[♀/連載]不浄奇談 [2-1-3.尼野悠莉の話 急]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 それから先のことは、もう言わなくても大体わかるよね。数日後、心の傷が癒えないままで、どうにか登校してきたリカちゃんに対して、醜い女子達はこれ見よがしに鼻を摘まんでくさいくさいと陰口攻撃。ちょうど本人の耳にかすかに届く程度の、絶妙に調整した声でね。はっきり言って、ああいうのってほとんどわざとだからね。わざと本人に聞かせてあげてるんだから。いっぱい陰口叩かれてますよー、はずかしいですよー、って。「近くに寄ると泥棒される」「近くに寄るとうんちのにおいが移る」と言っては、本人を遠巻きにくすくす笑い合う。リカちゃん、神経質すぎるほどに全身を何度も洗い流したから、においなんてもうするわけがないのに。
 苦境に立たされた仇敵の姿を見るのが面白くてたまらない醜い女子達は、それはもう熱心に、飽きることなくリカちゃんの心の傷をいじくり続けた。ほじくって、爪を立てて、塩をすり込む。リカちゃんからしたら、たまらないよね。そもそも、ただの逆恨みみたいなものなんだし。リカちゃんのことを「うんこ女」「うんち女」と呼んで、まるで自分は『大きい方』なんてお腹の中に持っていたこともないし、一度だってしたことすらないとでも言わんばかり。もちろん、しっかり、その黒ずんだお腹の中にも、リカちゃんが下着の中にしちゃったのと同じものを抱えているんだけどね。それどころか、不揃いに毛の生えた汚らしいお尻の穴から、毎日のように同じものを出しているんだけどね。リカちゃんが廊下で失敗したその直後から、彼女達の多くにとって、トイレで便器にまたがることが生きていくためだけに行う作業ではなくなった。勝利を実感できる、途方もない悦びの瞬間に変わったの。便器の上で、彼女達はいつもリカちゃんがした失敗の情景を克明に想い出した。そうして、思い切り心の中で囃し立てた。「やあい、おもらし!」「うんち漏らし!」「きったなーい!」「なにこのにおい! いくつだと思ってるの!」「パンツの中でブリブリしてる! あははは、だっさーい!」――そうして、漏らしたうんちをぼとぼととこぼして涙ながらに歩くリカちゃんの醜態を想い描き、そのリカちゃんを容赦なく指差し笑いつつ、自分はきちんとトイレで済ませていることを誇るかのように気持ち良く排泄物を便器の中にひり出す。その、身を震わせる、たまらない優越感と勝利の快感。――みたいな。あはは、ごめんごめん、やりすぎたね。引かないで引かないで。
 まあ、とにかく、醜い女の子なんてそんなもの。姿形どころか、色々な意味でお腹の中まで真っ黒なんだから。とは言え、ある意味では、しょうがないところもあるんだけどね。女の子として生まれたのに見た目が悪いって、それ、その時点で相当大きなハンデと闇を背負ってるから。私、この程度の見た目で良かったあ、ってよく思うもの。同じクラスの子とかでもねえ、あの見た目じゃあ生きるの辛いだろうなあ、と思う子もいるからね。あの子ら、ただそこにいるだけで、常に周囲のかわいい女の子達に負け続けているような、『引け目』とか『悔しさ』みたいなものを日々感じながら生きているんじゃないかなあ。不細工のくせに女の子ぶって馬鹿みたいって気もするけど、ああいう子だって、心はちゃんと女の子なわけでしょ。好きな男の子と仲良くもしたいし、みんなに注目されてチヤホヤされたい。女の子として優しく、丁寧に扱われたい。そういう願いだって、きっと、抱いているわけじゃない。だけれど、その願いがかなうことは、多分、一生ない。だって、見た目が醜いから。かわいくないから――。考えてみればさ。そういう子達にとっては、生まれて初めてかわいい女の子に勝つことができた瞬間かもしれないんだよね。リカちゃんが廊下で大失敗した瞬間って。それはもう、慣れない勝利の喜びに浸って、有頂天になってしまうのも無理ないんじゃないかなあ。
 さて、話を戻すね。まあ、そういう感じで、一週間ほどに渡り、醜い彼女達の慰み物として様々な方法で心の傷をいじくり続けられたリカちゃん。ただでさえ、デリケートな問題なのに、こんな環境で傷が快方に向かうわけがない。触り続けられた心の傷口は血塗れ膿塗れのぐちゃぐちゃになって、リカちゃん、いよいよ精神の調子をはっきりと崩して、本当に自分からはまだひどい悪臭がしているような気がしてくる。ついには、その悪臭が、自分の鼻にさえ感じられるようになってくる。そうなると、もう、教室になんていられない。結局、リカちゃんは教室から姿を消した。
 こうして、泥棒の上に、うんち漏らしまでしでかして、全てを失ったリカちゃんの惨めな退場を、醜い女子達は大喜びで祝ったのでしたとさ。めでたしめでたし。
 ……え? めでたくないって? あ、そうね。バッドエンドだしね。でも、まだこれで終わりじゃないの。
 学校から姿を消してひと月ぐらいが経過した頃、実はリカちゃん、ふっ、とまた学校にやって来たらしいの。
 ひと月前みたいに、またリカちゃんをいじめ抜いてやろうと醜い女子達がリカちゃんの周辺に結集したんだけど、どうも様子がおかしい。何がおかしいのか、はっきりとは彼女達も掴みかねたんだけど――何か、こうね。目つきが以前とは異なる感じがしたの。彼女達は懸命に言葉や手段を尽くして、トイレ前で味わった屈辱をリカちゃんに想い出させてあげようとするんだけれど、リカちゃんはずうっと黙ったまま。うんともすんとも言いやしない。ただ、じいっとね。周囲にいる子達なんて誰も見えないかのように、何もない宙空を見つめているの。まるで、家の年老いた猫がそうするのを真似るように。醜い女子達は拍子抜け。なんだか気味の悪い物を見る目で、リカちゃんの様子を遠巻きに窺う。
 そうしているうちに、事態は静かに動き出した。リカちゃんの顔から徐々に血の気が失せていき、傍目にもわかるほどにガタガタと震え出す。醜い彼女達の見つめる前で、突然、リカちゃんは絹を裂くような悲鳴を上げた。それから、怯えた様子で髪を振り乱し、駆け出して、教室を飛び出しちゃったの。まるで、その仕草は見えない“何か”に追われているかのようだった。
 その尋常ならざる様子に圧倒されて、醜い女子達の一部はリカちゃんを追うことを躊躇った。でも、リカちゃんのことを特に憎悪していた一部の女子は、まだまだいじめ足りなかったのね。ひと月前のおもらし事件の時と同様に、廊下を走るリカちゃんの後を追ったの。リカちゃんはただならぬ様子で通行人を押し退け、廊下を駆け抜けて、突き当たりへと進んでいく。その間も誰もいない場所に目を向けては、そこにあたかも何かおぞましいモノがいるかのごとき金切り声を上げて、逃げ惑いながら。最後、彼女が辿り着いたのは、廊下の突き当たりにあった非常階段だった。普段、誰も触れることすらない非常階段へ抜ける扉を開けて、リカちゃんは非常階段にまで飛び出した。そこで、追ってきた醜い彼女達は目にした。まるで誰かに突き落とされたのごとく、リカちゃんの足が浮いて、リカちゃんの身体が手すりの向こうに消えるのを。
 そこは三階だった。非常階段の手すりの向こうに消えた、ということは三階から地面に墜落したということに他ならない。醜い女子達が恐る恐る手すりから身を乗り出して、地面を見てみると――不思議。奇妙なことに、そこには誰もいない。倒れたリカちゃんの姿もなければ、誰かが落ちたような痕跡すらない。ただ、乾燥して黄色がかった地面があるだけ。彼女達は狐につままれた心境で、錆の浮いた手すりと地面とを見比べた。それから、ほんの少し考え事をした後、ここまで追ってきた数人の間で短い話し合いをした。意見はすぐに一致した。口裏を合わせることに決まったの。……だってね、もしも、リカちゃんが死んでしまっていたり、大変な怪我でもしていたら、最後まで深追いした自分達の罪になってしまう危険性があるでしょ。だから、彼女達はリカちゃんが非常階段から降りて、裏門から出て行った所までを目撃したということにしたのね。要するに、保身に走ったの。でも、こういう醜いことをさせたら、醜い彼女達の右に出る者はいない。嘘の目撃証言はあっさりと通り、リカちゃんは学校から出て行って、その先でいなくなったということに落ち着いた。
 さて――肝心のリカちゃんがどうなってしまったのか、というと。実はそれっきり、誰もリカちゃんの姿を見た人はいないんだって。でも、学校の非常階段から落ちてそのまま失踪、なんて。おかしいよね。どうかしてる。なんとなく、悪い予感しかしないよね。
 ……実はこの話さあ、年の離れたお姉ちゃんから、大分前に聞いたんだ。お姉ちゃんがこの中学校にいた頃に、本当にあった実話らしいんだけど。『大きい方』のおもらしとかもあって、やたらとインパクトが強いお話だから、やけに印象に残っちゃってさ。私も三階の非常階段の辺りを通る度に、ついつい気になっちゃうんだ。それで、思うんだ。もし本当に実話だったのなら、今、リカちゃんはどうしているんだろう、ってね。もしかしたら……ふふ、今でもこの学校のどこかにいたりするのかも……。
 私さあ。あとで考えたんだけど、多分、最後に学校に来たリカちゃんは、年老いた猫の『見方』みたいなものを習得していたんじゃないのかな。だから、最後、学校にやって来たリカちゃんには見えたんじゃないかなあ。ずっと彼女を悩ませ続けてきた、物の移動する原因が、本来は人間には見えないはずのモノが。リカちゃんはその『猫の目』で、一体、何を見たんだろうね。廊下の色々な所に目を向けて、何度も悲鳴を上げたところからすると――きっと、そのモノは『一人』じゃなかったんだろうと思うんだけど。もしかしたら、リカちゃんの目には、この学校中に無数のおぞましいモノがいるのがはっきりと見えたのかも。だとしたら、見えないだけで、学校にはそんなおぞましいモノがうじゃうじゃいるってことになるんだけど。うーん、ぞっとしないって言うか、ぞっとするって言うか。
 想像してみて。今この場には、一見、私達しかいないよね。でも、本当は目に見えないだけで、こうして怖い話をしている私達の様子を、そういうモノ達がすぐそこでじっと眺めているのかもしれない。そう考えると、なんだか、気持ち悪くない?
 お姉ちゃん、こうも言ってた。この事件はもっと昔、結婚できないまま、この学校で死んでしまった女性教師の霊の仕業なんだって。
 この女性教師は見た目が醜くて、性格も醜い、それはもう最悪の奴だったらしいんだけど。この人は、嫉妬だろうね、見た目の良いかわいい女の子が大嫌いだったの。だから、教師の立場を利用して、しょっちゅう、かわいい女子生徒に嫌がらせをしていたんだって。かわいい子に難癖をつけて叱ったり、泥棒の濡れ衣を着せたり。中でも一番好きだったのが、理不尽なことを言ってトイレを我慢させることだったんだって。
 結局、この人は教室で授業をしている最中に急病で倒れ、一度も結婚できないままに死んでしまった。もしかしたら、彼氏すら一度もいたことがなかったかもしれない。処女、だったのかも。それでね、その先生が倒れた教室っていうのが、偶然、リカちゃんのクラスが使っていた教室と同じ教室だったっていう話。
 だから、死んでしまって、自分が幽霊になってからも、忘れられなかったんじゃないかな。自分にはない若さと美しさを持った女の子に、濡れ衣を着せて、大恥をかかせて、クラスの他の生徒を扇動してでも泥の中へと引きずりおろす――自分は恵まれなかった若さと美しさを持った女の子の人生を、踏みにじって、めちゃくちゃにして、台無しにしてしまう。その時の快感を、ね。リカちゃんは、その犠牲になったんじゃないかって。それにね、その先生、実はリカちゃんと下の名前が同じだったんだって。確かに自分と同じ名前の、自分よりもずっと若くてかわいい女の子なんて。憎たらしく思うのも当然だよね。格好の標的になっちゃってもおかしくないよね。
 あ、気付いた? この話、確かに変よね。リカちゃんの周囲で起きていた超常現象が、この女性教師の霊が原因だったなら、中学校に入る前にもたびたび起きていた『物が勝手に動く』現象に説明がつかない。
 私もそう思った。でも、私自身がこの中学校に入ってから、ちょっとわかった気がするんだ。原因の一端は、やっぱりリカちゃんの方にあったんじゃないかって。リカちゃんの周囲でやたらと物が動いてしまうのは、リカちゃんが霊を引き寄せて、霊の活動を活発化させてしまうような、ある種の特殊な体質を持っていたからなんじゃないかって。俗に言う、霊感があるってやつかもね。そういう資質があったから、最終的には本来は見えないはずの霊すら見えるようになったんじゃないかなあ。
 自分がこの中学校に入って、どうしてそれがわかったのか?
 あれ、言ってなかったっけ。実は演劇部に入ってから、やけに私の周囲でも物が勝手に動いている気がするんだよね……。ねえ、みんなもそんな気しない? 心当たりないかなあ?
 ふふ、どうして、そんなことが起きるんだろうね。私が思うには、きっと、いるんじゃないかなあ。リカちゃんと同じような人が、この演劇部に。リカちゃんと同じように、霊を引き寄せて、霊の活動を活発化させてしまうような特別な体質の人間が……。よくよく考えたら、『下の名前が一緒のかわいい子』もちゃんといるし、あの最悪な先生、また出て来ちゃってたりしているのかも?
 演劇部に『リカちゃん』はいない? ああ、うん。そうね。言い忘れてたね。実はリカちゃんって、正確な名前じゃなくてあだ名なの。本名はえりか、なんだ。
 ……ふふ、ねえ、えりかちゃん。どう思う?
 ううん、脅かしているんじゃないの。そうじゃなくて――さっきから、気になってるんだよね。えりかちゃんの後ろに落ちているそれ、何だと思う? 花みたいだけど、どうして、こんな所に、花なんかが落ちているんだろうね。近くに花なんて飾っているところあったかな……。それに、私の記憶だと、ここに来た時にはそんな物なかったと思うけど。
 不思議だね?

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