夜のひつじ 2021/08/16 23:04

【ホラーSS】「トラックイン」

はじめに

突然変なものあげてすみません。書けない日々が続いていて……すみません……。

どうしても作業が進まなくなったので別の短い話を肩慣らしで一度書こうと思ってこの話ができました。
書けて嬉しいという気持ちを少しでも思い出して、もとの作業に戻ろうと思います。また月末に報告します……恐縮です。

10〜15分くらいで読めるオリジナルのショートストーリーです。
ちょいホラーです。今までの作品とのつながりは全くない、新しいお話です。

森庭さんという女の子と、沢崎さんという女の子が登場します。


【ホラーSS】「トラックイン」本文

「ねえ、あの最後のシーンどういう意味だったの?」

 ……あれ?
 これは私に話しかけているのだろうか。

「……えっと。ごめん。見てなかった」
「そっかー」

 残念そうな声。我が校の放送室。
 放送委員の一年生である私と彼女は夏休み中も週に二回登校して校内放送を流している。

 とはいえ定時の放送を流す以外は圧倒的に暇なので、私は本を読んでいて、彼女は音声編集用のパソコンでゲームをしていたのだ。

 ディスプレイにはエンドロール。
 何やら優しげな歌曲がBGMだった。

「ねえ、このゲームもう一回最初からやっていい?」
「……うん?」
「見ててくれる? わたしストーリーとか苦手でよくわかんなくて……森庭さんのほうが読解力があると思う。いつも本読んでるし」
「え……、え? そうかなぁ……。読書は好きだけど……読解力とかそういうのは、そうとも限らないような気がするけど……」
「現文のテストのとき、すっごく早く解いてたよね」
「……」
 見られてた。
 さっと回答を終わらせて多少以上はドヤってた記憶がある。ドヤると言うべきではないか。そう……“悦に入っていた”。これだ。

「何か考えてる?」
「い、いえ何も、何も。えっと……ゲームのストーリーを読み解いたらいいの……? できるかな……?」
「大丈夫。きっとできるから。信じてる」
「私ゲームとかはよくわかんないし」
「平気だよ。ストーリーを読むのは一緒だし」

 よくわからない篤い信頼を受けてしまった。
「うーん……」
 そうまで言うのなら、私なんかがお役に立てることがあるのだろうか。

 私とペアの放送委員一年生の沢崎さんは、美少女然とした見た目と声とは裏腹に無類のゲーム好きだ。多分。
 この四月からずっと、放送委員の活動の空き時間にはゲームで遊んでいた。
 仲良くなりたいとは思っていたけれど正直めちゃくちゃ話しかけづらかったから、これはいい機会かもしれない。少なくとも放送室でやることもなく本を読んでた時間は無駄でも迷惑でもなかった。話しかけてもらえて嬉しい。

「ルートとか覚えてるから、一時間とちょっと……。一時間半くらいで終わると思う」
「そうなんだ。けっこう短いんだね」
「ホラーゲームって、早解きしたらそれくらい」
「うえ……、ホラーゲームなの……?」
「怖くないから」

 そういう彼女の目は爛々と輝いている。
 沼に引きずり込もうとする人の目だ。

「ぁははは……、ホラーとかはちょっと……苦手で……。できれば遠慮したく……」
「どういうホラーが苦手?」
「どういう……?」
「ホラーにも色々あると思うの。和風っぽいのとか。ゾンビとかモンスターっぽいのとか。薄気味悪いのと気持ち悪いのと、幽霊とか、人が怖い系とか、宇宙っぽいのとか、スプラッタとか――」
「無理無理無理無理、スプラッタは特に無理。血がいっぱいはほんとダメで」
「あ、そうなんだ。じゃあこのゲームは大丈夫だね」

 彼女はいそいそとパイプ椅子を移動させて、ディスプレイの斜め後ろに観客席を作った。どうやらそこが私の着座位置らしい。押しが強い。問答無用という感じだ。

「英語の勉強にもなると思う」
 海外のゲームらしい。

 押されて押されて引ける場所はなく、私はなし崩しで彼女のゲームプレイを見守ることになった。

 薄暗い画面。『はじめから』の文字をポインタが選択する。
 映画っぽい演出。多分ゲームが始まったんだと思う。

「伏線とか、けっこうちゃんとあるっぽいの」
「う……うん」
 注意深く画面を見守らなければいけなくなる。
 伏線があるということは――。
「ホラーだけど、事件の真相……とかがある感じ?」
「そうそう、そういう感じ。そういう感じだけど、最後のエンディングがどういうことかわからなくて」
「へぇ……」

 少し迷う。
 もしかしてそのエンディングとやらは、ご都合主義的に物語を終わらせるために終わった類の、手詰まり感が漂うものではないだろうか。

 本を読めば読むほど、物語に親しめば親しむほど、世の中にはすっきり終わるお話が少ないことを知るものだ。むしろすっきり終わっているだけで名作と言われてもいいんじゃないかと思う。

「このゲームは、武器とかはないの」
「武器……」
「こっちから攻撃する手段はないから、うまく逃げるだけでいいんだよ。簡単でしょ」
「でもそれって反撃できなくて一生怖がらせられ続けるっていう感じじゃ……」
「大丈夫。怖くない。怖いシーンの前にきたらわたしがちゃんと言うし。すぐ処理できるから」

 そう言っている間に大音響。画面に突然大写しになる血みどろのマネキンの顔――。
「ひいいぃ!?」
「あ、ごめん。ここ言うの忘れてた。いい声。怖くないでしょ」
「いや十分、めっちゃ怖かったんだけど、ていうか血、血の涙が……!」
「こういうのはよくあるやつで……なんていうんだっけ。フラッシュモブじゃなくて。スプラッシュマ○ンテンじゃなくて。ジャンピングハリケーンじゃなくて……うーん……。とにかくそういうの。よくある演出」
「ぁは……へ、へぇえ……」

 画面はすぐ平常に戻った。ゲーム内の主人公からすれば、一瞬の幻覚を見た、という状態のようだった。

「驚かせてくるだけのやつは怖くないよ。だって意味ないもん。よく見てたら可愛くなってくるし」
 真剣かつ静かな瞳にディスプレイの光が映っている。
 沢崎さんは、驚かせてくる演出が実は嫌いなのではないかとも感じた。であれば“びっくりする怖さ”以外のものを求めてホラーゲームを遊んでいるのだろうか――。

「ここのドアを開けて……閉じてあげて」
 舞台は時代がかった洋館らしい。ディスプレイが薄暗くてアンティークな洋室を映している。
「……メモ魔?」
「あ、そうかも。なんかね、ここの館のあるじは、心を病んでてなんでも書き付けちゃうみたい」
「へ……へえぇ……」

 プレイしてる一人称視点の主人公キャラは、この洋館に肝試しにでもきているのだろうか。いまいち説明が足りない気がする。

「ここのクローゼットも開けて……。ほら、メモとかジャーナルとかあるの。あと記憶のアイテム?みたいなのとか」
「うん、うん」
 ストーリーの手がかりになる情報は逐一、沢崎さんが画面に表示して読み上げてくれる。涼やかでとてもきれいな声だ。こもってぼそぼそした私の声とは違う。
「メモを読んだら……引き出しも閉じてあげて。はい」
「はい」

 部屋のドアを開けて閉じて、部屋のなかのクローゼットや文机を開けて探索して閉じて、開けて読んで閉じて、開けて読んで閉じて、開けて読んで閉じて。

「あ、ここ見て。ドアの上にも書いてあるよ。“近づいてきてるぞ”だって」
「どうやってこんな高い場所に書いたんだろう……」
「それ! いい意見だと思う!」
「お、おう」
 びっくりした。急にテンション上げるやん。

「そうやって考えると不思議だし、ホラーゲームって可愛いよね」
 可愛いとは?
 沢崎女史のおっしゃる可愛いとはいったい?

「読んだらこのドアを開けて……閉じてあげて」
「うう……。ていうかいよいよやべー奴じゃん……メモ書きじゃなくて部屋の壁に直接書いてたら……」
「何で書いたんだろうね」
「書かずにはいられない理由がある……?」
「あ、うん。それもだけど。ペンとか筆とか。何使ったら壁紙にこんなに綺麗に書けるんだろうね」
「……クレヨン?」
「可愛い」
 今のは我ながら可愛かったかもしれない。

「……血だよ」
 ブラァッド、とゲームの音声が重なる。

「ひ……言わないでよぉ……」
 低く不気味なゲーム音声と、沢崎さんの涼やかな声が同時に聞こえると頭が揺れるみたいだ。

「あ、次は本の断片。この人が気に入ってたみたい」
「大事なやつかな……?」
「多分」

「開けて……。『世界は一つであり、かつ、多数であるという。人間の時間は、瞬間、つまり、その間に世界がなんの変化も示さないような最短の時間の断片がつらなったものである。一瞬が過ぎゆく間、世界は静止している。人間の一瞬は十八分の一秒である』……わけわかんないよね」

 この館のあるじは心を病んでいたらしいということはわかる。
「うーんー……。ここは……わからなくていいんじゃない? 雰囲気作り? 読んでも読まなくてもいいところ、みたいな」
「そう? じゃあいっか。……閉じてあげて」

 テンポはいいけどだんだん何だかよくわからなくなってきた。いやゲームの情報自体はしっかり説明されて頭に入ってきて、ストーリーの骨組みみたいなものはわかり始めている。

「このロッカーも開けて……。『血だ。血でもって描け』……だって」
「……う、うん」
「閉じてあげて」

 ただ大小の空間の開けて閉じてをテンポよく繰り返しに妙な没入感があって、今自分が何をしているのかよくわからなくなるような――。

「あ、ここ気をつけて。来るから」
「来るって何が――」
「ここを開けて……」

 ――バァン!

 と音がして勝手にドアが閉まる。
「ひっ……」
「ごめんちょっと言うの遅かったかも。いい声。でも音だけだから。怖くないでしょ」
「ちょ、ちょっと薄暗くなってない……?」
「うん。そういう演出。ほら見て。次はこのドアを開けて――」
「ひっ!?」

 ドアを開けた先の廊下。何者かの白い影がふうっと通り過ぎていく。
「……閉じてあげて。一旦、一旦ね」
「な、何いまのは!?」
「何か見えたね。何だと思う?」
「そんなのわからな――」

 言いかけて自分の役割を思い出す。そうだ。ストーリーを紐解いて謎を解いて考察して。それが自分が呼ばれた役割だった。
 今まで表示されたジャーナルやメモ書きのテキストの文言を思い出して整理する。

「……まだちょっと足りないような……」
「うん。じゃあ別のドアから行こうか。こっちのドアを開けて――」
「うわぁ……」

 次のドアを開けて表示されたのはまた薄暗い廊下。長い。本来の意味での画廊、ガレリアとでも言うべき細長い空間。
「このドアは閉じてあげて。どうする? 行く?」
「いや……行きたくはないけど……」
 通り抜ける過程でいかにも何か出そうだし、正面を何か横切っても怖いし、後ろを振り向いたら追いかけられそうで怖い。

「ていうかなんでいちいち開けたドアを閉じるの」
「何か別のものが通ったらわかるように。癖みたいなものかな」
「あは……、はは、行儀がいいってことかな……」
「ほら、この放送室のドア見て。少し開いてるでしょ」
「――え?」

 いきなり現実のほうに話を戻されて驚く。

「……ほんとだ。開いてる」
「ちゃんと閉めたよね」

「え……。え!? ごめん、私は記憶にない……。し、閉めた……かなぁ……?」
「わたしはちゃんと閉めたよ。最後にこの部屋に出入りしたの、どっちだっけ」

「…………」
「…………」

 静寂が訪れる。
 沢崎さんの目はディスプレイのほうを向いたまま。相変わらず瞳にはゲーム画面の青い光が映っている。そんな風に光が反射するには部屋が薄暗くないといけないはずだが、夏休みの午前の放送室の光量はそんなに少なかっただろうか――。

「と……閉じてこようか?」
「もう遅いかも」
「い……いやまあ、半開きだと冷房代もかかるかもだし、もったいないし、なんかよく考えたら居心地悪いよね、やっぱ閉めてくる――」

 ――バンッ!

「ひぇい!?」
 半開きだったドアが勢いよく閉じた。

「……入ってきちゃったかな。いい声。大丈夫、別に悪いことはしないから」
「え、へ、えぇ!? な、何が!? 何が入って……、悪いことって、何!?」
「風で閉じただけだよ」

 ぐっと言葉と息とゼロの唾液を飲み込む。
 そう……だよね。ドアはいつの間にかうっかりで開いてただけで、風で閉じただけだよね。よくあることだ。
 大丈夫、大丈夫。よくあること。

「どうする? 進む?」
「あ……、う、うん。ゲームの話だよね。進……もうか?」
「わかった。勇気あるね」
「ゲームの話だよね? ねえ?」

 沢崎さんのどこまでも静かで涼やかな声が、巫女とかイタコとか霊感っぽいものを想像させる。良くない傾向だ。

 落ち着いて、落ち着いて。ここはただの洋館。ちょっと探検に来ただけ――違うそうじゃない。ここは放送室。夏休み中の委員会活動で登校しただけ。

「あ、ここは怖いのが来るからね。大丈夫、すぐ終わるし簡単だから」
「う、うん」

 やっぱりそうか。こんな思わせぶりな長い廊下、何も起こらないはずがない。

「来るよ。来るよ来るよ……、ほら、後ろ」
 背中がぞわっとした。

 ゲーム画面で後ろを振り向く。さっき閉じたはずのドアのほう。開いている。
 ドアは開いているが、何もいない。カーテンが風にそよいでいるだけだ。
「いないと見せかけて、いるからね」
「う……うん……っ」
 パイプ椅子をつい沢崎さんのほうに近づけてしまう。ゲームの話をしているはずなのに背すじが妙に寒い。
 ゲーム画面で振り向いてほしくない。だが自分自身もこの放送室内で振り向きたくない。

「もう一回前を振り向くよ。そしたらもう後ろは見ないから。見ないようにして、次の部屋に行くね」
 ……ちょっとだけ期待はずれにも思える。
 画面の人物の呼吸と心拍数が荒くなっている演出があり、細く裂くようなBGMも流れている。画面の端にもなにかの影が一瞬映ったような気がする。

「ここすごいよ。ここ通り過ぎたら大きいから」
「う、うん」
「怖くないよ。いるだけだから。さっきからいるみたいだけど……なんてことない。この子だけなら大丈夫」
「…………」

 沢崎さんの技巧で画面に何かが直接映ることはなく、次の部屋に駆け込める手筈だ。でもそれがなんだか惜しい。見たいような、見たくないような、この背すじの寒さの正体が枯尾花であると看破したいような、でもまだきっとゲームは中盤――。

「武器を持ってない人には手出しできないのが、今のルールだから」
「へ、へえ……」

「……武器。持ってないよね?」
「え……、何言ってるの、持ってるわけないよ……。あは、あはは……」
 半笑いで言って横目で室内を見てしまう。
 薄暗い。
「……ハサミとかあるから今は見ちゃダメ」
「……っ」
 なんだか有無を言わせない声で息が詰まる。視野をゲーム画面と沢崎さんの横顔に戻す。

「開けて……。閉じてあげて」
 長く不気味な廊下を通り過ぎて次の部屋に着いた。今度は少し明るい部屋。何だかほっとする。

 さっきの長い廊下のシーンでは確実に何かがいて、見られているか追いかけられているかという気配がしていた。視点の操作の仕方によっては、もしかしてその“何か”が見えたのかもしれない。

「……ちょっと空気変わったね」
「うん。わたしたちには手出しできないってわかってくれたから。悪い子じゃないの」
 ……さっきから言い方がおかしい気がする。

「次のストーリー、追っていこうか。だいたいホラーゲームって、こういう探索パートと、逃げるパートを交互に繰り返してく感じなの」
「う、うん」

「んーと、この棚って何かあったんだっけ……開けて……」
 探索パートとやらが始まったらしい。薄暗いけれどさっきよりはおどろおどろしくない部屋。館のあるじが残した文書が表示されていく。

「『この苦しさが、何らかの成長に寄与していればいいのだが。もしかしたらこの苦しい生を何度も繰り返させたほうが、その者にとって都合がいいのではないか? 苦しみから抜け出そうと何度もあがく。あがいてなんとか生き延びているうちに、生き延びているものは私ではなく苦しみそのものになっていく。もはや私は生きている影に過ぎない……』……うーん、やっぱりわたしにはよくわかんないな」
「……だいたいわかってきた、かも……」
「閉じてあげて。本当? すごいすごい」
「いやでもそんなすごいものじゃなくて、大雑把に……ざっくりだけど」
 一度頭のなかを整理してから話す。

 開けて……、開けて。

「ここに住んでた人はとにかく……何か後悔してるみたい。病気で苦しんでるなかで何か事件があって……。たぶん、不幸な事件。事件が起こったことは防ぎようがなかったけれど、その後のことを悔やんでる……。またそのせいでどんどん苦しくなって」
「うん。なんとなく合ってそう」
「だから後悔……和風ホラー風にいえば未練?」

 恨みと未練は幽霊の母と言うこともできるかもしれない。
 ただ、恨みは自分の外からもたらされるものだが、後悔は自分の中にあるものだ。そこが違う。未練はその間のようなイメージがある。
 誰かから恨まれることと、自分で悔やんでいること、いったいどちらがより怖いのか。

「あ……、ちょっと良くないかも。耳をすませてみて」
「うん?」

 ゲームの音。何か聞こえる気もするが、よくわからない。音量をあげてもらったほうがいいだろうか。でもまたジャンプなんちゃらの大音量の演出で驚くのは嫌だ。
 あとはパソコンのファンの音。

「……聞こえた?」
「何が? 何も……静かだね」
「うん。すごい静か。こんなに静かなはずないのに」
「そうだよね。セミの声とか運動部の掛け声とか――、あ、そっちじゃなくてゲームの話?」
「……ううん。あまり深く考えないほうがいいかも」

 またなんとなく背すじが寒い気がする。だけど正体はよくわからないままだ。

「……閉じてあげて。とにかく後悔してるってことだね」
「だと思う。何か事件か事故があったっぽいのは……。本人じゃなくて、家族のほうなのかも」

「森庭さんは、後悔はある?」
「わ、私? 私は……。特に思い当たらない――」

 ドンドンドン、と激しくドアがノックされた。
「あれ……、げ、ゲームの音……、だよね?」
「ううん。あまり考えないほうがいいかも」
「え――」

 ドンドンドン。
「ひぃぃ……!? え、あれ、こここっちの部屋……? 誰か来た……?」
「そう聞こえるだけだよ。いい声。進めよっか。探索パートだからってあまり長いことぼーっとしてると、ほら」

 画面のなかの部屋が溶けるように歪んでいる。
「じ、時間制限的な……?」
「早く進めないとね。開けて……」

 ドンドンドン。
「……っ」
「……閉じてあげて」

 次の部屋に訪れる。何かが通り過ぎていく。
 上がっていた心拍数が落ち着いていく。ゲームの主人公の話か私の話かわからなくなってくる。

「……ごめんウソついたかも」
「そう?」
「うん。あ、まあ、ゲームとは全然関係ないんだけどね。後悔してることはある……と思う」
「そっか。そうなんだって」

 静かな声。私に話しかけているようなそうでないような。
 探索パートの次は追いかけられるパート。怖いシーンのはずだが、だんだん演出に慣れてきた気もする。

 ドアを開けて……、勝手に閉じられる演出が増えてきた。逃げ道がなくなっているということだろうか。
 開けて……、開けて……、開けて。

「うーん……ちょっとまずいかな……」
「……大丈夫だよ」
 開けて。
「森庭さん?」
 やっぱりだんだん平気になってきたと感じる。

 血の文字。クレヨンかな。
 溶ける部屋。目薬さした?
 よこぎる人影。棒アイスでしょ。あは。

 薄暗い部屋。開けて次の部屋へ。
 消えよ消えよつかの間の灯火。
 私は生きている影に過ぎない。
 本当に生きながらえているのは私ではなく、苦しみだ。
 後悔が私を生きている。

「……ねえ、大丈夫?」
「う……」
「ちょっとぼうっとしてたよ。大丈夫だった? 寒い? 冷房ききすぎかな」
「ん……、大丈夫。何だろう……。あ、でもストーリーはだいぶわかってきたよ」
「本当?」

 四階にある放送室。
 廊下を誰かが駆け抜けていく。笑い声。運動部の誰かがふざけているのだろうか。

「やっぱりこの館のあるじだった人は強く後悔してて……」
「うん。どういう後悔?」
「色々あるんだけど、夫婦のことが大きい……。でもそれが一番じゃない」
「……そうだよね。わたしもそう思ってた。あの白い影は誰?」
 白い影。何度か横切った。記憶の回想では、ご夫人は常に黒い大きな影で描かれていた。だから多分白い影とは別物だ。

「わたしが考えたのは、白い影は小さいから、夫婦の間の子供かなって」
 違う。頭が痛い。
「わかんないけど……違う、と思う。すごく長く気を病んで……苦しんでる……みたいで……?」
「うん」
「私たちにもわかることだって言われてる……気がする。ほら、夫婦の問題なんてまだ学生の私たちにはわからないけど、それとは違うもっと身近な……」

 背すじから冷たくてぬるい風が入ってくる。それが胸元にまとわりついて。
「開けて……」
 何かが触れる。
 横から見た沢崎さんの姿はマウスとキーボードを手にしている。でも彼女の手が私の胸に触れていると感じる。違うはずなのに。何かがおかしい。

「開けて?」
 私の胸元。そこを開けたら何かがあるのだろうか。

 恨み。あるいは未練。
 ――後悔。

 何か悔やんでることがあるか。今もあるか。苦しく、身を刺されるような、このために刺されても仕方がないというような後悔が、私の中に、そこにある。胸にある。

「開けて?」
 いびつな沢崎さんの声。いつも通りでとても愛らしい。
 いつの間にかその手はハサミを持っている。開いたハサミの刃。ああそれで刺されても仕方がない。申し訳ない。それだけのことをしてしまった――。
 ハサミの刃がもう開いて私の胸に食い込み始めている。
 もう少し力を入れれば。
 でも少し足りない。

「開けてよ」
 過去のことを悔やんでいる。その力だけでは足りなくて、未来のことももう悔やむべきだと思い始める。
 部屋の背景がカラメルみたいに泡立って溶けていく。

 私は後悔の力を四倍にする方法に気づいてしまう。そうだそうだ、いいことを思いついた。どうして気付かなかったんだろう。過去にしたことだけの力じゃ足りないはずだ! 簡単なことだった。あは。
 ハサミを受け取って自分で持ち直した。

 してしまったことだけじゃなく、過去にしなかったことを足せばいい。二倍。未来にするであろうことを足す。三倍。未来にしないであろうことを足す。四倍。

 ――とても悲しい。
 何をしてもしなくても。したこともしなかったことも。
 こういうことだったんだ。
 どうして生きてるんだろう。

 もうなくなってしまうには十分な力を込めることができる。ハサミが食い込めばタールみたいな後悔でどろどろの黒い血を吐いてやっと楽になれる――。

 どくどくと心臓が鳴る。
 耳鳴りがする。
 もうだめだと思う。あああああ、と無意味にみっともなく叫びだしてしまいそうだ、苦しさを断とうとしているのにどうしてまた苦しいのか、私がやっと自由になれるのに――!

「……閉じてあげて」
 涼やかな声がして、ハサミが私の直前の空間で閉じた。

「閉じて、閉じて、閉じてあげて。危ないから。閉じたほうがいいよ」
「あっ、れ……」
「はい、フタもしてあげるね」
 沢崎さんの手によって、刃がケースに収まった。

 私の手はいつの間にかハサミを持っていた。刃を自分の胸に向けて。率直に言って危なかった。怪我でもしたらどうするんだろう。
 もう一度涼やかな声で沢崎さんが言う。

「わたし語彙力ないけど、そういうのどういうか知ってる」
「なんだっけ……」
「“取り越し苦労”だよ」
「あ……、そ、そっかぁ……」
「これは……。机に置いとこうね」
「うん」
 私は素直に答えてハサミを机の上に戻した。

「そろそろ最後のシーンだけど、ストーリーはわかってきた?」
「ああ、うん……、うん。多分。だいたい……」
「ほんと? すごい。さすがだね」
 四階の放送室。今日は妙に騒がしい。運動部の集団がざわつきながら通り過ぎていくみたいだ。野球部かサッカー部が、階下の視聴覚室で試合のビデオでも見ていたに違いない。きっとそうだ。

「うるさいなあ……」
「わたし? ゲームの音量ずっと大きかった?」
「あ、ごめん。部屋の外が」
「……うん。そっか。で、どういう話だったのかな」

「言っちゃったらしょうもないんだけどさ、この演出も怖いのも、全部思い込みっていうか。この館のあるじの後悔が形をとったものなのね」
「うん。合ってると思う」
「後悔してることで自分が苦しんでるから、自分で幻覚を見たり幻聴を聞いたり……全部自分が原因なの。だからおどろおどろしいものはほんとは全然なくて、ただこの人が色んな形で後悔してるのを見せられてるだけっていう……ひとり相撲かな」

 画面に映る小さな白い影。
「じゃあ、この子は誰?」
「この子は――」

「私、だよ」
 キン、と一瞬だけ耳鳴りがした。頭が痛む。
 沢崎さんの瞳がじっと私を見る。ああ違う。この私じゃない。開けてはいけない。閉じてあげて。

「――館のあるじの、初恋の相手……。事故で亡くなった」
「…………」
 瞳。その下の涙袋。涼やかな息。 
 瞬間、人間にとっての時間の断片がつらなる前、一瞬が過ぎゆく間、世界の静止、人間の一瞬は十八分の一秒、見つめられる。

 そして問いかけられる。涼やかな声。
「大切な人のためになら、大きな力が出せる?」

 私は答える。私の声。
「そう、だから、大切な人のためにこそ、大きな過ちを○す」

 瞳が滑らかに輝いている。ゆっくりとまばたき。
 見られる時間が終わって、私はやっと解放された。

「えー……っと、だから……この館のあるじは、すごく昔の記憶……幼馴染の初恋の子を亡くしたことを後悔してて。大きくなってからもそのことでずっと苛まれて、ついには家族ともうまくいかなくなっちゃったみたい。多分、夫人が初恋の子に似てるとかもあって……。まあそれだけ後悔するんだから、亡くした事件か事故と関わってるはずなんだけど……その辺は割と消化不良?みたいな」
「あ……、そっかぁ。なるほど、なるほど……。そういうことだったんだ」

 涼やかな声が同意してくれて私は心底ほっとした。
「う……うん、そういうストーリーだと思う」
「へえ……。あ、もうエンディングだけど。じゃあこのエンディングは?」

 さっきもちらりと見たエンディング。なんだかいい感じに見えるが、ほとんどまやかしと言って良いと思う。
 過去の事件はもう起きてしまったことで、取り返しがつかない。館のあるじは気が触れてしまったようだし、夫人は特に言及されていないが行方知れずのようだ。

 穏やかで優しい歌曲。
 後悔も人生もやがて悠久に流れていくと言えなくもないが――。

「ぁはは……まあ、言いづらいけど……。ご都合主義のエンディングかなあ……? なんかいい感じに悲しい話でしたねで終わってるけど、実は何もなってないみたいな」
「そっかー……。そうなんだぁ。森庭さんがそう言うのならそうかも……ちょっと残念」
「……なんかごめん」
「あ、ううん。でもわかったこともあるからよかった。白い影のほうが、この人にとって本当に大事な……、一番大事な思い出だったんだね」
 それが一番苦しい後悔なのかもしれないけれど。

「あれ? あ、でもごめん、沢崎さん。そういえばこのゲームの主人公はどういう人? 館のあるじとは別人で、その記憶をたどってる人みたいだけど……どこのどなた? ゲームの最初の説明とかになかった? 私は見てないかも――」
「ああ、主人公はね」
 沢崎さんがじっと私を見る。

 放送室にはいつの間にか日が差している。窓をあけなくてもセミの声が聞こえてきた。
「“わたし”だよ。あなたを救いにきた」
「あはは、何いってるの」
「ゲームするときはいつもそれくらい真剣だからね。わたしがきたんだから、っていう気持ちでやってる」

 世界は救う必要がある。世界を救うことに意味を見出すのなら、大きくても小さくても、箱庭のように見えても世界はひとつの世界で、救う意味はある。

「もう救われてるんじゃないかな」
「……なるほど。そういう見方もできるのかも。取り越し苦労の反対だね。さすが森庭さん」

 人間の一瞬の十八分の一秒、静止した永遠の真ん中でだけ、救われて生きていられる。


  おわり
 

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