野良のおじさん 2022/04/20 13:29

【まとめ記事】主に日本の歴史のメモ

自前の記事:歴史のメモ:農業の発展、技術
自前の記事2:歴史:奴○船貿易についてメモ

自前の記事3:国外の歴史メモ・未整理メモ

【参考資料】

日本史ゆるり
全ての受験生に贈る高校日本史
まなれきドットコム

KADOKAWA最強歴史チャンネル
丸竹夷 / YouTube高校


日本史

【昭和】1926-1989

ポツダム宣言を受諾、太平洋戦争が終戦:1945

広島・長崎に原子爆弾:1945
東京大空襲
ミッドウェー海戦

:1941:【戦争】太平洋戦争 1941-1945

日独伊三国同盟:1940
国家総動員法:1937

:1937:【戦争】日中戦争

盧溝橋事件:1937
二・二六事件:1936


五・一五事件:1932

満州国建国宣言:1932@1932-1945
満州事変:1931

【大正】1912-1926

普通選挙法:1925
治安維持法:1925

関東大震災:1923
米騒動:1918

:1914:【戦争】第一次世界大戦

大正デモクラシー:1912-1925


【明治時代】1868-1912


:1910:韓国併合

:1904:【戦争】日露戦争

:1894:【戦争】日清戦争

【富国強兵】
学制、徴兵制、地租改正、殖産興業、政商

日英同盟:1902

三国干渉:1896

下関条約:1895

大日本帝国憲法:1889

伊東博文:1885


:1873:
地租改正
徴兵制

:1872:
明治の改暦
学制

:1871:
廃藩置県

:1869:
版籍奉還
東京へ遷都

1868年3月:五箇条の御誓文

1867年12月:王政復古の大号令
1867年10月:大政奉還

1867年1月:践祚(せんそ)


:1873:
・徴兵令発布
・地租改正

:1872:
・学制>>>四民平等、機会均等法

:廃藩置県(はいはんちけん):1871年7月
>261藩を、3府302県に置き換えた。
>このとき、知藩事(ちはんじ)となっていた元藩主は
>全員、罷免(ひめん)。つまりクビ。
>代りに、知事と県令が各地に派遣された

:版籍奉還(はんせきほうかん):1869年6月
>「朝廷に、領地と領民を返す」 というお触れ
>とはいえ、このときは、藩主がそのまま管理を続行していた

富国強兵の時代

明治の改暦@国立国会図書館
以下引用
>明治維新(1868)によって樹立された明治政府は
>西洋の制度を導入して近代化を進めました。

>その中で、暦についても欧米との統一をはかり
>明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。
>これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり
>現在使われている太陽暦が採用されたのです。


:一世一元の制@wikiより一部引用
>慶応4年9月8日〈1868年10月23日〉
>改元は慶応4年1月1日〈1868年1月25日〉に遡って適用するとした
>>「1868年」は「明治元年」となる。


:五箇条の御誓文:1868年3月14日

:王政復古の大号令:1867年12月9日

:大政奉還:1867年10月
:慶応3年10月15日:明治天皇が上奏を勅許
:慶応3年10月14日:大政奉還を奏応3年10月14日:大政奉還を奏186上


1867年1月践祚(せんそ)、明治天皇

【江戸時代】1603–1867


@江戸時代(18世紀)人口:約3100~3300万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府

@慶長時代(1600年)人口:約1220万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府


 【戊辰戦争】新政府軍vs旧幕府軍:1868年1月~1869年5月

:「鳥羽伏見の戦い」から「函館戦争」まで
:「京都」から「北海道」まで、北上しながら転戦が続いた
:最終的に、榎本武揚(えのもとたけあき)らが降伏し、終結した。

:新政府軍は「錦の御旗」を掲げた
:「朝廷が新政府軍を認めている」という効果がある
:これによって、旧幕府軍は「朝敵」とみなされた


【戊辰戦争の転戦】
1・鳥羽伏見の戦い
2・甲州勝沼の戦い
3・江戸城無血開城
4・上野戦争
5・長岡城の戦い
6・会津戦争
7・宮古湾の戦い
8・函館戦争

【登場人物】
徳川慶喜、勝海舟
榎本武明(えのもとたけあき)、黒田清隆
新選組:近藤勇、土方歳三、沖田総司

岩倉具視、西郷隆盛

 1867年12月:王政復古の大号令

>新政府の樹立を宣言**
:小御所会議:
>徳川家の官位と領地を没収

 1867年10月:大政奉還

>土佐藩が「大政奉還」を提言
>幕府は、朝廷に政権を返した

>>討幕派の攻撃を回避するための策だった。
>>(このとき、官位や領地など幕府が保持したまま)
・徳川慶喜

 1867年10月:討幕の密勅

・岩倉具視
・大久保利通


 1866年6月:第二次長州戦争:長州藩vs幕府

>長州派の勝利
>同時期、14代将軍徳川家茂が急死(病死)
>高杉晋作、病死

1866年1月:薩長同盟、締結

 1864:第一次長州戦争:長州vs幕府

>長州藩は降伏するが…、高杉晋作がクーデターを起こす

 1864:四国連合艦隊下関砲撃事件:長州藩vs海外四か国の連合

:長州藩、大敗する
>攘夷派が減り、幕府へ恭順する流れに

1864:禁門の変:長州藩が大敗

1864:池田屋事件
1864:天狗党の乱

 1863:薩英戦争:薩摩藩vsイギリス

:薩摩藩が大敗する


 1863:長州藩外国船砲撃事件

1862:寺田屋事件
1862:イギリス公使館焼き討ち事件
1862:生麦事件


・倒幕派 ⇔ 佐幕派
・攘夷 ⇔ 開国
・尊王攘夷
・公武合体

<<<外国との武力差は、大きかった>>>

>1862:坂田門外の変:>老中・安藤正信が怪我
>1860:桜田門外の変:>井伊直弼、暗殺される
・水戸藩の浪士が中心となり実行

>1858:安政の大獄:井伊直弼、敵対者を弾圧する
・吉田松陰など多くの思想者、学者が処刑される

【尊王攘夷】運動が加速していく
>コレラの流行
>安政の大地震
>外国人が住むようになる=港が開く

日米修好通商条約:1858
日米和親条約:1854
>領事裁判となる(外国人を、日本の法で裁けない)
>関税自主権が無い(輸入品に、税金がかけられない)

・井伊直弼が、朝廷の許しを得ずに、条約締結する。
>日本国内、各方面から大不評。
>条約を結ぶように、武力で圧力をかけられていた。

【鎖国の終わり】

 1853:ペリー来航(黒船来航)



キリスト教弾圧、島原の乱

大阪冬の陣、夏の陣

関ヶ原の戦い

徳川家康、石田三成

中国大返し

【安土桃山時代】:1573–1603


キリスト教、織田信長

【戦国時代】:1467-1590


戦国大名-守護大名
北条早雲



【室町時代】:1336-1573


:1477:【応仁の乱】終了、将軍家の衰退、東山文化

足利義政、東山山荘、東山文化
足利学校
日明貿易
国人、一揆
応仁の乱、下剋上

:1467:【応仁の乱】開始

足利義政、細川勝元、山名持豊


足利義満(あしかがよしみつ)、北山文化、勘合貿易、室町幕府

勘合貿易 - 輸入:銅銭・生糸 : 輸出:刀剣、銅、硫黄

守護(守護大名)vs国人


【動画】:室町時代まとめ【足利義満〜関ヶ原の戦い】

https://youtu.be/yJKtskvbWBA

【南北朝時代】:1336 - 1392(56年)

 ■:建武の新政

北朝・・・光明天皇:足利尊氏
南朝・・・後醍醐天皇:

【鎌倉時代】:1185頃-1333:北条氏、御恩と奉公、武家政権の確立:蒙古襲来(元寇)


 :1192年当時の日本の人口は757万人、らしい
 :農業が大きく発展した鎌倉時代


■:1331-1333:元弘の乱

■:1274-1281:元寇
 >:1281:弘安の役 >2回目の元寇
 >:1274:文永の役 >最初の元寇

■:1221:承久の乱

【平安時代】:794-1185/1192:藤原氏:武士の台頭(1156)


【平安京への遷都】から【鎌倉幕府の成立】までの期間、のこと

@平安時代(900年頃)人口:約550万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府


:1192:鎌倉幕府の成立

源頼朝 - 征夷大将軍になる
源義経 - 1189:源頼朝に討たれる。 奥州が平定される。

:1185:源頼朝、全国に守護・地頭をおく

守護>地方の管理
地頭>公領、荘園を守る

鎌倉幕府の支配システム、【御恩と奉公】の下地が出来る

:1185:壇ノ浦の戦い:平家の滅亡

源頼朝(みなもとのよりとも)、源義経(みなもとのよしつね)
平維盛(たいらのこれもり)


平清盛
- 日宋貿易:宋銭(そうせん)を輸入、貨幣経済の発展(1133)

  • 保元の乱(1156)
  • 平治の乱(1159)

  • 武士初の太政大臣になる(1167):武家政権

  • 高位高官を、平家の者達で独占する

  • 安徳天皇、天皇の外戚になる

  • 後白河上皇を幽閉、院政が停止する

:1159:平治の乱:後白河上皇、平氏に助けてもらう

平清盛(たいらのきよもり)vs源義朝(みなもとのよしとも)
後白河上皇、藤原道憲(ふじわらのみちのり)vs源義朝

保元の乱のあと、後白河天皇は上皇になる。 院政を開始

:1156:保元の乱:後白河天皇vs崇徳上皇:藤原摂関家の争い

保元の乱ではじめて、武士が政治に深くかかわった。
このときすでに源氏は衰え、平氏は栄えていた

:1086:白河天皇が上皇となり、院政を行う

:1069:後三条天皇、荘園整理令を出す(延久の荘園整理令):藤原氏の衰退

後三条天皇:170年ぶりの藤原氏と血縁が無い天皇

1・すべての土地を、公領か荘園か明確にした
>>>不正な荘園が取り締まられた
>>>藤原氏の勢力が衰えた(寄進系荘園の根絶かな?)

2・勅使田(ちょくしでん)を増やした
>>>朝廷の力が増した


国風文化
- 十二単、平等院鳳凰堂、かな文字、紫式部、清少納言、源氏物語

遣唐使の廃止


(1083-87)-後三年の役
(1051-62)-前九年の役

(1019)-刀伊の入寇

:1017:藤原道長、太政大臣になる

・(935-40)-承平・天慶の乱


 @(在位930-946):朱雀天皇:律令制の崩壊・放棄、【土地から税をとる】ようになる

:重税により、農民が逃亡したり偽の戸籍がつくられるようになる
>>戸籍が効果の無いものになり(形骸化)
>>公地公民の律令制が崩壊していった
>>>>税をとることが難しくなり、朝廷が財政難に!


 ■:この辺から、いわゆる【腐敗した地方貴族】が目立つようになる

:これ以前にも、腐敗して私腹を肥やしてた国司はいた。

:【土地賦課方式】になったことで
>国司の権力が増し
>>地方の統治が乱れた(腐敗した)

【参考】
【官物・臨時雑役とは?】租税賦課方式の一大転換と国司の変容&‘‘売官売位‘‘の風潮【論述対策】@全ての受験生に贈る高校日本史

 (在位930-946@朱雀天皇):【人頭賦課方式】から【土地賦課方式】へ

以下、引用@【摂関政治の一時的復活】朱雀天皇の時代の出来事について解説!
>「個人」を単位とする【人頭賦課方式】を捨て
>「土地」を単位にした【土地賦課方式】が採用された

>そして新たに、朝廷はかつて口分田として班田されていた公田を
>新たに「名(名田)」という租税単位へと編成しなおし、

>「田堵(たと)」と呼ばれる有力農民たちに
>これら「名(名田)」の耕作を請け負わせ
>その耕作面積に応じて名単位で
>「官物」や「臨時雑役」を徴税することにしました。

>いわゆる「負名体制」が成立することとなったのです――。
引用ここまで


【参考】
【官物・臨時雑役とは?】租税賦課方式の一大転換と国司の変容&‘‘売官売位‘‘の風潮【論述対策】@全ての受験生に贈る高校日本史



:【人頭税】 から 【地税】へ移行
>※個人に税をかける制度から、土地に税をかける制度へ移行した

 @(897~930)醍醐天皇、延喜の治(えんぎのち)@wiki

(以下、wikiから引用)
ただ、現実には百姓層の階層分化が著しく進んでおり
律令制的な人別支配はもはや不可能な段階に至っていたため
延喜の治は必ずしも成功したとは言えなかった。

結果的に延喜の治は律令制復活の最後の試みとなり
次代の朱雀天皇および藤原忠平の治世から、律令制支配は完全に放棄されることとなり
新たな支配体制=王朝国家体制の構築・充実が進展していったのである。


@@@平安時代、税制の変化についてまとめ:【律令国家】から【王朝国家】へ@@@

@律令的な人別支配 > 人頭税
>>>個人個人に税をかけて、徴収する感じ
>>>逃亡されると、税がとれなくなってしまう
>>>また全国の農民が、貧民と富裕層など別れていたりで
>>>戸籍をごまかされたり、
>>>国民を、個人単位で正確な把握ができなくなっていた。

@王朝国家体制は、土地課税にした > 地税
>>>土地に、税金をかける形
>>>土地を把握していれば、管理者から税が取れる という形


【国司】は【武士】をやとって
【軍隊や警察】のように働かせてたらしいゾ@10世紀中頃

(以下、wikiから引用)
>>一方、9世紀後期頃から
>>富豪百姓層らが経済力や政治力
>>さらには私兵を擁しての軍事力すらをもつけてきたことを背景として

>>富豪百姓間相互の紛争もしくは
>>国司と富豪百姓層間の紛争が目立つようになっていた。

>>そこで10世紀前期頃から中央政府は
>>軍事警察権を国司に委任するという現実的な政策を採用し始めた。

>>こうして成立したのが、国衙を中心とする軍制
>>すなわち国衙軍制である
・【武士】の源流きたー!

(以下もwikiから引用)
>>国衙軍制成立の過程で武芸
>>すなわち軍事を専門とする諸大夫身分の貴族(軍事貴族)や
>>侍身分の官人層が出現し

>>これらの層の上層身分たる軍事貴族層では
>>特に東国を中心として、自ら国司として現地赴任する者も現れた。

>>軍事貴族などの武芸の家は
>>桓武平氏・清和源氏・一部の藤原氏などから出たが
>>彼らの子孫が後の武士へと成長していった


:国司苛政上訴(こくしかせいじょうそ)@wiki
>>>国司(朝廷から派遣された役人)と、地方民はよく揉めてたらしい
>>>1040年代に公田官物率法が出来て、上訴は少なくなっていった


王朝国家@王朝国家の再編成とその終期

(1040年代)公田官物率法
・↑これが出来るまで、国司は、納税用+私腹用の税をとる事が出来た

・土地には、公領(国有地)と荘園(私有地)がある
・この当時、荘園(私有地)が著しく増加していた
・別名(べつみょう)@コトバンクをつくること等で対抗していった

>>>別名(べつみょう)の新設や、公田官物率法などの体制変化は
>>>>増加する荘園に対する、公領側の対抗策だった、らしい

>>>この変化の流れで【武士】は
>>>>公領と荘園の【管理者】としての働きをするようになっていく

・それ以前の【武士】は、公領を管理してるだけだった、らしい。
>>王朝国家の成立・発展@wiki より引用
>>>10世紀初頭頃から
>>>公田は名田と呼ばれる租税収取の基礎単位へ編成され
>>>現地の富豪層(田堵・負名層)が
>>>名田経営と租税納入を請け負うという名体制が形成されていった
>>>この名体制は、王朝国家体制の基盤をなすものであった





:902:延喜の荘園整理令@醍醐天皇
:1069:延久の荘園整理令@後三条天皇


:律令国家
:-三代格式(さんだいきゃくしき)@コトバンク
(以下引用)
【格】は基本法典である【律令】を改定した単行の法令であり
【式】は施行細目であって、両者相俟って運用される

:(800年代):地方が乱れる:【武士のおこり】桓武平氏、清和源氏

・(800 ~ 1087):9世紀~11世紀
全国各地で乱がおきる。
武士に軍事力がつく、朝廷の軍事力低下。

【ここまでの流れ:まとめ】1:朝廷は重税をかけ、農民は逃げた(700年~800年)

2:【荘園(私有地)】の成立(750-800)

3:【武士】の登場(800-)

4:【武士】の集団がまとまり、【源氏】と【平氏】の誕生(900年頃)

:桓武平氏の祖は、平高望(たいらのたかもち)
参考:高望王(たかもちおう)@コトバンク

:清和源氏の祖は、源経基(みなもとのつねもと):916-961
参考:源経基(みなもとのつねもと)@コトバンク

【参考】平安時代についてわかりやすく【7】源氏と平氏ってどこからきた誰?日本史ゆるり




【キーワード】
(723)・三世一身の法
(745)・墾田永年私財法 > 【荘園】のはじまり

1:【荘園】の成立と、【武士】のはじまり

:【荘園】が出来た事で
>荘園同士の争いが起きるようになる
>また、国司との争いも起きるようになる
:それらに対抗するために、武器をもって戦う集団が出来る
:これが【武士】の始まり。
【参考】>荘園ってなあに?

2:【棟梁】 … 【武士をまとめる武士】

1・仕事が終わっても、京都に帰らない国司がいた。
>中央で出世は望めないが、血筋が良い、高貴な人達

2・【武士】は、こうした人達を自分達のリーダーとして選んだ
>中央に顔が利くとか、そういうこともあったのだろうか

3・やがて、【源氏】と【平氏】にまとまっていく

 >:【?】:10世紀~11世紀(900~1100)、なぜ荘園は増えたのか?

>土地には公領(国有地)と、荘園(私有地)がある
>墾田永年私財法で私有地に出来ていた
>>都からきた国司は、土地の区別がつかず
>>荘園(私有地)からも、税をとった

>>>困った荘園の所有者は
>>>国司よりも権力があるものに、土地を寄進した。
>>>(寄進地系荘園)@コトバンク
>>>国司に税を納めなくても良くなる代りに
>>>寄進したものに、お礼を払う感じ

>>>>言ってしまえば、税の払い先が変わるだけだけど
>>>>国司に払うより安かったのだろうか?

>>>>>土地は、藤原氏や寺社に寄進された
>>>>>これにより、藤原氏はさらに栄えていった


 >:【?】:平安時代、公領は荒れ果てたらしい、何故か?

>この問い、そもそも何年の話だろう?
>700年ごろ以後であれば、重税のせい。
>重税で、農民が逃げたから。

・口分田(くぶんでん)
>朝廷から貸し与えられた土地、公地(朝廷のもの)

参考:貴族から武士の時代へ、荘園支配の移り変わりをとおして



院政、源氏、平氏、平清盛
藤原氏、外戚、摂関政治

:794:桓武天皇、平安京

【奈良時代】:710年 – 794年:平城京の完成から


@奈良時代人口:約450万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府


:墾田永年私財法、荘園の誕生

:人口が増える > 土地が足りなくなる 対策
:荘園(私有地)の誕生=公地公民ではなくなる


:歴史書の完成

:遣唐使
:行基、鑑真

:万葉集

聖武天皇
奈良の大仏
東大寺、国分寺、国分尼寺

:天平文化

:平城京の完成

【飛鳥時代】:592年 – 710年


:【律令】の制定@大宝律令

:官位>貴族、朝廷
:国@国司、郡@郡司、里
:大宰府
:口分田、班田収授法
:祖・調・庸(そ・ちょう・よう)
>兵役、防人


天武天皇持統天皇
:壬申の乱
:日本最古の貨幣の誕生、富本銭
:藤原京(日本初の都)

:白村江の戦
:隋おわり、唐になる


天智天皇
:公地公民、戸籍の誕生
@土地、人民は国のものとする

:645年:大化の改新

中大兄皇子、中臣鎌足
曽我氏
蘇我蝦夷、蘇我入鹿



:聖徳太子、蘇我馬子、推古天皇
:冠位十二階

摂政

冠位十二階、十七条憲法 > 中央集権国家へ

遣隋使、小野妹子

【古墳時代】:3世紀末ごろから7世紀ごろ


:ヤマト政権、渡来人、仏教

:ヤマト政権、大王(おおきみ)、天皇
:渡来人、漢字、仏教
:蘇我氏、物部氏


古墳は九州、東北にも存在する(国の証明)
集落 > 村 > 国 (国の成立)

【弥生時代】(2,300年前~西暦300年頃):狩猟から稲作へ:人が増える


@弥生時代人口:約60万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府


:青銅器、鉄器、稲
:漢委奴国王
:卑弥呼、壱与:邪馬台国


:稲作:狩猟から稲作へ、個人から集団作業へ

人口が増える、高床倉庫

・ムラの成立@ 吉野ケ里遺跡
ムラ同士の争い > クニの成立へ

【縄文時代】:狩猟、石器

【まとめ記事】縄文時代:狩猟、石器


@縄文時代人口:約10万人~約26万人(内閣府データより)

参考:少子化の現状はどのように なっているのか - 内閣府



旧石器時代




動画

なぜオランダだけ?徳川家康の対ヨーロッパ政策と鎖国のなりたち【ゆっくり解説】

https://youtu.be/9L6xCQ7GCD4

【どっちかというと世界史】秀吉が朝鮮出兵に踏み切った本当の理由とは…?

https://youtu.be/McVqWd4s7Ws


【ゆっくり歴史解説】垂仁天皇:日本の第11代天皇

https://youtu.be/x9OOgLTBbDg

【ゆっくり歴史解説】崇神天皇『大和王権の勢力拡大』:日本の第10代天皇

https://youtu.be/qOLqpyH4jQ0

ゲームさんぽ:【超マニア向け】『信長の野望』を専門家とやったら常人では見えないモノが見えてしまった【関東編

https://youtu.be/e3dIcAN2bIo



https://youtu.be/7Vl_-K-xTEU


https://youtu.be/nhML-8eYE0Y


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