[♀/連載]不浄奇談 [3-1-2.湯田真冬の話 破]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 中でも、わたしが一番都合良く使ったのがこれ――そう、こっくりさんです。意外と友達作りに役に立ったりするんですよ、これ。みんなで怖い話をする、とかもそうですけどね。誰かと一緒にやると、吊り橋効果、っていうやつなんでしょうか。それだけで、グッと仲良くなれたりするんです。通常の方法ではなかなか不可能なほどに、人間関係の距離が一挙に縮まったりするんですよ。わたしなんて、こっくりさんに詳しいだけで、一時的に教室の中心に居座ることもできたりして。
 もちろん、本当の意味での悪用もできます。例えば、こっくりさんに聞くふりをして、まったくの嘘をやるっていうこともできるんです。本当はルールがあって、『一人でこっくりさんをやってはいけない』し、『ふざけ半分で行ってはいけない』と決まっているんですけど、子供って怖いですよね。わたしはこの二つのルールは平気で破っていました。だって、お兄ちゃんも明らかにこの二つのルールを破っていたのに、何の祟りも受けずに元気に生きていましたから。このルールは破っても平気なんだ、と子供心に理解していたんでしょうね。
「AちゃんはBくんが好き」「CちゃんはDちゃんと仲良くしているけど、本当は心の中では嫌っている」「Eちゃんはこの年でまだおねしょしている」なーんて愉快な嘘を、こっくりさんに聞くふりをして流したりして。普通に言えば信じてもらえないようなことでも、こっくりさんに聞いたふりをすれば、わたしが直接言うよりもずっと箔がつく。つまり、みんな、信じてくれるんですね。そのせいで、真偽は不明なのに、「おねしょ」「おねしょ」とからかわれて半分いじめられちゃう子までいたんですよ。あははは、笑っちゃいますよね。
 わたしはそれがとても嬉しかった。だって、そうでしょう? こっくりさんに聞いたふりをすれば、わたしが発した言葉が神様の言葉みたいになるんです。わたしはまるで百発百中の占い師でした。Eちゃんをいじめちゃおう、と思えば、みんなの注目を集めてからウィジャボードに十円玉を置いてこう言えばいいんです。『Eちゃんは今朝おねしょをしましたか?』。答えはもちろん、「はい」です。それだけで、周囲がわっと湧きます。「いいえ」は一度だって出してあげません。ふふふふ。
 あれ、引かれてしまいましたか。でも、一つだけ弁解しておくと、きっと、根も葉もない嘘ではなかったと思いますよ。Eちゃんこと南ちゃんはわたしの幼なじみでしたが、口うるさくてきつい性格のわりに、とっても怖がりな、かわいらしい所のある女の子でしたから。わたしがまだ南ちゃんと仲の良かった頃は、お兄ちゃんの真似をして、よく怖い話を聞かせてあげていました。嫌がることも多かったですけど、「えー、南ちゃん、お化け、怖いのお?」って挑発してあげれば、すぐに虚勢を張って聞いてくれるんです。南ちゃんのそういうわかりやすい所、わたしは大好きでした。
 だから、わたしはここもお兄ちゃんの真似をして、わざとトイレに行きづらくなるような怪談ばかりを耳元でいっぱい囁いてあげました。こっくりさんでは、南ちゃん自身がトイレで死ぬという予言から始まり、トイレにいるという怖い幽霊や妖怪の名前なども大量に吹き込んであげました。わたしの吹き込んだ情報は、南ちゃんの耳を通って南ちゃんの弱虫で幼稚な脳の中に根付き、そこで南ちゃんのかわいらしい恐怖を食べながら、同時に恐怖を煽る影となって大きく育ちました。その結果、当時の南ちゃんのおうちの物干し竿には、毎朝のように大きな染みのある布団が干されちゃっていたんです。そういう経緯を考えると、南ちゃんとわたしが完全に仲違いしてしまってからも、南ちゃんが一度も夜中に失敗しなかったとは思えないんですよね。
 まだ仲違いしていなかった当時、わたしは表面上はお友達として仲良くしていながら、心の中では南ちゃんのことをいつも笑っていました。お兄ちゃんの影響で、オカルト知識の面では早熟だったわたしにとって、怖がりで信じやすい南ちゃんは格好のオモチャでした。南ちゃんの家の物干し竿――そこに頻繁に干されてしまう失敗の証拠を眺め、わたしはいつも不思議な充足感を味わっていました。見ている方が恥ずかしくなるようなあの失敗をわたしがやらせてあげたんだ、というどこか誇らしいような思いでした。とうの昔に治っていたはずの南ちゃんのおねしょを再発させてあげたのは、確かにわたしと、わたしの吹き込んだ怪談達だったからです。わたしは南ちゃんに一人で抱え込むしかない、『おねしょ癖』という大きな悩みの種と恥ずべき秘密をプレゼントしてあげたのです。
 おねしょだけじゃありません。南ちゃんの反応が面白くて、わたしがついつい調子に乗ってやりすぎてしまった時のことでした。南ちゃんと来たら、怯えるあまり、学校でトイレに行くことができずに――四年生にもなって、教室のど真ん中でやってしまったんです。しかも、授業中、みんなの見ている前でした。わたしは一度も経験がありませんが、きっと、あれは死ぬほど恥ずかしい体験だったと思います。だって、みんなが見ている前で、自分の本当の年齢よりもずっと小さな子みたいに着ているものをびしょびしょに濡らしながら、教室の床に自分のおしっこで水たまりを作るんですよ? そんなの、わたしだったら耐えられません。でも、南ちゃんはそれをしました。
 南ちゃんは俯いていました。南ちゃんはいつも偉そうで生意気な子だったので、男子も容赦なくからかいました。男子を泣かしてしまうほどに口の達者な南ちゃんでしたが、その時ばかりは何も言えずに黙ってぐずぐず泣くばかり。
 わたしはその時、わたしをおもちゃにしていた頃のお兄ちゃんの気持ちが、はっきりとわかりました。実際、こんなに愉快なことはなかったのです。こっちの思惑通りに右往左往して、授業中も必死にもじもじくねくねして、最後にはみっともない失敗をして大恥をかいて。情けない姿をこれでもかと言うほどに演じて、わたしを面白がらせてくれるわけですから。コッケイ、っていうのはこのことを言うんですよね。きっと。
 わたしは保健委員でしたから、ぐずる南ちゃんを保健室まで連れて行ってあげました。それだけじゃありません。保健室でびしょびしょのおもらしパンツを脱いで、保健室の備品である真っ白な貸出用パンツに履き替える所まで、わたしは目撃しました。もちろん、わたしは表向きは心配している素振りをしつつ、お腹の中では大笑いです。ああいうパンツって、わたしは履いたことありませんけど、本当に恥ずかしいシロモノですよね。真っ白で飾り気がないだけじゃなくて、『○○小学校保健室』なんて大きめにマジックで書いてあったりして――もう、いかにも、おもらしした子専用、っていう感じなんです。学校でおもらしをしてしまった、学校の中でも選ばれた幼稚な子だけが履くことを許される不名誉な無地の木綿パンツ。それをよく見知ったお友達の南ちゃんがぐすぐす鼻を鳴らしながら身に着ける姿は、わたしにある種の感動を与えてくれました。きっと、これまでにもたくさんの、『トイレの劣等生』である先輩達が受け継いできたものなのでしょう。その不名誉な歴史を継ぐ最新の一人として、南ちゃんはこのパンツに選ばれたのです。
 教室に戻った南ちゃんを、男子の手荒な歓迎が迎えました。男子をやっつけるほどに気が強く、他の女子をかばって男子と喧嘩することも多かった南ちゃんでしたが、自分の恥を攻撃されると簡単に気丈さを失ってしまいました。庇いに入る女子も何人かいましたが、その子達も「ションベンもらしの仲間」として意地悪く囃し立てられてしまい、すごすごと引き下がるしかありません。この日、南ちゃんは四度ほど、男子にからかわれて惨めに泣かされてしまいました。
 帰り道、わたしは家も近かったので、いつも南ちゃんと一緒に帰っていました。その日も肩を並べて帰りました。南ちゃんは服もスカートも自分のおしっこで汚してしまったので、上下共に体操服です。手に提げているのは、おもらしした子に付き物の汚れた衣服を入れた袋――いわゆる『お土産袋』です。そんな目立つ格好をしているものだから、下校途中の子の視線は南ちゃんに集まります。同じ小学校の子なら、みぃんな、わかっちゃうんですよね。あぁ、この子、今日学校でおトイレ失敗しちゃったんだあ、って。くすくす、くすくす、という笑い声がどこからともなく聞こえてきます。わたしの耳に入っているということは、もちろん、南ちゃんの耳にも届いているでしょう。伏し目がちな南ちゃんの頬が、見る間に赤く染まります。言葉少なだった南ちゃんは、校門を出た辺りで呟くような声で言いました。弱気な、消え入りそうな声でした。
「おもらしした子と帰るの、いや、だよね? 恥ずかしい、よね?」
 わたしは南ちゃんがどういう答えを待っているのか察して、首を横に振りました。「ううん、恥ずかしくないよ。気にしないで」と応えました。南ちゃんはわずかな間を置いて、「ありがと」と短く言いました。
 わたしも神妙な顔ぐらいはしていたと思います。ほら、場面が場面ですから。それでも、やっぱり、わたしの胸の奥はその状況がおかしくておかしくて震えていました。小刻みに痙攣していました。この日の騒動は傑作でした。南ちゃんにとっては最低の体験だったでしょうが、わたしにとっては最高に面白い見世物だったのです。だって、本当は、ぜーんぶ、わたしが悪いんですから。南ちゃんの心の中を占領し、学校のトイレに行けないほどに恐怖でいっぱいにしたのは、わたしの意地悪な口から生まれたいわばわたしの子供達でした。わたしが南ちゃんの耳元でめいっぱい囁いてあげた怪談が、南ちゃんの恐怖を餌に立派に成長し、トイレに行きたい南ちゃんを通せんぼしたのです。通せんぼして、絶対にトイレに行かせてあげなかったのです。それなのに、責められるのも、恥ずかしい目に遭うのも、いじめられるのも、ぜーんぶ、南ちゃんなのです。わたしはその光景を心の中でたっぷりと楽しみながら、すぐ近くで見ていることが許されていたのです。教室で南ちゃんがそわそわしてトイレに行けない苦しみを味わっていた時、わたしは自分の子供達が意地悪くトイレに行かせてあげない姿を想像して、胸の膨らむ想いで観察していました。南ちゃんの椅子からみっともない水が流れ落ちて音を立て始めた時、我慢の限界を超えるまで南ちゃんをいじめ抜いてみせた子供達を手を叩いて誉めてあげたい気持ちでした。
 それにも関わらず、不思議なことに、南ちゃんは全ての元凶であるわたしにお礼まで言ってしまったのです――。わたしを信頼して、わずかに微笑んでくれる南ちゃん。夕映えを受けて儚く光るその顔は、実に美しいものでした。その美しい顔に向けて、わたしは心の中で言いました。やあい、おもらしぃ。明日もいじめられちゃえー。
 ……って、あれ、いつの間にか、お兄ちゃんの話じゃなくて、南ちゃんの話になってしまっていますね。まあ、無関係なわけではありませんから、せっかくなのでもう少しだけ続けさせて下さい。
 さて、南ちゃんの立場は、おもらし事件を発端に弱くなっていきました。南ちゃんはすっかりおとなしくなってしまい、クラスの中心辺りから、徐々にクラスの端っこの方へと追いやられていきました。
 クラスでの立場が弱くなればなるほど、南ちゃんはわたしに頼るようになりました。わたしは南ちゃんと何度となくこっくりさんをやりました。南ちゃんは四年生にもなって、夜、オムツがないと安心して眠ることができないという誰にも喋ってはいけないはずの内情までわたしに相談してくれました。わたしはこっくりさんで一緒に占ってあげました。愉快だったので、盛れるだけ盛って、二十歳になるまで治らないことにしてあげました。もうじきやってくる宿泊行事を心配していた南ちゃんは、真っ青になって震えていました。わたしは宿泊行事では、みんなにオムツがバレないよう南ちゃんに協力する約束をしてあげました。
 宿泊行事の当日のこと。わたしは約束通りに協力してあげる代わりに、南ちゃんが厳重にカムフラージュして持ち込んだオムツを、誰にも見つからないようにそっと隠してあげました。誰にも、南ちゃん自身にも見つけられないように。

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