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しゅれでぃんがー 2023/02/02 17:49

【文字――物語概論】このすば佐藤カズマに見る必殺技の重要性

 大ヒットして多くのメディアミックスが行われた『この素晴らしい世界に祝福を!』(以下このすば)。この作品、ゲームもたくさん作られているが。それらを見ていると、なんとも面白い教訓を得ることができる。この項ではそれについて見ていこう。





 このすばの主人公である佐藤カズマは、小説家になろうで連載していた原作小説では不死王の手を必殺技として覚えていた。道具屋の元魔王軍幹部のウィズから教えてもらった禁断の魔法で、おおよそ駆け出し冒険者が使えるような魔法ではない。佐藤カズマはこれを使うことにより、いろいろな問題をやっつけていく。


 ただ、この魔法はあまりにも強すぎた。そのせいか、商業で小説家デビューした時は覚える魔法が不死王の手ではなくドレインタッチに変更されてしまったのだ。これには、あるどうしようもない背景がある。と、読んでいると読み取れる。小説本編では、被害に遭った御剣キョウヤが何度となく佐藤カズマに頼みごとをしにくる。が、そのたびに周囲のキャラやヒロインたちに話の腰を折られて有耶無耶になる。これは何を言いに来ていたのかというと、「自分に不死王の手を使って欲しい」と言いに来ていたのだと推測される。なぜ使って欲しいと言いに来ていたのかは、原作小説版の最終巻も流れが一緒なので読めば分かるから読んでみて欲しい。


 だが、この作品の作者自体も、何事もすべてのことが不死王の手で解決できてしまうことに気づいている。だからこそ、御剣キョウヤに毎回最後まで言わせなかったのだ。で、商業化にともないそもそもその問題を根本から解決するために。不死王の手を没にして、ドレインタッチに変更したのではないだろうか。これ自体はただの憶測なので、現実はどうだったのか分からないが。


 しかし、これのせいで佐藤カズマはメディアミックスにおける無視できない大きすぎる問題点を背負うことになった。それが、必殺技不在問題である。




 この作品はたくさんのメディアミックスが行われ、ゲームがたくさん出ている。それらのゲームは大本の設定をアニメ版下地で作られているので、佐藤カズマは不死王の手を覚えていないという設定である。


 では、各ゲームにおける佐藤カズマの必殺技をここで確認してみよう。情報はwikiより転載。自分はシューティングのやつしか知らなかったのだが、ツクール製のっぽいやつもDVD特典に付属していたらしい。





・この素晴らしい 世界に祝福を! in the life !
がむしゃらタックル
スティール
花鳥風月


・この素晴らしい 世界に祝福を! 復活のベルディア
ボスからスキルをラーニング(〇ックマンのオマージュだから)


・この素晴らしい世界に祝福を!〜希望の迷宮と集いし冒険者たち〜
RPGなので特筆した必殺技は無い
Lv99で爆裂魔法を覚えるらしい


・この素晴らしい世界に祝福を!ファンタスティックデイズ
ダブルドレインタッチ
狙撃





 ざっと調べた程度だがこういう感じだ。スティールだとかダブルスティールだとかの情報をどっかで見た気がするが思い出せない。ただ、ここで大切なのは【佐藤カズマだけが使う固有スキル】だとか、【敵を倒すときにお約束として使う得意技や魔法】が無い。これは、メディアミックスを請け負った会社たちはとても困っただろう。ゲームに奥義のカットインとかは定番だ。だが、佐藤カズマはカットインするほどの芸をそもそも持っていないのである。


 定番といえばスティールだが、主人公なのにノーダメージ技のスティールが奥義というのはあまりよろしくないだろう。普通にドレインタッチしてもちょっとしょぼい……せや、両手使ってダブルとかどうや! てなもんじゃないだろうか。まさしく苦肉の策。テキトーに考えたんじゃないのなら、かなり悩んだんじゃないだろうか。


 昔のゲームだとだいたいエクスプロージョンだとか花鳥風月だとか。結局仲間の技を必殺技に抜擢している。それは単純に、佐藤カズマ自体にキャッチ―な必殺技が無いせいでそうせざるを得なかったから……と、私は見ている。





 昔の作品だと、その辺はちゃんとしていた。ドラグスレイブだとか、レイガンだとか。ペガサス流星拳とか、かめはめ波だとか。技名叫んで派手なエフェクト用意したら成立できる必殺技を、物語の主人公ってのは持っていた。ただ、最近はそういうのが減ってきたように感じる。


 たしかに、そういうのってこっぱずかしい。寒い。斜に構えた人ほどからかってくる要素である。でも、こういうわざとらしいまでのベタな要素というのは。無くて困ることはあっても、あって困ることは無い。用意し得のお得な要素なのである。


 格闘ゲームでもそういうのがある。顕著なのは『電撃ファイティングクライマックス』だったか。電撃文庫の小説原作のキャラが一堂に会して格ゲーをする。そこでの必殺技も、見ていて面白いことが分かる。レールガンだとかスターバーストストリームだとか、とりあえず目立つ技を持ってるキャラはそれっぽい必殺技があるのだが。そういうのが無いキャラは、格ゲーのメーカー側が頑張ってひねり出したような技が必殺技に設定されているのだ。長くなるのですべて紹介しないが、気になる人はwikiでも調べてみるといいだろう。


 スターバーストストリームとか、原作でもキリトくんはそんなに使ってなかった記憶があるのだけど。こういうのは、一回でも使えば一生こすられる便利な技となる。特に、格ゲーでのメディアミックスなんて困ったら通常攻撃モーションを組み合わせて乱舞にして適当な名前つけるのが定番だし。




 自分でも作っていて冷めてしまう場面はもちろんあると思う。だが、メディアミックスを夢見るのであれば。一キャラに一つ、必殺技。用意しておけば、とても便利。

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しゅれでぃんがー 2023/02/02 14:30

【文字――物語概論】さらわれ姫のパラドクス

 古いゲームではお約束のように使われていた動機付け。お姫様がさらわれてそれを助けに行く。開幕のオープニングで目の前でさらわれて、それを追いかける姿を映してイベント終了。ファミリーコンピューター時代はそういうのが多かった。


 アクションゲームでの動機付けにおいてこの手段は理に適っている。冒険に旅立つ理由が一瞬で明確に成立し、そのあとに補強する必要も無い。なにせ、助けない限り冒険は終わらないのだから。途中でヒロインに対してのエピソードを挟む必要性も無い。だって、大事だから危険を顧みずに単身敵陣へ攻め入っているわけで。大事じゃなかったら、そんな危ないことしないだろう。危険を冒して戦いに身を投じる、というその行動自体がヒロインへの主人公の想いの強さを保証しているのである。


 シナリオ技術が発達していない当時は、それでよかった。単純な理由で旅立ち、目的を果たしてエンディングを迎える。ややこしかったり工夫する必要はない。というか、容量の都合上工夫してる暇が無かったというのもあるだろう。話やゲームのボリュームが大きくなると、カセットにデータが入りきらない。そういった物理的な理由もあったかもしれない。





 ただ、現代ではそうはいかない。ただ単に姫がさらわれるだけでは、クリア後にプレイヤーが疑問を持つことも増えてきた。姫は物語の序盤にさらわれるだけで、再登場はラスボスとの戦闘時とかエンディングまで出てこない。このせいで、助けた姫に対する愛着が持てない。そういう問題点が浮上してきた。


 この問題を、長い年月をかけて解決しようと試行錯誤し。未だ、それを解決できていない作品がある。それが、『ゼルダの伝説』シリーズだ。





 このシリーズはファミリーコンピューター、スーパーファミコン、任天堂64、任天堂Wii、任天堂switchと、任天堂のほぼすべてのハードで新作がリリースされている。スーパーファミコンぐらいまではそういうシナリオでも成立していたのだが……いや、スーファミの『神々のトライフォース』では、けっきょくゼルダが水晶になってただけなので、この当時からゼルダに対するプレイヤーの好感度を確保することができていなかったのではあるが。まあ、ぎりぎりなんとかなっていた。問題は、この後。『時のオカリナ』から表面化する。


『時のオカリナ』でのゼルダは、子ども時代と大人時代で登場する。子ども時代ではお城に忍び込んで少しだけ話す。が、登場するのはそこだけだ。そのあとに登場するのはラスボス戦。いや、……エンディングだったか? その前のダンジョンで出てきたか。もはや思い出せない。その程度の印象しかない使われ方しかしていない。リンクとゼルダの接点が無さ過ぎるので、ゼルダに対してプレイヤーが良い印象を持てない。私はプレイ当時、一番好きなキャラはマロンだった。接点の無い高嶺の花より、身近なタンポポやチューリップの方が綺麗に感じるものだろう。


 ゼルダ自体は途中で登場している。が、それは変装したシークというキャラに扮した状態である。これは、厳密にはゼルダとして登場していない。ゆえに、ゼルダであってゼルダではない。だから、変装して登場させるという手段で、ゼルダへの好感度を補強するのも一つの手ではあったのかもしれない。あと単純に、こういうキャラは話を回すのに便利だし。




 そのあと、『ムジュラの仮面』ではゼルダは関係ないので割愛。『トワイライトプリンセス』に時代は進む。ここでのゼルダは、同行者であるミドナへ知恵のトライフォースを受け渡す係である。もはや、ヒロインはミドナであった。単純な舞台装置として裏方に回ってしまったのであった。ゼルダを助けるというより、影の世界に飲み込まれつつあるハイラルを救うというのがモチベーションのシナリオ構造となっていた。


 この作品のリンクは、エンディング後に影の世界へ旅立ったという噂を聞くが。本当なんだろうか。




 続いて、Wiiで発売された『スカイウォードソード』。この作品は私も楽しく遊んだ。『風来のシレン3』のためだけにWiiを買ったのに、肝心のシレンがプロデューサーの暴走で大爆死してしまったから。Wiiの使い道に困っていたからだ。モンハンも買ったけど水中での動かし方がどうしても合わなくてすぐやめた。


 そんな話は置いておいて。スカウォでのゼルダはかなり頑張っていた。シナリオ班の苦戦苦闘を感じた。ゼルダとリンクは幼馴染、という設定で、ゼルダが退場するまでこれでもかというほど接点を濃密に作り上げていたのだ。ゼルダがたしか村長の娘とかで、成人の試験みたいなので勝ったらゼルダの近衛兵になれるとかだったか。試合に勝った後鳥の背中にゼルダが飛び降りてくるのは正直めっちゃ可愛いと思った。


 だが、ゼルダが頑張ったのはここまで。この後は竜巻に巻き込まれてどっか行っちゃうので、ゼルダへの愛着も時間とともに冷めていく。遠距離恋愛の男女みたいである。スカウォにはシークはいなかった気がするし、子ども時代はインパが援助者なのでゼルダなんて影も形も無いわけで。実験的試みによりゼルダをヒロインにしようと頑張っていたスカウォは、けっきょくその目的を達成することはできなかった。エンディングでのゼルダとリンクの関係性の、取って付けた感を払しょくすることができなかったのだ(幼馴染で、ゲーム本編以前から彼らは仲が良かったという設定があってぎりぎり成立はしていたが)。




『風のタクト』とか『大地の汽笛』とかはプレイしてないので割愛。ただ、風タクではゼルダが海賊として出てくるので関係性は高く、愛着を持ちやすい仕組みになっている。





 そして現代。現状の最新作である『ブレスオブザワイルド』。このゲームでも、新しい解決方法を取っている。リンクが記憶喪失であり、各場所にある撮影ポイントで写真撮ったら、ゼルダとの記憶が甦る。ゼルダ本人はその場にいないが、過去の記憶の中にいるゼルダを描写することでゼルダへの好感度を稼ごうとしているのだ。それが成功しているのか、いないのか。ブレワイは私はプレイしていないので分からない。ただ、ゲームボリュームが膨大なので、遊んでるうちにゼルダなんて忘れそうなものであるが。




 任天堂は長い年月をかけて、あの手この手でゼルダ問題を解決しようと手を尽くしてきた。だが、私の見立てでは。何十年も経った今でも、この問題の解決の糸口は見えていないように思う。マリオのピーチ姫やデイジーみたいなお姫様キャラは、彼女らが登場する原作ゲームで好感度を稼いでいるわけではない。メディアミックスの漫画とか、カートやら大乱闘やら、双六やらテニスやら。そういったその他のゲームでの露出を経て、ユーザーに認知され、愛着を持ってもらっている。


 姫というのは。たださらわれるだけじゃ、プレイヤーの姫にはなれないのかもしれない。

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しゅれでぃんがー 2023/01/29 21:44

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しゅれでぃんがー 2023/01/26 03:24

【文字――物語概論】物語の盛り上がりの総量とヴィランの格の関連性について

 シナリオを作るうえで有効な手段というのはいくつかある。【行って帰る形にすること】、【ジュブナイルにすること】、【主人公かラスボスをどっちかとりあえず作り切ること】……他にもいろいろある。いや、なかったような気もする。


 今回は【主人公かラスボスをどっちかとりあえず作り切ること】に関連する理論である、物語の盛り上がりの総量とヴィランの格の関連性について書いていこう。





 主人公や悪役は作者の知能を越える物事を行うことはできない、という話を聞いたことは無いだろうか。作者が思いつかない展開は、勝手に生えてこないという意味である。その逆として、キャラが勝手に動き出す、という話もあったりする。これはなにも本当にキャラが勝手に動くという意味ではもちろんない。キャラの目線で展開を考えれば、自然に次の話が自動的にできていくという意味である。


 どっちが正しいか、どっちが良いことか。それについては人による。より良い展開を考えるためにひたすら勉強して知識を蓄えても良いし。キャラの目線で感情移入を深め、その動きに身を任せるのも良いだろう。優劣は無い。人の数だけ創作方法というのがあるというだけである。


 ただ、私は曖昧な事物というのを基本的に信じない。なにかをするならなにかしらの指針が欲しいし、決まった方法論があるならそれに則って作りたい。だから、自分なりに考えてみた。作ってみた。物語におけるスケールを拡大する方法、その確定した方法論を。一番手っ取り早く、確かな尺度。それを図るものさしを。


 それを図るものさし、それはなんなのか。それが、【ヴィランの格】なのだ。





 私がそれに気づいたのは、じつは、創作とはけっこう遠い場所からである。一時期はまって、真剣に努力して取り組んでいた娯楽。格闘ゲームでの気づきだった。


 私が好きだったゲームである『アカツキ電光戦記』。私が格闘ゲームに興味を持った時代では、もうアーケードで稼働しているゲームセンターが無かったので。ついぞプレイすることは無かったのだけれど。このゲームの同人販売されたディスク。その中のファイルのナンバリングを見ると、面白いことが分かる。その説明の前に、まず、この作品のシナリオ構造について解説しておかなければならない。


『アカツキ電光戦記』というゲームのシナリオはこういう流れだ。主人公のアカツキは旧陸軍の技官であり、電光機関という機密情報を外国から潜水艦で輸送していた。が、潜水艦は沈没。コールドスリープで時間が経ち、現代で目覚める。これがアカツキのバックボーン。だが、電光機関自体はアカツキが出現する以前から存在するし、むしろ電光機関よりも重大な要素がこのゲームのシナリオには存在する。それが作中では大いなる遺産と呼ばれるもので、その実態は【転生の秘宝】と呼ばれる……秘術だったっけ。まあ、そういうのがあるのだ。クローンに自分の記憶を転写することで永遠に生き続ける、それが大いなる遺産の実態であった。


 このゲームのファイル内の、キャラクターデータのナンバリング。その01はムラクモである。ムラクモはこのゲームのラスボスであり、アカツキに、任務が失敗せし時は、電光機関を破壊せよという命令を下した人物である。その次の02が大いなる遺産をクローン無しで実行できる存在である完全者(ペルフェクティ)なのだが……ここで大事なのは、アカツキはムラクモより後に生まれた存在。ラスボスが一番初めに生まれたという事実である。


 ムラクモはアカツキがいなくても存在できるキャラクターであるが、アカツキはムラクモがいなければ存在できない。というか、アカツキ電光戦記という世界自体が生まれない。それに気づいた時、私はヴィランの大切さについて理解した。巨大な敵の存在こそ、主人公の存在感を引き立たせるのである。


 主人公は、ラスボスが行った悪行以上の善行を積むことはできない。何故なら、主人公はある意味で受け身な存在。悪が行った悪事に対してしか行動することができないからである。その世界の問題を解決することで、主人公は自分がその世界の主人公であることを。その世界に、そしてその世界を読む読者に知らしめる。それゆえに、解決した問題の難度自体が、その主人公の能力の説得力となる。だからこそ。しょぼいヴィランしかいないと、相対的にしょぼい主人公という姿しか見せることができない。主人公の価値は、ヴィランの格に左右されてしまうのだ。






 魅力的なキャラクターをたくさん量産する人というのは世の中にわりといる。良い感じのヒーローとかヒロインとかを動かして、読者の心を掴む。それもまた才能であろう。だが、そういう人に限って。ヴィランをおろそかにしがちである。だから、せっかく生み出した魅力的な主人公たちの格が。倒すべき悪のしょぼさに引きずられて、しょうもない存在に成り下がっている。そういう作品が、世の中には多い。


 魅力的なキャラクターたちを輝かせるためにも、それを陰らせる悪が必要だ。そして、そこまで気づいたら見えてくるものがある。逆説的に考えるのだ。魅力的な主人公は、魅力的な悪を作れば自動的に生み出されるのである。だからこそ。一番初めに、一番頑張って作るべきは。その物語が始まる原因である悪なのだ。悪さえ生まれれば、それに対応した主人公が勝手に、しかも自由に生まれてくるのである。





 主人公なんてのは、後で考えればいい。まずは、主人公がいない世界でラスボスがやりたいことを最後までやり切ったらその世界がどうなるのかを考える。ラスボスがやりたいこと、そしてそれをやり切ったらどうなるか。それが出来上がったら、次に、それを止めるためには何処にどんなエピソードがありそうかを考える。そして、エピソードの候補がある程度で揃ったら、そのエピソードはどんなキャラクターがいれば解決できるかを考える。じゃあ、そうなればそのキャラクターはどんな立場でどんな職業でどんな年齢で……というのが、勝手に出来上がるのである。だって、そのラスボスに対して一番最適な主人公ってのは、ある種オーダーメイドのスーツのようなものだから。一番ちょうどいい存在というのは、目的を決めてある程度狙えばちゃんと作れるものである。


 あとは、ラスボスとか主人公とか、各エピソードにかかわってきそうなキャラを徹底的に洗い出す。で、ちょうど良さそうなキャラを作って行って、サブキャラを埋めていく。生まれたサブキャラは各エピソードで登場したとしてどういう動きをしそうか考えていけば、それに連鎖してまたキャラも増えていく。それらすべての根本には、まずラスボスがいなければならない。逆に考えれば。ラスボスさえちゃんと作れば、他の物は全部勝手に揃っていくのである。

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しゅれでぃんがー 2023/01/23 13:11

【ジュークボックス】今のコミケ昔のコミケ・ままならない

 年明け一回目のE1会をした。ゲームセンターコーハツのアカウントから、スタッフロールへの支援者名記載が完成したというメールが届いて思い出したからである。支援者名には、知らない名前も多かったが。知っている名前もたくさんあった。懐かしい。ゲームセンターWILLからは連名でプレイヤーたちが寄付していた。そういうやり方もあるのか。芹沢鴨音という名前もあった。俺の記憶が正しければ、フランスパンの音楽担当の人だったはず。初期メルティブラッドからずっといるゲームサウンドのクリエイターだ。こんな人も寄付していたのか。アークシステムワークスとか名前無いかな、と思ったけどさすがになかった。


 E1会では昔はいろいろやったのだが、今では月一の近況報告会みたいなものである。メンバーも昔は四人いたが、今は二人だけ。俺の不徳の致すところだ。今度新年会をしよう、と言いながら色々話した。


 ZCさんはこの前のコミケに参加していたらしい。そしたら、コミケの規模がかなり縮小していたことに気づいたそうだ。十年前は南港ATCの四号館五号館を貸し切って、さらにはコスプレスペースまであったのに。今回は四号館だけで、コスプレスペースも無かったらしい。会場内の客も減っていて、歩くのに支障が無い程度しか人がいない。俺が客で参加した時は、十年前は。人でごった返してすれ違えないぐらいの人がいた記憶があるのに。流行り病のせいもあるだろうが、紙媒体のリアルイベントは現在進行形で状況が変わっていっているらしい。





 そういえば、同居人がまたなんかしゃべってた。エロゲー会社がつぶれたのは、割れ対策がどうしても無理だったかららしい。コピーされて違法ダウンロードさえされなければ、値段半額でもやっていけるような世界ではあったらしい。それだけに、やはり違法アップロードが苦しかったそうだ。業界の友だちに聞いたらしい。


 こういうことを聞いてもいないのにべらべらしゃべるから、聞き流しながら頭の隅に留めておいた。

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