『性教育の自習時間』②

 ※『性教育の自習時間』① の続き


 以上のようなやり取りを経て、今、達也は佑奈の部屋で彼女と二人きりで向かい合っている。

 達也の下心(といっても、この時点でエロ展開の予兆はなし)はともかく、建前はテスト勉強が目的なので、二人は軽く雑談を交わしながら、フローリングの床の中央部に敷かれた絨毯の真ん中あたり、これもアイボリー色の丸テーブルの上に教科書やノートを広げ、まずは数学の勉強に取り掛かった。

 憧れの聖女と密室で二人きりになり、お互いの息づかいさえ感じられる至近距離にいて、それこそ勉強に集中できるのかと達也は心配してもいたのだが、いったん着手してしまうとそれなりに没入して、しばらくは高校生らしい有意義で健全な時間が続いた。

 三角関数の問題を立て続けに三問解き、そこそこ手応えを感じたところで、達也は顔を上げて軽く伸びをした。

 佑奈も三角関数に取り組んでいるが、こちらはやはり苦戦気味。頭をひねりながら、問題集の余白やノートに小さな字で〈sin〉だの〈cos〉だのを書き散らしている。

 もし佑奈の苦闘が続くようなら助け舟を出してあげようか、などと考えながらシャープペンシルを置き、両手の指先で首筋をほぐすように揉んでいるときだった。

 達也の視線が、ベッドカバーの裾からはみ出してU字型に垂れ下がっている、細い電気コード状のものを捉えた。

(ん? なんでこんなとこに電気コードが……)

 達也は何となく興味を引かれて手を伸ばしたが、その動きを佑奈が目にとめたらしい。

「あっ、それダメっ。見ないで!」

 佑奈が突然、似つかわしくない大声を上げ、手にしていた数学の教科書を放り出して、達也の動きを制止するかのように組みついてきた。だが一瞬遅く、コードにかかっていた達也の指は、ベッドカバーの下から〝それ〟を引っぱリ出していた。

「えっ! こ、これって……?」

 軽い落下音をたてて絨毯に転がったモノの正体に達也は絶句し、佑奈は半泣きの顔で固まってしまった。

 それはピンクローターであった。〝大人のおもちゃ〟と呼ばれる性玩具の一つで、文字どおり、ピンク色のユニットとコントローラーが三十センチほどの長さのコードで結ばれているスタンダードなタイプ。スイッチを入れるとユニットが小刻みに振動し、それを性感帯に押し当てることで快感を得る。

 早い話が、おもに女性がオナニーの際に使う道具だが、達也にとっては、佑奈がそれを所持しているという事実が衝撃だった。

「あ、あの……それ、こないだ友達が忘れていって、わ、わたしは……その……」

 佑奈は首筋まで真っ赤に染め、狼狽をあらわにしながら釈明を試みるが、誰がどう聞いてもその場しのぎの言い逃れに過ぎなかった。

 彼女自身それがわかっているから、もはや事態を取り繕うことができないと悟るや、紡ぎ出す言葉も途切れがちになり、やがて絨毯の上でぺたんと女の子座りをしたまま、達也の視線を避けるようにうつむいて口をつぐんでしまった。

 図らずも佑奈を窮地に陥れてしまった達也も、気の利いた救いの手を差し伸べたいと思うのだが、混乱のあまり言葉が出てこない。

十数秒後、佑奈は紅潮の退かない顔をおずおずと上げ、達也に上目づかいのまなざしを向けた。

「塩沢くん、お願い。誰にも言わないで、ね。こんなのバレたら、わたし……恥ずかしくて学校行けない」

 ローターを使って自慰に耽っていることを告白したも同然の、佑奈の台詞である。

 それを聞いた達也の胸中は複雑だった。

 彼が、マスターベーションのときに思い描く佑奈に対する妄想――それは彼女のオナニーシーンである。

 あの清楚で快活で品行方正な少女が、自らの身体を指でまさぐり、愛くるしい顔を快感に歪め、よがり声とともに全身をわななかせて果てる。

 そんな淫らな妄想をかき立てては思うままに佑奈を穢しながらも、一方では、彼女には純情可憐な処女《おとめ》でいてほしいという、手前勝手な願望を描いていた。しかし――

(やっぱり、氷室さんもオナニーしてるんだ)

 高校生にして〝大人のおもちゃ〟を愛用しているほどだから、こと密かに性を愉しむことにかけては、達也の先を行くベテランなのかもしれない。

 冷静に考えれば理不尽としか言いようのない、甘美な悔しさと焦りのような感情を覚えた。

 夜毎に佑奈は、このベッドの上でみずみずしい美脚を広げ、このローターを自らの秘裂に押し当て、快感にむせび泣きを漏らしながら、腰を震わせて絶頂に達しているというのだ。

(それなら……)達也は生唾を呑み込む。

(彼女のオナニーを生で視たい。妄想していたような、いやそれ以上の思いっきりエロい姿を……)

 達也がそういう欲望を抱くのは、当然といえば当然の成り行きだった。

 一方の佑奈。

 いかに聡明な少女とはいえ、達也の複雑な心境を逐一推し量れるはずもなく、沈黙を守る彼に対して戸惑いを覚えていた。

 達也にしてみれば、佑奈の秘め事を公言する気など毛頭ないわけだが、沈黙の意味を曲解したらしい佑奈は、不安に突き動かされたか、彼女らしからぬ言動に出る。

 拝むように手を合わせて、

「お願いだから、二人だけの秘密にして、ね」

 と哀願をくり返したのち、

「一度だけなら、何でも言うこと聞くから」

 と余計なひと言を付け加えてしまった。不安と狼狽のうちに、考えのまとまらないまま、自分でも思いがけない台詞が飛び出してしまったのかもしれない。

 ここで普段の達也なら、女子の弱みにつけ込むような真似はしなかったであろうが、すでに彼の青い欲望にも火が点いてしまっている。

 ただ、彼がいつになく真顔で「ホントに言うこと聞いてくれるなら、ローター使ってるとこを視せてほしい」と答えたとき、佑奈の面をかすめたのは驚きと困惑と羞恥と、それから抑えがたい悦楽への期待だったように、達也には感じられた。

 それでも少しの間、ためらう様子を見せていた佑奈だったが、やがて意を決したように顔を上げた。自分から言いだしたことだからと、健気にも腹を括った様子である。

「わかった。でも一回だけだからね」


 ※『性教育の自習時間』③ に続く

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