[♀/連載]不浄奇談 [3-1-3.湯田真冬の話 急]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 大切な夜のお守りであるオムツが見つからない南ちゃん。見ていてかわいそうになるぐらいに慌てふためいて、失くしてしまったものを探します。でも、あはっ、オムツなんて持ち込んでいること自体、みんなに秘密にしなければならない恥ずかしいシロモノです。事情をよく知るわたし以外の誰にも相談できず、結局、見つからないまま寝る時間になってしまいました。南ちゃんは不安に怯えながらも、先生に促されるまま、布団に入るしかありません。
 その夜、気持ちよく眠っていたわたしは、南ちゃんに揺り起こされました。南ちゃんは奇跡的に、夜、尿意を感じて目覚めることができたのです。一人でトイレに行くのが怖いから、わたしについてきて欲しいのだと瞬時に理解できました。わたしはとっさに狸寝入りを決め込みました。何度揺すられても、声をかけられても、わたしは目覚めてあげません。同じ部屋で、南ちゃんと特別仲良くしている子はわたし以外には一人もいません。南ちゃんは諦めて、一人で部屋を出ました。わたしは心の中で強く念じました。応援しました。もちろん、南ちゃんを、ではありません。南ちゃんの中で大きく育ったわたしの子供達を、です。数秒後、南ちゃんは戻ってきました。おどおどした様子で、です。恐ろしい影を纏ったわたしの子供達が、また、南ちゃんを通せんぼしたのです。ただでさえ慣れない宿泊施設で、南ちゃんは夜闇に潜むモノに怯えるあまり、一人でトイレに行くことをすら断念してしまったのです。わたしは自分の布団の中で、一人、ほくそ笑みました。五年生も近い時期にもなって、南ちゃんの行動はあまりにも幼稚で意気地のない、同時に危険をはらんだ選択でした。
 当然、そういうなさけない選択をしてしまった子には、神様から素敵な罰が用意されているものです。夜中、眠っていたわたしがふと目を覚ますと、隣で横になる南ちゃんの声が耳につきました。寝息混じりの、苦しそうな声。トイレに行けないまま、南ちゃんは眠ってしまっていたのです。そして、暗闇の中、南ちゃんは眉根をひそめた辛そうな表情をしていました。何やらうわごとを呟き、うなされてさえいます。神様は夜中、一人でトイレに行けなかった臆病者に対する罰として、南ちゃんに胸躍る怖い夢をプレゼントしてあげたようでした。きっと、わたしが嫌というほど聞かせてあげた怪談が、暗闇を纏ったわたしの子供達が、南ちゃんの中で大活躍しているに違いありません。わたしの胸は自ずと高鳴ります。やっちゃえやっちゃえ、とわたしは悪意のある声援を送ります。お布団の中でぜーんぶやって、大恥かいちゃえ。わたしの見守る前で、不意に南ちゃんの眉根がやんわりと緩みました。口元から深い吐息が漏れ、頬にかすかな朱が差しました。そういう風に、見えました。南ちゃんが無意識に発してしまった水流の音さえも、かすかにですが、確かに聞いた気がします。わたしは、やったあ、と心の中ではしゃぎました。南ちゃん、やったあ、やっちゃったあ、と。もちろん、掛け布団に隠れていたので、確証はありませんでした。でも、確かにこの時、南ちゃんは失敗してしまっていたのだと思います。
 わたしは南ちゃんが行けなかったトイレに行って、南ちゃんがトイレでしたかったはずのことをして、気持ちよく眠りました。濡らしてしまった衣服のせいか、不快そうに眉を寄せる南ちゃんに「明日が楽しみだね。南ちゃん」とお友達らしい声をかけてから。
 次の日の朝、南ちゃんはなかなか布団から起きてくることができませんでした。顔は血の気が引いて蒼白、額には汗も噴き出して、今にも泣き出してしまいそう。わたしはそんな南ちゃんを、あえて放っておきました。何もわたしが悪役になって、無理に失敗を暴き出すことはありません。どうせ、いずれはばれてしまうに決まっていましたから、この『おねしょしてしまった日の朝』のスリルに溢れた時間を、南ちゃんに少しでも長く味わわせてあげようという配慮でした。
 空は暗く、外にはしとしとと雨が降る音が聞こえる――どことなく湿った空気の漂う、しかし、素敵な朝でした。本当に最高に素敵な朝。南ちゃんはいじらしく、一生懸命に隠し続けました。きっと、本来ならば、そっとわたしに失敗の真実を伝えて協力してもらい、なるべく穏便に物事を収めてしまいたかったはずです。でも、わたしはその朝、わざと南ちゃんに近づきませんでした。南ちゃんは布団から動けないのですから、距離さえ取ってしまえば、他の子に聞かれずにわたしにだけ真実を伝えることができません。機会を窺う南ちゃんは、神様に祈っていたはずです。お願いします神様、どうにか、真冬ちゃん以外の誰にもバレずに終わらせて下さい――。真冬ちゃん、早くこっちに来て――。そんな風に願っていたはずです。
 じりじりとした時間が流れました。そして、タイムリミットが訪れました。朝礼の時間でした。みんな、自分達の部屋から出て、宿泊施設にあるホールに集合しなければなりません。みんなが着替えて準備を終えているのに、南ちゃんだけがいまだパジャマのまま布団の中――嫌でも目立ってしまいますよね。
 南ちゃんはみんなの注目を浴びて、とっさに体調が悪いふりをしました。確かに冷や汗をかいていましたし、顔色も悪い。でも、明らかに挙動不審で、中の一人がそのことに気付きました。
「ねえ、南ちゃんさあ」とその子はあくまで冗談めかして言いました。わたしは背筋がぞくぞくとして、興奮を隠すことができませんでした。運命の瞬間が、今まさに始まろうとしているという確かな予感がありました。窓の外では、変わらず雨が降り続いています。「もしかして――おねしょ、したんじゃないの」
 その瞬間、南ちゃんの顔色がさあ、と変わりました。病人じみた蒼白から羞恥の朱色へと。
 南ちゃんは返答できずに、黙りこくってしまいました。予期せぬ反応に、同室の子達もすぐには何も言えません。少し遅れて、同室の子の一人が声を上げて笑いました。つられたようにして、他の全員が笑いました。それから、総出で南ちゃんの失敗を隠していた掛け布団が暴かれました。わたしはみんなを止めようとして、押しのけられたふりをしました。どさくさに紛れて、元々、閉まっていた部屋の扉をそっと開けるという大切な仕事をするために。扉が開きさえすれば、集合場所のホールはすぐそこでしたから。室内で発された声は嫌でも、すでに集合している同学年の子達の耳に届いてしまうのです。
 暴かれた布団の中には、微笑ましいことに、南ちゃんが意に反して作ってしまった素敵な世界地図がありました。四年生らしい立派な、でも、四年生にしてはあまりにもかわいらしい液体で描かれた力作でした。これだけで、室内が沸き返ります。「南ちゃん、おねしょだー!」という甲高い、からかい混じりの声はホールにまで響き渡ります。遅れて、ホールの方からざわめきが、そして様子を見るために野次馬の子達もやってきます。自ら作ってしまったかわいらしい世界地図の上に尻餅をついて、パジャマの下をぐっしょり濡らした南ちゃんの姿をたくさんの子が目撃します。南ちゃんは真っ赤になって俯きました。「見ないで……あっち行って……!」と南ちゃんは懇願しました。でも、誰もそんなお願いを聞いたりはしません。
 南ちゃんのおねしょは南ちゃん自身の願いに反して、こうして大騒動に発展し、学年中に広がってしまいました。わたしはこれ以上ないほどに深い満足感を覚えました。これはわたしの作り出した事件だったからです。わたしが南ちゃんを追い詰めて、みんなの前で大恥をかくように仕向けてあげた結果だったからです。みんな、南ちゃんに注目していました。この事件を作り出したわたしを責める人はやはり誰もおらず、南ちゃんだけが責められている――まるで、完全犯罪を成功させた犯罪者のような気分でした。わたしには何でもできる。そんな風に思えました。
 でも、やっぱり、最後の最後で南ちゃんにトドメを刺したのは、わたしの子供達――怖い話とこっくりさんから生まれた影達だったように思います。あの時、一人で夜のトイレを済ませることができていれば、わたしも打つ手はなかったのですから。だから、皆さんもあんまり怖い話やこっくりさんを甘く見ていてはダメです。ちょっと間違ったら、幽霊やお化けなんて実際には出てこなくても、それらには人の運命をねじ曲げてしまうぐらいの力があるんですからね。ふふふ。
 南ちゃんは運命をねじ曲げられて、宿泊行事で見事な変身を遂げました。行きにはただのクラスの端にいる普通の子だったのに、帰ってきた時には、もう、みんなから馬鹿にされるおねしょキャラの女の子でした。
 ここまで来てしまうと、わたしも南ちゃんと一緒にいるだけで笑われてしまいます。いじめられる危険性さえあります。だから、南ちゃんと一緒にいる時には仲の良いお友達のふりをしながらも、陰では進んで南ちゃんの名誉を傷つけるようなことを言いました。南ちゃんのおねしょ癖のこともバラしました。毎晩、オムツに頼っている情けなくてかわいらしい面も、面白おかしく喋ってしまいました。みんな、大笑いしてくれました。まあ、ある時、陰口を叩いて南ちゃんを笑い物にしているところを本人に見つかってしまってからは、さすがにわたしもスタンスを変えざるをえませんでしたけど。
 わたしはそれ以降、お友達のふりをしながら南ちゃんを貶める立場を捨てて、終始一貫して南ちゃんをからかう立場になりました。毎朝のように、南ちゃんの夜の結果をこっくりさんに聞いて、みんなの前で発表するのです。難しいことはありません。みんなの注目を集めてからウィジャボードに十円玉を置いてこう言えばいいんです。『南ちゃんは今朝おねしょをしましたか?』。さっきも言いましたよね? 答えはもちろん、「はい」です。それだけで、周囲がわっと湧きます。「いいえ」は一度だって出してあげません。みんなの中には、あの日、南ちゃんがおねしょした姿を目撃した子が多くいました。そのイメージを利用してこっくりさんを仕掛ければ、もしも南ちゃんのおねしょ癖が治っていたって、全然意味ありません。みんなの中では、毎晩おねしょしたことにできるんですよ。いくら本人が否定しても、その証言こそが嘘ということになります。だって、こっくりさんが言っているんですから。こっくりさんはぜーんぶお見通しなんですから。あはは。
 ああ、すみません。久しぶりにこっくりさんの雰囲気を味わったせいで、キャラが変わってしまっていました。わたしはそういうのはもう卒業したんですが、ついついスイッチが入ってしまって、あの頃のように……。
 ……まあ、でも、そんな風にめちゃくちゃできたのは、五年生ぐらいまででした。六年生辺りから、いよいよ周りのみんなも知恵を付け出して、そう簡単には騙されてくれなくなりました。全てを奪ってあげたつもりだったのに、その頃にはちょうど南ちゃんも元気を取り戻し始めていました。じっくりいたぶって、毎日おもちゃにして泣かしてあげたのに、本当にしぶとい子です。南ちゃんは裏切られた怒りを込めて、わたしを攻撃するようになりました。まあ、南ちゃん一人の時には、おねしょネタで何度か返り討ちにしてあげましたけど。おねしょのこと、じっくりいじってあげたら、真っ赤になって泣いちゃったから、きっと、まだ完全には治っていなかったんじゃないかなあ。もう、わたしたち、六年生だったんですけどね。ふふふ。
 あぁ、ごめんなさい。笑っちゃダメでしたよね。だって、この中には、当時の南ちゃんよりも大きいのにまだやっちゃっている人がいるんですから……。くすくす。あぁ、ごめんなさい、また……。でも、だってぇ、中学生にまでなっておねしょなんてして……。そんな子、どんなにみんなにこっぴどく笑われちゃっても文句は言えないですよお。馬鹿にされたからって、そんな子に怒る権利があると思いますか? ありませんよお。おねしょも自分で治せないくせに、馬鹿にされて怒るなんて生意気です。文句があるなら、おねしょをちゃーんと治してから言ったらいいのに。治せないんですかねえ? みーんな、ちゃんと治してるのにぃ? ふふ、そんなこともできない劣等生、笑われて当たり前なんです。大人しく笑い物にされて、真っ赤になって、みんなに素敵な楽しみを提供していればいいんです。それがお似合いなんです。あー、そうだ。もしアレだったら、後でこっくりさんに聞いてみましょうかあ? ちゃーんとお手手を挙げて、「私がおねしょの犯人です」って自己申告できないなら、後で本当にしちゃいますからねえ。覚悟していて下さいねえ。あははは。
 おっと……またスイッチが入ってしまっていましたね。とにかく、当時のわたしは、今みたいな具合でした。意地の悪い、陰湿なやり方をしていました。そういうことを長くやっていたせいか、知らないところで恨みを買っていたんでしょうね。わたしは徐々に人望を失っていき、最終的には取り巻きだった子達のほとんどが去って行きました。ついには南ちゃんだけじゃなく、みんなからも、嘘つき、というレッテルを貼られてしまって。失礼ですよね。嘘つきなんて。いくらなんでも、言いすぎだと思いません? わたしはただ、みんなに楽しい遊びや、心躍るイベントを提供してあげているつもりだったのに……。
 さて、嘘つき扱いがひどくなって、いよいよ友達がいなくなってきたわたしは寂しい日々を送っていました。でも、誰も相手にしてくれなくなった中でも、きちんと向き合ってくれる人が人が一人だけいました。お兄ちゃんです。あんなに意地悪だったお兄ちゃんでしたが、この時は優しくしてくれました。これは、ええ、本当に嬉しかったです。わたしはあまり人に心を開くタイプではなかったので、両親にもお兄ちゃんにも本当の意味で心を開いていたわけではありませんでした。そもそも、お兄ちゃんのことは意地悪で苦手でしたしね。
 でも、この時はわりと困り果てていたこともあって、お兄ちゃんの姿が輝いて見えました。日が経つにつれて、わたしの中でお兄ちゃんの存在はどんどんと大きくなっていきました。あんなに苦手だったのに、不思議ですね。わたしは次第に思い始めました。お兄ちゃんだけは、お兄ちゃんにだけは心を開いても良いかも……って。
 そんな時でした。最後のこっくりさんをお兄ちゃんとやったのは。わたしは六年生、お兄ちゃんは中学二年生でした。
 でも、やっぱり、血の繋がった兄妹ですよね。わたしと同じく、お兄ちゃんもこっくりさんを悪用しました。お兄ちゃんは最初に、わたしの好きな人を聞いて「いない」というのを確認しました。その後、わたしのことを好きな人が誰かを質問したんです。
 ……あれは、自然と動いたわけじゃなかった。絶対にわざとだった。滑らかに動いたその十円玉が指し示した名前は、わたし達のよく知る名前。お兄ちゃんの名前でした。もちろん、わたしは「妹として好き」という意味だと解釈しようとしました。でも、お兄ちゃんは、そうじゃなかった。
 十円玉に指を置いたままの姿勢で――き、キスを、迫ってきました。そこでわたしは理解しました。「妹として好き」じゃないんだって。でも、キスぐらいさせてあげてもいい、と思いました。それぐらいなら許してあげよう、と。でも、片方の手がお尻に伸びてきて、凄く嫌な感じがして、それで――。
 あぁ、雨の音が聞こえますね。外、降ってきたみたいですね。雨の日の怪談、雨の日のこっくりさん、なんて。なんだか、不思議と、気持ちが盛り上がってしまいますね。そう思いませんか?
 よく憶えています。お兄ちゃんと最後のこっくりさんをやったあの夕暮れも、雨が降っていました。しとしとしと、静かに降っていました。
 お兄ちゃんを思わず払いのけた瞬間、わたしの指はまだ十円玉に載っていました。お兄ちゃんの指は離れていました。色々なルール破りをしてきたわたし達でしたが、十円玉から途中で指を離してしまった人を見たのは初めてでした。それだけは破ってはいけないと、なんとなく、本能的に理解していたんですね。しばらくの沈黙の後、何事もなかったかのようにわたし達は二人で儀式を終えました。でも、始める前と終わった後では、何もかもが違ってしまっていました。わたしの心の扉は、もうすっかり閉じてしまっていました。そして、お兄ちゃんはお兄ちゃんで、青ざめた、この世の終わりのような顔をしていました。
 お兄ちゃんが亡くなったのは、数日後でした。死因は交通事故。あぁ、今まで言い忘れていましたが、わたしのお兄ちゃんは、もういないんです。故人なのです。赤信号なのに、ふらふらと車の前に飛び出して行ったそうです。直接の原因は交通事故であっても、自殺じみたその死に方に至った、間接的な原因が何だったのかはわかりません。こっくりさんのルールを破った禁忌破りのせいかもしれませんし、わたしにしたことや、わたしがしたことのせいかもしれません。
 何にしても、お兄ちゃんは一年前に死にました。『どうろ』で『くるま』に轢かれて死にました。わたしは今でもわかりません。わたしはその時まで、ずうっと信じていたんですよ。最初にしたこっくりさんの結果は――『どうろ』も、『くるま』も、『ふじょう』も――全部全部、お兄ちゃんがわざとわたしを怖がらせようとしてやったことだったんだって。この死に様も、そうなんでしょうか。お兄ちゃんの最後の嫌がらせ、なんでしょうか。そして、今日の『不浄奇談』。『不浄奇談』なんてまるで運命のような……。でも、こっくりさんなんて、本当はいないはずなのに。
 ……あぁ、そうなんです。こっくりさんなんて、本当はいないんですよ。いないはず、なんです。
 本当のことを言います。わたしは何度も何度もこっくりさんをしてきましたけど、でも、自然と十円玉が動いたことなんてただの一度もありませんでした。いつも、わたしが好き勝手に動かしていただけです。
 だけど、不思議なんです。――皆さん、指をわざと自分の意思で動かしている方は、いますか。いませんよね。勝手に、動いているんですよね。
 そうなんです。ある日を境に、ある条件を満たした時だけ、本当に勝手に十円玉が動くようになったんです。その境となった日は、お兄ちゃんが死んだ日です。条件は今、皆さんが使っているそのウィジャボードを使うことです。
 あの日、こっくりさんの儀式を終えた瞬間から、ずうっと思っているんですよね。もしかしたら、私はお兄ちゃんを受け入れてあげるべきだったんじゃないかって。変に潔癖な所を出してあんな風になるぐらいなら、お兄ちゃんが求めているどのような行為でも付き合ってあげれば良かったんじゃないかって。実際、それまでも、ちょっといかがわしいこともやってきたわけですし。
 皆さんはどう思いますか?
 もしも、わたしが受け入れてあげていたら、お兄ちゃんは多分生きていたわけですし……。ええ、そうなんです。そういう心残りがあったから、本当はこっくりさんをした後のウィジャボードは捨てなければいけないルールなんですけど、どうしても、破ったり捨てたりできなくて――。
 だって、それ、お兄ちゃんとの最後の思い出の品物なんです。こっくりさんなんていません。いないはず、です。でも、そのウィジャボードを使った時だけは、お兄ちゃんと本当に話ができるんです。
 だから、もし今、皆さんの指が自然と動いているのだとしたら、そこにいるのは多分――。
 あぁ、ごめんなさい。話に夢中になってしまいました。もう、こっくりさんの儀式は終わりにしますか。聞きたいことは全部聞けましたか?
 え? 途中から勝手に動いてしまって止まらない?
 ええ、このウィジャボードはいつもそうなんです。最初の十五分ぐらいはきちんと答えてくれるんですが、途中からは同じ言葉を繰り返すばかりになってしまって……。なんて言っていますか? あぁ、いつもと同じ、ですね。わたしはずっと、わたしにはこの世に好きな人間なんてただの一人もいない、って言っているのに。
 はい、それでは、気を取り直して締めの儀式です。続けて言って下さい。『こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻り下さい』。『はい』に戻りませんか? 鳥居にも戻らない? 変ですね。繰り返す言葉が変わった?
 う、し、ろ。う、し、ろ。後ろ?
 え? なんだろう。
 こんなこと言い始めたこと一度もなかったんですけど、どうして今日に限って……。
 とにかく、十円玉から指を離さないで下さいね。わたしが落ち着いて話をすれば、お兄ちゃんもわかってくれるはずなんで……。

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