ゲームとは、かなり話は違うんですが、長年の自分の疑問に、
自分なりの回答が出て嬉しかったのでそんな話です。
ゲームに関係ない説教臭い話なので興味ある方だけに、
「こんな一つの見方もあるんだな」ということで見ていただければ幸いです。
ずっと僕が疑問だったのが「自己承認欲求」という矛盾する存在です。
長年、この消し得ぬ正体不明の謎の勘定に多くの人が苦しめられてきたと思います。
この度、その正体をとうとう見つけたので、僕の考えを述べたいと思います。
まぁ、主には自慢をしたくなる、見せびらかしたくなることについての話なのですが、これ、不思議だと思ったことありませんか?
僕はこの、誰もが湧き上がる欲求を、何年間も理解できず悩んできました。
「一体それの、どこが矛盾なのか?」
何故ならば、人間は・・・いや生物は、「メリット」と「デメリット」を
無意識に、天秤に掛け、「メリット」の多い方を自然と選ぶからです。
例えば目的地に、つながる道が二本あれば、近い方を選びます。
しかし、近い方がイバラに覆われているという「デメリット」があった場合、
遠い方を選ぶかもしれません。しかし、遠い方に、大きな熊がうろうろしてれば、
イバラのほうを選ぶでしょう。
これが、生物はメリットと、デメリットを天秤にかけデメリットを避け、メリットの方を選択するということです。
貴方は、いま「そんなの当たり前だろ。」と思いましたか?
その通りです、誰でも思うように、それが当たり前なのです。
では話をもどして、「自己承認欲求(自慢や見せびらかし」に戻った場合はどうでしょう?
これ、どう考えても「メリット」は殆んどないのに、「デメリット」がすごい。のです。
さっき納得したハズの、「生物としての当たり前」に、反してると思いませんか?
昔ですが、「俺は一億持っているんだ!」とか言って、札束をアタッシュケースで開いて見せびらかしていたおじさんが、その話が原因で殺されました。
しかも、ほとんどは新聞紙の偽物で、上だけ一万円を乗せたものだったようです。
https://www.j-cast.com/tv/2019/12/17375276.html
このように「メリット」は、相手に「いいな~」と思わせる一瞬だけ。
(しかもこれすら思い込みの範囲を出ません。)
にもかかわらず「デメリット」は「妬まれる」「恨まれる」「奪うために殺される」という最悪なものまである自己承認欲求。
昨今はSNSでも自己承認欲求に突き動かされた「キラキラ生活」などを見せびらかしたいがために、借金まみれで演出するなども時折聞きますが、それほど、この欲求は強烈なもののようです。
先ほどの話で「生物は、メリットと、デメリットを自然に測り、デメリットを回避するのが生物の自然の動作」と話しましたが、にも関わらず、それを完全に無視するこの強烈な感情は一体どこから、何が原因で湧いてくるのでしょうか?
当然、僕にもあります。「自慢したい、見せびらかしたい」という、
抑えがたいほどのこの欲求。先ほどのように、メリットデメリットをよく知っているにも関わらず、禁じ得ないこの感情・・・やはり矛盾すぎるのです。
だから僕は「何故!?」「どこから?」と数年自分の心に問いかけてきましたが、それが全く解りませんでした。
しかし、先日、とうとう僕の中で合点の行く答えがでました。
結論からいうと、これは理屈の無い「三大欲求」にも匹敵する、原始的な感情です。なので、消すことはできません。
が、実は「自分個人のものであって、自分の物じゃない」という、偽りの感情だということを理解すれば、「これは偽物の感情だ。自分の感情じゃない」と、抑え込むことはできるかもしれません。
で、その正体について、僕の解釈を話そうと思います。
これも、結論から言いますが、この感情は「種そのものの競争力を高め維持するための、「種全体」のための感情」だと思います。個人・個体のメリットは殆んどありません。
原始の世界から、違う種との生存をかけた種の戦いは、当然ですが、
同種の中でも生物は常に切磋琢磨し、互いの中でも競争をさせ、その種の強い遺伝子を残さねばなりません。
水が循環させられねば、よどむように、種の中で循環させる必要があり、
そのためには同種内部で争うように、仕向けねばなりません。
そこで使われるのが「自己承認欲求」です。
その種の中で「俺はいいものを持っている」と誇示することで、
他人を刺激し「あれを奪い取ってやろう」と争いを誘発させます。
特に現代のように、物にあふれておらず、有限だった原始世界では、この感情はきっと強烈に作用したことでしょう。
良い物を隠さずにおかず「見せびらかす」ことで挑戦者を誘発し、
「良い物」を、さらに強いオスが奪い取るように競争をしむけます。
抑えがたい自己承認欲求が、それを見せびらかさせ、さらに強いオスを誘発します。
「強い」というのは単に腕力でなくてもいいのです、「騙す」「盗む」など、その種のその時のあらゆる能力を駆使して、最終的に奪い取り維持できる者が「強い種」なのです。
そして、その強い「種」により良いメスが寄ってきます。
(今回は解り易く「オス」で例を述べましたが、女でも当然あります)
これが、自己承認欲求の正体なのです。
「自分の感情にみせて、実は個体の感情じゃない、とても原始的な「種」のもたらす、争わせるための種全体のための感情。」なのだと思います。
なので、これは種の三大欲求に匹敵する消しえない感情なのだと思います。
そして、僕が何年も自分の中に問いかけても、まったく自分の中では見つけられなかった理由もここにあったのだと思います。
実際、「見せびらかす」「見せびらかされた物に寄り付く」人間は精神レベルが低い「より原始的な精神の人間」に、より顕著に表れていると思います。
しかし、先ほども述べましたが、「負」の面は、同時に「力」でもあります。
僕であれば、より良い作品を見れば、負の感情と同時に「僕も負けてられない」という気分にもなるし、必ずしも競争=悪ではないと思っています。
どう、この原始感情を昇華するかは、個々の判断一つですが、
ただ、「この感情を抑えたいんだ。」という時には
「この感情は、実は自分の感情じゃない。争いを呼ぶための「そう仕向けられた」いつわりの感情なんだ。」と、割り切って思うことで、抑えられるのではないかと思います。
この考察が皆さんの人生の、ご一助になれれば幸いです。
ありがとうございました。