お髭の獅子舞 2023/05/16 23:40

負けの美学~第二報~

「射精」


ウッ………ふぅ。
失礼した。何も私は人の顔を見るなり全力で絶頂する極まった変態ではないため、どうかその冷ややかな視線を収めてほしい。だがこの全力、あるいは深い満足の絶頂に関しても私は考えることがあったり無かったりするため、その思想の一端を記しておきたい。

射精。基本的には我ら野郎の性感の頂点であり、多くはこの快楽のためにエロ創作とその消費があると言っても良いかもしれない。私はドライやルードインに関する見識を持ち合わせず、その想定の話ができないためにこの場ではオナニー等の到達点として在る射精を前提としていきたい。

射精。確かに至れば一定以上の快感はあり、QOLの向上に一役も二役も買ってくれるだろう。しかし、ただそれだけのこと、何の感慨もなくそこに至るだけで諸兄は満足ができるのだろうか。
否。否なのである。前報にても報じた通り、マゾという生き物はとかく我が儘で理想とする負け性癖を追い求めるものである。なればこそ、我々は性感の頂点たる射精をこそ深くも高い満足へと昇華していくことを望んでいる。有り体に言えば「濃いの出た」をしたい訳である。事を致すオカズにあって、単に目の前に

・えっちなサキュバスが現れた
・アナタはすごくえっちなことをされて射精させられた

とだけ箇条書きの文のみを突きつけられ、それで必死に射精まで自分を走らせたとしよう。その射精は満足いくものだろうか?
さすがに厳しい。出涸らしの茶葉の方がまだ味気があるというものだ。情動が止まらぬ思春期の男子辺りでなければ、非常に曖昧で満たされない余韻に苛まれてしまうだろう。


では満足たる射精に至るまでに、何を求める?
この答えは人により条件により星の数ほどにも多岐に渡るだろう。絵、音、文、シチュエーション、プレイ内容、etc……なものである。そこで、私がよく重んじている事柄を1つ評い論じていくこととしたい。


則ち、「快楽への説得力」である。
それはどれほどの「負け」を経ても欲してしまう程の快楽であるものか。病みつきになり無限の「負け」を繰り返してしまう程の快楽たりえる確かさがあるものか。そのような観点から、私はシチュエーションをよく考えたりしている。


例えば、いわゆる「負け射精」というものは分かりやすい一分野であるかもしれない。
射精の快楽を得るに際して、何らかの「負け」や不利益を伴う場合を指すものと理解している。これはそのまま、「負け」や不利益を被ってなお欲して止まないほどの快楽が保証されてしまうという説得力を持っていると思うものである。
社会通念上優位とされがちな男が性的に屈服する、生物的に生殖に用いるべきである射精を女性器以外に強○される、射精を耐えるべき状況であるにも関わらず射精に追い込まれてしまう。この様な「負け」を伴う射精は、それでも尚と自然に感じられる快楽への期待や背徳感を多く内包する。この物語性と説得力を一助として、多くのマゾは深い納得と高い絶頂に日々至っているのではないかと推測する。


あるいは、「貢ぐ様な射精」なども分かりやすい不利益によって、快楽の説得力を高める側面があるものかと感じている。
貢ぐという不利益は何も金銭には限らず、自身の何らかの資産を射精と引き換えに明け渡してしまうことで実現できる。レベルドレインだろうか、あるいは自身の命だろうか、想い人との絆だろうか、果ては自分のものでさえない誰かの生命だったりするだろうか。辛いだろう。苦しいだろう。
その損失は多くの場合不可逆であり、人生を破滅させる威力を持つことも少なくはない。そして、それと引き換えにしてでも味わいたい射精という観念は、快楽の説得力に深みと力強さを持たせ、日々のおなぬぃをより満足感のあるものに高めてくれるのではないだろうか。


はたまた、私が多用するのはサキュバスなどの人外の力を用いた「過剰な快楽への肉体反応としての射精」である。サキュバス、フェロモン、淫気、身体の魅力や感触、モンスター娘の特殊な性能力などファンタジーの力を借りた、常軌を逸した尋常ならざる快楽の結果としての射精。私の好物とするところの1つである。
単に“そういうものだ”とだけ言ってしまっても、これは大変に味気なくなってしまうために割と表現は難しいものかもしれない。私が好きでよく使う表現としては、
・身動きや抵抗を封じる。気持ちよくて動きたくない……ではなく、気持ちよさが過剰で身体を動かせないというレベルとする。
・射精を数限りなく繰り返す。細かい人体機構など塗り替えられ、射精が快楽を得るための1手段に成り下がる。
・男側に喋る余裕を無くす。喘いでばかりなのは割とこのせい。かろうじて思考や発言が出来ても、すぐに潰される。
などであろうか。サキュバスなどによる圧倒的な快楽で思考も何も塗り潰されるという「快楽に対する心身の負け」は、私に心地いい快楽への説得力と性感の高みをしばしばもたらしてくれる。



説得力の形もこの他いくらでもあるだろうが、上記の様な条件を組み合わせたり特化させたりすることで、「この射精はこんなにも気持ちいい」という説得力を深く持たせていきたいものである。
この他、「負けてでも」気持ちいい絶頂のみならず「負けるからこそ」気持ちいい絶頂やその性癖も数多あるだろう。しかし私が眠くなってきたことと、そろそろ思考がまとまらなくなってきたことから本報ではこの辺りを論の締めとしたい。
この様な仕様がない記事をここまで読んでいただき、もはや感謝の言葉も無い。いやあるわ好き好き大好きありがとう本当にありがとう好き過ぎてイッちゃうアアアアアァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!

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