他人の価値観を認める事が文化のスタートラインだと思うのです(作業日報 08/28)
JASRACの批判などで良くあるのが「音楽文化を破壊した」っていう論調なんですが本当にそうかなぁと思う所なんですね。むしろ彼らの方が音楽文化を破壊しようとしていないかと。
自分にとってお金のやり取りというのは文化そのものなんです。私はこの品物にこれだけの価値があると思う。に対して、私もそう思う。これらの品物はその品物と同じぐらいの価値があるだろうか? っていうやり取りが文化交流な訳ですよ。
そこで、いや、その品物にはそれだけの価値があるとは思えないから取引をしない。って言うのも相手の価値観をお互いに受け入れているからですよね。
価値観を受けれいてなけったら、価値はないから貰っていく。あるいは価値が無いと思っても押し付け対価を持っていく。そういう野蛮な行為が成立してしまう訳です。
翻って、JASRAC批判ですが、権利者が利用にはこれだけの価値があると思うと示したものを、利用しておいて払おうとしないという行為は直前に述べた野蛮な行為そのものな訳です。そしてそれを肯定するのも野蛮な行為だと自分は思うのです。
同時にそれら野蛮な行為に対して「文化」が盾に使われて批判の道具にされてしまうと言う所が皮肉というかなんというか。お金をないがしろにする教育や清貧の風潮みたいなものの延長に有るような気がして、それは違うんじゃないかなぁと常々思っている次第です。お金は文化だよ。
紳助さん2016周目。
作業内容
ポーズ
24/50
しばらくお休み。
RAVAGE外伝
受け皿。
モーぜ
イベント。
カスタム・サーガ(ヴァーレントゥーガ)
テクスチャ。
mod
モデル。
MHTRPG
おやすみ。