[♀/連載]不浄奇談 [1-1-3.小貫亜由美の話 急]

『不浄奇談』キャラクター紹介



 さて、茜音ちゃんは中学生になって、ここ、この秋ヶ瀬中学校に入学したの。一緒に葵ちゃんをいじめた美しい絆で繋がれたあの友達との仲も続いていたし、人付き合いもそれなりに覚えて、茜音ちゃんの人生は順風満帆。楽しい中学生生活を謳歌していた。
 一方、葵ちゃんも実は同じ中学校に入学したんだけど、こちらは卒業式の大事件(笑)のこともあって、すぐにクラスでいじめられちゃってね。しかも、最初はからかわれていただけだったんだけど、次第にね、ふふ、無視、されるようになっちゃったんだって。それで全然、学校に来られなくなっちゃった。
 それでも、茜音ちゃんは――いじめていた側特有のものなのかもねえ――全然平気そう。ケロっとしている。というか、葵ちゃんへの気持ちなんて、卒業式の大事件で完全に燃え尽きちゃっていたのかもね。
 上向きな人生を堪能していた放課後、茜音ちゃんは用事があって、西棟4Fの廊下にいた。忙しい先生に頼まれて、教材を特別教室に返しに行っていたとかだと思う。みんなも知っていると思うけど、あそこ、あんまり使われない系の特別教室が並んでいるから。で、これも知っていると思うけど、あそこに用のある人って少ないから、大抵誰もいなくてひっそりしているの。みんながもう帰ってしまっている放課後なんて、特にね。
 その時、茜音ちゃんの耳に、何かこう『ふっ』とね。本当にかすかな音が届いたの。すきま風の音かと思ったけど、でもね、注意して意識を集中してみると、違って。よく聞くと、人の声みたいなのね。誰かまだ残っているのかな、と思って帰ろうとするんだけど、茜音ちゃん、何故か気になっちゃって、音のする方に向かって歩いてみたの。
 辿り着いたのは、特別教室が並ぶ廊下の端っこ。そう、トイレ。知ってる? ここの女子トイレって、昔から幽霊が出るっていう噂のあるトイレなんだって。
 音がするのはやっぱり噂通りに女子トイレで、よく聞くと、それは泣き声みたいなのね。しくしくしくしく、泣いているみたいなの。
 茜音ちゃんは怖くなってきた。幽霊が出る噂のあるトイレだもん、当然だよね。花子さん的なものかもしれないし。でも、ここまで来たら、見たくなっちゃうのが人の心理だよね。そっとトイレの区画に入って、見ると、奥の個室が一つだけ閉まっててね。表面には「故障中」の貼り紙。でも、注意深く見ると、扉を固定するように何重にも補修用の透明なビニールテープが貼られていて、泣き声はその「故障中」の扉の向こうから聞こえてくる――。幽霊? 茜音ちゃんは思う。いや、でも、この声、どこかで聞き覚えが……。
「誰か、そこに、いるの?」
 茜音ちゃんの気配を察したのか、中から声が聞こえてくる。その瞬間、茜音ちゃんははっ、と息を呑んだの。凄く耳に馴染みのある声だったのね。同時に、ここで何が起こったのか、全部見当がついた。
 「故障中」の扉の向こうから聞こえるのは、葵ちゃんの声だったの。よくよく考えてみれば、「故障中」の貼り紙は大人が書いたものにしては少し歪んだ文字だったし、故障中の個室の扉を強度に優れたビニールテープでガチガチに固めるのは明らかに不自然。
 要するに、中にいる葵ちゃんは、誰かに――まあ、恐らくはいじめっ子達に――閉じ込められた。ひどい話よね。茜音ちゃんは、そのことを察した。それで、迷ったの。
 何ってもちろん――助けるべきか、このまま放って帰るべきか。道徳的に考えれば、助けるのが当たり前だよね。もうじき陽は落ちて夜になるし、季節的にも真冬だったから、もしもこのまま誰も助けに来なければどうなってしまうかわからない。でも、ここで葵ちゃんに手を差し伸べたら、葵ちゃんをいじめている子達に今度は自分が目をつけられるかもしれない。中学生になってからの茜音ちゃんは、もう葵ちゃんとは一切関わりを持っていなかったの。自分の平和な中学生活が壊れてしまうのは、とても困る。
 でも、やっぱり、助けないと。馬鹿な茜音ちゃんらしくないもっともな結論を出して、どうやって助けようかと周囲を見回した時、個室の扉のすぐ近くにある窓が目についた。夕暮れ時の、紅い光がかすかに差し込む窓ガラス……。その表面に、茜音ちゃん自身の顔が映っている。茜音ちゃんはそれを見て、ひどく驚いた。自分でも気付いていなかったんだろうね。
 窓ガラスに映った茜音ちゃんの顔ね、笑っていたの。口元を歪ませて、ひどく意地悪そうに、笑っていたの。
 それでね、気付いたの。自分自身の気持ちに。子供の頃から教えられてきた道徳に従って、なんとなく助けなきゃと思った。でも、本当は葵ちゃんのことなんて、自分は全然助けたくなんてないんだって。茜音ちゃん、葵ちゃんのことなんてもうどうでも良くなっていたけど、卒業式の日に言われたことだけは今でも根に持っていたんだ。葵ちゃんのぶつけた『もう、二度と顔なんて見たくない』という言葉は、なんだかんだ言って、茜音ちゃんの心に傷をつけていたのね。
 茜音ちゃんは、葵ちゃんを助けるために動かそうとしていた手を止めて、代わりにどうしたかって言うと、トイレの入り口に引き返しちゃった。
「ま、待って。行かないで!」葵ちゃんは当然慌てた声を出す。「故障中」の扉の向こうから、葵ちゃんの必死な声が聞こえる。「おねがい、閉じ込められてるの! おねがいだから、助けて! 無視しないで!」
『いい気味!』茜音ちゃんは思わず吹き出した。自分のしたことは全部棚に上げて、まるで自分が被害者のような顔をして。『いい気味! 私にひどいこと言うから罰が当たったんだ! 葵ちゃんみたいなおもらしっ子、閉じ込められて、ずうっとトイレにいるのがお似合い!』
 そのまま、トイレの入り口のドアを開けて出て行こうとしたんだけど、急にね。何かに気付いたみたいに、葵ちゃんの声の雰囲気が変わったの
「……茜音、ちゃん? もしかして、茜音ちゃんなの?」
 厳しく封鎖された「故障中」の扉の向こうから、不意に葵ちゃんの声が茜音ちゃんの名前を呼んだの。
 自分の名前を呼ばれた茜音ちゃんは、一瞬、驚きのあまり立ちすくんじゃった。葵ちゃんの惨めったらしいお願いを笑った時に、少し声が出てしまったのかもしれない。立ちすくんで、開けたドアから出ていくのも忘れて、続く葵ちゃんの声を聞いてしまった。
「やっぱり、茜音ちゃんでしょ?」葵ちゃんは言う。「助けて。お願い、お願いだからあ」
 葵ちゃんの鬼気迫る声が、自分の名前をずっと呼び続けるのね。茜音ちゃんのことを怒っていたことも忘れて、思春期の女の子として最低限の体裁を取り繕うことも忘れて。ただただ、茜音ちゃんに助けを求め続けるの。
「茜音ちゃん、茜音ちゃん、もう、夜になっちゃう。葵、ぐすっ、やだよぉ。無理だよぉ。怖いよぉ。こんな所で、ずうっと一人なんて。茜音ちゃん、昔、親友だったでしょ? 助け、助けてよぉ、茜音ちゃんんんん……」
 さて、ここで唐突にクイズです。茜音ちゃんは、葵ちゃんを助けてあげたでしょうか?
 あー、うん、そうだよね。そうなっちゃうよね。だって、これ、怖い話だもん。ハッピーエンドとかとは無縁なんだよね、残念だけど。
 茜音ちゃんは、葵ちゃんの必死の呼び声を無視して、さっさと家に帰っちゃいましたとさ。あははは。
 で、自分のやったことなんてぜーんぶ忘れて、自分が元親友を見捨てたこともなかったことにして、楽しく暮らそうと決意した茜音ちゃんの元に、翌日、葵ちゃんの近況が伝わってきました。さて、どんなものだったでしょう?
 うん、そうだよね。これもそうなっちゃうよね。お察しの通り。訃報、なんだよね。だって、みんなも知ってるでしょ? 去年、同学年で亡くなった子がいたことぐらいは。あれ、葵ちゃんだったんだよね、
 さすがの人でなしの茜音ちゃんも、これにはがつん、とね。強い衝撃を受けた。事情を詳しく聞くと、死因は恐らく自殺だけど、遺書も残っていなかったという。いじめのせいで学校に来られなくなって、色々と暗い方へ暗い方へと押しやられていった結果、とのこと。一つ不思議な点があって、これは生徒には秘密にされていることなんだけど、現場は本人がほとんど通学していなかったはずの、学校のトイレだったこと――。
 でも、当然、こんなことがあったら、茜音ちゃんだって思い出しちゃうよね。卒業式の日、自分が葵ちゃんにした仕打ちを。そして何よりも、助けを求める葵ちゃんを見捨てて逃げ出した、あの放課後のことも。
 葵ちゃんが亡くなった現場が学校のトイレだった謎、なんてさ。茜音ちゃんからしたら、別に謎でもなんでもないからね。だって、亡くなった日、学校の公式情報では葵ちゃんは学校に来てなくて、後から自殺するために忍び込んだことになっているけど、そんなわけはない。だって、茜音ちゃんがトイレで葵ちゃんの声を聞いた日は、まさに葵ちゃんの遺体がトイレで見つかる前日だったんだから。
 もちろん、公式情報が正しくて、茜音ちゃんが幽霊の出るトイレで幻聴を聞いただけの可能性もあるけどね。でも、あたしの想像だからはっきりしたことはわからないけど、やっぱり葵ちゃん、最後の日、本当は学校に来ていたんじゃないかな。トイレに閉じ込められていただろうから、誰も見ていないけど。あるいは、誰も見てないって口裏を合わせてるけど。いじめっ子に捕まって、一日中、誰も人の来ないトイレの個室に閉じ込められて、無視されているから誰にも助けてもらえなくて、夕方になって元親友が来たけど無視されて逃げられちゃって、夜になっても誰も来なくて、寒くてひもじくて淋しくて、それで――なあんて。
 茜音ちゃんの幻聴説よりも、いじめていた側の口裏合わせと学校側の見事な揉み消しが功を奏した説の方が、どちらかと言うと真実味があるかな、って思えちゃう。葵ちゃんが登校拒否を始めてから、家庭環境も良くなかったみたいだったのが、学校側としては幸運だったんじゃないかな。ぜーんぶ、そっちになすりつけて、どうにか逃げ切ったってわけ。
 茜音ちゃんも、やっぱり、そう思った。自分があの時助けなかったせいだって。もしそうなら、ほとんど殺したようなもの。これを気に病まないやつは、まあ、まずいないでしょ。そもそも、いじめられていた原因だって、大体は茜音ちゃんのせいだしね。茜音ちゃんも気に病んだ。本格的にね。馬鹿だから、加減ってものを知らないのよね。訃報の衝撃の時点で、もうぶっ壊れちゃってたのかもしれないけどさ。
 そうして、茜音ちゃんの楽しい中学生活は急転直下。葵ちゃんの死をきっかけに、一気に崩れ落ちていった。
 茜音ちゃんさあ、その時から、ずうっと言ってたらしいの。怖くて、この学校のトイレに行けないって。
 なんでだと思う? 
 ふふ、茜音ちゃんね。死んだはずの葵ちゃんの姿が見えるんだって。葵ちゃんがトイレで茜音ちゃんを待ってるんだって。
 復讐するために? 茜音ちゃんを取り殺すために?
 あたしもそう思ったけど、実際は違って。葵ちゃん、ただ、茜音ちゃんに、助けを求めているみたいなの。
 葵ちゃん、言うんだって。「無視しないで」って。「ねえ聞いて。みんなが葵のこと、無視するの。みんなが葵のこと、見えないふりするの。葵を閉じ込めて、そのままにするの。茜音ちゃんは、葵のこと、無視したりしないよね? 閉じ込めたりしないよね? 親友、だったもんね? ねえ、茜音ちゃん茜音ちゃん、聞いてよ、無視なんてひどいよ、聞いて聞いてお願い聞いて、茜音ちゃん茜音ちゃん茜音茜音茜音――」
 うん、やばいよね。それは茜音ちゃんでなくても、学校のトイレに行けなくなる。まあ、でも、あたしからしたら、自分が最初に無視しといてよく言うよ、ってなもんだけどね。よくわからないけど、『見えていない』んじゃなくて、無視されていると思い込んでいる辺り、もしかしたら、自分が死んだこと自体、忘れちゃってるのかも?
 茜音ちゃんは、それでもしばらくは頑張って通学していたけど、トイレには葵ちゃんがいるから行けないしね。結局、自分が卒業式にした通せんぼが返ってくるみたいなことになっちゃって、最後は教室で大失敗。大恥かいて、以後、姿を見なくなっちゃった。転校したのか、どこか病院にでも入院しているのか、行方は知れないね。多分、ろくなことになってないとは思うけど。あの子、馬鹿だしね。
 でもね、茜音ちゃんはいなくなったけど、葵ちゃんはまだこの学校にいると思うんだ。茜音ちゃんがいなくなってから、トイレで幽霊らしき人影を見たって子が多くなってるから。特徴も葵ちゃんにばっちり合ってるし。茜音ちゃんが学校から姿を消して、なりふり構わず、代わりに自分を助けてくれる誰かを探しているのかもね。あぁ、でも、葵ちゃんも人見知りなところあるからさ、全然知らない人の前には現れないみたい。葵ちゃんの噂話をね、話したり聞いちゃったりしたら、現れるようになるんだって。あはっ、今日はこれだけ噂話しちゃったし、葵ちゃんの誰にも知られたくない恥ずかしい秘密を、わいわい笑い合いながらしちゃったから――きっと、今日、行ったらいるんじゃないかなあ。みんなが来るのを、今か今かと待ってるんじゃないかなあ。もしかしたら、おもらしの噂話なんてしたから、すっごく怒ってるかもねえ。ふふふ、怖い怖い。
 そうだ。もし葵ちゃんがいた時のために、アドバイスしておいてあげる。茜音ちゃんがいつも言ってたよ。うわ言みたいに言ってたよ。
 絶対に、無視しなきゃダメだって。相手にしちゃダメだって。相手にしてしまったら、多分、私も……って。
 あははは、なあんて。まあ、頭のおかしくなった茜音ちゃんの言ってたことだから、勘違いかもしれないけどね。
 だけど、あたし、思うんだよね。これは本当に不幸な偶然だったなあ、って。だって、二人とも最初は本当に仲が良かったし、お互いに大好きだったんだから。
 もし、秘密を漏らした茜音ちゃんを、葵ちゃんが無視なんてせずに許してあげていたら?
 もし、茜音ちゃんが、卒業式の日に変なことを思いつかずに、葵ちゃんに誠心誠意、謝ることにしていたら?
 もし、茜音ちゃんが、最後の最後、葵ちゃんと過ごした楽しかった日々を思い出して、閉じ込められた葵ちゃんを助けていたら?
 もっともっと一番最初、そもそも、茜音ちゃんが秘密を漏らしたりしなかったら?
 きっと、こんなに不幸なことにはならなかったよね。
 それなのに、お互いが間違った選択をし続けてしまったがために、とんでもなく不幸なことになっちゃった。
 とっても悲しいお話だよね……。
 だからね――あはっ、この中にいるおねしょ常習犯ちゃんも、これを教訓にしなきゃダメだよ? とっても恥ずかしい秘密をここで軽はずみにバラされちゃったけど、ちゃーんと亜由美ちゃんをこころよく許してあげなくちゃ不幸になっちゃうよ?
 ほらほら、ごめんごめーん、って。失礼しましたー、って。こうやって、あたしも誠心誠意謝ってるわけだし?
 あははは。今日の合宿では、しっかり寝る前におトイレ忘れずに行くんだよ? みんなの前でおねしょしちゃわないよう気をつけてねえ? あー、もしかしたら、不安だからあたしにだけ秘密をそっと教えて、助けてもらいたかったのかなあ? それだったら、ざーんねん、あたしはお断りしまーす。中学生にもなっておねしょしちゃうような子、あたし、軽蔑しちゃうし、あたしのお友達には入れてあげませーん。一人で誰にも助けてもらえずに、孤独と不安の中で悶々としててね。
 おっと、みんな、おトイレ我慢しているのに、長すぎたあ? それじゃあ、以上でした。あたしの話は、これでおしまーい。十分間休憩ね。

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