近況9/25 この世には不思議なことなど

 FGO二次創作は、ようやくお話の舞台とメインの敵を紹介するところまで。
 特異点をまるまる一つでっち上げるところから、となるとやっぱりエッチシーンに行くまでが長めになりますね。そんな引っ張るほど大それたことでもない、ワンアイディアのネタではあるんですが。

 陵魚名義で活動し始めた最初の頃は、「二次創作はやりたいけど型月作品には手を出しにくい」みたいなこと言ってたんですよねぇ。設定が込み入ってて膨大だし、わりとツッコミが来やすいジャンルだと思っていたので。
 しかしまぁ、エロに限れば、「サーヴァントが軒並み発情しちゃう特異点」みたいなゆるゆるな感じでみんなやってるし、案外大丈夫なのかな……と最近は思っていますw
 私の作品も型月時空じゃあり得ないようなこと、やってるかも知れないけど……エロに持ち込むために多少無理をしてしまうのについては大目に見てくれよな!


 さて、京極夏彦『鵼の碑』読了しましたので、宣言通り読み終わって直後のアツアツの感想を垂れ流させていただきます。興味のない方は読まなくて大丈夫なんで、また来週お会いしましょう。こんなところに書いても誰も読まない気がするけど、いいんだ、俺が後で読み返して楽しめれば万事OK!
 例によってアルティメットネタバレ注意です。













 あなたが、これからミステリ小説を書こうとしているとしましょう。そのためにお話の骨格を作ろうとしてたとします。どうしますか。
 まず視点人物が事件の舞台となる場所へ行く。事件が起こる。事件を検証したり推理したりする。長編だったら第二の事件があったり、視点人物が危機に陥るサスペンス展開があったり。やがて探偵役によって、真相が明かされて終わる。
 まぁ大体そんな感じのプロットを考えますわね。
 しかしこれ、作中のトリックや登場人物のドラマにどれほど派手な要素を入れたとしても、プロットとしては一本線です。単一の事件が始まり、終わったという直線の物語ですね。
 たとえば二つの異なる事件があって、それが最後に合流して真相が明かされるという話なら、二本の線が途中から交わって最後一本で終わるという、Y字型のプロットです。
 普通はそんなもんです。
 一方、京極夏彦作品はこの「物語を俯瞰した時に見えるプロットの構造」で絵を描くんですよ。
 複数の視点人物が異なる方向から事件に遭遇し、追跡を始める。Aという人物の行動とBという人物の行動が時に似たようなカーブを描いてシンクロし、時に離れ、時に交差する。Cという人物とDという人物が同じ事件を追っていて、作中人物同士は出会えないから分かってないけれど、全体を俯瞰している読者はその二人が接近したり遠ざかったりしているのが見えている。各登場人物がそうしてそれぞれの立場から異なる動きをしている、その物語のラインが複雑に交差しあって、
 最後に妖怪の絵になる。
 これが京極夏彦「百鬼夜行シリーズ」の基本的な構造です。作中で起こる出来事ではなく、作品のプロット構造が透かし絵のように形を描く。
 妖怪は作品の中に実在のクリーチャーとして登場するのではなく、その一段上のレイヤーであるプロット部分に湧く。作中登場人物では決してコントロールできない、小説そのものの構造が一つの絵になっているわけですね。

 当然ながら普通のシナリオ作法ではない。こんなプロットの作り方を教えている創作講座は無いんじゃないですかね。
 そして、こういう特殊な創作法じゃないと、こんな話作れるわけがない、というのが本作『鵼の碑』を読んでの感想でした。
 だって中身が無いんだもん。

 ぶっちゃけて言えば、今回の作品は端的に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」みたいな話ですからね。とんでもない陰謀があると思わせておいて、実はそんなもん無かった、というお話。そもそも事件が起こったのは20年前とかで、主人公たちがあちこち動いている作中時間での現在においては何の事件も起きてない。ただみんながあたふたしただけ。
 そんな馬鹿な話ある?w そんな間抜けな話書こうとしますか普通?w
 でも京極夏彦はそれを書く。なぜなら妖怪「鵼」がそういう性質・来歴のモノだからです。実体は無いに等しいのに、後から属性だの尾ひれだのが付け加えられまくって正体不明の合成怪獣みたいになってしまったという妖怪がテーマなので、「実態は無いのに何かヤバい事が起こってそう感だけ無闇に高まる事件」が描かれたんですね。
 京極センセは「ミステリを書こう」なんて思ってない。「小説を媒体にして妖怪を表現しよう」としか思ってないんで、「中身のない妖怪」がテーマだったら「中身のない小説」を書いちゃうんですね。そういうお方なのですw

 いやそれにしたって、普通書けませんよこんな話。だって真相としては本当に枯れ尾花しかないんだもん。これを膨らませて無理やり事件にしてくださいって、普通の小説書きに渡してもせいぜい100枚くらいの中編にしかなんないでしょ。なんでシリーズ最長クラスの長さになってんですかこれで!w しかも面白いの、マジで意味わかんない。
 本作は、あえて令和の今こそ猖獗を極めている時事的な情勢に対してはっきり警鐘を鳴らし、そこにカウンターしていこうと目論んでる作品です。放射線、そして陰謀論という、普通に取り組んだら大やけどを負いそうな厄介な問題をあえて正面から取り上げていて。
 しかしですよ。陰謀論に警鐘を鳴らすのにミステリ小説ほど向かないジャンル無いと思うんだよなw 普通は。だって「驚きの真相!」っていうところで成立するでしょ、ミステリ小説って。陰謀論に対して抗おうとするなら、「みんなが思い描いていた巨大な陰謀みたいな、そんな驚きの真相なんて無いんだよ、ここにあるのは枯れ尾花だけだ」って話にするしか無いんだけど、そんな尻すぼみでは普通エンタメミステリ小説になりようがない。
 でも成立してんだよ。Twitterで感想漁っても満足してる読者さんかなりいるわけ。え、なんで? どうやって成立させてんの!? とマジで私は今混乱していますw

 まぁやっぱり、ここまでシリーズを読んできた読者なら、その中心不在の肩透かしな構造自体が「妖怪ヌエ」で、京極堂がそれを祓ったんだ、というのがちゃんと伝わるからなんだろうな。
 この百鬼夜行シリーズでしか成立しない話だと思います。それを描き切った手腕に、素直に拍手を。めっちゃ面白かったよ、私自身も。こんな没頭して読書したの、やっぱり久しぶりだったからな。

 しっかし、ほんと捻くれた話だよな。桜田登和子の「実父を殺した記憶」を追う形で動き始めたのは関口たちなのに、その当の登和子から記憶の詳細をようやく聞き出すのは関口じゃなくて木場だし、木場が追っかけてる死体消失事件の関係者から証言を聞くのはまた別なチームで。手がかりが全部ボタンの掛け違いみたいに入ってくるという。ほんと、こんなまどろっこしい話がなんで面白いんだろう……w

 そもそも、小説の冒頭60ページくらい、関口と久住が道端の地蔵だの妖怪ヌエだのの話をしてるだけで、事件らしい事件も起こらないし謎さえ提示されない。オッサン2人が雑談してるだけだからな。普通は許されないよw
 でも、京極夏彦作品においては、こういう本筋と関係なさそうな雑談でこそ、事件の全体構造や、本筋に関わるギミックの解説がされてるんだと予感してるんで、ふんふんと読めちゃう。ほんと、幸せな作品だよ。


 私は学生時代、戦争に関する話題に触れるのが苦手でね。
 当時はSNSとか無かったから今ほど顕在化してなかったけど、でもやっぱり喧々諤々、舌鋒鋭い人たちが理論武装してバチバチにやりあってる話題で、不勉強な自分がうかつなことを言えば滅多打ちにされるな、っていう感覚があったし。また、自分が太平洋戦争にああいう形で関わった国に属している、という事を抜きにしては戦争を語れないわけですよ。だからどうしても思考も、発言も制限される。そんな感じで苦手だった。
 そんな私が戦争について考えられるようになったのは、『機動戦士ガンダム』シリーズに触れたからなんですよ。
「日本が関わったあの戦争」ではない、地球連邦とジオン公国という架空の国家が戦った架空の戦争についてだったから、そこでようやく私はこのテーマをフラットに、自分なりに考え始めることが出来た。
 フィクションの効用というのはここにある。
 差別問題もそうだよね。たとえ差別反対のつもりでも、現実に存在する「差別されてきた人々」についての話ではいろいろ配慮もあるし、使える言葉も限られる。でも『Gのレコンギスタ』に登場した架空の被差別階級クンタラについてなら、思う存分考え発言することができるわけです。
 今回の『鵼の碑』もそういう効果を上手く使ってて、普通に発言したら党派性とレッテル貼りに巻き込まれて満足にやれないだろう「放射性物質についての問題」「陰謀論との向き合い方についての問題」を取り上げて語ることに成功してる感じがしました。物語の舞台が昭和三十年前後という、ほどよくなじみの薄い時代になってるのが効いてる。放射能の話だけどこの時代にはまだ福島の事故は起こってないから、読者があまり先入観に染まってない「なじみの薄いもの」に関する話だから、日々メディアを通して流れてくる情報に染まって特定の意見に固着してる人たちもいったんフラットに考え直すことができる。
 歴史を学ぶ効用っていうのもここにあるんだよね。江戸時代の政治の在り方について考えていると、当然江戸時代には自民党も立憲民主党も共産党も存在しないw だからそういう自分の普段の党派性を抜きにして、「政治とはどうあるべきなのか」という普遍的なことを考えることができる。そして、そうやって普遍的に考えて得た結論と今の政治に対する自分の姿勢に齟齬があったら、「おや?」と思って考え直すことができる。これは時事問題だけを追いかけていては得られない特典なのです。
 とにかく今回は、その辺のテーマの取り扱い方の周到さも印象に残りました。『塗仏の宴』の頃はもっとぎこちなかった。こういう政治的テーマを周到に扱うための身のこなしを習得するのに、17年という月日が必要だったのかな、と思ったりもしました。


 それにしても、私自身が17年も間に経過してるからなのかも知れないけど、関口君のイメージが今回すごく良くて。実は『邪魅の雫』は地の文での登場人物の一人称語りがかなり鬱陶しいという印象強く持ってたんだけど、今回は全然感じなかったんだよな。まぁやっぱりみんなうじうじしてはいるんだけどもw
 益田くんとかも、今回読んでて「自分の管轄範囲内では超優秀じゃん!」というのが印象深く残りました。自分に出来ること出来ないことを完璧に把握してる。のらくら関係ないことを軽薄に話してるようで、なんだかんだ必要な情報を聞き出すのに長けている。優秀なんだよな彼。でも榎木津が出てきた途端に形無しになる……君、なんでそこを再就職先に選んじゃったんだ……w
 今回、中禅寺もちょっと妖怪に振り回されてる感ありましたよね。合成獣ヌエを構成するうちの「猿」には、彼もちょっと惑わされてたのでは。憑き物落としをしてる時なら物語の上位レイヤーまでコントロールする特別な立場ですけど、それ以上に無類の本好きなので本に関する謎が出てくると振り回される側にちょっと寄ってしまう。まぁ天海僧正ゆかりの日光で『西遊記』の写本なんて見つけたら、伝奇ロマン好きとして滾らないわけがないのでなぁ……w 珍しく徹夜までしちゃう京極堂、ちょっと良かった。
 あと、緑川さん可愛くて好きだった。チャーミングな魅力と、理性的な強さを両立してる女性って魅力的だよね。ざっくばらんな性格も良い。シリーズの今後、レギュラーになってくれないかなぁ。また再登場してくれたら嬉しい。しそうな予感。


 とりあえずそんな感じでした。
 次作の予告も出ていましたが、次はいつ刊行されるんですかねぇ。あんまり読者を待たせると良くないぞ……とか言うと、いつか自分にブーメランになって刺さりそうな気がするけど……w
 Twitterで百鬼夜行シリーズ新刊発売を喜ぶツイートを眺めてましたが、「前作を読んだ時はまだ老眼鏡は必要なかったんだよな……」とか言ってる人を複数見てしまってなぁ……。
 まぁ、推理作家協会会長の重責からも解放されたそうなので、次回作を楽しみにしております。
 いいかげん堂島大佐との決着もつけてくれよな!!!w


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