ぶるがり屋 2020/10/18 23:35

麒麟がくる 28話の感想

麒麟がくる 28話「新しき幕府」の感想ですよー。


NHK大河ドラマ「麒麟がくる」オリジナル・サウンドトラック Vol.2
ジョン・グラム
2020/9/2

麒麟がくる

 美濃編、雌伏編から続く
第3章「京・伏魔殿編」開始!!
(「京・伏魔殿編」以外はK.Tの考えです)
なのですが、今回は感想が難しい感じです。
とっちらかってるのではないのですが、色々な人物、視点が入り乱れて、歴史劇・群像劇として面白いけど一つの文章にまとめにくいー。

 京都の政治怖い(偏見2回目)。
でも織田信長もっと怖い!
光秀に見せる笑顔と他の笑顔が全然違うよ信長様!

 明智光秀と織田信長と足利義昭の、これは同床異夢と言って良いのかなぁ。
言葉と使い方は同じだけど、「幕府」の意味が3人とも違うのですよね。
秩序ある世界の象徴、生きる目的に最高の道具、人々を守り幸せにする機構。
…あれ?これ実は光秀が一番「幕府」に拘って縛られてません?

 信長は目の前の大事な人の心だけ、義昭は万人の幸せという大きな塊だけ見ていて、
「人の喜ぶ笑顔が見たい」という一番の目標が、同じなのに違う。
光秀は武士が治める秩序ある世界=大義が一番で、大義の為なら自分も万人の笑顔も犠牲に出来る。
そのくせ心にずっと背負ってしまうのに。

 明らかにずれているのに、信長は光秀と、義昭は信長と、同じ夢だと思っているのがなー。
間に入ってお互いの齟齬を取り除くことが一番出来る立場で関係性なのが光秀なのですが…
光秀は「自分の心は自分のもの、他人の心は他人のもの」と、悪い意味で貫いている気がします。
自分の心より大義!と信じきっている分、他人の気持ちも軽視してる感じがするのですよね。
 信長に大きな期待を寄せ、義昭に敬愛と庇護欲を感じ2人とも大好きで、朝倉家にも愛着は感じていて、各々が戦うのも傷つけ合うのも嫌なくせに、動かない。
壊れた石仏は、信長の信心でも義昭の純粋な信頼でもなく、光秀の優しい心ではあるまいか。

 その軽視、愛されているのに踏みにじる行為が、義昭と信長を結びつけて室町幕府を再興し乱世を終わらせる光秀の功であり、後に信長と義昭が仲違いし、信長包囲網で数多の血を降らせ、室町幕府を終わらせた罪なように思えてきます。
 本能寺の変は、だから-?

 明智光秀と織田信長と足利義昭の3人。
そのズレが前回より鮮烈でなかった分、より根深く、そして未来に繋がっていると強く感じました。
この3人のドラマが怖い、もっと見たい。

 幕府の習わし、古き権力、政所の摂津晴門。
『新九郎、奔る!』のおかげで室町幕府や政所がある程度分かって理解が楽でした(笑
でも伊勢氏じゃないんだーと思って調べたら、この戦国末期の摂津晴門までは伊勢氏だったのですね。
歴史って連続性を実感します。面白い!
漫画からドラマですが(笑

 光秀が導いた天下の大事、足利の室町幕府の復権。
その新しい世の始まりに、因縁の敵に拘る三淵藤英や精錬熱血な細川藤孝、抜け目なく茶の文化も広める松永久秀と、新しい幕府の秩序と権力のドラマも各々彼ららしく目を見張りましたが、…あ、よく考えたら斎藤龍興スルーされた。
ホントにこのドラマの光秀、私怨どうでも良いんだなー(笑

 それら武家の大騒ぎに反してお駒ちゃんたちの視点、市井の民からは特段変化を感じていないことに後で気づきました。
大乱なく落ち着いているのは良いことですが、「上の人のこと」でしかないのですよね。
戦いも人死も嫌いなお駒ちゃんは一歩引いていますが、伊呂波大夫や東庵先生は、利用する権力でしかなく。
 そんな中、伊呂波大夫より年寄り狸な先生と、大事な弟のために弱さを見せる伊呂波大夫が新鮮でした。

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