改めて思うのだけれど、小説だとその情景を表すために文章の技巧を駆使すれば表現することが出来る幅は広がると思う。けれど、本筋に関係ないことを事細かに表現していけば冗長になるし、話のテンポが悪くなる。
故に拘って書く必要がある部分を除けば表現に文字数を割くことをしない。
けれど、これが映像、つまりアニメ化、漫画化されるなどメディアミックスされた場合、その省かれているけれども登場人物の心理描写などに深みをつけることが出来る。
これって割と大きいメリットであるんだよね。けれど、逆にアニメ化、漫画化したものでは登場人物の内面を表現するには余り適当ではないというデメリットがある。無論、side viewとかanother viewとか使うことで同じ効果を出すことは出来るが、それは同時並行では示せず、違うシーンとして演出せざるを得ない。
これはそれぞれのメリットデメリットではあるが、どちらが優れているとかではない。技法によっての演出方法の違いであり、メディアによって選択の余地があると言うことを示しているに過ぎない。
小説というのは読み手が文章を映像として脳内再生することが出来るわけだが、そこは結局は文章から読み取れる情報に依存し、読み手の想像によって補完している。
しかし、アニメ化、漫画化による動画、静止画によって文章にすると冗長な部分を補うことが出来ると、小説を読み直した際にそのシーン毎の描写を脳内再生する際に大きく影響を及ぼす。
物書きとしては当たり前の論理なのだが、この辺を意識しないといけないなと改めて思う。結局、これってプロットや設定でどこまで踏み込んでいるか、そこを推し量るバロメーターなんじゃないだろうか。
一日辺り文字数5千字、1万字と書き上げること自体は難しいことじゃない。けれど、それを支えるのは結局はプロットや設定や意図が明確になっているからであって、本当に意味のある5千字、1万字をでっち上げるのはかなりの努力と準備が必要になる。
ガンガン書けていた時期の私でも3千字の文章を作り上げるのは資料を参照しつつ方向性と考証したそれを基にしてやるだけで平気で3時間とか4時間掛かっていた。事前の準備が出来ていればそれに沿って書くのでもう少し時間を短縮出来るけれども、結局準備と資料の精査の時間を考えれば4時間前後は必要とするだろう。
プロでもだいたい5千字~1万字を目途にしているというのだから、重要なのは文字数そのものでは無く、事前準備であるプロット作りやそれの下敷きとなる資料集めと考証なのだ。また、登場人物の設定も石田三成の三献茶と同じで最初から濃くて熱い茶を出すのでは無く、小出しでその特徴を表出させていくという手法も大事だろう。
そこがしっかり出来れば演出の仕方の幅が広がるし、そこを拘ることも出来る。けれども、それをする前に一度構想に従って一度書くだけ書いてそれから見直しをすることで問題点を見直す、そういうやり方が本質的に正しいのだろうと思う。
結局、書かないことには演出もクソも無いのだから。
とまぁ、「冴えない彼女の育て方」を読み直していて思うわけよね。