[♀/連載]不浄奇談 [1-2.休憩 高坂三夏]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     1-2.休憩 高坂三夏

 差し込む夕陽の光は、ここに来た時よりも格段に弱くなっている。天井に備え付けられた電灯は定められた時刻が来るに応じて点灯するはずだが、まだ点く様子はない。そのため、踊り場を包む陰は深く濃い。
 なに今の話――。
 高坂三夏は背筋を寒くしながら思う。皆も同じように感じているのか、休憩に入ったというのに、誰もろくに口を開かない。場は何とも言い難い沈黙に満ちている。
 なにせ、本当に亡くなった子の話だ。いくら生徒数の多い中学校とは言え、不登校だった生徒が亡くなったという話はみんな知っている。真偽は定かではないけれども、作り話にしたってあまりにも不謹慎で、あまりにも身近で――。
 あまりにも、真実味がありすぎる。三夏は背筋に震えが走るのを感じた。お尻をつけた床のひんやりとした冷たさばかりが原因ではない。強い怯えと、それとはまた別の感覚が入り混じったものだった。実を言うと、三夏はそもそも怖い話が苦手だった。『不浄奇談』の上演も内心では反対だったし、怪談遊びを実際にやるなんて嫌で仕方なかった。それでも、強く反対できず、やらざるをえなくなってしまったのは、『怖いからやりたくない』という自分の臆病さを誰にも知られたくなかったからだ。中学生にもなって幽霊が怖い、お化けが怖い、なんてことが仲間達に知られたら馬鹿にされるのが目に見えている。沽券に関わる。
 亜由美が披露した怪談も、この場にいる人間達への嫌がらせが目立ったものの、三夏の臆病な心臓を縮こまらせるには十分だった。
 三夏は無意識のうちに臀部を冷やさないよう、正座の姿勢で座り直す。それから、一つ身じろぎして、今、自分が座り込んでいる場所のことを考える。西棟4Fから屋上へと続く階段の踊り場。
 亜由美の嫌がらせは、実に手が込んでいた。秘密を書かせたページ片から始まり、各所に挿入されたトイレ関係の話、そして、極めつけは、葵ちゃんが閉じ込められたという幽霊が出るトイレの場所だ。
 西棟4F端にあるトイレ。そこは、現在、怪談遊びをしている場所から、最も近いトイレなのだ。よくできすぎている。きっと、作り話に違いない。三夏は決めつけようとする。だけれど、不安がよぎる。もし、亜由美の話が本当だったら?
 三夏は身を固くする。少し遠回りしてでも、別のトイレを選ぶべきかもしれない。
 沈黙を破り、三夏の思考の流れを断ち切ったのは亜由美だった。重い空気を打ち壊す、場違いに思えるほどの明るい声音。
「えー、ちょっと、みんな、黙らないでよ。あたしの話が悪かったみたいじゃん。色々調子に乗りすぎて、長くなりすぎたのは認めるけどさあ。お、そうだ。トイレ。みんな、トイレ行かなくていいの?」
 普段通りの亜由美の様子に、場の緊張が少しだけ緩む。それぞれ、隣や正面の人間とひそめた声で一言二言会話を交わし、顔を見合わせる。ようやく場に日常性の一端が戻ってきた気がして、三夏も内心かすかに安堵する。
 そうだ。トイレ。トイレは休憩中に、一人ずつしか行けない。それも、自分が話をする直前と話をした直後は行ってはいけないルールだ。自分は最後だから、途中の人と比べればある程度いつでも行けるけれど、少なくとも自分の番が回って来るまでには絶対に済ませておかないといけない。
 そこまで考えを進めた瞬間、ぶるっ、と下半身から嫌な震えが這い上って来る。それは恐怖だけが原因ではない、もっと生理的なもの。合わせて、出口の辺りの疼きが強くなる。
 思ったよりも、余裕はないのかもしれない。三夏は他の同年代の子と比較しても、トイレが近い方だという自覚を持っていた。遠回りするにしてもしないにしても、限界まで我慢すべきじゃない。早めにトイレに立った方が賢明だ。ただでさえ、恐怖感を煽る暗くて古い学校なのだ。タイミングが遅くなればなるほど、情勢は悪くなる。もしも限界まで我慢してトイレに立った場合、ちょっとしたことで大変な事故に繋がってしまうこともありうる。そんなことになったら、みんなに馬鹿にされて、もう二度と今の立場を取り戻すことはできなくなってしまう。
 怪談遊びのルール上、今、トイレに行っても良いのは直前に話者だった亜由美、今から話をすることになる悠莉を除いた四人。
 みんなが気味悪さと不安で尻込みする中、一番手として自分が名乗り出ることができれば、一目置かれる結果に繋がるかもしれない。さすがは三夏、と言ってもらえるかもしれない。三夏の中で、生来の虚栄心がむくむくと頭をもたげてくる。
「あー、行けたら行きたいんだけどねー。私はルール的にダメだし」悠莉が手すりに頭を預けて、飄々とした態度で呟く。嘘ではなく、確かに悠莉はそうなのかもしれない。三夏は自然と思う。悠莉が何かを恐れている姿なんて、想像できない。
「他のみんなは――あっれぇ、もしかして、あたしの話、結構怖かった?」亜由美が悪戯っぽくくすくすと笑う。三夏にはその目がこちらに向けられている気がしてならない。「休憩時間、終わっちゃうよ。トイレ、行かないでいいのお? 卒業式の日の葵ちゃんみたいにぃ、我慢できなくなっちゃうかもよぉ?」
 他の三人は視線を交わし合うばかりで、動かない。我慢しているとは言っても、程度はそれぞれだ。もしかしたら、まだみんな、それほどの状況ではないのかもしれない。あるいは、理由はどうあれ、一番手になるのに抵抗があるのかもしれない。
 亜由美の笑みの形に歪んだ目が、今度は明らかに三夏に据えられる。直接言われたわけではないのに、亜由美が言いたいことがはっきりと伝わってくる。『いつもかっこつけてるけどぉ、三夏ちゃんはぁ、怖い話が大の苦手なお子ちゃまなんでちゅよねえ?』
『怖い話が苦手』。自分がノート片に記した『誰にも言えない秘密』のことを、三夏は想い浮かべる。あんな汚い手で、人を騙して。馬鹿にしてる。
 三夏はおもむろに立ち上がった。そして、言い放つ。
「みんな、行かないのね。じゃ、私が行ってくる」
 おおー、と亜由美がわざとらしい感嘆の声を上げる。遅れてえりかが、三夏先輩勇気あるー、と合いの手のようなものを入れると、他のみんなも続いた。
 頻繁に満たしてあげないとすぐに空っぽになってしまう、穴の開いた器のような思春期の虚栄心がいっぱいに満たされて、三夏は深い満足を感じた。
 皆の声援を背に受けて、三夏は気持ち良く4Fへと続く階段を下って行く。足取りはしっかりとしていて、自分でも行ける気がしてくる。そうだ、怖くなんてない。亜由美になんて負けてたまるか。
 踊り場に残る五人の方を振り返って、ふと、あることを思い出す。そして、自然と口元が綻ぶのを感じる。そういえば、あの中には、今でもたまにおねしょでシーツを濡らしてしまう、毎晩おねしょの不安に悩んでいる子がいるんだったっけ。三夏は自分が五年生まで同じ身の上であったことを棚に上げて、うふふ、と笑う。
 誰なんだろう。中学生にまでなって、笑っちゃう。

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