広崎悠意 2019/08/10 04:10

創作のきっかけ その二

以前書いた「創作のきっかけ」の続きです。
「創作のきっかけ」タグで前の記事を見られますが、この記事を含め。なんか自分語りなので、特に見なくてもいいです。
 ……では。

 班ノートを創作の駄文で書きつぶす遊びから、中学生になって創作に関する仲間ができて、もう班ノートとかじゃなくてお互いに回し読みする、いわゆる肉筆回覧誌みたいなのを始めました。
 いや、仲間が居るっていいですね。
 やってることは、今ネットでやっていることと変わんないです。
 アニパロをやったり、オリジナルを書いたり。
 絵も描きました。下手くそですけどね。
 一週間書いてから次の人に回すルールだったんですが、だんだん月一になって、最後には何カ月も抱えているようになって、高校受験になだれ込み、立ち消えになって進学したんですが、別々の学校に進んでも定期的に会っていました。

 私は高校生になってアニメーション同好会なる物に入ったんですが、フィルムを作ったのは一年目だけで二年生以後は絵を見せ合ったり中庭でバスケットをやる会になってましたね。
 いわゆるファンクラブ的なモノではなく、学園祭を目標に自作アニメーションを作る同好会だったんですけど、みんな自分の手に負えないものを作ろうとして完成させられないと言う状況でした。
 ちなみに、私、二年生になって三年生が受験で抜けるので部長になったんですが、そのときに新入生で入ってきた人に竹井正樹という奴が居まして。
 言わずもがなの、後にはかなり有名になる人ですが、当時は絵とかほどんど描かなくて部活に出てくれば「バスケやりましょう」と先輩を誘っていましたね。
 「超人ロックのアニメを作りたい」とか言っているんだけど、そいつの絵を見たこともないしバスケやりに毎日顔を出している感じでした。
 アニメーターになってエロゲーに関わって業界屈指の手の速さといわれるようになるとは当時からはとても……。

 中学で出会った仲間とは、その後も続いていまして。
 そいつらが進学した先の仲間も加わって、高校を出るころには同人誌を作ってコミケに出ようって話が持ち上がっていました。
 で、また、関係ないですけど、その仲間の中の一人が進んだ学校のOBに竹熊健太郎と言う人が居まして、確か既にOBではあったんですが、在学生に影響力があったらしく、友人にその学校の学園祭に招かれた時に竹熊健太郎演出の演劇を見せられまして、タイトルが「さらば、アルプスの少女ハイジ」みたいな感じだったと思います。
 アドリブなのか台本なのかわからない感じが印象に残ってます。
 たぶん意図的な演出だったのでしょう。

 まあ、それはいいとして、中学生時代の仲間とその伝手で集まった仲間で同人誌も作りました。
 二巻か三巻は作ったと思います。
 ……まったく売れませんでした。
 一桁って感じじゃないでしょうか。
 苦手な漫画を描きましたよ。
 もともとコマを割った漫画がどうしても描けないので、高校ではアニメーションのフィルムを作ろうと思ったんですが、なんとかその漫画は描き切りはしたものの、やっぱり苦手でしたね。
 ただ、集まって互いにベタ塗りやトーン貼りを手伝いながら作ったのはいい思い出です。

 高校を出た私は、コンピューターの用紙や企業のデーターメールの印刷工場に就職したんですが、なんていうか、族上がりの乱暴な人たちとかが怒鳴り散らしているような会社で、しかも寮住まいを半ば強要されたこともあり、二年くらい務めて飛び出すように辞めてアニメーションの動画描きになりました。
 でも、手が遅くて線が汚いというので、偉い人に呼び出されて暗に「辞めてくれないかなぁ」みたいなことを言われ、実際とてもじゃないけど食っていける報酬を得られなくて、無職になりました。

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