サーチライト 2021/11/01 22:00

活動報告152回目

こんばんは。坂下です。
最近日曜の夜に用事があって更新が出来ていません。しかしこれも社畜の定め、いついかなる時も臨戦態勢に入れなければなりません。いや日曜の夜にエクセルと向き合いたくはないのですが……


というわけで月曜にギリギリの戦いで定時更新あいならん次第ですが、相も変わらず引き続き書いてます。休日は息抜きに映画を見たり本屋へ行く以外は全て執筆しています。
あ、いや、酒も飲んでます。酒飲んで読む本って面白いんです。
(命の水だから……飲むしかないって、こと……?(ちいかわ))


しかし、「執筆」とは読み下すなら「筆を執る」となるもの、同様の表現では「指揮を執る」とか「事務を執る」がございます。「執る」は語源的には「手に持って収める」的な意味合いっぽく、物事を行う、処理する、固く守る、固く主張するという用法のようです。固執、という単語もありますからね。
筆を用いて文章を物す、これに「執」の漢字を充てた方は蓋し本質を穿っていたのだなと感じる次第です。
小説を書く人間である以上、「この作品は名作である」という自惚れとは無縁ではいられません。坂下もこの幸福な思い違いからスタートするわけですが、脳みその中にある超名作は中々ちゃんと出てこない。うまくいかない、いや、うまくいかない次元を超えそもそも「いかない」、つまり文書が出てこないなんてザラなわけです。

コンサートで指揮者の方が賞賛されるのは楽団を良く導いて素晴らしい演奏を披露するからだと思いますが、当然至難の業で、気の遠くなる練習が居るのは想像に難くありません。
この崇高な芸術が指揮を「執る」と呼び習わされる以上、「執」筆もまた至難に違いありません。脳みその中にある物語を言葉に変換して書き込んでいく、一見ストレートな道程にしか見えないのですがやってもやっても素直に出てきてくれない。むしろ脳みその中になかった物の方が面白そうという事も良く見られます。
この難しさの中に小説の豊穣さがあるとはわかっているのですが、一体いつになったら慣れるのか……裏切られたり裏切ったりしながらあひぃあひぃ言いながら取り組むしかないようです。



……なんかこのブログ手を変え品を変え遅延してごめんって言っている気がしてしょうがないんですが、遅延してごめんなさい
引き続き書きますね! 今週は短めとなります!

フォロワー以上限定無料

無償で活動報告を読めます。

無料

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索