十六夜のキキ 2021/03/15 09:00

絵はいい感じに仕上がりましたね

 とりあえず絵の方はだいたい方向性はこんな感じになるのかなという仕上がりになりました。自分としてはこれなら文句はないでしょと思うのですがどうなんでしょうね。
 今回は早めにしたのでそろそろやばめになってメンタル的に疲れそうなので先に終わらして少しでも仕事に集中しやすいようにするためです。やっぱり時間さえあればそのうち良い物が描ける自信は出てきたのですがね現実は非情ですね。

 ホワイトデーもバレンタインデーもこの絵ということで我慢して下さい。やっぱりね、人生で納得できないことってありますよね。このキャラクターたまんねぇと思って見てみたら、自分の好みじゃなかったということが。つまり新しいキャラクター描くわけはその一点です。なんでや精神です。1シーンだけでもというこちらの願いを踏みにじられてきた人生がおれを強くして来たんですね。ハードボイルドでタフな生き方ですよ。
 深く語れるものでもないので詳細は省きますが次回作ではなく一読者としての悩みがにじみ出てきたものと理解してください。
 どこまでいっても自分の画風というものは日本の美少女文化のメイストリームではないのでそのままマネしても上手くいかないのでそこでよく悩んでいます。基本は3Dゲームで好みのキャラクターをつくって思いの外よかったものを元に写真とか見ながら肉付けして仕上げていってます。これは練習も兼ねているのですが趣味としてやってる部分が多いですね。
 キャラクターを作るきっかけは普通の女性を描こうとしていたのですがやっぱり漫画に限らずみたらわかると思いますけど出てくる女性は美人なんですよ。遠からずも自分が描く女性もそうだと気づき、ならしっかり美人を描かなければとなったのです。
 ですが自分は美人よりも好みの女性のほうが好きなんですよ。スタイルも含めて。顔をあまり重要視しないタイプで、漫画ならともかく美人女性のストックが全くなかったのですね。普通の人なら美人といえばで名前が思いつくと思うのですが自分にはそれがないのです。だから手当たり次第探したので自分の好みに合う美人の女性のストックは増えてきましたね。
 美人の要素というのはいくらかあって、不変なものと流行で変わってくるものの基本二つがあって、骨格や肌、髪とかは時代が変わっても共通するものが多いです。しかし髪型、化粧、ファッションは時代によってまったく変わってきますね。
 例えば『名探偵コナン』の毛利蘭の髪型はまさにそうで連載当時はあれが美人の髪型だったんですね。今はキャラクター化してしまったけど初期のアニメのop、edではかわいく描かれているんだよね。大人の女性陣は髪型がちょっとづつ変わっていってるけど、子供は変えづらいからなのかね。
 話は戻りますけど髪型は本当に大変でとくに二十歳を超え出すとね探すのが苦痛。女性ファッション特有の女性受けしかしないものが多くなる。それを上手く誤魔化してやっていくかになっていく。基本は女優を参考にしてるけどもたぶん新しい髪型じゃなかったりするから変な感じにはなっているんだろうね。
 服装もそうで日本は体よりも服を見せる文化だから乳袋系は全滅する。韓国系の服には体のラインを見せるのが多いけど日本人っぽくなくなるからね。日本以外はだいたいそうっぽいけど。
 でもねっぽくすると逆にエロくなるんですよ。不思議なもんでね女性っぽく見えるのかなたぶん。例えば江戸の春画とかはやっぱり服というものが細かく描かれているですよ。江戸の本とかにも色っぽい女性は服が仕事とかで乱れていたり、煙草を吸う仕草とかで描かれています。背景も実際にあるものが描かれていたりリアリティーというものが重要視されていたのでしょう。
 例えば今回ズボンを本来であれば黒のズボンにしようと思っていたのですが3Dゲーをしていて、あれ灰色の縞々のズボンめっちゃエロイやんってなって試行錯誤して描き上げた一品ですね。ズボンのベルトもしっかり描いたことでぐっとエロくなってますね。
 あとなんでブラジャーをブラウスを着たまま脱いでいるかというとノーブラのブラウスにするためですね。巨乳の女性がノーブラはナンセンスだと思うんですよね。エロイけどありえないんですよ。意図的にしなければ、そうですそう仕向ければいいんです。なのでこういう絵になりました。見えるでしょノーブラのブラウスの姿が。つまり俺の絵はこういうものなのです。細けえ事はどうでもいいだよという人はゲットアウトです。うちの漫画は真のジェントルマンのための漫画なのです。

 今回はなるべく早くと描いていたのです。特に背景を塗るのは二日かそこらで終わりました。しかし人描いていくに従って思っている以上にいいおっぱいが描けてしまったわけですね。
 下書きとかペン入れのときはもうそこそこのいいものが描けるようになっていたのですが、ほぼ完璧なものが描けてしまったわけです。そうなってくると最後まで仕上げたいなとなり時間がかかったわけです。
 もうねこれを描くために半年か一年間ぐらいかけて練習してきたんですからそりゃしっかり仕上げるでしょっていう。全体としてね腕も細く描けてるし顔も奥行きをしっかり描けてるし文句なしだね。まだ甘い所もありますが。
 このおっぱいの大きさがいま自分が描ける最大の大きさだね。これ以上はバランスとかの問題で無理だね。これね漫画としてはそこまで大きくないはず。巨乳はもっと大きく描かないとっぽく見えないから。できるだけ実際の大きさと同じくらいのボリュームに仕上がるようにがんばったから達成感があるね。
 何が難しいっていうとね比率をしっかり描かないとつまり体を正確に描かないとちゃんと大きく見えないんですね。絵が上手い人の絵が良く見えるのはそういうところなんでしょうね。
 塗りに関して言うとただただ細かいところまで描ける必要が出てきてそこが難しかった。大雑把に描くとしても知ってないと出来ないから。
 
 そして絵がちゃんと描けました。となるとじゃあボカしていこうとなっていくわけです。
 元々ディープフォーカス、パンフォーカスという映画で用いられる手法参考に描いていたわけで。映画監督でいえば小津安二郎、黒澤明、映画でいえば『市民ケーン』で使われた手法です。小さい頃映画を見たことなくアニメばっかり見ていた自分は当然これらを見たことなかったのですがガンダムの監督である富野よしゆきの作品の絵が好きで特に∀ガンダム。参考にするために調べてみると小津安二郎の影響を受けているとしり映画の手法に興味を持ち出すわけですね。
 何故この手法を好むようになったかというと単純に富野監督しかり他の映画監督しかりで絵が格好良かったというのもあったのですがボカす意味がよくわからなかったというのが本音です。自分自身目が悪く子供時代不自由したのもあってボカすメリットってないでしょ、そういう考えだったのです。
 しかし絵を描くとなるとこの手法はとても魅力的なものだったのですね。動かない絵に立体感をつけるのには簡単な手法でした。このやり方を用いる人は見ている人でも何人かは思い浮かぶでしょう。しかもそれが効果的に働いていることも多いでしょう。
 ただ漫画になるとちょっと話が変わってくるわけです。漫画で極端な魚眼レンズ、インターホンで見た景色のような広角レンズを使った絵をたまに見かけることもあるでしょうが、それらは印象的な場面で使うことが多くまたそこまで効果的とはいえなかったりします。極端な絵の動きが漫画を読みづらくすることもありむしろ背景がない絵のほうが好まれたりもします。
 漫画というものが絵の連続でありストーリー読ませる物なのであまり極端な絵を連続させることよりも、映画の冒頭のような風景画のような動きが少ないものを連続で描くことのほうが多いのですね。
 そうするとパンフォーカスという手法のほうが効果的だと考えてのことですね。漫画の動きを邪魔し辛く読みやすいというのがメリットですね。
 さて本題ですね。ボカすとなるとどのようにしていくかという問題が出てきますね。レースのバイクの写真の背景やマトリックスみたいに少し残像がのこるモーションブラー。映画とか再現するように撮るのか。写真のように被写体深度低くして背景をボカすのか。色々あるわけです。
 さっきの絵を立体的に見せる手法はカメラ特に写真でよく見る被写体深度を調整してフォーカスが合っていない手前、奥の物をぼかす手法です。これはちょっと違うなと思ったので野球の代打みたいな運用ですね。
 かといって映画のように遠くにいくにつれてボケていく手法もどうも違うという。しばらくはここらへんは使わない感じですかね。となるとあとはモーションブラーですねという感じですね。
 さてこれは漫画では線で表現される手法ですね。エロマンガでもお馴染みで『ドラゴンボール』の戦闘シーンを想像するといいかもしれません。これはね白い色でしたり肌色でボカしたりしているのはよく見かけますね。でもそんなによくないですね。結局漫画っぽい表現に落ち着きがちですね。
 自分も何度か試そうとしたのですが良くなかったですね。難しいのと線で良くない?ってなっちゃうね。ここはもうちょっと考えていかないといけないし価値があるってな感じです。
 あともう一つ方法があって単純に人が見てるようにぼかす手法。これは絵の手法です。漫画でも似たようなことがあって背景が細かくて登場人物が見づらいときに白抜きといって白で人を囲う方法がありそれが近いですね。例えば人見ているときその後ろはボケて見えないわけです、焦点の関係で。その後ろを背景を見るときは人がボケて見えなくなるわけですけど、実際は自然に目が調整して同じようにハッキリ見えるわけです。これを絵に置き換えると人の周りだけ少しぼかすと同じ感じに表現できるわけです、簡単に言うとね。
 今回はそんな感じの手法をとりましたというわけです。長々と描きましたがそいうことです。つまりぼかしました。映画と違ってね背景があまりにも描き込まれていないのでね人に注目してもらいましょうということでね。漫画で使うかは悩み所ですけど。

 やっと絵が仕上がった感じですね。一応いつもよりかは早く描けたんですよ一応ね。あとは早く描いていくだけなんですけどね。
 絵が上手く描けなくて悪戦苦闘した日々は終わって創意工夫の時代になってきましたよ。ただ上手く描くことより何を描くかを意識的にしていくほうが効果が出やすいでしょうね。
 技術が上がると人の描く物を見ても気づけることが多くなってやっぱり技術って必要なんだなって実感させられますね。マインスイーパーみたいなもので理解できる情報が多いと色んなことに気づきやすくなるみたいです。
 最近一番驚いた、刺激を受けたのは東京グランギニョルのマーキュロイドですね。昔の劇団がテレビで出ていたときの映像なんですがまぁ刺激的で中高生が好きそうな世界観の劇なんですよね。見ているとね引き込まれる感覚があるんですよ。妙に魅力的なんですよ、ただね意味がまったくわからない。喋ってる声も聞きづらいのも相まってわけがわからない。ただ見てて面白いのですよ。
 終わって劇団員のインタビューするんですけどきっとどういう意味があるのか楽しみに聞いていると何もなかったのですよ。面白いからしてると言っていて驚きましたね。意味ないんだって。青天の霹靂ですよ。
 よく何の意味があるんだって思うことがあったんですよ。自分の漫画でも人の作品でも。好きな物ならこれが好きだからという感覚があるのですが好きでないものだと理解できなかったのです。特に漫画だと良くなかったりするんですよ。話に集中できなくなっていくので。
 ただこのマーキュロイドはちゃんと集中して見れたから、意味が無いものでも見られるものを作れるんだという驚きですね。確かに絵だけ上手い漫画で何で読めるのか不思議だったけどそういう理屈だったんだなとわかった瞬間でしたね。
 例えばスターウォーズ、バットマンのダークナイトも女性に人気がないのはその世界感がかっこよくて好きで男性が見てるからなのかも知れないな、なんて考えたりしてます。かっこいいこともかわいいことも意味なんて無いからその理屈で考えれば理解しやすいものかもしれませんね。
 今までは意味の無いものに意味を与えようとしてましたが意味のないもので魅せるという手法もとっていくべきなんでしょうね。最低限のストーリーで魅せるだけの意味のない漫画の練習も必要だなと思いましたね。ストーリー偏重もよくないなと反省しましたね。

 こう完成した絵を見ると自分って不器用だなって思いましたね。こんなもの描いても潤わないよって。まずは早く描くために取捨選択していく必要があるしそもそもここまで描く必要もないしとかね。
 だいぶ先を見据えるならプラスだけどそれまでマイナスだよ見たいな。でもそのマイナスの大部分は自分の保身という漫画に関係ない要素なのがね。やっぱり濁るんですよ漫画が。描き上げてわかったけど面倒くさいという要素を出来るだけ切った方が見ていていいね。無駄に描く必要もないけど大変だからという理由で簡略化するとねそこが個性になっちゃうんですよ。漫画家というものは漫画の中の世界に必要がないんですよ個人的な考えですが。
 やっぱり難しいね。自分をとるか漫画をとるか。どの世界でもあるのだろうけど。どちらか一方だけをとる必要もないけどでも自分というものは見えないから一度でも休むと堕落するんですよね。一度でも肯定したら水が下に流れるがごとく傾いていくわけです。それに気付くこともなくそういう人になっていくわけです。
 良し悪しというわけでもないんですけどね。やっぱりね漫画を描く以外の楽しみもあるからどうしてもそっちにいくよねってな話です。
 
 先行きはどうなるかもわからず、今日も自分の人生を謳歌しているわけですが。現実的な話をするとどうも重くなりがちで、かといってしないとしまらないというね。大人になるとねどうも人間というものに失望というものが日に日に大きくなっていきます。でもね映画を見ると昔からある普遍的な問題なんだなとしみじみ思いますし面白いですね。歌にしても根底あるのはネガティブなことなんですよ。やっぱり嫌なことがあっても人生は楽しいですよね。

  それでは皆さんサヨナラサーーーン!

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