尾上屋台 2018/02/10 18:39

その時のこと

物心ついた時から、俺の親父は入退院を繰り返していた。

親父が元気だった頃の記憶ってのはだから、俺が小さい時の記憶だったりするんだな。
まあ、それについてはいずれまたここで。

親父が初めて地を吐いて倒れたのは、俺が浪人生の時だった。
その日のことは何故かそれ以前のこともよく覚えていて、確か東中野の駅前にあった時計屋で、腕時計の電池を替えてもらったことなんかも覚えてたりするんだよね。
ともあれ家に帰ってしばらくすると、親父の部屋の方から、なにか物音が聞こえたんだ。
テレビの音とも違うみたいだしと様子を見に行くと、親父がゴミ箱に吐いているところだった。

まず、匂いで気づいた。
吐瀉物の匂いじゃないんだよな。
あの鉄っぽい感じの、血の匂いだった。

お袋も家にいたんで、すぐに救急車を呼んで。
比較的近所の病院に運び込まれたので、俺もすぐに後を追って、付き添いを代わることになった。
ちょっと話ずれるけどさ、当時携帯電話とかもなかったんで、こう、上手く連絡取り合ってみたいのって、今に比べると結構困難だったよね。
どっちかが家にいて、連絡を待ってみたいなのが、双方動いてたりすると、連絡取り合うこと事態が大変なんだよ。
ま、この時はさほど苦労せず、いや、病院を見つけるのに多少苦労したけど、無事付き添いの引き継ぎはできたってわけ。

で、吐血はどうやら胃に穴が開いたからということらしく、ベッドに横たわった親父は、鼻にチューブをつけていた。
そこからとめどなくベッド脇に吊るされた袋に血が流れ込んでいて、これは大変なことになったと、あらためて思わされて。
明朝に手術ってことになったんだけど、それまで生きてられるのかって思ったよ。
まあ輸血はしてるわけだけど、袋の中にみるみる血が溜まっていくわけだから。

ちなみにそれまで親父が入退院を繰り返していたのは肝臓が原因で、この時とは状況が違うし、いきなり救急車を呼ぶような事態とも違ってたんだよね。

この日の夜は、えらく長く感じたよ。
ちなみにお袋の方はというと締め切り間近の仕事を抱えてて、そのまま徹夜で仕事してた。
親父の意識はあって、何かこちらに伝えようとするんだけど、チューブのせいで、よくわからなかった。
あと、意識混濁も大分ある様子だったかなあ。
これ取ってくれってチューブを抜こうとするんで、まあそれを見張ってるって感じだったよ。

で明朝、手術になった。
この時まであまり徹夜の経験がなかったもんだから、俺の方はもうフラフラだったなあ。
手術中、どうしてたかってのは、あまり覚えてない。
でも手術前に医者から、助かる見込みは半々だって言われたのは覚えてる。
それなりに時間のかかる手術だったような気がするけど、この間どうしてたかって記憶は、前日の記憶が明瞭だったことに比べて、ほとんど覚えてない。

ただこの時になってようやく、親父死ぬのかもしれないなって思った。
変な話、頭じゃ上手く理解できないというか、なにか他人事のような気がしていたな。
実感がないっていうか。
でもさ、手が震えてるの自覚したりとかして、なんかこう、上っ面じゃない部分では、そのことを理解してたのかもしれない。

手術は、成功だった。
医者がちょっとご機嫌な様子でやってきて状況を説明した後「どんな様子だったか見てみます?」とか言って、切り取った胃を持ってきたんだよな。
いや、別に見たいとか言ってないんだけど(笑)。
で、医者が持ってきた胃の一部には、ばっちり十円玉くらいの穴が開いててね。
それ見て、うわ、こんな状態だったのかって。
よくこれで生きてたなあってくらい。

ともあれ、この時の医者には感謝してる。
五分って手術を生き残る方に持っていってくれたんだから、文字通りの命の恩人だよな。
いや、命を救う職業ってのは、本当にすごいと思った。
この時の俺は既に夢を持っていたからそっち側に引っ張られることはなかったけど、もし俺に夢がなくて、家に金があったら、医者を志していたかもしれないよね。
まあ、現実は逆だったんで、そうはならなかったってことさ。

胃に関しては、とりあえず一命を取り留めた親父だけど、実はもうこの頃には、肝臓の方も限界に近かったんだよな。
この後、俺が大学に入った後に親父は他界するわけだけど、実はこの先の方が色々大変なことになるとは、この時の俺には予想できなかったことで。

ま、その大変だった話ってのは、いずれまたすることにしよう。
また、思い出した時にでも、この続きを話すことにするよ。
まだ君の親父が存命だったら、大切にしような。

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