生焼け烏肉 2022/09/26 22:54

愉快ではない内容です(2022/9/27追記)

自分に嘘をついた二つの理由

どうも、ばんくろです。
私は、イラストやそれを使ったゲームを作ろうとしていたはずなのに、いつの間にか「他人の作品だけで満足している」と自身にまで嘘をつき、筆を止めてしまおうとしています。

なぜそんな嘘をつくのか自問自答すると、第一に創作による苦しみを受け入れる覚悟ができていないことで、第二に創作に伴う作業が単純に面倒だという答えが返ってきました。

第一の理由:苦しいのは嫌だ

私の考えでは、創作の原動力はどうあっても”不満”もしくは”欠乏”が根っこにあります。
主人公に何かが欠けているからこそ、物語が始まるのと同じです。
創作をするということは、その不満ないし欠乏を真正面から見つめ、抱き続けるということでもあります。
したがって、創作者はそうでない者に比べて幸福から遠ざかってしまいやすくなります。

つまり私は、不幸になるリスクを背負って自分自身が創作するよりは、臆せず沼に飛び込んだ勇者たちの成果で満足しているふりをして、安全圏から自らの幸福を保存しようという卑怯な考えを持ってしまったのです。

もっと簡単にいうと、「私が作らなくても、私が欲しいものは他の誰かが作ってくれる」と思ってしまったのです。

あるいは、「私が作ろうとしたものなんて、最初から(私自身を含む)誰にとっても必要ないものだったんだ」とも思っています。

第二の理由:面倒なのも嫌だ

まず、人間が使える時間やお金、体力など諸々の資源は有限です。
前節の話もあって、私にとって創作はコストパフォーマンスがすこぶる悪いような気がしています。
というか、創作をやってリターンがあったためしがないのです。
それゆえ、私の中での創作の優先度がとても低くなってしまいました。
結局、「めんどくせえし何にもならないし、やーめた」という単純な自堕落です。

それでも創作をやめたくない(2022/09/27追記)

しかし、私は創作することを一切やめた自分自身を想像できずにいます。
単に想像力が足りないだけかもしれませんが、それを差し引いても創作しない人生を拒絶している感覚が私にはあるのです。
何だろう、頭の中だけでキャラクター達を使ってお人形遊びしたり、あのキャラだったらこんな時どんなことをするかなと考えるのはとても楽しいのですが、それを形にして他人に見せるとなるとすごく苦しくなるのです。
もしかすると、非公開で、誰にも見せないつもりで、創作をしたらいいのかもしれませんね。
いいえ、もしかしたら逆かもしれません。
私は承認欲求をこじらせた末に、「もう何をやっても見向きもされない」とすねているだけかもしれません。
アドラー心理学でいわれている「子供の問題行動」の最終段階、”無能の証明”に似た状態ともいえるかもしれません。

おわりに

もし、あなたがここまでの文章を読んで、何かが心に引っかかったのなら、遠慮なくコメントをお書きください。
賛同でも、反論でも、はたまた罵詈雑言でも構いません。
あなたが機械的にいいねを押しているわけではないことを示してください。

次があるかはわかりませんが、
では、また。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索