柱前堂 2021/06/04 21:53

決着の光景

深夜の部室では、マキとユミが望んだ、明確な決着がつこうとしていた。

黒グローブを嵌めたユミは、前のめりの内股でかろうじて立っている。
リングに立った女の唯一の武器であるボクシンググローブは、胸元より下の中途半端な位置までかろうじて上がっている。とても構えと呼べるような状態ではなく、闘う意思があることを主張するだけの機能しか果たしていない。
自慢の腹筋は痣だらけで、乱れた呼吸の苦しさを訴えるように収縮しているのが見てとれる。
決闘だからと放り出したおっぱいは荒い呼吸のままに揺れ、その先端は疲労から充血して硬く勃ち上がっている。汗と涎が垂れ流された胸元は、深夜の眩しい照明でてらてらと輝いていた。
グローブとマウスピース以外に唯一身につけたトランクスは、限界を越えた体が失禁した黄色い染みが裾まで伸びている。
何より、顔が酷い有様だった。もう何十ラウンド殴り合ったか分からない完全KOマッチの果て、頬は二つのトマトのように、右のまぶたはウィンナーのように大きく腫れ上がり、右目を完全に塞いでいた。左のまぶたも右に比べたらマシというだけで、ほとんど見えてはいないだろう。
鼻は何度も潰れては止血を繰り返し、固まった血でほとんど塞がっている。かわりに口で呼吸するたび、何度も吐き出されリングの汚れが染みついたマウスピースが顔をのぞかせる。頬の腫れとマウスピースという大きな異物のせいで、口を必死に開けても吸気が追い付いていないようだった。ときおり苦しげに天を仰ぎ、バランスを崩して脚がふらつく。

どう見たって、ユミは限界だった。あと一発、軽く小突いただけで、もう二度と立ち上がることはない。サンドバッグにすらなれない、立っているだけの肉塊だった。

だけど、ユミはまだ立っている。私のマキとは違って。

「立ってマキ! あとちょっとでユミに勝てるんだよ!」

マットを叩いて名前を叫んでも、マキはぶうぶうと潰れた呼気を漏らすばかりで、私の声に応えてはくれない。
ユミが立っているだけの肉塊なら、マキは潰れたカエルだった。
仰向けに倒れたマキの両腕は頭上に投げ出され、降参のポーズにも見えた。両脚はコの字に開かれ、トランクスに恥ずかしい染みが広がるところを強調していた。
誇り高く晒した胸は重力に潰され、あらぬ方向へ下品に投げ出されていた。ユミの猛攻に耐え続けた腹筋はビクビクと痙攣して、もう殴られたくないと哀れに訴えているかのよう。
極限まで酷使されたマキの身体は、普段の色白が嘘のように真っ赤になっている。その体の上を、血と汗と涎が流れ落ちていく。

だけどユミと同様、マキも顔が一番酷く打たれていた。
仰向けに倒れたマキは、首を仰け反らせて顔をリングサイドの私へ向けていた。
ユミ以上に腫れ上がったマキは完全に目が塞がっていて、その顔から闘志を読み取ることはできない。口から零れ落ちそうなマウスピースが、パンパンに腫れた両頬に挟まれて引っかかっている。よく手入れされた自慢の黒髪は放射状に投げ出され、キャンバスの汚れが染み込んでいく。

こんな酷い有様になったマキに、立って闘えだなんて言えるだろうか。
私は言える。こうなるまでのマキを、ずっと見てきたから。

「あとちょっとだけ頑張って! じゃなきゃ、ここまで頑張ってきたのが、全部無駄になっちゃう! 立って……立ってよ……マキ……」

言える。そのはずなのに、私の言葉はみるみる弱くなってしまった。
マキはもう闘えない。私の声すら届いてはいないと、分かってしまったから。
倒れたマキと立っているだけのユミに、ほとんど違いなんてない。それでも僅かな、けれど決定的な差ができてしまった。
マキは、闘って、負けたのだ。

「ぶはっ……はぁっ……はぁっ……か、カウント……ワン……ッ……」

いつの間にか、満身創痍のユミが自分のセコンドが待つコーナーまで戻っていた。
私達が事前に決めたルールは一つだけ。自分のコーナーでテンカウントを数えられたら勝ち。これ以外にこの決闘を終える方法はない。
私はユミが力尽きてコーナーで崩れ落ち、ダブルノックアウトになるよう祈ってしまった。マキが立ち上がってユミを殴り倒すのではなくて。

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