うわさ話の価値の無さ
うわさ話の価値の無さ
「誰々が〇〇をした」
よく人に言いたがる人がいます。
それを聞いて何の疑いもなく信じ込んでしまう人もいます。
そして、人間の構造として一度信じ込んでしまった物はまるで自分自身が見たかのように考えてしまいます。
僕はそれが悪いとは全く思いません。
ただ単に頭が悪いんだろうなと思います。
例えば、
"りんごが地面に落ちた"
これを見た人が他人に伝える時に「りんごが落ちた」とはほぼ絶対に言わないと思うんです。
なぜなら"私が伝えました"という邪魔な欲求が出てくるので、
無駄な情報「それは固かった」「私が〇〇をしてる時」などの情報が足されたり落ちたのではなく投げ捨てたと言い換えられたり全然意味が違ってきます。
そもそも人に何かを言いふらしたい人は語彙力が乏しい人が多い印象なので、
自分は客観的な事実しか言ってないつもりでも主観的な「あなたがそう思った」「あなたはそうあってほしかった」というパターンはよくあると思います。
もし、言いふらしたがりの自称客観的な人がいたら「あなたはそれを見てどう思いましたか?」と話の最後に改めて聞いてあげてみて下さい。
殺虫剤をかけられた虫みたいになります。
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