尾上屋台 2017/04/25 18:48

あの日の水色キャッチボール

ここ数年、近所に新築の家がたくさんできてね、新しい家族がたくさんやってきたんだ。
俺がここに越してきた時は、越してきたばかりだから当然なんだけど(笑)、新参者って感じでね、それが今や古株の家のひとつになったってわけだ。

新参者感が、子供心にもあったのは、当時越してきたのが俺の家族だけだったからかもしれないね。
今近所にたくさんいる新しい家族は、長い間ウチの目の前の、時に畑だったり空き地だったり駐車場だったりと、ともかく結構広い土地があってね、そことその周辺に建てられた一戸建ての家々に一斉に越してきたって感じで、その人たちにはあんまり、新参者感はないのかもしれない。

多分だけど、子供できたんでマンションとかが手狭になって、いっちょ頑張って一戸建て買いましたって感じなんじゃないかな。
ああ、やっぱ晩婚化が進んでるんだなあって思うのは、赤ん坊だったり、大きくても小学校低学年くらいの親たちが、自分よりちょっと歳上が多いってとこ。
二十台半ばか後半くらいの子供だったら、もう子供も高校生とか、下手したら大学生とかでもおかしくないもんねえ。
その点は、ちょっと意外でもあったよ。

今も、子供たちが俺の部屋の下で、ぎゃーぎゃー騒いで遊んでる。
この辺も、久々にちょっと賑やかになってきたな。
俺が小学生の時には、家の下の道で、野球とかドッジボールとかやったもんだよ。
今考えると、結構無茶だな(笑)。
別に広い道ってわけじゃないからね。
ただ、大通りではなく、完全に住宅地の真ん中って感じなんで、車とかは全然来なかったな。
子供にすりゃ安全な遊び場だったわけだけど、こうして大人になってみると、なんて狭いとこでやってたんだろうって思う(汗)。
野球なんかは基本広い空き地でやってたけど、たまに他のグループが占拠してて、できないことがあってね。
そういう時は、ちょっと広めの道を探してね、ウチの前も、そんな遊び場の一つだったってわけさ。
ホームランはおろか、ファウルチップでもボールが周りの家の敷地に入っちゃってたからなあ。
その度に塀をよじ上ってボール取りに行ってね。
最初は近所のおばさんとかも怒ってたけど、ある時期から何も言わなくなったな。
まあ、大らかな時代だったってことさ(笑)。

ちょっと前まで、この近所には仕切り役というか、そういうおばさんがいたんだ。
あだ名は、「じゅんぺのおばさん」。
じゅんぺ、ってのは、飼ってた猫の名前だな。
多分「純平」って名前だったんだろう、子供の間で「じゅんぺ」と呼ばれる猫を飼っていたわけ。
ともあれ、俺たち子供の間では、この人の名前は「じゅんぺのおばさん」だったんだ。
そのじゅんぺのおばさんも、いつの間にかおばあちゃんになってたけど、まあ自分もいつの間にかおっさんになってるわけだから、それもまあ当然か。
この人も、実は自分たちが越してくるちょっと前辺りにここに来た、当時の新参者の一人だったみたいなんだけど、まあなんつうか、貫禄あってねえ。
やせたおばさんだったんだけど、子供心に「この人がこの界隈のリーダーか」みたいのを感じ取ってた気がする。
結構厳しい人だったけど、俺たちが子供の時にこの辺りでボール遊びしてても、特に何も言われなかったなあ。
挨拶しないと怒られるんで、ホントつい最近まで、この人と顔合わせると、必ず挨拶してたもんだよ。
厳しいってのは、こういう部分の厳しさだよな。
その意味でも、当時の時代性みたいのは垣間見えるよね。

で、ちょっと前まで、と言ったのは、二、三年前くらいかな、既にかなりの高齢になっていたじゅんぺのおばさんは、家族に引き取られて、今はその家族の元か、あるいは施設に入ってると思われるんだよね。
最後に見た時は、もう、こちらが挨拶しても、俺が誰だかわからない様子だったよ。
俺も介護してたからわかるんだけど、あの独特の、話しかけられた相手が誰だかわからないって様子の、なんともいえない、いぶかしそうな目で俺を見るんだ。
その目見て、ああ、もう俺が誰何だかわからないんだなって思った。
三十年以上、顔合わす度に挨拶してきたんだけどな。
無言で、別れの挨拶をしたよ。
娘さんなのかな、五十代くらいのおばさんに手を引かれて歩いてた、その背中が、随分小さく見えたものだった。
その人が、じゅんぺのおばさんに代わって、俺に挨拶するような感じで。
多分娘さんだろうね、手の持ち方とかで、そういうのわかるから。
面倒見の良さそうな人だったよ。

で、話戻すと、今、子供たちが遊んでる声を聞いて、唐突に思い出したことがあるんだ。
まだ俺が小学生低学年の頃、家の前の道で、一人キャッチボールみたいのをしてたんだ。
あの、壁に向かって投げて、跳ね返ってきたのを自分でキャッチして、ってヤツだね。
この時のことは今も記憶に残ってるんだけど、何故かこの時、俺は一人でキャッチボールしてんだよね。
基本的に、外で遊ぶ時ってのは誰かしら、それもそれなりの人数いることが多かったんで、なんでこの時だけ一人でやってたのかは、謎だよ。
別に暗い記憶として残ってるわけでもなく、友人たちと喧嘩してハブられたとか、そういうわけじゃないんだよな。
嬉々として一人キャッチボールしてたからね、今にして思えば何でだろうって感じだけど。

この記憶にはもうひとつ、今も覚えてることがあって。
それは、そんな感じで一人キャッチボールしてたら、近所のお姉さんが、途中からその相手をしてくれたことなんだ。
ひょっとしたら、俺が一人でキャッチボール続けてるの見て、寂しそうだと思ったのかもしれないね(笑)。
子供からすれば随分大人に感じたから、おそらく二十歳くらいだったと思う。
多分、正味十分くらいかなあ、このお姉さんが、キャッチボールの相手をしてくれたんだ。
俺が投げる度、「あ、すごいすごい」とか「今の、いい回転してたよ!」とか、何かしら褒めてくれるんだよね。
まだほんの七、八歳の子供でしょう?
こういうのに弱いっていうか、もう嬉しくてしょうがなくてね(笑)。
十五分か二十分くらいで帰っちゃったんだけど、この時の喪失感といったら!(笑)
自分がもうちょい大人だったら、多分惚れてたなあ。
あまりに子供だったものでまだそういう感情すら芽生えてないわけだけど。

もうずっと忘れてた記憶なんだけど、そのお姉さんが水色の服を着てたのは覚えてる。
「水色の服」ってのが、いかに曖昧な記憶かわかるなあ。
シャツだったかトレーナーだったか、服の種類すら覚えてないんだから。
この水色のお姉さんと会ったのは、この時が最初で最後だったんだ。
でもこういう、面倒見が良いというか、そういう人から受けた善意は、忘れかけた頃に甦ってくるね。
ただ、今でもこうして覚えてるってのは、俺が初めて、身内以外の大人の女性から受けた、最初の善意だったからかもしれないね。

また時代の話になって恐縮だけど、こういう人ってのは、当時は結構いたもんなんだよね。
今だったら、子供は知らない人に声かけられただけで警戒するだろうし、大人の側も、あらぬ疑いをかけられてはと思うから、子供に声をかけることもなく。

でももうひとつ、これは俺の中で苦い思いでとしても残ってるんだ。
俺、この水色の服を着たお姉さんに、お礼を言ってないんだよね。
そのことは、ずっと引っかかってるんだ。
別れ際も「もっと遊ぼう」くらいのことしか言わなかった気がする。
子供ってのはそんなもんなんだけど、当時から、別れ際にちゃんとお礼を言えなかったことは、今でも悪かったなあって思ってるわけさ。

そんなことを、さっきまで子供たちが道端で遊んでたもんで、思い出した。
と、同時に、もうひとつ、気づいたことがあるんだ。

二、三年前、じゅんぺのおばさんの手を引いていたおばさんは、実はあの水色のお姉さんだったんじゃないかって。
じゅんぺのおばさんには、自分らが越してきた時には一人暮らししてたけど、娘が一人いるってのは、大分以前に聞いたんだ。
俺より十三、四歳くらい上だとすると、五十代くらいに見えた、あの、じゅんぺのおばさんの手を引いてた人と、年齢的に合致する。

多分、あの人で間違いないと思う。
そうなのだ、気づかなかったけど、あの時親切にしてくれた、あのお姉さんに、もう一度会っていたんだ。
俺が最後にじゅんぺのおばさんに挨拶した時に、代わりにその人がにこっと笑いかけてくれてね。
いい娘さんに恵まれたなあと思ってたけど、ああ、そうだったのか。

あの時は、たまたま実家に帰省してたんだな。
で、俺が一人でキャッチボールしてたのを見て、相手をしてくれた。

また、お礼を言い損ねてしまったよ。
まさか俺のことなんて覚えてないと思うけど、俺はあの時のこと、今でもこうして覚えてるんだな。
ちゃんと話す機会が今後あるかどうかわからないけど、その時が来たら、ちゃんとお礼がしたいと思ってるよ。

今でも覚えてるくらい、それはとても楽しい時間だったからさ。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索