D’s Production 2020/01/02 16:42

《虐殺大陸の明けぬ夜5》物語の語り方

《虐殺大陸》は《虐殺大陸の明けぬ夜1》でも説明した通り、作者のやりたいシミュレーションゲームを作ることを目的として開発したゲームである。
全てに先んじて、「ゲーム」が最初にあった。
その他の要素、例えばグロとかエロとか、そしてストーリーなどは後付けである。

グロやエロが必要だったかについては自分自身否定的に思うところがあり、それは後の記事に譲ることにしたいのだが、しかしストーリーや世界設定などについては今ではなくてはならないものだと思うようになった。それらは《虐殺大陸》を構成するうえで不可欠で、《虐殺大陸》という作品とは切っても切り離せない不可分な要素なのである。
私はそう思っているのだが、けれどもプレイヤーがどう思っているかは正直わからないところである。感想を送ってくれる人の中にはストーリーに言及してくれる人が結構いるのだが・・・

「重厚な政治劇」

これは《虐殺大陸》の宣伝文句の1つである。
これに惹かれて購入するユーザーはほとんどいないであろうことも理解しているが、実際にプレイした人の心に残らないのであれば例によってこれは作者の責任であろう。問題は作品にある。

ただ、作者の手腕や技巧といったもの──つまり作者のレベルが低いためにそうなっている部分があれば、それはレベルを上げるために努力するべきだということになるのだが、指向性の問題、即ち作者の好みによってそうなってしまったのであれば、問題は複雑である。そして、私は(悪い癖なのだが)顧客の求めるものと自分の作りたいものが一致しない場合は、原則的に自分の方を優先することにしている。そうでなければ《サキュバス・レ○プ残酷物語》などは作れなかったであろう・・・《虐殺大陸》も同様である。

今回は決して、自分の文章力のなさやストーリー展開の甘さを嘆いたり、反省するといった趣旨ではなく、自分がどういった意図でこのこのような物語を作っていたのか、それを説明(弁解)するコーナーとしたい。

《虐殺大陸》の世界

《虐殺大陸》をプレイ済みの方には改めて説明するまでもないことだが、読者の全てがプレイ済みだとは思えないので世界観について簡単に説明しておきたいと思う。

《虐殺大陸》はタイトルの通り1つの大陸が舞台になっている。一応「グラダナード大陸」という名前が付いているが、大陸の住人はこの大陸のことしか基本的に知らないので、一般に「大陸」と呼べばこの舞台の大陸のことになる(一応、大陸外に他の大陸や土地があることは劇中でも言及されるが、大陸の中でも余り知られたことではなくほとんどの人が無関心である)。
大陸には6つの国がある。

ライトニングフォード王国

 大陸南端の人間の国。農業国。一番やばい国。そしてなぜか一番やばいのにプレイヤーが操作する国。
 現女王の1つ前の女王、つまり現女王の母親が前政権を武力革命(というよりクーデター)で打ち倒し政権を奪い取ったという。そしてそれ以降、前政権打倒に功績があった貴族ら(前政権から見たら裏切り者)と共に王政と立憲議会政治の併用でやってきたが、現女王がその貴族たちを誅殺して無理やり全権力を手中に収めるところからこのゲームは始まる。

ガンドヴァール

 森林地帯に住まう獣人の国。「獣人」という言葉は劇中ではそれ以上の説明がなく曖昧だが、単に森の中で暮らしている肌の黒い人種・民族というだけで、おそらくただの人間。
 劇中で明かされるが、獣人という呼称には似合わず実は最も教育熱心で、独特ではあるが文明レベルは高い。

ケイクリッジ

 砂漠の民にして海の民。最も文明レベルが低く、「国家」という概念があるのかも少し怪しい。

シルフィーヌ王国

 エルフの国。もともとの支配地域は最も狭い。獣人と同じく「エルフ」が何かも説明がないので曖昧だが、これも単に人種の違いでしかないのかもしれない。エルフというと昨今のファンタジー作品では耳が尖っていることが多いが、もともとは違うらしく、この作品ではそれに従っている・・・というのは言い訳で、単に画像の差分を用意するのを面倒がっただけである。
 伝統に固執し、保守的で閉鎖的な気質を持つ。

ユングリオ連邦共和国

 人間の国2。まともな方。と説明されることが多いが、かなり成熟した民主主義社会で、それゆえの問題を抱えている。「国会議員は何百人もいて、いつも喧々諤々の議論が行われており、誰が発言したのかわからず責任の所在もわからない」と劇中で説明され、大陸全面戦争の勃発に至っても国会では代表の責任問題で非難し合うような様子が描かれている。
 いくつかの共和国が集まってできた連邦制国家だが、全体に君臨する国王がいる。この国王とその側近は作中でも最も徳の高い人物として描かれており、自国の政治について憂いて自ら戦争指導に乗り出した。

ラドゴッサル帝国

 魔族の国。肌の青い人種が中心であり、作品紹介などでははっきり「魔族の国」と書かれているのだが、当の本人たちは自分たちのことを魔族とは呼ばず、魔族とはライトニングフォードの人たちが肌の青い人種を呼ぶ呼称に過ぎないと明かされる。そもそもラドゴッサル帝国は多民族・他人種の集合国家で、青い肌の人種ばかりではないらしい。(ただし作中で登場するラドゴッサルの兵士は全員青肌である。当然、これは立ち絵の差分制作の問題なのだが、もしかしたら国内差別の問題で少数民族は前線勤務にはならないのかもしれない)

上の説明では「劇中・作中では・・・と明かされる」といったことをしきりに書いた。ゲーム紹介のページや説明書などで明かされることは一部で、ゲームをプレイする中で世界観のことが徐々にわかってくるのである。

初期構想との食い違い

《虐殺大陸》の元ネタが「ドラゴンフォース」というゲームであることは色々なところで言及してきた通りである。
「ドラゴンフォース」も1つの大陸が舞台で、その大陸の中に8つの国がある。プレイヤーはその中の1つを自由に選んで(ただし1回目プレイで選べるのは6国のみ)、最終的には大陸全土を支配することになる。《虐殺大陸》もこれと同じシステムで作る予定であった。
しかし残念なことに、私の製作速度の遅さからそれは早々に断念せざるを得なくなった。1ヶ国のストーリーとスチル絵(1枚絵)を作るだけでとてつもない時間がかかる。
私は制作段階の割と早い時期から、6ヶ国のうちの1国のみをプレイできるようにすることに決めた。
その国は当然、《虐殺大陸》の名に最も相応しいライトニングフォードである。

さて、もしそのようにならず、予定通り最初から6ヶ国の中から自由に国を選んでプレイできるようになっていたならば、どうなっていただろうか。
おそらく、最初に国を選ぶ選択画面が出て、1つの国を選んだらその国の簡単な説明が出て、「この国に決定しますか? はい/いいえ」というような確認を経て決定、という流れになったに違いない。
自分がこれからプレイする国のことだから、プレイヤーはその説明をある程度読んで決めるに違いない。
ということは、である。
プレイを始める段階で、プレイヤーは各国の情報を簡単にではあるが、ある程度頭に入れた状態になっている。
仮にライトニングフォードでプレイするにしても、北西には教育レベルの高い獣人の国が、東方には部族同士で抗争を繰り返し戦闘慣れしている国が・・・などということがわかっている状態でプレイ開始となるのである。
実際にリリースされた作品では、この前提が全く覆されることなった。
プレイヤーが本来最初にやっておくはずだった、「プレイする国を自分で選択する」という作業が完全になくなったためである。

実際ゲーム攻略においては、これはそれほど大きな問題を生むわけではない。
しかしストーリーを理解する上では予想外の反応を生むことになった。
111氏の感想ブログや(同じく111氏のメルマガにおける)エミリア氏のコラムなどで言及されたことで、

相手国を滅ぼしたあとで、そこがどんな国だったかがわかる

というものである。
これは自分としては全く予想外の感想だったが、改めて見返してみると本当にそう思えて仕方ないものになっていると感じる。
敵国を攻略するまでは、その国に関する情報がほとんどプレイヤーに入ってこないためである。

後から追加された2つのシーン

しかし、制作当時の自分としても、この「情報の少なさ」そのものは自覚していたようで、若干の(後知恵的な)フォローが一応入っている。
そのシーンは2つある。

1つは大陸全面戦争が始まった時に入る、各国の様子をモンタージュ映像的に流す場面である。
このゲームは基本的にプレイヤー国の視点(一部例外を除いて、セリア女王の視点)のみで語られる。
それはプレイヤーが操作する国を選べるようにするという当初の仕様に基づくコンセプトであり、一種の縛りである。すべての国の事情が知りたければ、すべての国をプレイしろということにもなるのだが、結局今のところそれは実現していない・・・
実現していないがゆえに、ストーリー全体を書き終えてみて、さすがにプレイヤーの理解が追いつかない、というか、プレイヤーを置いてけぼりにし過ぎの感が出てしまったので、あとから追加したのが、この場面である。


(現在英語版製作中につき、英語注釈が表示されるほか、キャラクターの一部名前が英語表記になっている)
戦争を目前にして、各国首脳の苦悩と事情を簡単に描くものになっている。
状況を冷静に見つめるガンドヴァール女王と、堅実にそれを補佐する副官。
対して状況を理解せず完全に楽観視している周囲の貴族たちに呆れ、対応を急ぐシルフィーヌ女王たち。
ユングリオの女王らも危機感を募らせ善処しようとしてるが、国会では無意味な議論を重ね、足の引っ張り合いをしている。
ケイクリッジは上の国々とは全く異質で、完全に楽天的である。
そしてそれらに被せるように語られる、ラドゴッサル皇帝の演説。もちろん、最後までプレイしてくれたプレイヤーには、この演説は威勢の良いことを言っているが、いわゆる国内国外向けのプロパガンダであり、皇帝個人のの本心ではないということはご理解いただけると思う。
作中でも最もドラマチックな場面の1つで、作者である私は非常に気に入っているのだが、プレイヤーの皆さんはどうだっただろうか・・・

なぜこのようなシーンを後付で入れなければならなかったのか?として、初期構想との食い違いのことを説明したのだが、実はそれ以前の問題がある。
もともとこのゲームは説明不足なのである。
それは意図的にそうしているのだが、あまりに説明不足すぎるだろうということで、後から付け足されたもう一つの場面がある。

それが冒頭の情勢説明のナレーションである。

この部分について説明する前に、皆さんには物語の語り方について考えていただきたいと思う。皆さんはどのような物語の語り方が好きだろうか?
物語そのものではない。“物語の語り方”である。



“物語の語り方”のあり方

語り方には2種類ある。

昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいた。
お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行った。
お婆さんが川で洗濯をしていた時、上流から巨大な桃が流れてきた。
お婆さんはそれを持ち帰った。
お爺さんとお婆さんが桃を切ってみると、中から男の子が出てきた。

という語り方を、客観的・説明的な語り方ということにしたい。
一方で、そうではない方法もある。

お婆さんは額から頬を伝う汗を、肩からかけた手ぬぐいで拭った。暑い。腰が痛む。既に何十分も屈んだまま、洗濯桶に向かっていた。彼女は一息つき、体を起こし、伸ばした。体中に滞っていた血液が流れるのを感じて、一時の快楽を感じた。
その時である。
視界の端に、何かが動くのを感じた。見やると、彼女が洗濯に使っていた川の上流から、一抱え以上もあるような巨大な桃が流れてくるではないか!彼女は大いに驚き、そして持って帰った。
家に帰るとお爺さんが先に帰ってきており・・・

おわかりになるだろうか。今のような書き方は、登場人物の視点に立ち、まさに主観的に感じていることをなぞるような語り方である。これを主観的・叙述的な語り方と呼ぶことにしたい。

この2つの違いは明らかである。
説明的な語り方では、全体がわかりやすい。読者は、人物の置かれている状況がストレスなくわかる。
一方で、叙述的なストーリーテリングにおいては、かなり後の方にならないと読者は状況が理解できない。その代わりに、主観的な立場に立った独特の緊迫感のようなものがあると思う。
どちらが好きかは好みの問題だが、《虐殺大陸》は後者の立場を(極力)とっている。

2つ目の文章を読むと、いつの話なのか、お婆さんが出てくるのはわかるが、誰とどのような暮らしをしているのかわからない。それら徐々に明かされていくことになるのである。
お婆さんはどこにいるのか? → 川。 なぜ川にいるのか? → 洗濯をするため。 お婆さんは誰と暮らしているか? → お爺さん。
などというように、順を追って説明されることになる。あるいは、必要なければ説明すらされないかもしれない。
この「説明されない」ということは、実は非常に重要なことであると思うのである。
というのも、人間は「当たり前のことは一々説明しない」からである。
例えば、お婆さんがお爺さんに向かって「私たちは結婚してはや50年、子供はありませんので・・・」などと語るような作品をしばしば見ることがあるが、これは読者に向けた説明口調であって自然な会話とは言い難い。ナレーションで説明するのも、物語への没入感を妨げる。
登場人物には、あくまでその世界の中の住人として自然に振る舞ってもらい、読者はその振る舞いを覗き見ることによって状況や心情を推し量るというのが最も緊迫感のあるストーリーテリングだと思う。

さて、話を戻して《虐殺大陸》冒頭だが、実は最初はあの説明的な部分はなかったのである。
ゲームを始めると、参謀総長のエマがいきなり
「ユングリオが第2次和平会談を持ちかけてきています」
と話し始めるという予定だった。
もちろんプレイヤーには「ユングリオ」という単語も「和平会談」をめぐる情勢がどうなっているのかもわからない。
しかしこの1文だけで、ユングリオという国だかグループだかがあるということ、話し手が巻き込まれている紛争があるということ、しかしユングリオはそれには直接関わっておらず第三者の立場であること、(第2次ということは)第1次和平会談が行われており、しかもそれは決裂したこと、などを推察することができる。
私はこういうドラマを作りたかったのである。
しかしさすがの私でも、それはあまりに不親切が過ぎると思って冒頭の説明部分を入れるに至ったのである。
若干遺憾に思う部分もあるが、大陸地図を表示しながらの情勢説明はいかにも「重厚な政治劇」っぽい感じがして気に入ってもいる。


《虐殺大陸》のストーリーテリング

冒頭だけでなく、《虐殺大陸》は全体としてこのような「主観的・叙述的な語り方」をしている。
上に書いた作者としては意外な、しかし当然とも言える反響は、このような物語の語り方に起因するものだと思う。私自身は決してそれを嘆いているわけではなく、寧ろ自分のやり方が順当に実を結んだものと分析し、嬉しく思っているのだが、プレイヤーが物語を楽しんだかは別問題である。
何にしても、当初の想定通りに行かず、作者の頭の中に存在している《虐殺大陸》の世界と物語を余すことなくゲームに展開するということは、今のところできていないので、それは非常に残念なことである。
一刻も早く続編を制作したいと考えているのだが、まだすぐにというわけにはいかないのが現状である。
もし楽しみにしてくださっている方がいれば、申し訳なく思う。どうか気長にお待ちいただきたい。

フォロワー対象記事について

今回の記事は初めてフォロワー限定部分を付けるが、これはゲームをクリアしてくれた人が対象の記事である。
いわゆるネタバレを含んでいるので、未プレイの人は閲覧する前にぜひともこのゲームをクリアしてからご覧頂きたいと思う。
なお《虐殺大陸》は無料で最後までプレイできる。無料で最後までプレイできるのだが、無料版にはスチルの大半に隠蔽が入る。
しかしここで掲載するCGは無料版では閲覧できない部分もある。それはサービスで無料公開という形になるのだが(ただしグロ部分には修正あり)、やはり《虐殺大陸》は有料版でこそ本当に楽しみ尽くすことができるのではないか、とも思うのである。
ということで、是非有料版を買っていただきたい、という営業トークで、一般公開部分を締めさせていただきたいと思う。

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