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2018年 02月の記事 (4)

尾上屋台 2018/02/13 20:46

義理チョコってのはいいもんだ

これね、ちょっと記憶曖昧で、ひょっとしたら大学出た後の話かもしれない。
いずれカテゴリに足す予定の「専門学校生だった」ないしは、「二十代だった」に書く内容かもだけど、まあその辺はアレで。

俺はさ、その時まで義理チョコってもらったことなかったんだよ。
高校は男子校だったし、大学はその時期テストだっけ?
あるいは、結構詰め込んで授業入れて休日作るって感じで、大学在学中はその時期に女の子と接触する機会がなかったのかもしれない。
ともあれその時まで、義理チョコもらう機会って、なかったんだよ。
で、「その時」が大学四年の時か、次の年だったか、ちょっと記憶曖昧なんだけど。
ちなみに、本命はもらったことあったぞ!
その話は、いずれな!(笑)

その日は、バイトが入ってたんだよ。
で、仕事終わりにさ、ホールの女の子に義理チョコもらったんだ。
それもさ、確か手作りだったと思うんだけど。
特にお菓子作りとかするような子じゃなかったと記憶してる。
「尾上さん、義理チョコ欲しいって前から言ってたから」って。

いやーうれしかったよ!
「マジか! これ俺の人生初の義理チョコだよ! ありがとう!!」って。
てか当時の俺って、そんなに義理チョコ欲しいって言ってたか?(汗)

本命チョコってさ、まあそれはそれで色々あるじゃない?
もらって嫌な男子はいないと思うけどさ。
義理チョコって、大勢いる職場でばばーっと配るみたいのはわかんないけど、俺が働いてたとこみたいに少人数のとこだと、女の子の方も男一人にわざわざ用意するみたいなこともなかったと思うんで、おお、俺なんかの為に悪いね、みたいな感じで。
そのバイトは、男は一人の職場だったんで、義理チョコ渡す相手は俺しかいないわけで、ホント、女の子からすればわざわざって感じになっちゃうからさ。

まあそんなわけで、俺も二十いくつかにして、ようやく義理チョコをもらったんだよね。
いやーありがたいありがたい。
ホント、感謝感謝だったよ。

そういうことがあったもんで、俺は今でも義理チョコっていいイメージなんだよね。
まあよほどのこと(もの)がない限り、女性に何かもらって嫌な気持ちになることはないよなあ。

あーそうそう、そのバイト始めて最初のバレンタインは店の社長と一緒でさ、なんか店のショコラケーキかなんか仕事終わりに頂いた記憶はあるんだけど(笑)。
いやいや、それはそれでありがたいけどね。
でもなあ、おっさんにショコラケーキもらうのも、なんかバレンタインじゃないだろ?(笑)
それは覚えてるわ。
以降、バレンタインにシフト入ってなかった気がするんで、なかなか義理チョコもらう機会にも恵まれず。

話戻すと、義理チョコってのは、いいもんだと。
俺はバレンタインになると、必ずと言っていいほどその時のこと思い出すよ。

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尾上屋台 2018/02/10 18:39

その時のこと

物心ついた時から、俺の親父は入退院を繰り返していた。

親父が元気だった頃の記憶ってのはだから、俺が小さい時の記憶だったりするんだな。
まあ、それについてはいずれまたここで。

親父が初めて地を吐いて倒れたのは、俺が浪人生の時だった。
その日のことは何故かそれ以前のこともよく覚えていて、確か東中野の駅前にあった時計屋で、腕時計の電池を替えてもらったことなんかも覚えてたりするんだよね。
ともあれ家に帰ってしばらくすると、親父の部屋の方から、なにか物音が聞こえたんだ。
テレビの音とも違うみたいだしと様子を見に行くと、親父がゴミ箱に吐いているところだった。

まず、匂いで気づいた。
吐瀉物の匂いじゃないんだよな。
あの鉄っぽい感じの、血の匂いだった。

お袋も家にいたんで、すぐに救急車を呼んで。
比較的近所の病院に運び込まれたので、俺もすぐに後を追って、付き添いを代わることになった。
ちょっと話ずれるけどさ、当時携帯電話とかもなかったんで、こう、上手く連絡取り合ってみたいのって、今に比べると結構困難だったよね。
どっちかが家にいて、連絡を待ってみたいなのが、双方動いてたりすると、連絡取り合うこと事態が大変なんだよ。
ま、この時はさほど苦労せず、いや、病院を見つけるのに多少苦労したけど、無事付き添いの引き継ぎはできたってわけ。

で、吐血はどうやら胃に穴が開いたからということらしく、ベッドに横たわった親父は、鼻にチューブをつけていた。
そこからとめどなくベッド脇に吊るされた袋に血が流れ込んでいて、これは大変なことになったと、あらためて思わされて。
明朝に手術ってことになったんだけど、それまで生きてられるのかって思ったよ。
まあ輸血はしてるわけだけど、袋の中にみるみる血が溜まっていくわけだから。

ちなみにそれまで親父が入退院を繰り返していたのは肝臓が原因で、この時とは状況が違うし、いきなり救急車を呼ぶような事態とも違ってたんだよね。

この日の夜は、えらく長く感じたよ。
ちなみにお袋の方はというと締め切り間近の仕事を抱えてて、そのまま徹夜で仕事してた。
親父の意識はあって、何かこちらに伝えようとするんだけど、チューブのせいで、よくわからなかった。
あと、意識混濁も大分ある様子だったかなあ。
これ取ってくれってチューブを抜こうとするんで、まあそれを見張ってるって感じだったよ。

で明朝、手術になった。
この時まであまり徹夜の経験がなかったもんだから、俺の方はもうフラフラだったなあ。
手術中、どうしてたかってのは、あまり覚えてない。
でも手術前に医者から、助かる見込みは半々だって言われたのは覚えてる。
それなりに時間のかかる手術だったような気がするけど、この間どうしてたかって記憶は、前日の記憶が明瞭だったことに比べて、ほとんど覚えてない。

ただこの時になってようやく、親父死ぬのかもしれないなって思った。
変な話、頭じゃ上手く理解できないというか、なにか他人事のような気がしていたな。
実感がないっていうか。
でもさ、手が震えてるの自覚したりとかして、なんかこう、上っ面じゃない部分では、そのことを理解してたのかもしれない。

手術は、成功だった。
医者がちょっとご機嫌な様子でやってきて状況を説明した後「どんな様子だったか見てみます?」とか言って、切り取った胃を持ってきたんだよな。
いや、別に見たいとか言ってないんだけど(笑)。
で、医者が持ってきた胃の一部には、ばっちり十円玉くらいの穴が開いててね。
それ見て、うわ、こんな状態だったのかって。
よくこれで生きてたなあってくらい。

ともあれ、この時の医者には感謝してる。
五分って手術を生き残る方に持っていってくれたんだから、文字通りの命の恩人だよな。
いや、命を救う職業ってのは、本当にすごいと思った。
この時の俺は既に夢を持っていたからそっち側に引っ張られることはなかったけど、もし俺に夢がなくて、家に金があったら、医者を志していたかもしれないよね。
まあ、現実は逆だったんで、そうはならなかったってことさ。

胃に関しては、とりあえず一命を取り留めた親父だけど、実はもうこの頃には、肝臓の方も限界に近かったんだよな。
この後、俺が大学に入った後に親父は他界するわけだけど、実はこの先の方が色々大変なことになるとは、この時の俺には予想できなかったことで。

ま、その大変だった話ってのは、いずれまたすることにしよう。
また、思い出した時にでも、この続きを話すことにするよ。
まだ君の親父が存命だったら、大切にしような。

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尾上屋台 2018/02/08 06:38

いずれは書く必要があった

俺は、学生の時に父親を亡くしている。

それもあってか、 知ってる人間から、親に何かあった時に、相談だったり話を聞く機会というのは、人より多かったんじゃないかと思ってる。
たった今も、そういう話を聞いていて、ああ、こういうことは多いなあと、あらためてね。

相手によって、言えることも、聞くべきことも違う。
ただ、ある種の心構えのようなものはあり、もう少し早く聞いてくれればと思うことも少なくない。
が、人間、やはりその時が来ないと気づかないことも多いのだ。
俺の場合、やや例外的に準備期間のようなものがあったんだけど、まあその時が来るまで、人はなかなかそういったものに気づかないもんだとも思う。

最近、やや俺の過去トーク(笑)が滞りがちなのも、どうしても、その話題を避けて通れないかもと思っているからだ。
今までは、いわばその外周のエピソードを話してきたけれど、やはり俺にとって、父親の死というものは、小さな出来事ではない。
それは、物心ついた時からずっと傍にあった。
やはり、それを背景として語らずに話を進めていくというのも、ちょっと不自然になってくるからね。
例えばバイト先ひとつ決めるのでも、父親の入院先の近くである必要があったりとか、そういう感じで日々の行動に関わってくるんだよ。
結婚を決めた人と別れることになったのにも、深く関わっている。

というわけで近々、その辺りを含めて、もう一度そのカテゴリー(学生時代の話) を進めていこうと思う。

と言いつつ、これも途中で止まってしまっている、過去のCG集の話もしていきたいと思ってるので、その辺も併行で、あまりこのブログが辛気くさくならないよう気をつけるよ(笑)。

君の両親は、まだ元気かな?
役に立つわけではないけれど、これから書くであろうことが、いくらかの支えになれば、あるいは慰めになればいいと、切に願うよ。

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尾上屋台 2018/02/06 04:07

一月を振り返ってみる

いやはや、今年はもうちょいブログ更新しようとか言ってた矢先に、一ヶ月も放置ですわ(汗)。
その辺の言い分けがてら、先月、一月を軽く振り返ってみるよ。

まずね、すっごい風邪を引いた。
風邪気味、みたいのはこの時期しょっちゅうなんだけど、もう風邪としてはマックスきついわってくらい体調悪くて。
いやーこんな目にあったのは、十年くらい前にインフルエンザにかかった時以来だよ。
ていうか、多分インフルエンザだったんだな!(笑)(笑えない)

丸々三日くらいかなあ、もうほとんどトイレ以外に動けなくて。
脇腹とかに激痛とか走っちゃって、これも随分前に肺炎になって以来・・・てか肺炎だったな!
それはそれで、治ったからいいんだよ。
ちょっと回復して動けるようになってきた時に、今度は家族がぶっ倒れちゃってねえ。
熱もひどかったし、うわ、これはうつしてしまったかと思ったんだけど、どうも症状が違う。

しばらくしてわかったんだけど、今年のインフルエンザは、二種類あったそうで。
俺が全く動けない数日は、特に家族に買い物行ってもらってたんで、この時にやられたんだろうなあと。
ま、普段は買い物交代交代(半々)くらいなんで、俺が倒れなくてもどっかで罹ってたとは思うんだけど。
でもちょっと動けるようになったとはいえ、まだ俺もしんどくてねえ。
さりとて、二人とも動けないとなると餓死してしまうわけで、買い物とか家事とかは俺がやってたんだけど、いやあの体調であの寒空の中出るのはしんどかった。
それもあって外出るのは最小限に抑えてたけど、インフルエンザって、ある程度症状軽くなっても、周りにうつすって言うでしょ。
わかってりゃ一回の買い物で保存の利くもの大量に買うとかしてたんだけどなあ。
一番近いスーパーに何度か行ったけど、誰かにうつしてしまった可能性もあるよな。
そこはホントに申し訳ない。
でも、その近所のスーパーも、みんなゴホンゴホンやってたから、俺じゃなくてもというのプラス、俺がそこでもうひとつのインフルエンザにかかってても不思議じゃなかったわけだ。

今回接触してない周囲の人間もかなりやられてる様子だったし、これってちょっとしたパンデミックだったよねえ。
今でも買い物行く時に、ゴホンゴホンやってる人多いし、これからでももうひとつのインフルエンザにかかる可能性は充分あるわけだ。
治ったと思っても、一週間くらいはウィルス残るらしいしねえ・・・。

あと、俺も東京に生まれ育って四十年なわけだけど、初めて水道管が凍結するという憂き目にあった。
ホント、初めてだよ。
台所と洗面所はよく使ってたから大丈夫だったけど、風呂場がね、やられちゃったの。
あの日中でも氷点下だった時期あるじゃない?
あそこで、丸一日使わなかっただけでやられてしまった。

しかもねえ、沸かした風呂に浸かった後に気づいたのよ。
あーって思ったけど、洗面所は生きてたんで、そこで髪とか洗ってさ。
でもこれがまた寒いんだ。身体濡れてるし。
その前に三日くらい布団でうんうん唸ってるだけだったんで、身体洗いたい欲求に負けてしまってね(笑)。
んなわけで、この後また熱がぶり返したりね、まあ散々でしたわ。

そんな中で、ウォーロードの第七話のプロット、及び新キャラのデザインの線画、無印プリンセスブライト9,10のプロット、及びエキストラの人々のデザインと線画、までは仕上げられた。
てか、先月はウォーロードの六話目もアップできたしね。
相変わらずの頸椎症に悩まされてたりするけれど、こちらは少しずつ症状抑えることに成功しつつ、みたいな感じかな。
少なくとも、やっちまった直後に比べれば、とりあえず一日八時間くらいは作業できるほどに回復。
早く前みたいに一日中でも作業できる身体に戻したいけど、この辺は今更焦ってもって感じで、ちょっと長い目でみていくよ。
当初の予定通り、春くらいには、痛みは仕方ないとはいえ、作業自体はきっちりできるようにしたい。

んなわけで長々と、俺の先月の様子だよ。
君もインフルエンザに罹ったりしてないか?
休める環境にあるのなら、無理はするべきではないよな。
その環境にないのなら、まあ頑張れとしか言いようがない。
どうか、無事でいてくれることを祈るよ。

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