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考察の記事 (23)

ヒロイン工学研究所 2020/10/21 20:43

複数ヒロインについて

複数ヒロイン作品は可能か?

先日、読者アンケートで「バッドエンドシミュレーションや敗姫処分シリーズで複数ヒロインを描くことは出来ないか?」という趣旨の質問を頂きました。結論から言うと可能ですし、以前から検討もしております。

複数ヒロイン作品を出さなかった理由

私がメインヒロインを一人に絞る理由は、複数ヒロインで釣っておきながら購入者の推しのヒロインの出番が不十分だとどうしても不満が生まれてしまうという懸念があったのと、単純にヒロインごとの人気の格差に興味があったからです。
私はもともと「ヒロインがたくさん登場するから豪華だ」という感覚があまりない人間で、むしろ登場キャラが不必要に多くなることでストーリーやキャラ描写の密度が落ちることの方を気にするタイプです。

今後の研究次第

しかし、複数ヒロインであってこそ表現できる魅力的なシチュエーションがあることも理解しており、それを実現してみたいという意欲もあります。
ただ、その場合でもヒロインが複数になる難点は残るので、そのせいで内容が薄くなったり、煩雑になったりしないように複数ヒロイン用の脚本術や構成術というものを研究する必要があると思っています。

現在複数ヒロイン作品の素案は二つほどありますが、実現できるかどうかは今後の研究次第だと思います。

ヒロイン工学研究所 2020/07/04 20:45

「雰囲気のある文章」を書くにはどうすればいいか?

最近、ずっと考えていることがあって、それは、
「雰囲気のある文章って、どうすれば書けるのだろう?」
という実に素朴な疑問です。

自分が表現したいものを矢継ぎ早に押し売りするようなガツガツした文章ではなく、抑制が効いた落ち着いたトーンでありながら、それでいて飽きさせず、作品世界の雰囲気を一瞬でふわっと広げて、読む者の意識をそこへゆっくりと引き入れていくような…そんな文章は、一体どうすれば書けるようになるのでしょうか?


そもそも「雰囲気がある」とは何なのか?

まずわかっていることは、「この言葉を使えば雰囲気のある文章になるよ」という言葉や表現など存在しないということです。というよりも、はっきり言ってこの発想は、「雰囲気のある」というゴールから真逆の発想です。

それは「雰囲気のある人」というのを考えてみればわかります。
ある特定の言動をすれば、誰でも「雰囲気のある人」になれるのでしょうか?
そんな発想の人がその仕込んだ言葉を吐いて、「どうだ?俺、雰囲気あるだろう?」みたいなドヤ顔をしていたら、むしろ馬鹿に見えてしまいます。

そう考えると「雰囲気のある」というのはまさに、
「どの要素が効果を生み出しているのかが特定できない」
というところにこそ本質があると言えそうです。
つまり「雰囲気」とは、
「単一では決定的な力を持たない要素の複合から醸成されるもの」
ということになります。
この場合の「醸成」というのは、「じわる」という言葉のニュアンスに少し似ています。


アプローチの発想を転換する

「どうすれば雰囲気のある文章を書けるようになるか?」という問いかけは、「こうすればいい」という答えを暗に求めてしまいます。ところが「雰囲気」とは、そうしたはっきりとした答えが見つからないところにこそ発生するものなので、このアプローチを続ける限りは何も得られません。

そこで、急いて秘訣の法則性を知ろうとするような発想を転換して、
「雰囲気のある文章がどのようなメカニズムでその雰囲気を醸成しているかを個別に研究していく」
という地道なケーススタディを重ねていく姿勢で取り組む必要があります。
もう少し研究対象を具体的に言うと、
「全体を通じてある効果が出ているのに、個々の構成要素を見ると、その効果を直接生み出すような言葉が見当たらないタイプの文章」
を収集して、一つ一つ精査して研究していくわけです。

このアプローチはいかにも骨が折れるように見えますが、実際にやることは、文章を堪能することと大差ないので、文学に興味があったり、文章の微妙なニュアンスの違いを楽しむ人にとっては趣味の一環として行えるものだと思います。

ヒロイン工学研究所 2020/05/30 20:56

【備忘録】漫画制作の流れ

今後また漫画制作をするときのために今回の制作の大まかな流れを記録しておきたいと思います。

取材・準備

どんな制作でも最初の取材と準備が大切なので、まずは制作に使えそうな情報や素材を収集しました。集めた情報は主に

・過去作品のアンケート結果
・原作に関する情報
・ゲームのプレイ動画
・舞台となる場所に関する情報
・創作論・テクニック

などです。

原作に関する情報は設定画やプロフィール情報の他、ゲーム中の台詞などの資料を集めました。
ゲームのプレイ動画では絵になるモーションをキャプチャして画像資料として集める他、「この技を出したらこの技で返された!」のような劇的な展開がプレイ動画の中にあった場合にはアイデア用にその展開と動画のURL、再生位置を一緒に記録しました。
場所に関する情報は背景画を描くときに必要ですし、場所情報からアイデアが浮かぶことも多いので、作品で使えそうな場所をストリートビューで探してURLを記録しました。主に調べたのはスペインの闘牛場とドイツ・オーストリアあたりのお城です。
また、すでに読んだ脚本術などの創作論の本(Kindle)をハイライト部分だけ全部読み直して、今回の制作に役立ちそうなものをピックアップしました。

画像以外の資料用のデータはすべてアイデアや考察のメモと一緒にExcelに記録し、何の参考用のものかわかりやすいように「バトル」とか「台詞」のようにタグを付けました。

メモを増やす

情報収集とアイデアメモは基本的に同時並行です。
たくさんの情報に接しているとそこで刺激されてどんどんアイデアが出てくるので、何でもいいのでとにかく頭に浮かんだものはすべてExcelにメモとしてタグを付けて残しました。例えばそのメモがラストシーンの台詞に関するものならば「ラスト」「台詞」などのタグをちゃんと付けておくことが何よりも重要で、こうしておけば行き詰ったときにたくさんのアイデアを瞬時に検討できます。

ちなみにこれがメモデータの一部。


完成後にボツになったシーンのアイデアを見ると、シーンはボツになったのにシーンの機能や伝えたかったニュアンスなどは作品に残っていたりすることがよくあります。つまり使わなかったアイデアというのは実際には生きていることが多いということです。

シーン構成・ラフな脚本作成

この段階ですでにシーンに関する断片的なアイデアも相当数出ています。それらを並べながら構成を検討し、ラフな脚本のアウトラインを作ります。シーンのメモを並べ替えたり、別の物に変えたりしながら全体像をチェックする作業なので、ネームを描きながら検討するよりもはるかに楽でした。
ただ、制作後記でも書きましたが、このときに脚本として作り込んだ部分は実際にネーム段階で漫画的表現にするときにかなり翻案とやり直しを余儀なくされました。その原因は「この脚本が漫画の形になったときにどうなるか?」をイメージする力が脆弱だったことにあると思っています。

ラフスケッチの蓄積

取材・準備の段階からずっと練習目的でラフスケッチは続けていましたが、脚本と漫画化イメージが上手く結び付かないときの橋渡しとしても機能することが途中で分かったので、シーンのアイデアは言葉で記録するだけでなく、なるべく漫画化した場合の実際のシーンをイメージしてラフイメージも描くようになりました。
このラフイメージはネーム作成のときにコピペしてそのまま使ったり、ネーム上で複数案を比較検討するときに大活躍したので、たくさん描いておいても損はないです。もちろん練習にもなるので一石二鳥です。

ネーム作成

ストーリーのアウトライン、キャラ立て、台詞などはラフな脚本で大体確定しており、実際のシーンをイメージしたラフスケッチもそれなりにあるので、それに基づきながらネームを作っていきます。
ここまでの準備や蓄積があるのでこの作業はいきなりネーム作成に取り掛かるのにくらべて相当楽なはずです。ただし、私の場合は漫画制作の経験が浅いので、それを差し引いてもネーム作成にはそれなりに苦労しました。制作後記にも書いた通り、この辺は完全に泥縄式に進めていきましたが、これはもう制作工程の組み方とは関係なく避けては通れない苦労だったと思うので、ここでは触れません。

仕上げ

おそらく漫画制作に慣れている人のネームは仕上げイメージがその中でばっちり出来ているのだと思うのですが、私はまだそんなレベルには程遠く、必要なニュアンスや迫力が出なくてネーム段階に戻ることもありました。これも作業工程の問題というよりも漫画経験の浅さの問題だと思うので、ここでは触れません。

以上が今回の漫画制作大まかな流れで、脚本とネームの橋渡しをもっとスムーズに出来れば、基本的にはこのままの形で次回以降も踏襲していいのではないかと思っています。

貴重なものが手元に残る

最後に強調しておきたいのが、Excelへのメモ書きの蓄積は絶対に必要(ただしデータ管理にどのソフトを使うかは自由)だということです。これは中盤での試行錯誤や制作に行き詰ったときの解決のスピードを格段に上げてくれるだけではなく、制作後にも貴重なものを残してくれます。それは次の制作にも使える教訓やチェックリストです。作品のクオリティを上げるために注意すべきポイントなどは、制作から離れているときにはあまり浮かびませんが、最前線にいるときはどんどん湧いてきます。自分が自分のために作った要点集は確実に次の制作でも活躍するので創作をする人間にとっては貴重な財産になります。

宣伝

というわけで完成した漫画がこちらになります。
強気なヒロインが追い詰められ完全敗北するまでの姿を描いたソフトリョナ・ヒロピン漫画です。

ヒロイン工学研究所 2020/05/24 20:29

アンケートの活かし方について

多数意見であることは重要じゃない

以前アンケートの活かし方について質問を頂いたことがあったのですが、この問題は前から一度自分なりにまとめておこうと思っていたことでもあったので、この機会に変態趣味に関する考察と合わせて記事にしました。

ヒロイン工学研究所では新作の企画をするときや内容を細かく検討するときに必ず今まで実施したアンケートの回答を精読することにしていますが、これは決して多数意見に従うということではありません。

A,B,C,Dの中で一番好きなものは何ですか?という質問で仮にBが最も多くの票を得たとしても、それだけで「よしじゃあBで行こう」ということにはなることはあまりありません。

理由は、
「何かの得票数が高いということだけがわかっても実際には具体的な制作の指針は立たない」
からです。

多数意見は実態に迫るほど多数じゃなくなる

わかりやすく解説するために「スカトロ」という極端なシチュを例にとって考えてみます。
スカトロは糞や尿などの排泄物をテーマにしたシチュエーションに付けられるタグですが、実際にスカトロに興奮する人たちの心理を詳しく観察すると、そこには二つの全然異質な傾向性が見えてきます。

一つは解放型です。
文明社会では人前での糞尿の排泄は社会的にタブー視されていますが、そうした強力な抑圧が解き放たれて、社会の良識的な秩序が糞尿の奔流によって破壊される光景に興奮や解放感を覚えるタイプです。
おそらく幼児的な心理が強く影響しているタイプだと思われるので、このタイプの読者に対して表現に訴求性を持たせるためには「うんち」や「おしっこ」そのものがもつインパクトが重要になります。
オノマトペ的に表現すれば、
「ぶりぶりぶりィィィ――ッ!」
「じょぼぼぼぼぉッッ!」
といったような止めようのない破壊的奔流のイメージがポイントになってくると思います。

もう一つは羞恥型です。
この場合は逆に、タブーを破壊する解放感ではなく、タブーを犯してしまった文明人が心理的に苛まれること=羞恥にサディズムまたはマゾヒズム的な興奮を覚えます。
ぶっ壊すことに単純に快感を覚える解放型とは対照的に、羞恥型の興奮は複雑かつ倒錯的です。羞恥型は文明人的価値観が人一倍強いがゆえに、人前での排泄行為に屈辱を感じ取りますが、その屈辱が逆に興奮を生みます。
訴求性をもたせるための表現のポイントは排泄物そのものがもつ力ではなく、矛盾や葛藤に晒される良識的な心理の方です。排泄行為をド派手に演出する場合も、目的はあくまでもそんなことをしてしまったヒロインの心理的ダメージを描くことの方にあります。


さて、本題に戻ります。
もし仮にアンケートの結果、見たいシチュエーションのトップが「スカトロ」になった場合、どんな作品を作るべきなのでしょうか?
答えは、
「アンケートの結果からはわからない」
です。

解放型に喜ばれる作品を作れば、羞恥型からは「うんちが見たいわけじゃない」と言われ、羞恥型に喜ばれる作品を作れば「もっとうんちを描け」と言われてしまう可能性があります。

これは
「多数意見であることは具体的な指針を与えてくれない」
だけではなく、
「多数意見を実態に即して細分化すると全く異質なグループに分かれてしまう場合、最初の結果を単純に多数意見として扱っていいのか?」
という問題でもあります。

解放型と羞恥型は対照的ですが決して無関係ではなく、実際の嗜好の中では相互に入り組んでいたりする場合もあります。では、どんな風に入り組んでおり、どんな表現が効果的なのでしょうか?それも「見たいシチュエーションの一位はスカトロ」という結果からは何もわかりません。

「スカトロが人気だったのでスカトロ作品を作ったのにあまりウケなかった」みたいなことが起きる原因はこういうところにあると思われます。なお、話を分かりやすくするためにスカトロという極端な例を取りましたが、これはどんな属性タグに関しても多かれ少なかれ言えることで、ヒロイン工学研究所が関係しているジャンルで言えば「リョナ」などがそうです。

選択回答の扱い

では、どうすればいいのか?アンケートは結局あまり役に立たないのか?と言うとそんなことは決してなくて、この場合の問題はむしろ「回答結果を見ても参考にならないようなアンケート」を作ってしまったことにあります。
例えば「スカトロ」として一括されている嗜好タグの中に実際にはかなり異なるグループが存在することを知っていれば、アンケートを設計する段階で、他の質問を設けて回答者が解放型なのか羞恥型なのかを推測できるように設計しておけばいいわけです。
ただ、このようにより詳しい嗜好の実態に迫れば迫るほど最初に圧倒的多数派に見えていたグループは細分化されていくので、制作の指針を立てるのに役立つレベルの具体的な嗜好タイプが見えてくる段階では圧倒的多数派など存在しなくなっていきます。

こうした理由からヒロイン工学研究所では一部の例外的なケースをのぞいて選択回答における多数意見は重視していません。制作に直接役立つ情報は断然記述回答の方にあるので、むしろ「この人の意見は興味深いが、この人はどういう嗜好タイプなんだろう?」という順番でその回答者の選択回答をチェックするというアプローチが一般的です。

ヒロイン工学研究所 2016/09/25 19:41

ヒロピンとマゾの力学

以前の記事で「こんな奴に」効果についてお話をしましたが、今回はそのテーマをもう少し掘り下げてみようと思います。

「こんな奴に」効果とは?

まずは「こんな奴に」効果についてのおさらいです。

「こんな奴に」効果とは、
ヒロインが敵に対して嫌悪や反感などのマイナス感情をもっている状況が、
「こんな奴に負けるわけにはいかない!」
と闘争心を煽る一方で、逆に負けたときには、
「こんな奴に負けるなんて…!」
と敗北のダメージを大きくするというカタルシス増幅の効果を指す造語です。

ダメージシーンのインパクトだけではなく、全体のストーリー性やヒロインの心理状態なども加味して総合的にピンチを考える傾向のあるヒロピン趣味において、こうした要素はとても重要です。

強気の裏に隠された弱気

ところで、この
「こんな奴に負けるわけにはいかない!」
という思いは一見勇ましいように見えますが、
その反面、どこかに焦燥感敗北に対する不安のようなものが感じられないでしょうか?

そもそも圧倒的優位にあって勝利を確信しているヒロインはそんなことをわざわざ考えたりしません。

それはまるで「こんな奴に負けてしまったら…」と頭のどこかで自分が敗北する姿を想像してしまったヒロインが、胸の奥に芽生えた弱気を打ち払うために必死に自らを鼓舞しているようにさえ感じられます。

しかし、不安に対する反動から生まれた強気は、見せかけの強さの裏に動揺が隠されている場合があり、そうした潜在的な動揺や不安はそれを打ち消そうとする強気が空回りして状況が悪化すると、次第に大きくなり徐々に制御不能となっていきます。

このような気丈に抗いながらも徐々に焦燥と不安の渦に飲まれていくという過程はヒロピン的シチュエーションの典型の一つといえます。


ヒロピンとマゾの力学

すでにお気付きの方もいると思いますが、

この、弱気と強気の循環の中で
徐々に強気が空回りし、
その結果、状況がさらに悪化し、
抗いながらも弱気の渦に飲まれていき、
最後には抵抗不能となって破綻する
…という負のスパイラルは、マゾヒズムの力学によく似ています。

羞恥責めタイプのマゾ調教を例にとって、それをヒロピンにおけるピンチから敗北に至る過程と並べてみましょう。

負のスパイラル運動はマゾ調教においてもヒロピンにおいても同じように、
Ⅰ→Ⅱ→Ⅲ→Ⅰ→……
の過程を繰り返しながら、プレッシャーを増幅させ最終的には抵抗感情を凌駕して崩壊させます(Ⅳの段階)。
この崩壊が単なる外圧による不可抗力ではなく、内面的な瓦解や屈服として描かれる
というのもマゾ調教とヒロピンの共通点です。

抵抗が消えることで張り詰めた緊張状態が解消され、破滅的なものであれ一種の解放感がもたらされます。これがカタルシスの作用であり、マゾ調教においてはそれが未体験の性的快感となるわけです。

ちなみに、抵抗が崩壊する過程は、プレッシャーの内容やヒロインの性格によって変わり、
「抵抗そのものが弱まりながらなし崩し的に瓦解していく」タイプと、
「抵抗そのものは強まりながらも最後には破滅的終局を迎える」タイプ
が考えられますが、その問題については今回は立ち入らないことにします。


ヒロピンにマゾ設定は必須ではない

では、ヒロピンにおけるヒロインもそこに破滅的解放感以上の性的快感を覚えているのでしょうか?

ヒロインが苦痛と敗北に被虐的快感を覚える姿を描く作品もたしかにありますが、
ヒロインがマゾ体質であるという設定はヒロピン趣味において決して必須条件ではありません。
むしろそうした設定を異端視する人も多いのではないかと思います。

以前の記事でも書いたようにリョナ・ヒロピン趣味のルーツは年齢制限無しの健全作品であることを考慮すれば、リョナ・ヒロピン趣味とは、あくまでも、
痛めつけられて苦しむヒロインを見て昂奮する趣味であって、
痛めつけられてよがるヒロインを見て昂奮する趣味とは少し趣向が違うからです。
※陵○などの性行為が絡むケースはまた別の問題になるので、ここでは度外視しています。

にもかかわらず、ヒロピン趣味とマゾヒズムの間には「内面的な崩壊に至るスパイラル構造が似ている」というだけではない親和性があるような気がします。
ただしそれは「ヒロインが敗北の中にマゾの快感を見出す」といったことではなく、
むしろマゾヒズムが潜在しているのは、負のスパイラルに飲まれていくヒロイン心理に昂奮している視聴者・読者の中なのではないかと思います。

これはとても興味深い問題ですが、「サディズムの中に混在するマゾヒズム」というテーマから考える必要があるので、今回はこれ以上立ち入らず、また別の機会に考察し記事にしたいと思います。

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