七草堂ひろきち 2019/06/30 22:04

1000ポイント達成しました。今日は、心の余裕的な話をちょっとしたいと思います。

お世話になっています。七草堂ひろきちです。
現在ちょっと、異世界に転生してしまったので、敵と戦っていて忙しいですので、
バックショットで失礼します。


・・・というのは、まぁ冗談でして、

このゲームは、咲斗さんという方が作られました
VRMでのキャラクターファイルを使用して、自分の好きなキャラをメインキャラにすることができる作品です。
https://booth.pm/ja/items/1293100

VRMファイルとは、3Dポリゴンモデルをひとつの統一基準にしようという形式です。
まだ、すぐには統一標準にはならないようですが、今後発展が期待できます。

さて、突然話が横にずれましたが、
おかげさまで、1000ポイントを越えました。500ポイントがつい先日だったので、何とも早い展開に僕が追い付かない状態です。ありがとうございました。

と、いうわけで、公約通りにキャンペーン終了で、Amazon券10000円分を頂いた折には、七草堂の夢である「犬や猫を保護してくれる施設への寄付」とさせていただきます。
Amazon券はキャンペーン終了後に頂けるということなので、結果はまたスクリーンショットなどでご報告させて頂きますね。


さて、前回のちょっと真面目な経済的な話が、案外と好評でした。
僕はいつもこういうことを考えているので、そんな妄想な話をしてもシラけるかなと思ってたので、むしろ良い反応はないだろうと思ってました。

なので、調子に乗って1000ポイント越えたついでに、折角なので、今回もちょっと話を書こうかなと思いました。

昼間に、子供の床屋に付き合うついでに、考えてて、
「同人での僕的副業のやり方とか考え方」か「善悪的な精神の持ち方」のどっちを書こうかなと思ってたのですが、僕的副業のやり方とかいっても、周りの稼いでいる人から見るとあまりにも雑魚すぎるのと、

前回が経済的な固い話だったので、今回は神様とか精神の持ち方的な、いわゆるオカルト的な僕の考えを話そうと思います。

昨今は、何かと「運動会の子供の声がうるさい」「除夜の鐘がうるさい」「子供を見ると腹が立つ」など、もう少し、心に余裕を持ってもいいのではないだろうか?と思うことが多いような気がします。


みんな、それぞれ生活や、日常が忙しくて心に余裕がないのは理解できます。
しかし、なにか一番大事なものを最近見落としがちではないでしょうかと思います。

世の中で最も大事だと思う物の一つで、割と頭に思うのは「お金」ではないでしょうか?
 「お金は二番目に大事。」これを僕は子供にいつも言って聞かせています。
結構前に、嫁宅に正月親戚が集まった時の飲み会に、義父が「いいか、お金にこだわっちゃいけないぞ」と、言ったときに、

うちの子が「うん!おかねは二番目に大事!」と言いました。

義父と親戚一同が若干、引いているのが判りました。さらにその後子供たちが帰った後に
「お前は子供になにを教えているんだ。金に卑しい人間は最低だぞ!」と僕に説教までしました。

まぁ、酔ってた席でもあるので、ムキにならず僕は「お金は大事だという意味ですよ」とやんわり流しました。


 でも、いっちゃなんだけど貴方は、パチンコで家のローンの金まで一時期つぎ込んで、消費者金融から督促が来て、当時子供だった嫁が驚いたと聞いてるぞと思っていました。
 
 二番目は低い順位ではありません。何しろ二番目なんだから。
じゃあ、一番は何だ?と思うでしょうが、それはいっぱいあります。
いつから一番は一つと決まってますか?自分の命、家族、ペット、なんでもかんでもあります。

 一番をどれか一つにしろというのは、食事と睡眠どっちが一番なんだ!どれか一つにしろ!というのに似ています。どっちかだけでは生きていけません。

 仮に、食事に決めるというなら、じゃあ、睡眠は二番ですか?じゃあ心臓は動かさないでいいのですか?呼吸は何番目なんですか?となっていきます。「何か一つの物」が一番大事というのは頭の悪いひとの考えだと僕は思います。

 僕がいいたいのは、お金は汚いと、綺麗ごとで思考停止にならず、その価値と魅力を最大限に認めたうえで、大事なものの前では「それでも二番だ。」と蹴り飛ばせなければいけないということなのです。

先ほども言ったとおり、この義父はお金にだらしなく、見栄っ張りで短気で寛容性はなく、綺麗ごとを言う人間ほど果たしてイザ大金の前ではどうかな?と、僕が疑ってしまう見本とも言えます。

 僕が思う、一番大事なものは「人間性」であり「善意」だと思っています。
そして、いろいろな局面が僕にもありました。まさに「イザという時」です。

 僕が貯金が底をつきそうなとき、祖母が僕に100万円を現金でくれました。
「嫁さんには内緒にして取っておきなさい」と初めて手にした大金でした。

当時、生活も貧しく、貧しい時には欲しいものがいくらでもありました。
帰りの車で、浮かれ気分であれも欲しいこれも欲しいと、使い道を考えていましたが、
ふと、これでいいのかと自分で思いました。仮にも一家のリーダーとしてそれでいいのかと思うと、家に帰ると、嫁にそれを見せ「祖母には内緒にしてくれよ。」と、半分を渡しました。

その後、借金寸前のある日、僕の初ゲームGIRLvsGIRLが発売され、思わぬヒットで家計は一気に窮地から脱しました。

しかし、一難去ってまた一難。今度は親父が億の借金で、僕の助けが欲しいということでした。兄は、それを知って実家には現れなくなり、嫁は「絶対に危ない!辞めた方がいい!」といいました。


でも、僕は父を救いたい一心で手を貸すことを決意し、いざという時には離婚する段取りまでして臨みました。途中、裁判所から仮処分などのさまざまな経緯があり、親父がストレスで倒れ、そのまま意識不明になるなど大騒ぎをしました。

僕は神様に「親父の借金は僕が背負ってもいいので、どうか父を助けてほしい」と、病院で一晩祈りました。

翌日、親父の意識は戻り嘘のように回復。医師も血液中の成分?値が異様に上昇してて、完全な危篤状態で、死んでもおかしくなかったと言っていました。

多くは語れないのですが、その後、優秀な弁護士をこれまた不思議な縁で紹介され、羽陽曲折を得て、借金騒動は終わり、親父は元気になりました。その後、突然ガンが見つかり、「役目は果たした」とばかりに1年で逝ってしまいました。

 もし、僕がかかわらなかったら、倒れる現場にも居なかった訳で、そのまま死んでたかもしれません。そうなると遺産相続後、訳も解らないうちに借金を背負い、今とは真逆のコースを歩んでいたかもしれません。少なくとも、今、僕が大事にしている実家は無くなっていたことでしょう。

他にも、「人間性と損得を選ぶ」という、場面が何度もありました。
くどくなるのでまぁ語りませんが、言えるのは、

そういう場面で僕は、運よく人間性を選ぶことができて、良い方向に進んだという結果を得てきました。

今回も嫁が仕事を辞めたいと言い出し
「え!?僕の辞めるこのタイミングで!?扶養も抜けて2か月だから、任意継続もできないし、もう一か月頑張ってよ」と、喉まで出かかったのですが、それを飲み込んで、

「いいよ、大丈夫だから、好きにしなよ。」と、一番大事な事を忘れずに選択できました。


 
僕が言いたいのは、「ちょっとした得」や「ちょっとした損」は、むしろ人に譲っていいのかなと思っています。

神様は、心配しなくてもちゃんと、貴方に
時間も形も違いますが、その分を返してくれるとい思っています。

神様を信じるというのは、単に宗教とかではなく、「正しいことをすれば、正しく返してくれる」そういった事を信じるということだと僕は思っています。

人に少しでも良い事をしてあげる。これが最高の宗教の終着点であり究極の意味だと僕は信じています。

宗教は神様のような素晴らしいものに、真似して他人に良いことをしてあげる。
ことが大事で、手を合わせる回数や、お経を読む回数ではないと信じます。

逆に、人にいつも良いことをできる人間であれば宗教は必要ないとすら思います。

なので、僕の話は極例、極論でしたが、
みなさんも、「できる範囲で」いいのです。

たとえば、
「道を譲ってあげた」
「いつもはしない挨拶をちゃんとして相手の気分を良くしてあげた」
「人の話を聞いて、ほめてあげて喜ばせた」

日々、これだけでいいのです。
何かしら、一つでも毎日なにかを思いやることで、心の大きさは広がると思っています。

この世は、自分が苦痛だと思っていれば苦痛な世の中に見えるし、
自分が、平和だと思えれば、なかなか捨てたもんじゃないと思えるのです。

心が大きくなると、後者に自然と思えてくるようになると思います。
そして、きっとそんな貴方に、神様は味方をしてくれると信じています。

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