市街地 2024/08/06 10:36

【R18連載】訳あり侍女の本懐〜0.プロローグ〜

※新作の連載です。
※完結後に本文を修正、書き下ろしを加えた完全版をDL siteで販売します。

【あらすじ】

女には誰にも言えない秘密があった。
男には他人を信じられない理由があった。

主人の祖国を目指す旅の道中で、雇った道案内兼護衛に淫らな尋問で秘密を暴かれそうになる侍女の話。

※当作品はpixivにも掲載しています。
pixiv版『訳あり侍女の本懐』


0.プロローグ

「このたびの国内視察ですが、殿下はミコ様とともに王国領を巡視されるとのことです。異界よりお越しになられたミコ様に少しでもこの世界を知っていただきたいという、殿下のお心遣いにございます」

侍従が告げた王太子の意向に、リザリアの主人であるティエナはかすかに目を伏せる。
まだ十三歳とあどけなさの残る年齢ながらも、ティエナは非常に聡明な少女だった。侍従が多くを言わなくても「王太子は婚約者であるティエナを、国内視察の同行者から外そうとしている」と、婚約者の意図を悟ったようだ。

「……承知しました。視察については殿下のご意向に沿うように、準備を進めてください」

感情をひた隠し、静かに告げられた言葉から、リザリアは主人のやるせなさを感じ取って口をきつく結んだ。一介の侍女がこんなところでため息をついてはいけない。
ティエナから承諾を引き出した侍従は、用事は済んだとばかりにさっさと部屋を辞した。


今年成人する王太子のお披露目を兼ねた大規模な国内視察に同行することを、王太子の婚約者であるティエナはずっと楽しみにしていた。
彼女はこれまでの人生、ほとんどの時間を孤児院と王城ですごしたため、外の世界を知らない。
神託によって九歳で王太子の婚約者として城で暮らすようになり、それからずっと厳しい妃教育に耐えてきたティエナにようやく訪れた羽を伸ばせる機会は、突然神殿に現れた異世界の女に取って代わられた。
自室に戻ったティエナは椅子に腰掛けしゅんと肩を落とす。そんな主人にリザリアはそっとティーカップを差し出した。

「オラグル夫人が殿下に抗議するそうです。殿下は婚約者であるティエナ様を、ないがしろにしすぎではないかと」

「……そう」

オラグル夫人はティエナの妃教育を受け持つ教師の一人である。普段の指導は厳しいものの、夫人はひたむきなティエナを密かに可愛がっていた。
どこの馬の骨かもわからない十三歳の小娘とあなどるなかれ。ティエナを王太子の妃として認めている者は、意外と多い。これはひとえにティエナの努力のたまものだ。
そんな中で誰よりもリザリアの主人を軽んじているのが、何を隠そう彼女の婚約者である王太子だった。神託のよって決められた婚約を、教会側の陰謀だとかなんだかんだぬかして、いつまで経っても歩み寄ろうとしない。

——まあ、思惑があっての婚約ってのは当たっているけど……。

より強い魔力を王家の血筋に取り込むため、国王が教会に膨大な魔力を保持する子供を息子の婚約者に当てがった。神託とは名ばかりの、そんな狙いが見え透いていた。
しかし教会と結託してティエナの自由を奪い王家で囲い込んだ経緯があるにも関わらず、今では国王すらもが異世界の少女にぞっこんとなっている。ティエナのことなど忘れたかのように、おおやけの場で異世界の少女を息子の伴侶に推す意向を示しているのだからもはや笑えない。

階級社会をよく理解していない異世界の少女よりも、幼いころより正妃となるための教育を受けてきたティエナのほうが王国を良き方向へ導ける。城内ではそのような意見が少なからず聞こえてくるも、王族はまったく耳を貸そうとしなかった。
王太子が言うに、異世界から来た少女は神が王国に遣わした真の聖女なのだという。少女といってもミコはティエナよりは年上で、王太子と歳が近い。ティエナに匹敵する魔力をその身に秘めていて、極め付けに黒髪黒目という神聖な漆黒色をその身に宿していた。

孤児だったティエナは貴族の養女を経由して王族の婚約者になった。ティエナの魔力量は王家に求められるぐらいにすさまじのだが、彼女の親は異国の人間だったらしく、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳、くっきりした目鼻立ちといったぐあいに、ティエナは王国では珍しい容姿をしている。
王家に異国の血を混ぜるのはいかがなものかと、王太子とティエナの婚約には当初から反対の声は今もなお後をたたない。現在は城内でティエナの味方も少しずつ増えてはいるが、それでも依然として反対派が多数を占める現状は変わらない。

そんな渦中に突然異世界から現れたのが、ミコだった。
異国の者——というよりも異世界の者——であり、王国の民でないのはティエナと同じであるが、なんせミコは黒髪黒目、神聖な色を身に宿している。
これまでティエナに「見た目は仕方がないから、せめて振る舞いは完璧にせよ」と厳しい妃教育を課してきた国王すらもが、今では手のひらを返して「なぜティエナを婚約者に置いてしまったのか」と後悔に駆られている。

神託によって決められた婚約は、たとえ王であろうとそう簡単に覆せない。
しかし「簡単」にはいかなくても、ティエナを王太子の婚約者から引きずり下ろす方法は、決してゼロではないのだ。
カップに口をつけてティエナがほっと一息。

「仕方がないわ。なんとなく、そうなるんじゃないかって思ってはいたもの。予想的中ね」

室内の重い空気を振り払おうと、少女は明るい口調で言い放つ。リザリアへと向けられた笑顔は、それでもどこかぎこちなかった。

「残念な気持ちもあるけど、本当は少し安心しているの。これまでお話をするどころか目も合わせてくれない方と長旅の道中馬車で二人きりなんて、想像しただけで気まずくて……殿下とお近づきになれるせっかくのチャンスをこんなふうに言ったら、先生に叱られちゃうわね。今のはわたしたちだけの秘密にしてくれる?」

「ええ、もちろんです」

リザリアと二人きりになると、ティエナの口調は年相応に砕けたものに変わる。リザリアは主人の振る舞いを咎めることなく黙認していた。

「こちらのことはもういいとして、リザはどうなの? 将来のお相手は決まったの?」

唐突な質問を受けたリザリアが困り顔で笑みを浮かべる。そして左手の薬指にはまる木製の指輪をティエナに見えるよう掲げた。

「わたしは災禍の星の下に生まれた身ですので、婚姻は王令によって禁じられております」

「でも、それはこの国に限ってのことでしょう? 遠くの土地に渡ればまた違う星の導きがあるって、以前に神官様がおっしゃっていたわ」

「そうかもしれませんが、そこまでして結婚がしたいと思うほど、意欲も願望もありません」

そうなの、と小さくうなずいたティエナは紅茶のカップへと視線を落として何やら考え込む。

「……わたしはダメでも、殿下の国内視察にミコ様の世話役としてリザを同行できないかしら」

小さな呟きは傍らに控えるリザリアの耳に届いていた。
不可能ではない。王太子の視察に同行する候補者として、リゼの名前があがっていることは、すでにリザリア自身も把握済み。王太子の婚約者を快く思っていない一派の、ティエナへの嫌がらせである。

「そうね、それがいいわ。帰ってきたらリザの見た王国の姿を、わたしにお話しして。ほかの人はともかく、リザの言葉は信用できるもの」

「ティエナ様」

興奮気味にまくしたてる主人を落ち着かせる。
どうにかお気に入りの侍女を遠ざけたい。芝居がかった提案の真意に、リザリアはとっくに気づいていた。

「残念ですが、それは叶いません。わたし、近いうちに城を去るつもりをしていますので……報告が遅れてしまい、申し訳ありません」

突然の報告にティエナが目を見張る。王太子の国内視察の同行者から外されたことを知ったときよりも大きな驚きを見せ、やがて深いため息とともに椅子に深く腰掛けた。

「そうなの。……ええ、そうね、……それがいいわ……」

ピンク色の愛らしい唇の両端がかすかに持ち上がる。安堵と恐怖が混ざり合う主人の複雑な表情に、リザリアの胸が痛んだ。
異世界の少女が降臨したことにより、ティエナは王家にとって不要な存在となった。しかし神託のしがらみが邪魔をして、婚約の解消は難しい。

——だったらティエナそのものを、うまい具合に始末してしまえば良いのでは……?

王家の不穏な動きに、ティエナは勘づいている。彼女は身に迫る危険にリザリアを巻き込まないために、自分から遠ざけようとしているのだ。

「今までありがとう。わたしがここまでがんばれたのは、あなたのおかげよ。でも、これからはもっと自分でしっかりしなくちゃね」

後腐れなく送り出そうとしてくれる、主人の心遣いがリザリアの良心にグサグサと刺さる。わたしはそんな、他者に感謝されるような人間じゃないのに。

「ティエナ様……」

ドクドクと、心臓が強い鼓動を刻む。頭がくらくらする。
緊張した面持ちでリザリアはティエナのそばを離れ、足音を立てないよう慎重にバルコニーのついた大窓と、部屋の出入り口である両開きの扉の外をうかがった。
聞き耳を立てている者はいない。それを確認して部屋の中央に戻ると、腰をかがめてそっと主人に耳打ちした。

「もしも、ティエナ様に……殿下やこの国に未練がないのであれば……、その……」

言い澱んで迷ったのは数秒のこと。唇をきつく結んで覚悟を決めた。
リザリアはティエナの前で床に膝をつき、主人の手を握りしめた。

「わたしと一緒に、ここから逃げましょう。決められたルートで巡る、国の綺麗な部分だけを見せられる虚栄にあふれた視察などではなくて……ティエナ様ご自身の目で、世界の広さを確かめたくはありませんか?」

その誘いに、ティエナは戸惑いながらも目を輝かせた。




これがはじまり。
こうして二人は王国を出奔し、大陸を旅することになった。
しかし間違ってはいけない。一国の王太子の婚約者を唆したとも、誑かしたともとれる、リザリアの一大決心は、不遇な主人を憐れんだ末の行動ではなかった。
彼女にはティエナの専属侍女になるよりずっと前から、誰にも打ち明けられない秘密があった。




   *



城を出奔した直後——追っ手を撒くためにあれこれ偽装工作にいそしんでいたころ、彼女は腰まであった髪を切った。
旅にはなにかと危険が付きものだ。特にに若い女の二人旅ともなると、よからぬことを企むやからの標的になりやすい。
危険をなるべく回避するために、性別を偽る道を選んだ。さらには名前を変えて、彼女は王城勤めの侍女・リザリアだった自分自身と決別する。

しかし女性特有の華奢な骨格と、一部分を除いて肉付きがあまりよくない細身の体格。身長の伸び悩みもあり、成人済みの男性に変装するのは無理があったため、彼女は主人と歳の近い従者を装うことにした。
豊満な胸は布をきつく巻いて押さえつけ、肉体のラインが見えない服をあえて選んで体型を隠した。ぱっと見だけならもうすぐ成長期を迎えて青年になりかけている年ごろの少年で十分通用する。

旅の道中で彼女と関わることになった者の中には、少なからず違和感を抱いた者もいただろう。少年のあどけなさからくる色香とは別種の艶は、本人が細心の注意を払っていても隠しきれないところがあった。
吊り上がり気味の大きな目は彼女の気の強い性格をありありと表しているも、その性格は実直とはほど遠い。のらりくらりとしなやかに、手を替え品を替え、ときには含みのある態度で牽制し、ときにはわざと隙を見せて相手の懐へと潜り込む。そうやってしたたかに生きる方法を、道すがらに出会う者たちに実践して、彼女は主人であるティエナに外での生き方を教えていった。




   *




三年後、リザリア改め——リゼは二十一歳になっていた。
相変わらず、焦茶色の髪はうなじが見えるくらいに短い。

大陸西部にて。
日が暮れてからたどり着いた町の宿屋で部屋が取れたのは幸運だった。それも旅人がひしめき合う大部屋の雑魚寝ではなく、二つのベッドが並ぶ個室だ。

ひと月ほど前にティエナとの旅に新たな同行者ができてからというもの、道中の快適さが格段に上がった。同行者の恩恵にあやかれることをありがたく感じる反面、それまでの自分の努力はなんだったのかと苦い思いが込み上げる。
どうせわたしには、富も名声も、旅に役立つツテもない。
卑屈な自分を胸の奥に閉じ込めて、リゼは雨風がしのげる快適な空間での休息を主人と喜んだ。
深夜、隣で眠る主人を起こさないよう気をつけながら、リゼはベッドからそっと身を起こした。
朝からずっと歩きっぱなしだった疲れもあり、ティエナはすっかり夢の中だ。

音を立てないように注意を払いつつ立ち上がり、忍び足で部屋を出る。
宿屋に泊まる客のほとんどは旅人だ。この時間、昼間の疲れで彼らは明日に備えてすでに眠りについていて、建物全体がしんと静まり返っていた。

足音を殺し、隣の部屋へと足を運ぶ。小さくノックしたのち返答を待たずに扉を開け、隙間からするりと中に入った。
ドアノブを回したまま、後ろ手にゆっくりドアを閉める。
室内では男が待っていた。奥の壁にもたれて腕を組み、冷徹な顔で男はリゼに凍てつく視線を送る。
もとよりこの男から快く思われていない自覚があるので、ぞんざいな態度にも別段心は傷つかない。

「……お話しとは?」

リゼ自身も感情をこめずに淡々と、壁一枚隔てた場所にいる主人の眠りを妨げぬよう小声で男に問いかけた。
言葉による返事はない。切れ長の双眸がリゼに向けられる。鋭い視線に胸の奥がざわついた。
男の名前はギルバートという。大陸をながいあいだ東西に分断してきた大河、テュエッラ川より東側では名の知れた冒険者だ。

彼が有名な理由は、剣や魔法の技術が突出しているからだけではなく、その出自が大きく関係していた。
ティエナと同じ明るい金色の髪に、濃いエメラルドグリーンの瞳。エルフか妖精か、祖先の血筋には諸説あるらしいがとにかく人ではない人智を超えた存在の血を引く種族——フィーネの民の特徴をギルバートは持ち合わせているのだ。
反応が乏しい男が薄い唇をわずかに動かす。

「……ティエナは?」

感情のこもらない低い声に、リゼは主人の眠る部屋があるほうの壁を一瞥した。

「お疲れだったようで、すでにお休みになられてます」

その言葉を受け、ギルバートが壁から背中を離した。
高身長の男に見下ろされ、威圧感にうっとい気が詰まる。それでもリゼは表情を見せないギルバートを負けじとまっすぐな視線を返した。

「それで、ティエナ様には聞かれたくないお話とはなんでしょうか」

ギルバートの鋭利な目が細められる。伏せ目がちになると、長いまつ毛が目元に影を落とした。
遠慮なんてかけらも知らないギルバートが言葉に迷う様子に「おや?」と一瞬気を抜いたリゼだったが、男の憂いを帯びた表情はすぐに元の冷徹な印象に戻ってしまった。急にピンと空気が張り詰め、リゼの背筋が伸びた。

「お前は……女だな」

そうして放たれた指摘は、確信のこもった口調だった。

「……なぜ?」

これにリゼはにこりと笑みをたたえ、努めて冷静に切り返す。

なぜ、女だとわかったのか。
なぜ、今になってそれを確認するのか。
なぜ、ティエナには内密にしなければならないのか——。

男がリゼの抱える秘密について、どこまで把握しているのかが不明な現状での安易な釈明は首を絞めることに繋がる。
発言は慎重に、間違っても焦りを顔に出してはいけない。
互いが互いの反応を注視して、探り合う。膠着状態はそう長く続かなかった。

「——指輪」

言いながら、ギルバートがリゼの左手を指し示す。

「それはテュエッラ川より西側の、星辰信仰に関わる護りの指輪だ。災いの星の下に生まれた者を災禍から守ため、そして次代に災いを受け継がせないため、生涯の未婚を義務付けられた者に神殿が発行している代物だろう」

——知られている。左手の薬指の付け根から、第一関節の手前まである太い木製の指輪。こぶしを作った左手を右手で覆い隠したのは無意識だった。

「災禍の星とされる子どもは、貴族や豪商の私生児に不思議と多く現れるらしいな。不義の子を家の後継ぎから徹底的に排除する権力者と、後押しする神殿の金銭が絡んだやり取りが見え透けているが、それについて今は置いておこう」

しかも教会の裏事情まで筒抜けときた。
いつになく饒舌に喋る男は、容赦なくリゼを追い詰めていく。

「護りの指輪は性別によって着ける指が決まっているそうだな。たしか男は中指に、女は薬指——だったか」

落ち着け。ここで取り乱してはいけない。リゼは顔の高さまで手を上げて、自ら進んで左手の薬指にはまる木製の指輪を正面の男に掲げた。

「ギルバート様は西の文化にも造詣が深くあらせられるようで。……おっしゃるとおり、この指輪は神官様よりいただいた厄災避けのアイテムであり、わたしはティエナ様の侍従ではなく、お付きの侍女なわけですが……」

指輪をした手を口元に添えて、小さく忍び笑う。

「こちらはてっきり、ご承知のうえで黙認いただけているものとばかり思っておりました」

それがどうしたと、余裕をみせてやる。

「……そうだな。でなければティエナと同室で休むことを認めなかった」

お前の許可なんていらない——などとは、思っても口に出さない。にこりと笑みを顔に貼り付け、リゼは男の真意を探った。
重要なのは、リゼの性別なんかじゃない。ギルバートは自身が西方地域の文化に精通していることをほのめかし、揺さぶりをかけてきているのだ。探りを入れたい事柄は、別にあるはずだ。

「性別を偽ったのは安全のためか」

「ええ、女の二人旅より幾分かマシでしょうから」

「子供二人だと性別に関係なく危険が増える気もするが……」

「あいにくと、子供と呼べる年齢はとっくに過ぎてしまってますので、こう見えてそれなりに経験豊富なのですよ」

ああ言えばこう言う。雑談に見せかけた探り合いに、リゼは正面から応じた。
なかなか尻尾を見せないリゼに、ギルバートが呆れまじりに息を吐き出す。

「そろそろ、腹を割って話さないか?」

「特別にわたしから申し上げることなどなにも」

嘘ではない。信用できない男に打ち明けられるような隠し事がないという意味で、正直に答えたつもりだ。

「……ならばこちらから開示しようか……」

ポツリと呟かれた声はあまりにも小さく、注意を払っていたリゼの耳にもかろうじて音が届いたぐらいだった。
ギルバートが長い足を一歩踏み出す。引き腰になったリゼは逃げるべきかと迷ったが、結局その場に踏みとどまった。
手を引かれてベッドに押し倒される。背中にまわされた腕に支えられたから、身体に衝撃はなかった。リゼの身を案じたというよりも、大きな音を立てないための配慮だろう。

仰向けになったリゼの上にギルバートが乗り上げる。
内心で軽蔑しながら、ふっと鼻で笑ってやる。
深夜に呼び出された時点で、これくらい想定していた。組みしかれたぐらいで慌てふためくと思うな。

「一夜の相手がお望みならば、最初からそう言えばいいでしょう」

煽るようにギルバートの頬へ手を添える。指先でつぅ……と輪郭をなぞるが、わずらわしそうに払われてしまう。

「うぬぼれるな。お前に手を出すほど女に困っていない」

「だったら……」

「女を正直に吐かせるにはこれが一番手っ取り早いだろう」

男の大きな手に頬を撫で返される。
プツリと、リゼの中で何かが切れた。
強気にギルバートを睨みあげ、自らに触れる手をはたきのける。

「馬鹿馬鹿しい。付き合ってられないわ」

「それが本性か」

「社交辞令を知らないの? 円滑な人間関係の基本よ。もういいでしょう、早くそこをどいてちょうだい。くだらない話をするぐらいなら休みたいの」

ベッドから抜け出そうと身を捩るが、ギルバートは逃走を許さなかった。
痺れを切らしたリゼが膝を振り上げる。男の股間を狙った奇襲を相手は想定していたようで、簡単に受け流されてしまった。

「こんのっ……」

くらいなさいよ冷血漢がっ!
体勢を立て直そうともがくリゼの口をギルバートが手で覆い塞ぐ。

「騒ぐな。隣に聞こえてお前の主人が起きてしまうぞ」

「——っ」

ティエナのことを持ち出され、リゼは二撃目を加えようとしていた足を咄嗟に止めた。
あの子が物音に気づいて様子を見にきたら——状況からして、ギルバートがリゼを襲っていると判断しかねない。そうなると、ギルバートたちと交わした契約をなかったことにしてでも、ティエナはリゼを守ろうとするだろう。
ティエナならそうする。確信があった。あの子はわたしのことが大好きだから。
だが、それではリゼが困るのだ。
困惑を見透かしたようにギルバートが耳元で囁く。

「せっかく見つけたトロスラライへの案内人を失ってもいいのか?」

「……っ、ゲスが……」

口を解放された途端に吐き出された恨み言は、憎しみが込められながらも声量は小さい。

「なんとでも言えばいい」

悪態を受け止めたギルバートの呟きもまた、かろうじて耳に届く程度に抑えられている。
腹立たしいが、この密会をティエナに知られたくないという一点だけは、リゼとギルバートの意見が一致していた。

「……ティエナ様に同じことをしたら殺す」

殺気立つリゼに、ギルバートは顔色ひとつ変えない。

「同族に無体を働くほど落ちぶれてはいない」

主人の故郷への案内人として雇った男は、依頼を即答で受け入れはしたものの、最初からリゼを仲間として見ていなかった。ギルバートが大切にしているのは、己と同じフィーネの民であるティエナだけだ。
たとえ自分が快く思われていなかったとしても、邪険に扱われようがリゼはどうでも良いのだが、この展開はいただけない。

交わした契約に従って粛々とフィーネの民が暮らす幻の国——トロスラライに案内してくれたらよいものを。ギルバートが大陸西方の文化に詳しかったのは痛い誤算だった。
夜更けにベッドの上で、女と男が重なりあう。淫らなシーンを彷彿させる状況に反して、室内は殺伐とした空気が張り詰めていた。

「答えろ。俺たちに近づいた目的はなんだ」

「……ティエナ様が、ご自身の故郷へ帰りたいと望んだから。それ以外の答えがあると思いますか?」

うそぶきながら、リゼは心の中で苦虫を噛み潰した。他の目的があると確信しているからこそ、こいつはこうして追い詰めてきているのだ。

両手を頭上でひとまとめにして自由を奪われる。足を振り上げようにも男に体重をかけて抑えつけられてはどうにもならなかった。体格差が恨めしい。
ギルバートはリゼの細い手首を拘束したまま、もう片方の手で彼女のボトムスのボタンを器用に外す。
くつろげた前立ての隙間から長い指が差し込まれる。ショーツ越しに秘部を触られても、リゼは顔色ひとつ変えなかった。
この程度で辱めたつもりか。
これぐらい、過去に受けた教育に比べたら、どうってことない。

「何をされてもわたしの答えは変わらないわ」

「だろうな。そう簡単に口を割るとは思っていない」

クロッチを挟み、秘裂に男の無骨な指先がくい込む。

「……っ」

睨みをきかせるリゼの眉がかすかに動いた。
ピリついた空気が満ちる密室を沈黙が支配する。気を散らす要素が少なすぎて、嫌でも秘部の感覚に意識が向いてしまう。
お尻側から前方へ、陰唇の間をとおりすぎた指はクリトリスの上で止まる。皮を被った肉芽をソフトなタッチで押され、リゼは侮蔑のこもった眼差しでギルバートを見上げた。

「民衆に神聖視される精霊の末裔が、こんなふしだらなまねをして……これじゃあそこらにいる飢えた男どもと変わらないわ」

「そうだな。お前を組み敷いているのは、ただの男だ」

間髪入れずに返された。目的が明確であるから、迷いがない。挑発で怒りの感情は引き出せないから、付け入る隙もない。厄介な相手だ。
舌打ちしたい衝動は、歯を食いしばることでこらえた。
その間にもギルバートはリゼの秘部をまさぐってくる。加減された丁寧な手つきにもどかしさをおぼえる自分自身が忌々しい。

「…………っ」
クリトリスをショーツの上から爪で引っ掻かれる。サリサリ、サリサリ……、両者が息を殺す静かな室内にて、布を爪で擦る音がやけに目立った。

「……ふっ、……ん」

我慢比べに先に音を上げたのはリゼだった。鼻から抜ける吐息とともに、刺激に耐える声が漏れる。しだいに呼吸が乱れ、身体が熱くなりはじめる。
発情の気配に焦りが生じるも、口から出かかった罵倒の言葉は男の冷めた視線を受けて寸前で思いとどまった。
声を荒げてたら、ティエナが起きてしまう。
「くっ、そがっ……」
代わりに自身を組み敷く男を射殺さんばかりに鋭く睨むものの、相手はリゼの怒りにこれといって反応を示さない。そのことでまた、さらに神経を逆撫でされる悪循環だ。

サリサリ、カリッ……スル、スル……。

「……っぅ、……んぅ……っゃ、ぁ……っ」

絶妙なタッチでクリトリスをいじられ、甘い刺激から逃れようと腰が左右に揺れた。股のあいだにギルバートが陣取っているため脚を完全に閉じらず、無意識に力のこもった内腿で彼をぎゅっと挟み込んでしまった。
邪魔すぎる。存在そのものが忌々しい。

「ずいぶんと感じやすいようだな。身体を使って男をたぶらかすのも慣れたものか」

だったらなんだ。それがどうした——と。開き直って鼻で笑ってやるのが正解だ。しかし与えられる快感に発情を強○されたリゼはいささか冷静さを欠いてしまった。

「黙れ変態……んっ、……っ!」

怒りを剥き出しにした地を這うような声。発した悪態は長く続かず、クリトリスを指腹でぐりりと押しつぶされたことで中断した。そうして腰がビクンッと跳ねる。

「その変態の愛撫でよがっているのはどこのどいつだ?」

クロッチの隙間からショーツの中へと差し入れられた男の指が、秘裂を直接撫で上げる。
ぬるり。恥部を抵抗なく滑る指の感触に、リゼは唇を噛んだ。

「濡れてるな」

言われるまでもなくわかっている。しかしあえての指摘に羞恥を覚えずにはいられない。
愛液でぬかるんだ膣口の上を通り愛液を掬った中指が、今度は直接クリトリスに触れた。包皮から顔を出した肉芽のてっぺんをなでなでされて、腰がビクンッとひときわ強く跳ねた。

「ふっ、ぅ……っ、ゃぁ……っ」

甘い刺激を受けて充血した粒は、次第にぷっくりと膨れて皮の中から姿を現す。素直な肉芽を褒めるように、剥き出しになった裏筋を指先が往復した。

「……っ、ん……ふっ、……っく、ぅ……っ」

クリトリスを責めるあいだ、ギルバートは顔色ひとつ変えず、リゼの表情を観察する。

「や……ぁっ、……ぃっ……ぅぅ……」

些細な変化も見逃すまいとする理性的な瞳で見つめられ、リゼの背筋に悪寒が走る。しかしそれも快楽から生じた火照りですぐに消え去り、わずかな恐怖だけが尾を引いて残った。
ギルバートには尋問を楽しむ加虐趣味はない。
だけど私情を挟まない代わりにコイツは、大義のためなら、なんでもする。

呆れるぐらいに使命に忠実。頑固で、付け入る隙のないやっかいな堅物。信念を貫き通せる実力もあって——。
利己的で、いつも優柔不断な、弱いわたしとはまるで正反対だ。

「……っもぅ、……ゃめっ……ひ、……ぁっ……ゃ……っ」

嫉妬心が怒りの感情に火をつける。なりふり構わずもがいて男の手から逃れようとすると、即座にクリトリスをグリリィと指腹で押しつぶされた。

「騒ぐとティエナが起きるぞ。何度も言わせるな」

眼前で淡々と囁かれ、リゼは腰をひくつかせながらありったけの憎しみを込めて精悍な顔を睨みつけた。
卑怯者が! ——と、罵りを喉の奥でぐっとこらえて低く唸る。
精神的な縛りでリゼの声を封じた男は、自らに向けられた殺気をこともなげに受け流し、クリトリスに這わせていた指を蜜壺にくぷりと含ませた。

「——……っ、ぅっ、ゃ……っ、さわんないで……」

肉路は狭いながらも、愛液のぬめりが異物の侵入を助けた。肉襞を撫で擦り、絡みつく媚肉を押し広げるようにして挿れられた指が難なく奥へと到達し、ゆっくりと引き抜かれる。そうしてクリトリスの裏側に当たったところで停止して、その部分を執拗に責められる。

こしゅ……コシュコシュッ、くぷっ、ヌチリ……っ、クチャ、……クチュクチュッ——。

耳に入る水音に、自分が感じていることを嫌でも思い知らされる。
ナカの感じるポイントを揉み押され、撫で擦られ……。刺激は次第に無視できないほど強い快感に変わっていく。無意識のうちに腰が前後に揺れていた。

「んゃ……っ、ぁっ、ぅ……っ、それ、やめ……くんぅ……んぁっ……ゃだぁ……」

やめろと言いたいのに、喘ぎが邪魔をしてうまく言葉が出てこない。声量を制限された状況下では、自身の声を抑えることに意識の大半を持っていかれてまともに抵抗もできやしない。

性行為を楽しむのではなく、ただただ相手の快感を引き出すことを目的としたギルバートの手淫は容赦がなく、リゼの意思に反して肉体は昂まる一方だった。
膣内がぎゅうぎゅうと収縮を繰り返す。嫌だ嫌だと嘆きながらも異物からさらなる快楽を得ようとするあさましさに、頭がくらくらする。

——お前は駄目だな。肉体が敏感すぎる。これでは使い物にならん。
——いっそヘンタイ貴族にでも売り払いますか?
——……いや、頭のできは悪くないからな。他の使い道がある。

快楽に身悶えるさなか、ふいにおぞましい声が脳裏をよぎった。忘れていたほうが都合のいいことを、思い出してしまった。
ああそうだ……わたしに「そっちの才能」がないのは、「あの人たち」のお墨付きだった。馬鹿みたいな誘い方をしたけど、コイツが流されてくれなかった時点で、失敗したも同然じゃない。

——わたしは、快感に弱い。

苦々しい記憶が、リゼに自らの弱点を再認識させる。ベッドの上での駆け引きに、わたしは向いていない。

「……ゃっ、やだ……っ、やめ、て……もっ……」

自覚してしまうとことさらに、心の砦が脆くなる。強気な仮面がはがれ落ち、リゼが怯んだことをギルバートは目敏く察知して膣壁をグリリと強く押した。

「嫌だと言うわりには腰を揺らして、ずいぶんと気持ちよさそうだが? 膣肉も、俺の指にしゃぶりついてくる」

「ちが……うぅっ、……っんぁ、あっ、も……ゃ、むりっ、こえ、でちゃ……っぅ……っ!」

プライドを捨てて訴える。このままではティエナに自身の喘ぎ声を聞かれてしまう。
ふいに両腕の拘束がゆるむ。咄嗟にリゼは手で口を覆い隠すように押さえた。ギルバートを退けるために自由になった両手を使っている余裕はなかった。
内側からクリトリスを押し出すように膣壁を押され、甘い痺れにみまわれる。ぞくぞくとした快感に背中がしなった。

「っ……ふぅ、んっ……んぅ、くっぅう……っ」

こんなはしたない姿、ティエナにだけは絶対に知られてはいけない。とにかく声を出すまいと必死だった。
快楽を逃すことを二の次とした結果、リゼの肉体はたやすく高みへと昇り詰めていった。

「んっ、んんっ、くっ、……————っ!」

秘部で弾けた快感が、脳天へと駆け抜ける。息を殺し、声を殺し、力んだ身体がビクンッと大きく跳ねた。きゅうぅとキツく締まる蜜壺からは蜜があふれ、男の手につたい落ちた。

「この程度で気をやるか。……淫乱な女だ」

ギルバートの指は変わらず秘部に埋まったまま。達した際の硬直が弛むのを見計らい、再び狭い蜜路の中を動きだした。

ぐじゅり……くちゅ、くちゅっ……。

「……っ、ふぅっ……、ぃゃっ、だめ……っ、いまは、もう……やだぁ……ぁっ、ぁぁ……ぅっ、んっ…………————っ」

絶頂に達して敏感になった肉体に、さらなる快感を与えられる。
責め苦は終わらない。
膣壁のクリトリスの裏側、肉襞を押しつぶすように指の腹で擦られ、また息が上がっていく。

「んっ、んぅ……やっ……ぁ、ぅ…………っ、やぁ……っ、〜〜〜〜っ」

どうにか身体をひねってうつ伏せになるが、膣から指が抜けたのは数秒のことだった。無駄だと言わんばかりいともたやすく仰向けに戻され、乗り掛かるようにして身動きを封じられる。
そうしてまた、ショーツをクロッチを押しのけた指は愛液で蕩けた膣へと侵入を果たした。

「……っ、ぅう……く、……っ、ぁっ……んぅ……ふっ、ぅぅ……」

ギルバートの指は膣内の感じるポイントから離れない。次から次へと迫り来る快楽の波に怯えたリゼは、無意識に伸ばした手でベッドの隅に追いやられていた枕を掴み、引き寄せた。
いやらしい声を、隣の部屋で眠っているティエナにだけは聞かれたくない。その一心で枕を顔に押し付ける。

嫌だ嫌だと心では拒絶しながらも、リゼの肉体は理性を裏切り悦楽を貪った。





ぷっくりと勃起したクリトリスの上を、指先で優しく撫でられる。何度も何度も、執拗に——。

「……っ、ぅ…………っ!」

内腿を小刻みに震わせて、リゼはあっけなく絶頂に達した。
もう嫌だと心の中で叫んでも、身体は持ち主の意思に反して快楽を享受する。膣道に挿さる男の長い指を媚肉が食い締め、腰を浮かせてさらなる刺激をねだる。
堪え性のない淫らな肉体に嫌悪感が込み上げるも、認識した感情は数秒後には快楽に流されてしまう。

声を出してはいけない。ティエナにこんな無様な姿を見せてたまるか。淫蕩に耽った思考に残った使命感が、リゼの理性をかろうじて繋ぎ止めている現状。
厚みのある枕を抱きしめ、ひたすらに終わりを願う。
苦しみは耐えてしかるべき。わたしは、我慢、しなきゃいけない。受け入れて、耐えて、逆らわず、背かず、苦しんで、覚える。——そう、身体に教え込まれてきた。
自分を追い詰めるギルバートに全力で反抗できないことに、その思考の根底にある「刷り込み」を自覚する余裕はリゼになかった。

「……ふぅ……っ、ゃだぁ……ぅぁっ、ぁ……ぅぅ……」

膨らみを隠すために胸にきつく巻いた布が、リゼの呼吸の邪魔をする。
熱い。全身を巡る血液が沸騰しているみたいだ。噴き出した汗が着ている服に吸収され、外気にさらされ熱を奪うはずが、胸部の布が邪魔をしている。深い呼吸の妨げにもなり、さらにリゼを苦しめた。

クリトリスを押し出すようにナカの肉壁をグニグニと揉まれ、突き出た卑猥な肉芽は親指で押しつぶされる。

「——っ、……ぁっ、ぁ……ぃぁ、やぁ…………っ!」

ナカと外から快楽神経の塊を挟み撃ちにされてはひとたまりもなかった。
絶頂から降りきっていないのに、またイッた。ぎゅうぅっと全身をこわばらせた刹那、腰が大きく跳ねてベッドへと沈む。
息を乱して緊張と弛緩を繰り返すリゼを冷めた瞳で見下ろし、ギルバートは秘部から手を退けた。
嫌だ嫌だと言うわりに、リゼは全力で抵抗しようとしない。かといって快感を楽しんでいないのは一目瞭然で、敏感な肉体を持て余して与えられる刺激に泣いているのだ。
しかも征服者を退けようとせず、残った理性で声を抑えることに全力を注ぐ。

リゼの行動に違和感を覚えるも、ギルバートはその点を言語化できなかった。漠然とした不審感よりも、はっきりと見える場所にリゼを疑うもっともな理由が、彼にはあったのだ。

「ヘル・シュランゲ……《業火の蛇》と呼ばれる組織は知っているな。サイディ王国に拠点を構える地下組織だ。最近では大陸の西側にも勢力を伸ばしている」

リゼの耳に、低い声が届く。快楽にのぼせた頭では言われた意味を理解できず、ただ何か話しかけられたとしか認識できなかった。

「……?」

抱きしめるようにして顔に押し付けていた枕をずらし、リゼはギルバートを見上げた。

「ヘル・シュランゲの構成員は、身体のどこかに蛇の刺青を入れているそうだな」

——ヘル・シュランゲ……。ギルバートの声の発音をひとつの単語として意識した途端に、快楽の余韻に身悶えていた身体がぎくりとこわばった。
大きく見開いた目線の先で、抱える枕を奪われる。そうしてリゼは、ギルバートに左手を掴まれた。
手のひらに男の体温をじかに感じて、心臓がドクドクと鼓動を強める。

「服を剥いで全身を調べる必要もない」

確信に満ちた物言いに血の気が下がる。
疲労感に畳み掛けるように突きつけられた現実に、脳がパニックを起こしてまともに動けない。
ギルバートはリゼの左手の薬指から、木製の指輪を抜き取った。

「————っ」

「知らないとでも思ったか?」

日ごろ指輪で隠されているリゼの指の付け根には、刺青があった。ぐるりと一周、曲線を描いて指に巻き付き、自らの尾を喰む、毒々しい青色の小さな蛇が、そこにいた。

——ばれた。

「……っ、返してっ」

咄嗟に掴まれた手を振り払う。無表情で見つめてくる男は思いのほかあっさりと、リゼに指輪を返した。
しかし指輪を薬指に戻す暇は与えられず、ギルバートに両手首を掴まれシーツに縫い止められてしまう。

「答えろ。地下組織の構成員が、ティエナを利用してトロスラライを目指す目的はなんだ」

射殺さんばかりに鋭い目つきですごまれる。ひゅっとリゼの喉がなった。
怖い。ギルバートの威圧は、肉体の発情を一瞬で吹き飛ばした。快楽の熱に浮かされていた思考が冷めて、湧き上がる恐怖が理性を呼び戻す。
正気に戻ったリゼは怯えながらも、気丈に男の視線を受け止めた。

「無意味な問いかけね。……こっちの言うことなんて、どうせ信じないんでしょ」

震える声で言い切った。ギルバートは顔色ひとつ変えない。

「ティエナ様に告げ口でも忠告でも、好きにしたらいいじゃない」

投げやりな挑発には呆れ混じりの息を吐かれた。余裕綽々な態度がいちいち癇に障る。

「……ティエナに貴様の正体を暴露したところで、彼女は俺を信じないだろう」

男の呟きを鼻で笑う。

「でしょうね」

現状、ティエナはリゼに全幅の信頼を寄せている。それは長い時間を共ににすごしてつちかった賜物だ。
ギルバートがリゼについての忠告をしても、ティエナは絶対にリゼの肩を持つという確信があった。
ギルバートがリゼをトロスラライへの旅の同行者から外そうものなら、ティエナは間違いなくリゼに着いて行く。彼女はギルバートとの決別を迷わない確信があった。
しかしそれはリゼにとっても、そしてフィーネの民を祖国トロスラライに返したいギルバートたちにとっても望むことではない。
結果として、正体を知ったところで、ギルバートはリゼを始末できない。
ティエナの愛情を盾にして、リゼは口端を持ち上げた。悪辣な笑みを浮かべて、卑怯者になりきる。

「別にわたしは、ここで契約を破棄していただいても問題ありませんよ?」

いいように泣かされた自分が許せず、投げやりな気分で言い放つ。これで快楽に我を忘れて悶えた失態を挽回できるとは思えないが、少しでもギルバートが向ける印象が変わればそれでいい。

狡猾さに嫌悪感をあらわにしろ。ひ弱で淫乱な女だとみなされるより百倍マシだ。
リゼの渾身の挑発に、ギルバートはかすかに眉を寄せる。反応はそれだけ。冷徹な男は怒りをあらわにすることもなく、少しの間を置いて薄い唇を開く。

「……いや、当初の予定どおりにトロスラライを目指す。貴様を外すつもりはない」

自らの決定に、彼はすぐさま「ただし……」と付け加える。

「ティエナを連れて俺たちから逃げるなら、貴様はすぐにでも殺す。組織の仲間と連絡を取るなら、そいつもろとも捕縛して、口を割らせて始末する。たとえそれでティエナの信用を失おうが、フィーネの民を守ためなら俺は手段を選ばない」

微塵も迷いがない。ああコイツは本気だと理解した途端、場違いな笑いが込み上げた。
未来に希望もへったくれもない。トロスラライまでの道すがらは、ただの猶予期間でしかなくなった。

ギルバートはリゼをあえて泳がせて、目的地へ着くまでに、ティエナの信用を奪い取るつもりだ。
リゼが逃げないように監視しながら。
リゼの裏に潜むものを探りながら。
リゼを追い詰め、化けの皮を剥ぐとの——宣戦布告。

こんなの、笑うしかない。
それでもここで声をあげて嘲笑するのが場違いだとはリゼも自覚しているので、唇を噛み締めて表情を歪めるにとどめた。

——どいつもこいつも……わたしにどうしろって言うのよ。

奪い返した指輪をきつく握り、やり場のない怒りを誤魔化した。
大丈夫だ。まだ、わたしの人生は詰んでない。

「あらあら、ティエナ様と一緒にいることを許してくれるなんて、見た目以上にずいぶんと甘い方なのね」

ティエナをトロスラライに連れて行く。目的が同じであるにもかかわらず決して相容れることできない男への、精一杯の皮肉だった。
それを真正面から受け止めたギルバートは、少しの逡巡の末に静かに口を開いた。

「そうだな。尻尾を出したあかつきには、貴様もろとも蛇どもを根絶やしにしてやる」

——言ってくれるじゃない。どうせアンタの警戒は徒労に終わる。それにわたしだって、アンタが清廉潔白だとは思ってないわ。

ティエナと同じフィーネの民だからといって、手放しにティエナを託せるほど、リゼはギルバートたちを信用していない。
疑っているのは、お互いさま。利用しているのも、お互いさまだ。
淫蕩な空気から一転して、室内の空気がピリつく。

「……はっ、やれるもんならやってみなさいよ」

何もかもが馬鹿らしくなってきた。リゼは今度こそ耐えきれず、自分自身の滑稽さに失笑を漏らした。



【第1話に続く】

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