フリーセンテンス 2021/12/20 10:13

胎魔召喚士エリザ 前編 体験版

プロローグ


 ・・・・・・大パルディア王国におけるゼベガ一族の扱いは、お世辞にも、決して良いとはいえなかった。代々の生業は古代遺跡の探索と発掘で、それは俗にいう「墓荒し」のようなものであったからだ。そのためゼベガ一族の社会的な地位は低く、差別や区別の対象ですらあって、出土品や遺物を国に献上しても得られる報酬はごくわずかであった。
 古代がどのような世界であったのか、歴史書は黙して語ろうとしない。ある時代を境に、まるで糸が途切れたようにぷっつりと途絶えてしまっているからだ。しかし、現在よりも遥かに進んだ文明が存在していたことだけは確かであって、その証拠に、古代遺跡から出土した品々には、未知の技術や脅威の力を秘めた物が数多くあった。
ゼベガ一族が発見した遺物の中で最大の功績と言われているのが「レゼの黄金版」である。これには生命と、精神と、身体のエネルギーを結合させた人間由来の力「魔力」を習得する方法と、その力の運用方法が古代文字で彫られており、この力は超常的な自然現象を発生させる「魔術」として社会に大きな変革をもたらした。今日において、パルディア王国が比肩なき大国として世界に君臨できている理由は、王国がこの魔術の力を軍事利用して周辺諸国を次々と併呑していったからである。
 この結果に、ゼベガ一族は大きな不満を抱いた。「レゼの黄金版」は、自分たちが筆舌に尽くし難い苦労をし、多くの犠牲を出しながら手に入れた古代の遺物である。その際に支払われた報酬は、同量の黄金どころか、その一〇分の一以下の銀貨だけであったのだ。
魔術の力によってパルディア王国は大国へと成長し、人々は豊かな生活を享受している。そんな中、自分たちは貧困にあえぎ、相も変わらず命を削るような惨めな生活を送っている。この格差に、ゼベガ一族は怒りを覚えずにはいられなかった。
「いまにみていろよ。思い知らせてくれる・・・・・・」
かくしてゼベガ一族は、アルガダの古代遺跡から別の黄金版を発見すると、それを国には渡さずに秘匿して、そこに刻まれていた古代文字を解読して「邪術」を復活させたのだった。そして、その力をもって、王国に反旗を翻したのである。王暦一一二八年のことであった。
彼らが駆使した邪術――それはその邪まな名にふさわしく、世にもおぞましい方法でもって、この世界とは別の世界に存在する生命体をこの世界に呼び寄せる邪法だった。
凶悪にして狂暴、巨大にして強大な力を持つこの異界の生命体は、この世界に存在する如何なる生物とも異なる姿形をしていて、悪夢を具現化したような生物であった。ゆえに、彼らは、根源的な恐怖と畏怖を象徴する存在として、「魔物」と呼ばれた。
ゼベガ一族が異界より召喚した魔物の軍勢は、その圧倒的な力によって瞬く間に王国全土を席捲し、国中におびただしい数の死をもたらした。その数、およそ二〇〇〇万人。ただし、この数値は推測に基づく推定であって、実際の犠牲者数はこれよりももっと多いといわれている。
正確な犠牲者の数を把握できなかった理由は、ゼベガ一族がもたらした「破壊」の嵐があまりにも巨大だったためだ。一家全滅は当たり前、魔物に捕食された者も少なくなく、攻撃によって村や町がひとつ丸ごと消滅した例すらあったのだ。大パルディア王国がこの混乱から立ち直ることができたのは、ゼベガ一族の叛乱が鎮圧されてからおよそ四〇年後のことであった。
 繰り返しになるが、ゼベガ一族が王国にもたらした破壊の爪痕は大きい。しかし、彼らが一〇〇年以上に渡ってパルディアの人々から恐れられている真の理由は、破壊や死を原因とするものではなく、異界より魔物を召喚する際に用いた「方法」によってであった。
 ゼベガ一族が復活させた「邪術」と呼ばれる召喚術――それは、世にも恐ろしい方法でもって執り行われる。犠牲を強いられたのは、高い魔力を持つ女性たちだった。
邪術により、異界より召喚された魔物は、女性の新鮮な卵子を媒体としてこの世界での実体を手に入れると、着床し、器となった女性が有する魔力を糧に、女性の子宮の中で急速な勢いで成長して大きくなる。そして、人間の胎児同様に、産み落とされる形でこの世界に「召喚」されるのだ。この際、魔物の強さや大きさは、犠牲となった女性の痛みや苦しみに左右されることから、より強大な魔物を召喚するために、魔物を孕んだ女性には様々な○問や虐○が加えられることが多かった。
ゼベガ一族は彼女たちに「胎魔召喚士」の称号を与えた。これは言霊の力を付与するためであり、無名よりは有名こそが、力を増幅する効果があることを、彼ら知っていたのだ。事実、「胎魔召喚士」の称号を付与した後の方が、そうでない方よりも、より強力な魔物を召喚することが確認されている。
 大抵の「胎魔召喚士」は、一回の召喚で廃人と化し、使い物にならなくなるのが常であったから、ゼベガ一族は戦線の拡大にあたってより多くの女性を必要とした。魔術の才ある女性たちが、何千人と犠牲の供物として消費され、想像を絶する痛みと苦しみの果てに、邪悪の権化ともいうべきおぞましい生命体を産み落とす――その悲惨さは、見た者を遺伝子レベルで恐怖させ、言葉や文字ではなく、細胞の記憶によって子々孫々に渡って恐怖を伝え続けると言われていた。実際、ゼベガ一族の叛乱の後、王国全土から魔術の系統が途絶えたことからも判るように、その傷はとてつもなく深く、修復には数世代の時間を必要とするとさえ言われていた。現在、魔術の歴史を紡ぐ者は、後述する「救世の王」の血を受け継ぐ一部の王族のみとなっている。
 大パルディア王国を震撼させたゼベガ一族の叛乱は、五年八カ月に渡って続いたが、王暦一一三三年に鎮圧される。理由は、魔術の才ある女性を消費し尽くしてしまったがため、新たな魔物を召喚できなくなったことと、救国の英雄が登場したからであった。
後に「救世の王」と呼ばれるグリディアモス一世は、強大な魔力を有する強力な剣士であると同時に、優れた統率力を持つ指導者でもあった。彼が王となった時、その年齢は若く、まだ一七歳であったが、瓦解寸前だったパルディア軍を再編成すると、反転攻勢に討って出た。自ら軍を率いて前線で戦い、異界の魔物を各個撃破して敵の耳目を前線に集中させると、その裏で、軍より抽出した精鋭を敵の背後に差し向けて、諸悪の根源であるゼベガ一族の邪術師たちを暗殺させたのだ。その効果は抜群だった。
 ゼベガ一族は戦いに敗れた。敗戦と同時に多くの者が自ら死を選んだが、一部の者は死にきれず、パルディア軍にその身柄を抑えられ、捕虜となった。彼らに待ち受けていた運命は、筆舌に尽くし難い悲惨なものであったが、同情する者はいなかった。誰も。
 しかし、グリディアモス王の意向によって、一族の滅亡だけは免れた。彼らが有する知識や技術を貴重なモノと考えたグリディアモスは、一部の、罪が薄い者たちだけを恩赦によって救い、国の厳重な管理の下で生きていくことを許したのだった。
 ゼベガ一族の生き残りは、辺境の古城に幽閉され、そこから生涯出ることを許されず、古代の遺物の研究にその人生を捧げることを強要された。そうやって一五〇年に渡って代を重ねたが、近親相○の影響によって徐々にその数を減らしてゆき、ついに最後のひとりになってしまったのだった。
 その人物の名は、アズール・ゼベガという。首に鈍い銀色の枷を嵌められた、青白い肌をした幽鬼のような男で、一族の知識と経験、そして術の全てを受け継いでいる。邪術師であり、魔術師であり、さらには呪術師でもある彼は、まだ若いにも関わらず、生まれた時からの監禁生活によって生や性に対する執着や欲求を全て失ってしまい、彼を監視する看守たちからは、その精神は達観した老齢者のようだと評されていた。
 そんな彼の元を、パルディアの王女エリザが訪れたのは、王暦一二八三年のことであった。この年、大パルディア王国は、外宇宙から飛来した脅威によって、国家存亡の危機に晒されていた・・・・・・。



第一章 王女の申し出により・・・・・・。


 ・・・・・・自分の元に客がきたという報せを受けた時、アズールは古城の地下の自室にて、古代遺物の修復作業にあたっていた。
その客というのが、パルディアの王女エリザであると聞かされても、彼は眉ひとつ動かさず、魂の抜けたような表情も崩さずに、無関心の態度を貫き通した。
 だが、両手足に枷をはめられて、全身を鎖で拘束された状態で王女エリザとの面会にいたった時、その顔に生気めいた血色がよみがえった。それはまるで、王女の瑞々しい生命力がアズールの枯れ木のような身体に精気を吹き込んだかのようであって、彼がハッと我を取り戻したのは、対面してからしばしの時間が経ってからだった。
若くして性を含めた欲を失い、悟りを開いた修道僧のように精神が達観しているアズールが、思わず見惚れてしまうほど、王女エリザは美しかった。その容姿は端麗にして優美だった。瞳は大きく、まるで大粒の宝石のようであり、唇は小さく、それでいて潤っていて、鼻は小ぶりながらも形が良かった。手足はまるで象牙細工のようにしなやかで、低身長ではあるものの、頭の先から爪先にいたるまで、身体全体が黄金比の恩恵を受けているため、女神を模った彫像がそのまま受肉したような印象を他者にもたらす。そして、女性の象徴ともいうべき部位――すなわち乳房や臀部には、平均水準を超えた量の脂肪が蓄えられているようで、厚いドレスを纏っていても、その大きさには目を引くものがあった。
 王女は本名をエリザ・マーガレット・ベアトリーチェ・パルディアという。年齢は一八歳で、現国王グレアレス二世のひとり娘だ。救世の王グリディアモスのれっきとした子孫であるため、強大な魔力を内に秘めているという。
 アズールを連れてきた看守のひとりが小さく咳払いをした。彼もまた、王女の美しさに魅了され、見惚れてしまっていたようである。
「エリザ王女殿下、アズール・ゼベガを連れてまいりました」
「ありがとうございます。お手数をおかけして、申し訳ありません」
それは優しさと慈愛に満ちた声であった。決して気取った様子がなく、努力して造ったものでもない。まるで春の訪れるような雰囲気があって、それを聞いた看守は、赤面し、その髭面に照れ笑いを浮かべていた。
 この直後だった。王女の口から、誰も予想していなかった言葉が発せられたのは。
「申し訳ありませんが、アズールさんを除いて、みなさまには席を外していただけますでしょうか?」
その言葉には、この部屋にいる誰もが驚きを禁じ得なかった。帯同してきた王女の側近も、護衛も、アズールを連行してきた看守たちも、そしてアズール自身も。
「お、王女さま、そ、それは危険です・・・・・・」
「相手はあのゼベガ一族の末裔です。もし、御身になにか生じたら一大事ですぞ」
「そ、そうです! その通りです!」
しかし、王女の意思は硬質な花崗岩のように硬かった。
「いいえ、どうしても彼とだけで話がしたいのです。これは秘密の話で、他の人には聞かれたくないのです。ですから、どうか、彼とふたりだけにしてほしいのです。お願いします」
「・・・・・・」
側近たちは互いに顔を見合わせた。そう言って頭を下げられては、従う他なかった。
 猛獣用の鎖が用意された。王女に危険が及ばぬよう、アズールを厳重に椅子に縛りつけ、身動きひとつとれないようにするためである。
(そこまでしなくても・・・・・・)
と、アズールは思ったが、口には出さなかった。口に出して抗議しても、自分の意見が通るはずはなく、怒鳴られ、罵声を浴びせられ、鉄拳による制裁を受けることは明白だったからだ。痛い思いはしたくなかった。
 アズールに代わって抗議の声をあげたのは、王女のエリザであった。彼女はアズールが思っていた言葉を、そっくりそのまま側近たちに伝えたのだが、その訴えはさすがに通らなかった。
「王女さまの御身を守るために必要な措置です。いえ、王女さまがひとりお残りになるのですから、むしろこれでもまだ不十分なくらいですよ。本当であれば大事をとって、こやつの四肢を切ってしまいたいくらいです」
「・・・・・・」
恐ろしいことを平然と言われて、アズールは思わず身震いした。
 自分はなぜ、こんな目に遭っているのだろうか。物心がついた時よりずっと頭の中で問い続けてきた疑問であり、その答えは未だ出ていない。
一五〇年も前の先祖の悪業によって、自分は生まれた時から囚人のようにこの古城に閉じ込められている。外に出ることはおろか、看守とすらまともに口をきくことを許されず、罪の償いと称して古代歴史の探究作業に生涯を捧げる毎日。そこに面白味はなく、刺激もない。そんな生活を強いられた挙げ句、手足を切るなどと言われるとは。本当に、自分の人生とは、なにか意味があるものなのだろうか。
 そう思って、アズールは内心で笑った。力なく。しかし、周りの者たちには気づかれぬよう、細心の注意を払って。その努力が実を結んだのか、アズールを拘束する作業は粛々と進められ、極短時間のうちに完了した。
「それでは王女さま、我々は退出いたします。もし、なにかあれば大声をお出しください。すぐに駆け付けますので」
そう告げて、一礼した後、側近たちは部屋から出ていった。護衛も、もちろん看守たちも。そして部屋には、王女と、鎖でぐるぐる巻きにされたアズールだけが残された。
 ふたりだけになってすぐ、王女のエリザが口を開いた。
「申し訳ありません、そのような目に遭わせてしまって。いま、すぐにその鎖をお解きいたしますね」
そう言って王女が席を立ちかけたので、アズールは氷を彷彿とさせる態度で拒絶の意思を表明した。
「いいえ、結構です。お気になさらずに」
「でも・・・・・・」
「大丈夫です。むしろ、鎖を解かれた後の方が厄介なことになりますので、どうぞお気になさらず話をしてください。あなた様は、私になにか用があってこのような辺境にやって来られたのでしょう?」
アズールの言葉に、目に見えない壁を感じ取ったのか、エリザは持ち上げかけた腰をそのまま下ろし、まっすぐ正面からアズールを見据えてその形のよい口を開いた。
「アズールさん、単刀直入にお伺いします。あなたは、邪術をお使いになれますか?」
邪術は、一五〇年前のゼベガ一族の叛乱以降、その存在を調べることすら禁忌とされるようになり、歴史の表舞台から完全に姿を消したとされている。
 しかし――。
「ええ、使えますよ。使い方だけは、習得を許されていますので」
例外として、ゼベガ一族の血を引く者だけには、技術の継承という意味合いを込めて、術の習得が許されていた。古代の遺物には、邪術だけでなく、魔術や呪術を習得していなければ扱えない品が数多くあるため、ゼベガ一族の末裔であるアズールは、それら術式の全てを習得していた。これは他の何者のおかげでもなく、本人の才能と努力の賜物であった。
「ですが、術の行使できません。この首に嵌められている枷には全ての術を封じる力を持っていまして、この枷がある限り、私は非力で無力な人間でしかないのです」
そう言ってアズールは、鈍い銀色を放つ枷をエリザに見せた。
これは術を習得したゼベガ一族の者が、その力を使って叛乱を起こさせないようにするための措置である。未知の金属で造られているこの枷は、とある古代遺跡から発掘された古代の遺物で、邪術のみならず、魔術や呪術など、全ての術を封じる力を持っている。その遺跡からはこれと同じ枷が幾つも見つかっていて、調べた結果、どうやら術を習得した犯罪者に対して使われていた物らしかった。
「では、その枷を外せば、邪術を使うことができるのですね」
エリザ王女の声の抑揚がやや高くなったことにアズールは気づいた。そう、まるで、高ぶった感情を圧し殺しているような声だ。
「え、ええ。まぁ・・・・・・」
 アズールは、王女がなぜそこまで邪術にこだわるのか理解できなかった。パルディア王家の者であれば魔術を使えるであろうはずなのに。いったい、なぜ。
エリザが姿勢を正した。
「アズールさん、お願いがございます」
「はい、なんでしょうか」
「あなたの力で、わたくしを「胎魔召喚士」にしていただけませんか?」
「・・・・・・・・・は?」
「わたくしは「胎魔召喚士」になって、この国を救いたいのです!」
「は、はいぃ・・・・・・?」
アズールは、この時はまだ、王女がなにを言わんとしているのか、はっきりと理解できなかった。

          *

「ほ、本気で言っているのですか・・・・・・?」
「はい」
「本気で、胎魔召喚士になりたい、と・・・・・・?」
「はい。戯言などではなく、本気で」
「信じられない・・・・・・」
アズールは目を丸くして、呆れたように首をふった。
 胎魔召喚士がいかなる存在であるか、この国に生を受けた者であれば誰もが知っているはずである。
 それは職業の名前などではなく、一五〇年前、ゼベガ一族が叛乱を起こした際、彼らの戦力となる異界の魔物を召喚するために使い捨ての消耗品にされた女性たちにつけられた別称である。彼女たちが辿った運命は悲惨で筆舌に尽くし難く、語るだけで吐き気を催すとさえ言われていた。
 そんなモノに、目の前にいる王女は、自らの意思でなりたいと言うのだ。正気の沙汰ではなく、これを狂気の沙汰と呼ばずに他になんと呼べばいいのだろうか。
「し、失礼ですが、お気は確かなのですか・・・・・・?」
「ええ、もちろんです」
「そ、そうですか・・・・・・」
とてもそうは思えなかったが、これ以上の質問は不敬に値すると思われるので、アズールはそれ以上、なにも言わなかった。
 その内心を見透かしたように、エリザ王女が口を開いた。
「あなたがなにを想い、考えているのかは理解できます。ええ、本当に、自分から胎魔召喚士になりたいなど、正気の沙汰ではないでしょうね。でも、わたくしは、どうしても胎魔召喚士にならなければならないのです。この国を救うために」
「? どういうことですか、それは」
アズールの問いかけに、王女はいまこの国で起こっていることを話した。ゼベガ一族が叛乱を起こした時に匹敵する、非常事態についてを。
「事の発端は、三カ月ほど前のことです。王国の南に、ソレは空から降ってきました――」
王国の南部ドジュール地方に、天空より飛来した星が衝突したのは、この年の六月一日のことであった。幸いにも、落下した星はそれほど大きくはなく、また人里から離れた場所であったため、直接的な被害は出なかった。しかしその星には、形容し難い「悪魔」が憑りついていて、その悪魔が、恐ろしい災厄となって人々に襲いかかってきたのだった。
 悪魔は貪欲だった。最初に確認された時、それはまだ小さな肉片程度だったが、対応に苦慮し、人々が右往左往している間、小動物の肉を捕食することによって増殖し、分裂して、瞬く間に個が寄り集まった群体となって人々に襲いかかってきたのである。
 それは禍々しい肉どもの軍勢だった。特定の形を持たず、粘体動物のように蠢き、それでいて完全に統率された行動で人や獣に襲いかかる。そして捕食し、吸収し、増殖と分裂を繰り返しながら数を増して、勢力を拡大させて各地に被害をもたらした。
 最初の一か月でドジュール地方は制圧され、続く二か月で、隣接するガルマ、レゾ、レジュスト地方が飲み込まれた。失われた人命は数知れず、住む家や田畑を失った何十万人という人々が、この禍々しい肉の悪魔たちから逃れるため、避難民となって故地を棄てる羽目になった。
 もちろん、この非常事態に、国もただ手をこまねいていたわけではない。軍隊を出動させて討伐作戦を開始した。だが、この禍々しい肉の悪魔たちは、想像を絶するほど厄介な敵であった。
 悪魔たちは斬撃や打撃で倒すことはできた。しかし、真の意味で殺すことはできなかったのだ。攻撃を受け、個としての生命を失っても、その死体を別の個体が捕食・吸収することにより、増殖と分裂の糧となった末、新たな個体としてまた戦列に加わるという、ある種のいたちごっことも言うべき事象が確認されたのだ。つまり、ただ倒すだけでは、まるで意味がないのである。
 敵の数は減らず、それどころか、戦いに敗れた兵士たちが敵に吸収されることにより、敵の勢力が増すという悪循環に陥った結果、星が落下してからほんの三カ月間で、パルディア王国は手の施しようがないほどの惨状に陥ってしまった。
 兵士たちは戦いを放棄して前線から逃亡し、各地では自暴自棄に陥った市民たちが略奪や犯罪に走った。将来を悲観して自殺する者、社会生活を放棄して刹那的な快楽に走る者、意味もなく集団で踊り狂う者が相次いで、王族や貴族の中には、財産を抱えて国外へ脱出を図る者が続出したのだ。まさに世紀末。阿鼻叫喚の地獄絵図といったところだ。
「そ、それは知らなかった。ま、まさかこの国が、いま、そんなことになっていただなんて・・・・・・」
アズールは柄にもなく背筋に汗をかいた。辺境の地で、外界と隔絶された生活を送っていたため、もともと世俗に疎かったという事情もあるが、まさかこの国が、いま、そのような惨状に陥っているだとは思ってもいなかった。想像を、絶している。
「し、しかし、その悪魔とやらも、話を聞く限りでは生物なのでしょう? 生物である限り、魔術や呪術など超常的な力による干渉がなければ、完全な存在はあり得ない。なにか倒す手段はあると思うのですが・・・・・・」
「はい。確かに、アズールさんのおっしゃる通りです。悪魔たちも決して不死身というわけではなく、完全に倒す方法は見つかっています」
弱点ではないにせよ、禍々しい肉の悪魔たちを倒す術は存在している。それは炎や雷による魔術攻撃であり、毒物や劇物を用いた薬撃であり、さらには捕食による消化などであった。
「ほ、捕食による消化?」
「はい。これは偶然、発見されたことなのですが、悪魔たちも食べてしまえば無力化できるのです。事実、人の手による攻撃よりも、飢えた軍用獣たちをけしかけた方が、対処方法としては有効であることが確認されています」
「なるほど・・・・・・」
アズールは頷いた。
 最初、王女が自ら胎魔召喚士になりたいと申し出た時は正気の沙汰ではないと思ったが、なるほど、この禍々しい肉の悪魔たちを討ち倒すためには、それしか方法がないとの結論に達したわけか。
確かに、異界の魔物たちであれば、それが可能かもしれない。なにせ、肉の悪魔たちに有効とされるそれら全ての攻撃方法を網羅しているのは、異世界に棲む魔物たち以外、他に存在しないからだ。それに、グリディアモスの血を引く王家の娘であれば、かなり強い魔力を有しているはずであろうから、それなりに強力な魔物を召喚できるだろう。
話を聞いて理解できたし納得もした。
問題は、肉の悪魔たちを駆除する魔物の数を、どうやって揃えるかであろう。ひとりで、大量の魔物を産むつもりなのだろうか。
「産む、覚悟はできています・・・・・・」
アズールの内心を見透かしたように、王女エリザはまっすぐな瞳でアズールを見据えると、その花弁のような唇を動かして決意の言葉を口にした。
「胎魔召喚士になればどれほど恐ろしい目に遭うか、理解しているつもりです。その苦痛は想像を絶するものがあり、妊娠と出産に伴う惨劇は、その光景を見た者だけでなく、聞いた者にさえも吐き気を伴う狂気をもたらすとか。判っています。いえ、判っているつもりです。ですが、わたくしはどうしても胎魔召喚士になりたいのです。ならなければならないのです。危機に瀕するこの国を救うために! ですからアズールさん、どうか、わたくしに力を貸していただけませんか? お願いします!」
そう言ってエリザは深々と頭を下げた。かつての仇敵である子孫の男に対して。王族に属する者として、それが如何に恥ずべき行為であるか、知らぬはずがないというのに。
「・・・・・・」
アズールは沈黙した。せざるを得なかった。その頭の中では様々な感情や考えがぐちゃぐちゃに行き来していて、とてもまともな思考を構築できていない状態にあったからだ。ただ、それでも、彼の中ではひとつの結論めいたものがすでに出ていた。
 それは利益や打算、現状に対する不平や不満、理不尽な人生を送らされている怒りや憎しみ、さらには祖先の因縁など、それらすべての感情を排除したうえで、彼が導きだした結論だった。自分よりも年齢が若く、絶世と称されるほど美しく、そして輝かしい将来が約束されている身分にいる者が、自分を犠牲にしてでも国を救いたいと訴えているのだ。その申し出を拒絶することは、彼にはできなかった。
「・・・・・・わかりました」
「!」
 長い沈黙の後、アズールが口にした言葉を聞いて、エリザの顔に光が広がった。
 アズールは、今度はもう少しだけながく、同じ言葉を起点とした言葉を口にした。
「わかりました。自分にできることは、出来うる限り、協力いたします。いえ、国を救うお手伝いをさせてください」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」
そう言って、エリザは繰り返し頭を下げた。
目に薄っすらと、涙を浮かべながら。

 ・・・・・・かくしてアズールは、エリザに伴われ、禍々しい肉の悪魔たちが蔓延る王国の南部へと赴いた。王暦一二八三年九月一〇日のことである。


・・・・・・無料プランの方には、第3章の冒頭部分を掲載いたしますので、よければ登録してご覧になってください。

フォロワー以上限定無料

無料プラン限定特典を受け取ることができます

無料

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索