しゅれでぃんがー 2020/10/19 22:45

日記 適度

 工事で解体した風呂やキッチンを、廃材として回収してくれる業者がいる。業界用語でいう、ゴミ屋さんというやつだ。産業廃棄物回収業者というらしい。職人はトラックを持っていないと、そもそもゴミを移動させることができないので。営業さんが工事工程の中で、呼んでくれないと困る業者さんである。

 知り合いがいた。私がリフォーム屋に潜り込んだのと同時期ぐらいに入社したらしい。ゴミ屋さんの運転席に乗った若いお兄さんだった。若いから、というわけじゃないだろうが。よく働く。力がある。愛想もいい。私はなんとなく、同年代のシンパシーを感じて。親近感から、顔を合わすたびにちょっと嬉しくなっていた。

 最近、そのゴミ屋さんを呼ぶ元受け会社の仕事を殆ど受けなくなったので疎遠だった。元気にしているだろうか、なんてことは全く思ったりしていなかった。普段気に掛けるほどに感心があったわけではなかったからだ。先日、久しぶりにその元受けの仕事が入り、そのゴミ屋さんが回収に来た。しかし、おじさん一人だけ。若いお兄さんを指導していたおじさんである。私は何の気なしに、あのお兄さんは元気ですか、と尋ねた。独り立ちして一人で回ってるのかと思ったから。しかし。

「やめた」

 の、一言。私はぽかん、と目と口が塞がらない。熱中症で倒れてそのまま辞めたらしい。よく働く人だったから、頑張りすぎたようである。そのおじさんは続けて、「あほみたいに頑張って……」と言った。私は思わず嫌悪感を覚えたが、おじさんの言い分ももっともだとすぐ思い直す。倒れるほど仕事しても、会社からは欠片も還元されない。むしろノルマを増やされるだけで、給料なんて上がらない。そして、使い潰されて捨てられる。そういうものである。それらを全部含めての、「あほみたいに頑張って」、という言葉だったのだろう。その言い方は好きでは無いが。それ以外に言いようがないのだ。

 私も、昔ブラックな要支援自動保育施設に入社したことがある。そして、三か月で辞めた。どれほどまでに頑張っても、ハードルが上がり続け残業ばかり増えてパワハラも無くならない。会社で働くこと、そこで頑張ることの無意味さを嫌というほど思い知った。あの時、もう二度とサラリーマンはしないという決意が固まった。高等学校で働いていた頃からぼんやりと考えていたが。あの経験が決定打となった。その話も、いずれ書こう。

 体を壊したら、元の体は戻ってこない。たとえば私が両手の指を建材に挟んで潰したとする。労災が降りれば御の字だが、お金がもらえようが両手の指は戻ってこない。そうなると、もう文字が書けない。それは私にとって耐えがたい事である。それゆえに、私は仕事で頑張らない。時々仕事に没頭して頑張り始めることがあるが、自覚した時点でクールダウンするようにしている。あくまでも、お金を稼ぐためにしていること。給料以上には働かない、怪我をしないことが最優先。それが「適度な労働」というものだ。給料以上に働いて見返りがある職場ならいいだろう。どんどん働いて登っていけばいい。だが、自分が働いている職場がそうでないと確信しているなら、絶対に頑張って働くべきではない。行き着く先は、身体を壊すかうつ病になって退職することになり。病んだ身体では、元の生活ができなくてボロボロになるだけである。


 頑張ることは美徳である。だが、頑張る価値の無い場所で頑張ることは白痴である。その見極めが、大切だ。

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