまでお姉ちゃんのパンツで僕が何をしていたかなんて、お姉ちゃんは知る由もなかった。

 僕はすぐに鍵を開けて、お姉ちゃんを家の中に入れてあげるつもりだった。だけどその間際、お姉ちゃんは言った。

「良かった。お姉ちゃん『トイレ』に行きたかったの…」

 僕は再び、股間に集まってくる熱さを感じた。


――続く――

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おかず味噌 2020/04/14 02:41

ちょっとイケないこと… 第九話「秘密と洗濯」

(第八話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/241040


――国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

 昔、お姉ちゃんの部屋の本棚にあった小説の書き出しに、そんな一文があった。

 僕はお姉ちゃんの部屋で、お姉ちゃんが帰ってくるのを待っていた。小学生の頃、僕はよくお姉ちゃんの部屋に勝手に入っていたが、怒られたり文句を言われることは一度もなかった。もしかしたら今でもそうなのかもしれないけれど。いつからか僕はお姉ちゃんの部屋に行くのをやめた。それは、自分の部屋に無断で入られたくないと僕が思うようになったのと同じ頃からだった。

 お姉ちゃんの本棚には、難しそうな本ばかりがずらりと並んでいた。漫画しかない僕の本棚とは大違いだ。いつもは特に興味なんてなかったのだけれど。その時の僕はあまりにも暇を持て余していて、一冊を抜き出して、それを読んでみることにした。小学生にありがちな大人の真似事だった。お姉ちゃんが普段そうしているみたいに、自分もその真似をすることで大人の気分を味わってみたかった。

 なぜ、その本を選んだのかは覚えていない。ただ何となく背表紙のタイトルを見て漢字だったことと、小学生の僕でもその漢字が読めたという理由からだったと思う。

 イスに座って本を開くと、そこには聞き馴じみのない単語がいくつも並んでいた。もちろん、漫画みたいに絵は付いていない。それでも僕はすっかりその気になって、書かれた文章を読んでみることにした。その冒頭がその一文だった。


――こっきょうのながい…。

 漢字が読めたことで僕は増々得意になる。今にして思えば、それは「くにざかい」と読むのが正しいのかもしれないけれど、どちらが正解なのかは未だにわからない。そして当時の僕は「国境」という言葉の意味を、国と国の境目だと理解したものの。おそらくそれは郷と郷、「県境」や「市境」を指したものなのだろう。

 そんな間違いや勘違いはさておき。小学生の僕でも書かれた一文のおよその意味は理解できたし、「長いトンネル」を抜けた先の異国の情景を思い描くことができた。

 だけど結局、僕がその続きを読むことはなかった。本を読み始めてからすぐ後に、お姉ちゃんは帰ってきた。僕が読書に飽きるのとお姉ちゃんが帰ってくるのと、そのどちらが早かったのかは覚えていない。


 暗い廊下の奥に光が見える。それはまるでトンネルのように。果たして、その先に何が待ち受けているのか。僕は興味を抱きつつ、同時に底知れぬ恐怖を感じていた。

 静寂の中、水の音が響いている。僕はまた少し進む。「だるまさんがころんだ」をしているみたいだ。緊張が僕の脚を強ばらせる。それでも一歩ずつ、明かりの方へと近づいてゆく。

 洗面所の入口まで来た。この先にお姉ちゃんがいる。僕の優しいお姉ちゃん、が。仮にバレたところで何も言われないだろう。「まだ起きてたの?早く寝ないと!」と自分のことを棚に上げて、せいぜい小言を言われるくらいのものだ。

 またしても水流が止んだ。キュッと蛇口を止める音が聞こえた。僕も息を止めた。お姉ちゃんはすぐ目の前にいる。だけどその姿は見えない。

――はぁ~。

 それはお姉ちゃんの溜息だった。がっかりしたような、後悔しているような吐息に僕は心配になる。大好きなお姉ちゃんが何か心配事を抱えているんじゃないか、と。それを覗き見し、盗み見ようとする自分に罪悪感を覚えた。

 僕はお姉ちゃんの姿を見ることなく、そのまま自分の部屋に引き返そうと思った。だけど罪悪感より好奇心がわずかに勝った。再び水が流れ始める。その音に紛れて、僕は洗面所の中を覗き込んだ。


 お姉ちゃんは、手を洗っていた。

 僕の位置からだとお姉ちゃんの背中しか見えない。それでも洗面台の前に屈んで、ジャブジャブと音を立てている様子はおそらくそうだろうと思った。それにしても、ずいぶんと熱心に手を洗っているみたいだった。

 そんなに手が汚れてしまったのだろうか。小学生の頃の僕じゃあるまいし、まさか大学生のお姉ちゃんが泥遊びをしたとは考えられなかった。

――ジャブジャブ…(?)

 その音に微かな違和感を覚えた。また水が止まる。お姉ちゃんが上半身を起こす。僕は見つからないように壁で体を隠しながら、お姉ちゃんの手元を鏡越しに見た。

 そこでお姉ちゃんは、一枚の布を広げた。

 僕は最初それをハンカチだと思った。綺麗好きなお姉ちゃんはちゃんとハンカチを持ち歩いていて、帰ってきて自分でそれを洗っているのだろう、と。だけどその形はどう見てもハンカチではなかった。三角形の小さな布に、僕は見覚えがあった。


 それは、水着だった。

 いや、水着であるはずがない。海水浴やプールの季節には早すぎる。それでも僕がとっさにそう思ったのは、テレビの中で最近それを見たからだ。

 それは、パンツだった。

 とはいえ、僕が穿いているものとはだいぶ形が違う。それは女子用の下着だった。

 僕はお姉ちゃんのパンツを見てしまったことに動揺した。だがもちろん家族だし、一緒に暮らしているのだから、何度かお姉ちゃんの下着を見てしまったことはある。その時は何も思わなかったし、後ろめたさを感じることもなかった。だけど今は…。

 僕は、困惑していた。混乱していた、と言ってもいいだろう。どうしてお姉ちゃんがこんな夜中に自分のパンツを洗っているのだろう、と。

 明日穿く下着がもう無いのだろうか。服や靴下を脱ぎっぱなしにする僕とは違い、お姉ちゃんは脱いだ服をきちんと洗濯に出している。ママは毎日洗濯をしているし、まさかお姉ちゃんに限って下着が足りなくなるなんてことはないだろう。


 さらにお姉ちゃんは謎の行動に出た。なんと、洗った下着を嗅ぎ始めたのだ。布にそっと鼻を近づけ、確かめるみたいにクンクンと匂いを嗅いだ。そして、小さな声で「よし…!」と言った。

 そんなお姉ちゃんの不審な行動を眺めている内に、頭の中である想像が浮かんだ。それは、ついさっき観たテレビ番組から得たばかりの知識だった。

――お姉ちゃん、もしかして。
――『おもらし』しちゃったのかも…。

 画面の中の女子大生とお姉ちゃんが重なる。「性の悩み」を暴露していた彼女が、まるでお姉ちゃんであるかのように。

 その一致には無理がある。身内だから贔屓目もあるだろうが、あの女子大生よりもお姉ちゃんの方が美人だ。それに、お姉ちゃんは黒髪だ。あるいは「もんめ」の方が近いかもしれない。だけど漫画のヒロインが相手だと、さすがにお姉ちゃんといえど分が悪かった。

 それに。まさか、お姉ちゃんが『おもらし』するだなんて。真面目でしっかり者のお姉ちゃんがそんな失敗をするだなんて、とても考えられなかった。


 だったらなぜ、お姉ちゃんは下着を洗っているのだろう。洗っているということは汚れたということだ。そりゃ服や下着は着たり穿いたりすれば多少は汚れるものだ。でも、それなら洗濯に出せばいい。今の時代、洗濯機という便利な機械があるのだ。わざわざ手洗いする必要なんてない。それなのに…。

 お姉ちゃんは自分で自分のパンツを洗っている。それはつまり、そのまま洗濯機に入れられない理由があるのだ。たとえば下着がいつも以上に汚れてしまった、とか。あるいは『おもらし』をしてしまった、など。

 そんなはずがないことは分かっている。だけど、全ての証拠がお姉ちゃんの犯罪を裏付けているみたいだった。イケないと分かっていても脳は勝手に想像してしまう。お姉ちゃんが『おもらし』する姿を…。

 スカートの内側から『おしっこ』が溢れ出し、足元の地面に『水溜まり』を作る。まるで漫画の一コマのようなワンシーン。


 いや違う。それは「もんめ」だ。またしても「もんめ」とお姉ちゃんの姿が被る。脳裏に焼き付いたそのシーンに、空想上のお姉ちゃんが上書きされる。それはとても素敵な想像だった。だけど今は、そんな妄想に浸っている場合ではなかった。

 ふと、僕は我に返る。改めて、自分の置かれている現在の状況を整理する。ずっとこうしているわけにはいかない。お姉ちゃんはパンツを洗い終えたらしい。もうすぐ洗面所の電気を消して、僕の方へと向かってくる。その前に部屋に戻らなければ…。

 だが僕の心配をよそにお姉ちゃんはその場を動かなかった。僕に見られているとも知らずに自分の下着を広げて、それをまじまじと観察していた。再び鼻を近づけて、クンクンと嗅いだ。何度も何度も、洗い立てのパンツの匂いを確かめていた。

 早く逃げなければ、と思いながらも僕もその場から動けなかった。僕はいつまでもお姉ちゃんの秘密を覗き続けていた。

 何度目かにお姉ちゃんが下着から顔を離したとき、僕は急に呪縛から解放された。そして、自分の今取るべき行動を思い出した。名残惜しさを抱きつつも、僕は廊下(トンネル)を引き返すことにした。

 来たとき以上に音を立てないように注意して、すぐ後ろにお姉ちゃんが迫ってきているような気配を感じながらも、なんとか自分の部屋に無事帰還することができた。


 真っ暗な部屋にまだ視界が慣れていなくて、洗面所の明かりが眼球に残っていた。それと共に網膜に焼きついた光景を思い出す。

――あれは、何だったんだろう…?

 もしかすると、夢だったんじゃないかと思う。僕はいつの間にか寝落ちしていて、束の間に見た夢だったのではないかと。だが夢にしてはあまりに記憶は鮮明だった。

 廊下を歩く足音が聞こえた。お姉ちゃん、だ。お姉ちゃんが下着の観察を終えて、自分の部屋に帰っていく足音だ。それは僕がさっき見た光景が決して夢ではないと、紛れもない現実だと報せてくれているみたいだった。

 家族は全員、寝静まっていると思っているのだろう。お姉ちゃんはなるべく足音を立てないように気をつけながらも、完全にその音を消し去ろうとまではしていない。まさか洗面所での姿を弟の僕に見られていたなんて、夢にも思っていないのだろう。やがて、お姉ちゃんがドアを閉める音が聞こえた。


 その夜、僕は上手く寝付けなかった。僕の鼓動は早いままだった。目を閉じると、あの光景が浮かんできた。それと共に「見てもいない」情景も現れてきた。

――『おもらし』するお姉ちゃん。

 考えちゃいけない、想像しちゃいけないのだと分かっていても。それは次々と違うシチュエーションで何度も繰り返された。僕はアソコに血液が集まるのを感じた。

――お姉ちゃんはもう寝たのかな…?

 こんなにも僕を眠れなくしておきながら、自分はぐっすり眠っているのだろうか。僕はこっそりとドアを開けて、真っ暗な廊下のその先を見た。お姉ちゃんの部屋にはまだ明かりがついていた。


――続く――

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