柱前堂 2022/04/03 22:43

異種格闘技戦

『おおーっとコハル、自分から寝転んだ! お腹丸出し、これほど無防備でもボクサーには手が出ないだろうという不敵な挑発! しかしユウナはグラウンド未経験、プロレスラーに足を取られるわけにはいきません! いくらなんでもこんな挑発に乗るわけが……乗ったーッ!?』

実況と会場がざわめく中、ユウナはプロレスラーの厚く鍛えられたお腹を踏みつけた。だが、視線は真っ直ぐ前を見ている。
今にも脚を捕え、引き倒して寝技に持ち込もうとするコハルを見下ろして、最後の優越感に浸ることもない。かといって、体重をかけて踏み躙ってくることもない。

それがコハルの癇に障った。攻防を派手に演出するでも、セメントに攻め立てて勝つための技術と気概を魅せるでもないのなら、リングじゃなくて路地裏ででも勝手にやってろ。
もとよりルールに無理のある異種格闘技戦、コハルはプロレスラーらしく少しはユウナにも華を持たせるつもりだった。だが、それももうなしだ。せいぜい痛めつけて、ふざけた覚悟でリングに上がったヤツにふさわしい泣き言を聞かせてもらう。

コハルがお腹に乗ったユウナの脚へ手を伸ばし、肩の筋肉に引っぱられた腹筋が僅かに盛り上がった瞬間、ユウナが動いた。

『ああっとユウナ! 誰もいない虚空に全力ストレート! 何をやっているんだ、これは空手の演舞じゃない、プロレスとボクシングの威信を賭けた大事な試合なんだぞ!?
……ああーっ!? コ、コハルが!? 脚を捕えていたはずのコハルが、泡を噴いて伸びている!?』

ユウナは誰もいない虚空に向かって、ストレートを振り抜いた。ボクサーの全力のブローは、プロレスラーの力強い両腕の掴みをたやすく追い抜いて動作を完了した。
ボクサーがパンチを繰り出すとき、動く筋肉は腕だけではない。腕の付け根に当たる肩から続く、背筋、腹筋、腰、そして――脚。
ユウナが振り抜いたグローブの反作用は、脚をつたってキャンバスの踏みしめに変わる。普段ならリング全体が受け止める猛烈な力が、今コハルのお腹一点にかかった。
ぶ厚く鍛え上げた腹筋、タフな試合を最後までやり遂げられる内臓も、これにはひとたまりもなかった。
そもそも脚を捕もうと動いている途中だった腹筋は、不意を突かれてたやすく陥没した。強烈な摺り足に巻き込まれた内臓は、全体が真横に寄せられた。
そして、一瞬で内臓を滅茶苦茶にされたコハルを襲った激痛は、試合中のプロレスラーの意識を断ち切るに充分すぎた。

「あっ……は、ぼほぉ……っ ぶふぇぇ……」

ユウナが足をどけると、コハルの全身がビクンと大きく跳ねた。脱力した四肢は出鱈目に放り出され、小さな痙攣が襲うたびにグロテスクに向きを変えた。
ユウナがコーナーに向かったことで、会場のどこからでもコハルの顔が見えるようになった。白目を剥き、だらしなく広がった口からは泡を噴いている。痙攣するたびに、マウスピースが口の中から見え隠れする。
凄惨で、どこか間抜けな表情は、ボクサーとの決闘に名乗りを上げた勇敢で愛らしいベビーレスラー"だったモノ"とはとても思えなかった。
そして、誰も敢えて言及しないが、大きく広げられた股間を覆うリングコスチュームに広がる染みはもはや隠しようもなかった。

『いっ……一撃KOーッ! これがボクサーのパンチ! 真下を襲うストレートに、コハル撃沈! これだから異種格闘技戦は怖いッ!』

どうあれ試合を形にしようとする実況や、失神失禁したコハルに集まる人だかりには興味がないとばかりに、ユウナ陣営は淡々とリングを降りていった。

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