[♀/連載]不浄奇談 [2-1-2.尼野悠莉の話 破]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 翌日、リカちゃんが学校にやって来るとね。何故だか、自分の机の上に花瓶が置いてあったの。花瓶には枝ごと折り取られた、黄色い花が挿してあった。花からは、どこかで嗅いだことのある甘い独特の香りがする。リカちゃんはすぐにトイレを連想した。その花、トイレの芳香剤の香りによく似ていたのね。リカちゃんは周りの子達に聞いて回ったけれど、誰もそれを置いた人間を知らなかった。リカちゃんはなんだか胸騒ぎがした。
 数時間後、リカちゃんは早速、昨日した約束を後悔することになった。トイレに行きたくなっちゃったのね。リカちゃんはこの時のために、前日からその覚悟を少しずつ固めていたつもりではあったんだけど――実はその時発生してしまった『トイレに行きたい』がね。想定外の『トイレに行きたい』だったの。ふふ、そう。リカちゃん、よりにもよって学校で『大きい方』を催しちゃったんだ。しかも、前日までの精神的なストレスが原因の便秘で、二週間近くも一度も出せていなかったものだから、便意は相当に激しい。人前なんかでは、到底できるわけもないぐらいに。しかも、不思議なことに、片付けたはずなのにずうっと机の周りから消えないのよね。朝置いてあった、芳香剤によく似たにおいのする花の香りが。そのせいで、リカちゃんは授業中もトイレのことを片時も忘れることができない。リカちゃんの便意を誘うように、ずうっと鼻の奥にその独特の香りが漂っているの。まるで、「ほおら、トイレに行きたいでしょ? 行きたいでしょー?」って嫌らしく耳元で囁き続けられているみたいに。
 休憩時間、リカちゃんは自分を監視する女子にそっと相談した。「トイレに行きたい」と。
「行けばいいじゃん」監視係の女子はへらへら笑って返事をする。「別にいちいち言わなくても、勝手についていくし」
「違うの」リカちゃんはもじもじしながら説明する。男子ならその仕草を見るだけで心奪われそうなかわいらしい素振りで、「その、ええっと」言いにくそうに、そっと、小さな声で。「……『大きい方』、なの」
 監視係の女子は虚をつかれたように目をまん丸にしてから、笑みを深くする。それなりの見た目をした女子なのに、その笑い方はずいぶんと醜く見える。
「いいよ」と女子は言う。「行ったらいいじゃん。もちろん、監視は続けるけどね」
 それじゃあ、意味がない。リカちゃんはどうしても一時的に監視を解いて欲しかったから、何度かお願いを続けた。でも、監視を解いてもらうことはできなかった。
 リカちゃんはトイレに行くことができないまま、次の授業に臨むしかなかった。授業の終わりが近くなった頃には、お腹はぐるぐる、きゅるきゅる、不穏な音を立てている。こう、下腹の辺りに、きしむような感触の大きな異物感があって、お尻の穴の辺りが、こう、ぐいぐいとね。中から出て来ようとしている何かに押されている感じがするの。
 ……でもさあ。突然だけど、人間って、よくよく考えたら奇妙なものだよね。かわいい女の子なんて、特にそう。だって、どんなに見た目が良くて、素敵な立ち姿でそこにある女の子であっても、人間として生きている限りは、周囲から憧れの目で見られるそのお腹の中にしっかり隠されているんだもんね。誰もが顔をしかめ、鼻を摘み、目をそむける――この世で一番と言えるぐらいに臭くて汚い、どんなに飾っても汚物以外の何者にもなれない本物の汚物がさ。リカちゃんも、そう。『かわいい女の子』という可憐で清楚なラッピングで覆い隠してはいるけれど、二週間以上そこで熟成されて腐敗しきった、それはもう醜悪で歪な形をした悪臭を放つモノが、確かにお腹の中にある。しかも、そのおぞましいモノは、もうすぐそこまでやって来ている。力の入れ加減をちょっと間違えるだけで、ソレが出口からひょっこり顔を出してしまいそうなほどの状況に追い込まれて、リカちゃんは堪らず身体を揺する。目を閉じても、意識を他に向けようとしても、「ほおら、リカちゃん、トイレに行きたいでしょ? 行きたいでしょー?」とばかりに鼻の奥を刺激し続ける独特の花の香りはまだ消えない。意地悪く、執拗に、リカちゃんの抑えていなければいけない便意を誘い続ける。リカちゃんは目をきつく閉じて身悶えしながら、その授業が終わるまで堪え続けた。
 やっと、休憩時間が来た。リカちゃんは、息せき切ってまた同じ女子にお願いをする。断られる。リカちゃんは自分の苦しい状況を伝えて懇願する。それでも、むげに断られる。
 ゴロゴロゴロ、とはるか遠くの空で鳴る雷のような音をお腹が立てて、今からやってくる嵐の存在を伝えている。放課後まで我慢することは絶対にできそうにない。
 どう考えても、トイレでするしかない状況だった。だけれど、人前で『大きい方』を済ませるなんて、どうしたってできない。ままならないお尻を両手で抱えて、その二つの間を心の中で行ったり来たりするリカちゃん。そうこうしている間に、時間は進み、どんどんと身体のタイムリミットは近づいてくる。困り果てたその時、リカちゃんの耳に悪魔の一言が耳打ちされた。
「盗みなよ」
 そう耳打ちしてきたのは、監視役の女子。驚いて顔を上げると、女子はニヤニヤしていかにも意地悪げに言う。「知ってる? もうじき林間学校があるでしょ? あのお金、大抵振り込みだけど、一部は現金で集金するの。集金は今週中だから、今日持って来ている奴もいるでしょ。次、移動教室だから、人が減ったところで取りなよ。私が現行犯逮捕してあげるから。そしたら容疑確定、監視なしでトイレに行かせてあげられるよ」
 ……まあ、これ、ちょっと昔の話みたいだからね。今は事故防止とかで現金集金はないけど、この話の頃はあったみたいね。
 とんでもない。リカちゃんはそう思って、抗議する。
「そんなこと、したくない」リカちゃんは言う。当然だよね。そんなことをすれば、せっかく取り戻しかけた信用を完全に失ってしまう。
「ふうん、じゃあ、私の前でうんちしたいんだ? トイレでブリブリするの、私に見せてくれるんだ? あ、面白そうだから、私、他の子にも声かけて、連れて来ちゃおうっかなあ」
 『うんち』や『ブリブリする』というシンプルな物言いに、リカちゃんのお腹が激しく騒ぐ。ぷう、と小さな、でも確かな音がリカちゃんのお尻から出る。女子はそれがリカちゃんのおならの音だと察して、鼻をつまんで、くさいくさいと大笑い。リカちゃんは真っ赤になってしまう。
 世にも愉しそうな笑みを浮かべて、女子はリカちゃんの耳元で問う。
「リカちゃん、どうするう? みんなの前で、うんち、したいの?」
 ――こんなのおかしい。そうわかっていながらも、リカちゃんには考えている余裕も時間もない。結局、リカちゃんは目の前にぶら下げられた餌に食いついてしまった。本当に欲しいわけではない現金を取るために、人が減った教室で他人の机を物色。二、三人分を集めたところで、話を持ちかけてきた女子に取り押さえられ、教室に残っていた生徒や話を聞いて戻ってきた生徒達に囲まれる羽目に。
 リカちゃんは一刻も早く、一人で落ち着いてトイレを済ませたいだけなのに、みんなに詰め寄られちゃう。やっぱりあんたが犯人だった。今までどうやって監視をすり抜けて盗んでたの。なにもごもご言ってんの、誤魔化すなよ、全部認めろ、みんなに謝れ。
 リカちゃんをよく思っていなかった醜い女子達は喜び勇んで、鬼の首を取ったように厳しく追及する。
 リカちゃんは今にも漏らしてしまいそうなお尻を抱えて、その場で足踏みをしながら、早くトイレに行かせて欲しい一心で言ってしまう。
「私が、全部、やりました。今までも、全部、私が盗んでいました。ごめんなさい。……だから、だから、私、あ、あの、トイレ、に」
「トイレなんて後でいいでしょ!」心まで醜い女子達は容赦しない。「盗んでおいて、反省が足りないんじゃないの!」
「でも、トイレ、私、トイレ。あぁ、も、もう――ごめんなさい!」
 リカちゃんはいよいよ限界。謝るだけ謝って、はっきりと行き先を告げずに急いで教室を駆け出した。もう、全然、余裕がなかったのね。でも、醜い女子達はこの程度のことではとても満足できない。中の一人がすぐに声を上げた。
「あっ、泥棒が逃げたよ。追って追って」
 その声に扇動されて、同級生の数人が後を追いかける。
 一生懸命に走るリカちゃんがトイレに辿り着く寸前、視界の悪い廊下の曲がり角。トイレの区画への入り口が目の前に見えて、リカちゃんが本能的にほっと安堵した――その足下。
 そこに、それはあった。
 『トイレの個室に縄跳び』『交差点に佇む木彫りのクマの置物』『人ごみだらけの駅に置き忘れられた長靴』――その類のものが。それはテニスボールぐらいの大きさのボールだった。それも中学校ではまず使わない、子供が遊びで使うような、蛍光色の、柔らかいゴム素材のボール。
 焦っていたリカちゃんは、それを思い切り踏みつけてしまった。ゴムボールはリカちゃんの体重でぐにゃり、と大きく歪み、予想もしていなかった感触にリカちゃんは大きくバランスを崩す。
 あ、と思った時にはもう遅い。リカちゃんは玉乗りに失敗したような要領で、前のめりに倒れこんでしまった。
 そこに追いついて来たのが、醜い容貌の女子達を中心にした同級生達。その同級生達の目の前で、リカちゃんはすぐそこに見えるトイレに向かって跪いたような姿勢のまま、スカートに包まれたお尻をぎゅう、と力を込めて抱え込んでいたんだけど――。
 ついにね、その時が来たの。突然、リカちゃんのスカートの中から爆発音めいた破裂音が響いた。ブッ、ブバッ、ブビビビビビビィ――って。あはは、笑っちゃダメだよ。みんなもトイレではさせるでしょ? お尻からの、爆発音めいた、破裂音。音に少し遅れて、もわあん、と周囲に漂う吐き気を催すほどの、どことなく酸っぱさすら含んだ悪臭。人糞特有の、ひどいにおい。そう、リカちゃん、転んだ拍子にね。まだトイレに辿り着いてもいないのに、パンツの中に、あははっ、ぶちかましちゃったの。しかも、ちょっとだけじゃない。かなりたくさん。我慢に我慢を重ねていたから、一度始まってしまったら、もう止められなかった。耳障りな排便音は止まらず、不規則にリカちゃんのスカートの中から鳴り続ける。二週間、リカちゃんのお尻の穴に栓をしていた硬くて太い固形のモノが外に出終わってしまえば、あとは一気。腸内で二週間熟成されて、腐敗しきったペースト状の下痢便までが、リカちゃんの身に着けたパンツの中に後から後からぼとぼとぼとぼと排出される。二週間分のうんちを受け止めてずっしりと重く膨らんだパンツのお尻部分、その隙間から溢れる汚いものを、リカちゃんはお尻ごと抱え込んだスカートの裾で受け止めたから、床にはほとんど落ちなかったけど――でも、所詮は、無駄な抵抗。
 このささやかな抵抗のせいで何が起きたのか、最初、同級生の子達はわからなかった。でも、音もにおいも、ひどく身近で、自分達にも身に覚えのあるものだったから、床に『そのもの』が漏れ出て来なくても、すぐにピンと来た。
 ――ふふ。私、リカちゃんの存在を面白く思っていなかった醜い女子達のこの瞬間の気持ち、凄くよくわかる気がする。もう、嬉しくて嬉しくて、高笑いしたいぐらいの気持ちだったんじゃないかなあ。
 泥棒のくせに、自分達には与えられなかったかわいさなんていうイカサマじみたもので、男に好かれて生き延びて来たにっくき女。この許し難い悪である女が糞臭に塗れて滅びるまさにその瞬間を、目の前で指差し、あざ笑いながら眺めることができたんだから。
 もちろん、この子達はここぞとばかりに大騒ぎしたわ。
 ある子は喜びを隠さずに。「きゃー、大変! この子、うんこ漏らしてるー!」
 ある子は鼻を摘まんで不快げに。「うわ、きったな、くっさーい!」
 ある子は座り込んでしまった相手を見下ろすように。「やっば。マジで間に合わなかったの? ありえない。いくつだと思ってるの? ちゃんとトイレでやってよねー!」
 ある子は興奮して小学生みたいに大笑いしながら。「きゃははは、なにこれ、音すごーい! やってるやってる! まだやってる! 廊下で履いたままやってる! ブリブリ言わせてるー!」
 残酷だけど、でも、仕方ないよね。この最大のチャンスをフイにしたり、変に親切心を出したりするようでは、姿形の醜い女の子なんてやっていけないもの。はは、これは偏見かなあ?
 ……こうして、リカちゃんの学生生活は終わりを告げた。騒ぎを聞きつけて飛んできた先生に連れられて、自らひり出したうんちをぼとぼと床にこぼしながら保健室に向かうリカちゃんを見送る同級生達は、揃いも揃って鼻を摘まんでいた。醜い女子達以外も。友好的であった男子達も。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索