有坂総一郎 2024/04/26 19:30

状況変化、条件がいくつか整った

前に断念した19世紀ハプスブルク帝国を主題にした物語について、状況変化が起きた。

あれからいくつかの資料やそれに基づく調査の結果、作話の見通しが立った。

基本概念をまとめると、以下の通りだ。

・1830年代
・メッテルニヒ宰相庇護下
・ロートシルト(ロスチャイルド)財閥の出資
・台頭するプロイセンへの対抗
・ロンドン-イスタンブール間のオリエント鉄道連絡
・国策としての帝都ヴィーン-トリエステ間連絡
・シュレジエン・ガリツィア方面への鉄道建設
・ドナウ川航路と帝都ヴィーン-王都オーフェン(ブダペスト)鉄道連絡
・トルコ-エジプト戦争
・スエズ確保と北アフリカ・東アフリカへの進出

当初、主人公には史実の人物を考えていたのだが、どうもこれがなかなかWikipediaで把握出来ないため、史実では出生後早死したメッテルニヒ宰相の長男であるフランツ・カール・ヨハン・ゲオルク・フォン・メッテルニヒ=ヴィネブルク (1798–1799)が活用しやすいと考えた。

白紙委任状態の彼に相当する人物をでっち上げることでメッテルニヒ宰相という最強のカードを最初から手に入れることが出来るわけだ。

そして、このメッテルニヒ宰相というカードがまた最強と最悪という二つの要素を兼ね備えているのが作話上都合が良いわけでもある。

政敵が最初から用意されているので主人公への嫌がらせをする存在の後ろ盾にもなるし、また、同時にロートシルトというユダヤ人財界人との関係は当時の反ユダヤ主義というそれもとても都合が良い。資金源に困ることもないしね。

あとは世界情勢はそこまでいじる必要が無いから世界史の基本をなぞって、多少時系列を前後させるような格好で問題ないだろう。

また、物語の終末は概ね1900年くらいを想定しているから、ロンドン-イスタンブール間の鉄道連絡の完成と復活のハプスブルク帝国という目標達成に持って行ければ良いのでそれに沿って主人公が行動すれば良いと考えれば割と楽だなと。

前にも調べた通りだが、放っておいてもどうせ1880年頃にはハプスブルク帝国全土に鉄道網が完成するわけで、梃子入れするにしても最低限度で済むし手頃なサイズになりそうだなと考えている。

ただ、北アフリカや東アフリカへの進出というそれを考えると物語が終わった後の世界で違った意味でのスエズ動乱とか起きそうだなと思ったりするけれど、世界大戦に脚を突っ込まないで済む分、風呂敷がたためそうであると思うと心理的にハードルが下がるからありがたい感じかな。

問題は普墺戦争や普仏戦争という話。あと、フランス第二帝政。

フランスでは、1830-48年まではウィーン体制下の七月王政(オルレアン朝)、48年の二月革命(第二共和制)、52年の第二帝政と政体がコロコロと変わる。

フランスに関して言えば、52年までは内向きで、52年からは外向きに転換する。52年以後は急速に海外進出することになるわけだ。

プロイセンについては、ドイツにおける主導権争いの一番手と二番手という存在になるが、基本的にオーストリアは48年まではドイツの盟主を自称し、ドイツ各領邦もそれを認めていた。よって、プロイセンとの対立は不可避となるわけで、ここに関わる場合、南ドイツの政治的・経済的打通を完成させることが必要である。

これには帝都ヴィーンを起点にバイエルン、バーデン、ヴュルテンベルク方面に鉄道建設して各領邦鉄道と連絡し、経済的にオーストリア経済圏に組み込んでしまうことで北ドイツと分離させるわけだけれども、この辺の鉄道って癖強いし、プロイセンのそれに比べると協力で高速な機関車を建造している割に鉄道建設は遅いのがネック。けれど、日本でも割と名を聞くクラウスとかマッファイとかはこの辺のメーカーであり、飲み込むと史実以上に活躍しそうな感じがする。

49年の時点でプロイセンの鉄道はパリ-ベルリン-クラカウまで打通していることから、正直なところ、鉄道による経済圏確立と鉄道兵站確立という意味では圧倒的不利なんだよね。

この時点で南ドイツはバーゼル-フランクフルト、ウルム-ハイルブロン、ミュンヘン-ドナウヴェルト程度しか通じていない。しかも、上記3鉄道は各領邦内完結で領邦外に連絡していない。まして、ハプスブルク帝国にも連絡などしていようはずがない。唯一、連絡可能なのは帝都ヴィーン-ウルムをドナウ川航路があり、ドナウヴェルト、ウルムで航路と鉄道が連絡している。

しかし、バイエルン領内のニュルンベルクはザクセン経由でプロイセンのベルリンと鉄道連絡している。要は、プロイセンは南ドイツにいつでも鉄道経由で侵攻可能と言うことだ。

また、以前にも書いているが、プロイセンはこの時点で国境近くまで鉄道支線を伸ばしているが、オーストリア側はプラーグやクラカウ、オストラウまでしか通じていない。

この辺りを考えると、史実同様に南ドイツは諦めて引き籠もって普墺戦争についてもそもそも起きないようにシュレスヴィヒ=ホルシュタインから早々に撤退してプロイセンに管理を任せてしまうべきかも知れない。

とは言っても、この時期はドイツにおける覇権主義がハプスブルク帝国には少なからず政治的影響力があってそうはいかないんだろうと思う。上手い具合に48年の革命付近で大ドイツ主義から小ドイツ主義に転換してもらう方向に世論誘導しないと結局は普墺戦争まっしぐらなんだろうなと。

その頃には主人公も立場がやばい訳なんだが、なんせ親父殿(メッテルニヒ宰相)が亡命せにゃならんわけだしねぇ。

なんだ、起承転結揃ってるじゃないかと、そういうわけで、割と条件が揃ってしまったと思っているわけだ。

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