■なにかが少し■

一般的に言えば、男が女を可愛いと思うのは、自分に好意があると感じたトキ、らしい。
なるほど。そう考えれば純愛ものの主人公が朴念仁で、女がこれ見よがしに好き光線を出すのとか
いわゆるツンデレヤンデレの、態度はどうあれ好意は間違いなくある、というのが受け入れられているのも納得できるような気がする。
お恥ずかしい話だが、ボクが女を可愛いと思うのは、その女を可哀想だと感じたトキで
(だから陵○一択になる)あからさまだろうがほのめかしだろうが「察しろよ」というアピールはどっちかといえばわざと無視したくなるくらいあんま好きじゃない。リアル、創作含め。恋愛感情以外でも。



つまりだ。創作においてボクは今まで、女を「可哀想」に描こうと努力はしてきたけれど、可愛く描こうというコトはあんま考えていなかったのではないかと。ボクの脳内では、可哀想と可愛いはイコールで結ばれているけれど、ひょっとしてもしかしたら極低い確率で、他人様はそうではない可能性もあるではないかというコトに思いが至った。



でもまぁ、だからといって何をどうすればいいかまではさっぱり。
だいたいボクの作り方って、プレイヤーは観客のいわば「演劇型」。そもそも主人公という概念すらないし、ヒロインも「被害者」ってルビふったほうがしっくりくる。
そして決定的に、他人様が自己投影できる主人公なんぞを書ける気がしない。



これは話作りの才能やセンスの問題ではなく、それ以前の人としての資質の問題だと思う。
というのも、ボクはどうやら感情移入というのがものすごくヘタらしく、今まで触れてきたメディア全部ひっくるめても、「かっこいい」と「可哀想」以外の感情を感じた記憶がとんとない。
(鬱陶しいとかウザいとかのネガティブ感情除く)
というかボクにとってメディアは「かっこいい」「可哀想」という感情を得るためのものといっていい。
例外として「なんかヘン」ってのもあってそれも好きなんだけど、漠然としすぎて分析不能。



で。ボクの感じる「かっこいい」がちょっとヘンだというのはもう学んでいるので
じゃあもうそりゃ可哀想な話しか書けないですわよね。こっちのヘンのほうがマシだもの。




あんまり自我がない主人公をプレイヤーが(わりと自由に)操る「操作型」
主人公が自我を持っていて、わりと勝手に話が進む主人公=プレイヤーの「投影型」
演劇型以外だとこんなモンかな?特例はあるだろうけどエロゲだとまぁこんなモンかと。



どちらに寄せていくにせよ、「主人公」って存在が不可欠なのがネックだよなぁ。



まーでも、実はそんな本気では悩んでないんですが。
結局自分にやれるコトしか出来ないし、ボクの考えるコトってどうせ8割が的外れだし。



久々に日記をブログに移転。ごっそりと。

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