幻想観測所 2019/10/29 02:35

持論を言うのは良いか悪いか

夜勤明けで思想、持論を書いたりしてる私ですが
意識高い系クリエイターの方は「言いたいことは作品で言え」と思うこともあるかもしれません
そんな発想から思い付いたこの雑記

特にド初心者はそういう思考に陥りがちです
そんな不安を持ってるあなた!この文章を読むだけでなんと不安が解消される事が多々あることも無いとは言い切れないのです!多分!!

ちなみに私の雑記は熟練者向けではなく、今、ゲーム制作界隈に船をこぎ出した冒険者に向けるオリーブくわえたウミネコです
ニャーニャー鳴くのはウミネコだ

ですが、今回はそんなに初心者のためにならない内容かもしれません
読み直しても「なんか違うんじゃないか」という感想があるのですが、せっかく書いたので出しましょう

感性のすり合わせ

こういった場でこういう持論を展開するのは、私は悪いことだとは思っていません
人間の観点は千差万別、ひきこもごも
例えば超おもしろシステムを構築して究極感動シナリオを展開したとしても、それが一般的に駄作と評価されるようなゴッホ状態になることもあります

そんなときに「俺はこう思うぜ!」みたいな意思表示をしておくと良くも悪くも評価が来る場合があります、ここだといいねとかツイートリンクとかですね
そういった反応は、自分の目指している方向が合ってるか間違ってるかの指針になります
創作に正解はないが、方向はある

折角のいい案も時代が追い付かなければ評価はされない
評価なんかと一緒の部屋に居られるか!!俺は俺の作りたいものを作るぞ!って人もいますが、どうせ作るなら良いもの、楽しめるものを作りたいじゃないですか

私が過去に投稿した持論も「俺は基本的にはこう思ってるぜ」って方向性の提示です
それをツイートリンクして、コメントで「良いこと言ってる」とか言われたら「俺の感性は少なくとも間違った方向は向いていない」という自信に繋がります
馬鹿にされたらされたで「何かおかしい所がある」ってのが自覚できます

結構こういう感性のすり合わせは大事だと思います
他者とのズレは作品に魅力を与えると同時に、作品の魅力を伝えるのを阻害してしまいます
ズレを認識して、大丈夫なものは残し、ダメっぽいものは直す

「俺は難しいのが好きだし最高だと思ってる、だから雑魚でもアイテム買い込んで本気で攻めないと満足できない」
って思ってる人が自分の感性だけで作ると誰も攻略できない難易度になったりすることが多くなりそう

それって悪いこと?

これがいいと思っているなら、悪いことではない
制作者が「これがいいんだ」と思ってる調整は確実にそれが好きな人がいます
それを求めてる人も必ず居ます
でも、そういう人が自分の作品に来てくれるには「そういう実績」がないとなかなか難しいです
あと「それを表現できる実力」も必要ですが、そんなのは後でいいやん、こちとら素人やぞ

骨太濃厚RPGが処女作でも、それが本当にその人が求めてる骨太濃厚RPGなのかは判断できません
5作くらい作ってて全部骨太濃厚RPGなら判断できるかもしれませんが、そこまで作った辺りでもうヨボヨボのじいさんになってます

ですが文章で「俺は骨太濃厚RPGが好きだ!」「こういう骨太なのがな!」「あとおっぱいも好き!」とか残しまくってれば、同胞が寄ってきてくれる可能性が上がります
もしかしたらおっぱい好きな人が骨太濃厚RPGにハマり始めてくれるかもしれません

こうして先に文章に書けるのは素人の特権です
プロは作品で語ったあとにろくろ回しながらインタビューで残すしかない
だからこそ、我々が持論を書くのは悪いことではない

戦闘持論を展開したやつを見た人の中には「本当にこういうゲーム作ってんのか~?」って思ってる人も居るでしょう
できてません、ごめんね
でも持論展開なんてそんな感じでいいと思います、要は「目指す場所」なんだから

再確認できる

私だけかもしれませんが、思想というのは忘れてしまいます
しかし書き残しておくと自分の思想を自分で再確認できます
最初は脳の許すままに羅列
明日には忘れてます、覚えてるけど思い出せない記憶としてね

早い話がネタ帳です
古来より創作者はネ=タチョウという魔術書を持ち、その叡知の結晶を連ねたという
何のレスポンスもなくネタ帳に書くのは慣れればなんてことないですが、結構精神に来ます
オープンにしていい情報なら出しちゃえ出しちゃえ

孤独からの逃避

創作者は孤独です、どんなに能力がある人も、仲間が居ても孤独です
自分の考えた方向性が間違ってるかもしれない、つまらないかもしれない、そんな見えない圧力にボッコボコに殴られ続けてます
そんな圧力の拳の軌道、それを垣間見ることができればどれだけ心強いか
その為の雑記?あとその為の持論?
持論!投稿!洗練!
持論、投稿、洗練って感じで…

こういう雑記を書いて、反応をもらえたら一瞬だけ孤独から解消されます

制作者にとって一番クソの役にも立たないのは「無反応」です
たまにツイッターとかでドチャクソ強い絵描きが「RTやふぁぼも嬉しいけど、コメントくれるとめっちゃ嬉しい」って言ってるのはそういうことだと思います

見てる側としては「はいムリ~死んだ~最高すぎて心臓止まった~」ってなっちゃって、コメント残す前に遺産分与の手続きが必要になっちゃうかもしれませんが、心に響いたなら「これすき」でもいいからコメントしてあげてください
そのコメントで更に人は強くなる
それは僅かでも孤独から逃れられたからだ

俺?俺は最強だから無くても問題ない
問題ないだけで要らないわけではない

擬似的制作

文を書く時間と、作品を作る時間、どちらが長いか?
作品作る時間に決まってますよね
便宜上、文を書くと言ってますが
小説書くのと、こういう雑記書くのでは小説の方が時間かかりますよね

もちろん作品の方がいいです、制作側としても受け手側としても
でもこういう雑記でも、メッセージ性があればちょっとした作品である
早く完成する作品である

思想や持論の展開は、それ自体が明確な意思によって構成されたメッセージです
だから持論の展開は小作品、擬似的な制作物なんです
森羅万象、上手くなるには完成させるしかない
完成した作品の数がそのまま経験に繋がる
例え擬似的であっても、次を目指し作り上げたならば【作品】の数に入る

初心者ほど、持論を構築するのは必要だと思います
漠然とマネや後追いで続けても身に付かない
まずは自分にとって最高のゲームとは何かを構築するんです
持論どおりにできなくてもいいんだよ、そんな簡単にできるなら今頃制作界隈はお祭り騒ぎだよ

プライドの捨てる部分

プライドは全部捨てちゃダメ
作ってるなら最低限プライド持たないと

でも持ちすぎるのもダメ
持ちすぎると独りよがりな作品になります

個人的には1つ2つ「絶対に譲れないもの」を持つのが良いと思います
それの中に「言いたいことは作品で言う」があるなら、雑記は書かない方がいい

でも「言いたいことは作品で言う」「絶対に主人公はクソ野郎にする」「難易度は限界まで厳しくする」etc…とあるなら持ちすぎです
何か捨てましょう

偏見に満ち溢れた感想ですが、プライド高い人が成功してるの見たことないです
プライド無い人はなぁなぁで済ませてる印象があります
その中間を行けば良いのでは?と思ったのが上記の持論です

まとめ

持論を展開するのは良いか悪いかというタイトルですが
実際、良いし悪いしどっちでもあります
結論は「そんな話は置いといて、とりあえずやってみれば?」です
答えになってねーぞ!!

あとがき

絵が描けなくても、音楽が作れなくても、ゲームが作れなくても、シナリオが書けなくても、持論は誰にでも書けます
誰にでも書けるからこそ、それが創作の第一歩として機能する気がします

確固たる持論を持つことは難しいかもしれない
でも「こういうのってどうかなー」みたいなのを軽く提示してみるだけでも、きっかけにはなります
作る側ではなくとも、それは自分自身の審美眼を養うことにもなります

審美眼といえば、ゲームレビューだって作品の一種です
そう感じたから、そう書いた
ここが良いと思ったから、ここが良いと書いた
ここがダメと思ったから、ここがダメと書いた
持論を作品として練り上げたものが、ゲームレビューなのです
たまにゲームレビュアーに辛辣な言葉を投げる人も居ますが、見当違いのこと言ってなきゃ作品です
「発売日に届かなかったから☆1です」とかはレビュアーじゃねえから

書こう、みんなも、誰に見られることもなかろうとも
例え世間の感覚とズレていようとも
自分の感覚、自分の経験、自分の知識
全てを自覚することで脳が強くなる
強い脳は、強いぞ

そして、いざ来たれ、地獄の制作界隈に

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