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2023年 06月の記事 (30)

[♀/連載]不浄奇談 [3-1-1.湯田真冬の話 序]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     3-1.湯田真冬の話

 ……あ、時間、来ちゃいました。
 どうします? 亜由美先輩、まだ戻ってませんけど。あ、始めちゃっていいですか。それじゃあ、やります。
 えーと、よろしくお願いします。湯田真冬です。裏方代表で来ました。わたしは裏方なので、先輩方やえりかさんみたいに、こう、声色の使い分けとか演技とか、そういう器用なことはできません。だから、普通にやってもつまらないと思って、今回はコレに頼ることにしました。
 じゃーん。
 あ、じゃーん、ってキャラじゃなかったです。ごめんなさい。
 いえ、まあ、『ばーん』でも、『じゃーん』でもいいんですけど。とにかく、コレです。知ってます? コレ。あ、そうです。こっくりさんのやつですね。『ウィジャ盤』とか『ウィジャボード』とか言われるやつの一種です。
 歴史を遡ると、海外で降霊術とかに使っていたものが日本に持ち込まれて変形したものらしいですけど――もしかしたら、本物を見たのは初めてかもしれませんねー。こんな具合で、あいうえおの五十音表と0~9までの数値、「はい」「いいえ」「男」「女」の文字が配置されています。あと、詳しくは知りませんが、真ん中にこんな具合に鳥居の絵が書いてあることが多いです。この上に十円玉を乗せたら、準備完了、完成です。
 わたしはこれ、ずっと前にお兄ちゃんに教えてもらったんですけど、怖い話でもよく出てくるので今回はみんなでこれをやったらどうかと思いまして。こうして、持参しました。
 十円玉に指を乗せる役にわたしが混ざると一気に嘘くさくなってしまうので、わたし以外の皆さんにやってもらいたいんですけど……。
 あ、そうだ。さっき、えりかさんの後ろに落ちていた花、二つありましたよね。あれ、何の花か、種類がわかる人ってこの中にいます? あ、琴美先輩、わかるんですか。うーん、さすが。物知りです。
 それじゃあ、正解を知っている琴美先輩以外の人は花の種類はわからない、と。実はわたしもなんとなくわかっています。それで正解を知らない皆さんに、このウィジャボードを使って正解を当ててもらいたいんですが……。
 悠莉先輩はオッケーですか。えりかさんも嫌だけどいける、と。三夏先輩、どうですか。こういうの、平気そうですけど。あ、やっぱり、全然平気です? それじゃあ、決定ですね。みんなでやりましょう。指をこの十円硬貨に当ててもらって。そうですそうです。無心に。無心に。
 それでは、始めます。わたしが先に言いますから、それと同じ台詞をみんなで言って下さい。それじゃあ、始めますよ。『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら「はい」へお進みください』。
 ……あ、動いた。動きましたね。『はい』に行きましたね。これで儀式は成立しました。あ、何があっても、指を十円玉から離さないで下さい。大変なことになるらしいので。あ、ちょっと、えりかさん、三夏先輩、もぞもぞ動くのもやめにして下さい。えりかさんは……まあ、まだトイレに行ってないんで、ちょっと仕方ないところありますけど。三夏先輩はもうトイレに行った後なんですから、落ち着かないのはわかりますけど、じっとしていて下さい。
 こほん。それでは、質問を始めます。さっきと同じように、わたしが先に質問を言います。皆さんは続けて言って下さい。『そこに二種類の花があります。黄色い方の花の種類は何ですか』。
 うん、いいです。動いていますね。き、ん、も、く、せ、い。キンモクセイ。わたしの思ったのと一緒ですけど、琴美先輩、合ってます? はい、正解みたいです。正解を知らないはずの皆さんが正解を出せるはずないのに、こうして正解が出て来たということは……。ええ、良い具合です。良い具合に、儀式が成立していますね。
 それでは、次に行く前に一度リセットが必要なので、わたしと同じように言って下さい。『鳥居の位置までお戻りください』。……うん、十円玉が鳥居に戻りましたね。一つ質問をする度に、これを繰り返す必要があります。どんな儀式でも、こういう形式というか順序立った手続きは非常に大切です。
 はい、それじゃあ、次にいきます。『黒い方の花の種類は何ですか』。
 く、ろ、ゆ、り。クロユリ。琴美先輩、どうでしょう……あぁ、合っている、と。
 花の種類はキンモクセイとクロユリ。キンモクセイはともかく、クロユリは平地には見られない高山植物なのに、どうして学校に……。ああ、そういえば、わたし、さっき花を一目見た時から思っていたんですよ。これ、もしかしたら、何かのメッセージなのかな、って。ほら、花って花言葉があるじゃないですか。
 クロユリの花言葉は、確か『呪い』や『復讐』。
 キンモクセイは基本的には良い意味の花言葉が多いですけど、『隠世(かくりよ)』――要するに、死後の世界、っていうネガティブな花言葉もあります。それに、どちらも、なんというか……香り的に、別のあるものを想像させる、というか……。うーん。まあ、あんまり口には出しにくいんで、明言は避けますけど。
 え、あ、はい、わかりました。次に行きましょう。
 ええと、それじゃあ、次の質問は――『亜由美先輩がなかなか戻って来ませんけど、一体どこに行ったんですか?』
 と、い、れ。トイレ、ですか。まあ、それはそうでしょうけど。
『亜由美先輩がなかなか戻って来ない理由はなんですか?』
 も、ど、れ、な、い。戻れない?
『まさか、トイレに間に合わなかったとか?』
 いいえ。
『戻れない理由は何でしょうか?』
 み、ち、が、な、い。みちがない。道がない?
 ちょっと要領を得ません。わかりませんね。話題を変えましょうか。
 他に質問は……あ、そうですね。わたしばかりが質問していても、つまらないですよね。それでは、ここから先は皆さんにお任せします。自分を好きな人のことでも、自分の好きな人のことでも、ご自由に質問いただいて結構です。あ、でも、質問は一人ずつ、順番にして下さい。
 ……ふふ。あぁ、それにしても、こうしていると、思い出してしまいます。お兄ちゃんと最後にこっくりさんをしていた時のことを。あ、琴美先輩、興味あります? それじゃあ、ちょっとだけ話しましょうか――。皆さんはBGMと思って聞き流していて下さい。
 最後にこっくりさんをした時、お兄ちゃんはわたしの好きな人のことを質問したりして、意地悪をしました。わたしは好きな人なんていなかったので「いない」と出ました。お兄ちゃんはわたしを好きな人のことも質問しました。これが意外にもいて、その人の名前が出ました。わたしは特別好きではなかったので、どうでも良かったですけど。
 それまでにも、わたしはお兄ちゃんと色々なことをして遊びました。二人きりの兄妹でしたから、仲はまあ普通に良かったです。お兄ちゃんはわたしより二つ年上でしたから、色々なことに詳しくて、特にこういう……オカルトって言うんでしょうか。どことなくじめっとした、薄暗い、人の恐怖を煽るような神秘の世界について強い興味を抱いていたみたいで、わたしに教えてくれたものにはそういう類の知識が多かったです。
 幼い頃、わたしはそういうお兄ちゃんの話が怖くてたまらず、好きではありませんでした。幼稚園ぐらいの頃って、特に怖いエピソードなんてなくたって、天井の木目が不気味な人間の顔に見えたり、夜中の窓ガラスに映る像が無性に恐ろしくてたまらなくなってしまうようなところがあるじゃないですか。なのに、お兄ちゃんは、そういう繊細な年齢のわたしに対して、お化けや幽霊、妖怪や都市伝説みたいな、暗闇に潜んでいるモノについて毎日のようにまことしやかに聞かせるんです。お兄ちゃんによる怖い話が行われるのは決まって、太陽が沈んで、辺りが暗くなってからでした。そうですね、ちょうど今ぐらいの時間が多かったと思います。わたしが泣いて嫌がっても、お兄ちゃんは許してくれませんでした。だから、その頃、わたしは夜が来るのが怖くて怖くて仕方なかった。ただでさえ、夜闇は暗くて恐ろしいのに、その時間が来るとお兄ちゃんの怖い話が始まってしまう――。恥ずかしい話ですが、わたしはそれらの怖い話のせいで、夜、寝る前にトイレに行けずに何度も布団の中で失敗してしまいました。幼稚園児ぐらいになると、もう、ちゃんと恥の観念は身についています。だから、わたしはそっとしておいて欲しいと思って小さくなっているのに、お兄ちゃんは嬉しそうにわたしの失敗を大声でからかうのです。こんなの、ひどいですよね。ひどいお兄ちゃんだと思いますよね?
 ……え? あっ、いやいやいや、違いますよ。わたしは『今でも夜、たまにおねしょしている』犯人じゃありませんってば。うわあ、ちょっと、心外です。そんな風に思われていたんですか。おねしょなんて、子供の頃だけの話です。今はもう中学生ですから。この中にいる本当にしちゃっている人には申し訳ありませんけど、わたしは長年、やっていません。本当ですよ?
 こほん。ええと、それでですね。こっくりさんもお兄ちゃんが教えてくれたんです。遊び方も、やってはいけないルールも、上手く利用する方法も、全部です。
 あ、利用する方法ですか。この『不浄奇談』を始める前に、亜由美先輩がやった『秘密』を集める手法が良い例ですけど――こういうオカルト的なことって、なんというか、個人差が大きいんですよね。全然怖がらない人も確かにいるんですけど、怖がる人は本当に極端に怖がったりするんです。亜由美先輩はそういう怖がる人の心理を悪用して、この中の誰かから、普通の方法ではなかなか聞き出すことができないとっても恥ずかしい秘密……くすっ、『おねしょの秘密』を引き出したわけです。
 それと同じで、オカルトを悪用することによって、通常の方法ではなかなか実現できない事柄を、たやすく実現できちゃったりすることがあるんです。
 最初にお兄ちゃんがこっくりさんを教えてくれた時。わたしはまだ小学校の一年生でした。
 お兄ちゃんはまた悪い癖を出して、わたしを怖がらせようと思ったのでしょう。信じられないことに、自分達が死ぬ場所について質問したんです。怖い物知らずにもほどがありますよね。
 結果、お兄ちゃんは『どうろ』、わたしは『ふじょう』と出ました。
 次に死因について質問しました。お兄ちゃんは『くるま』、わたしは『ふじょう』でした。
 お兄ちゃんは教えてくれました。『ふじょう』というのが『不浄』であり、要するにトイレのことを指すのだと。わたしは自分がトイレで死ぬと聞き、すぐにお兄ちゃんから今まで聞かされてきたトイレの怖い話のことをイメージしました。ああいう恐ろしいモノにどこかで出くわしてしまって、取り殺されてしまうのではないか――と。想像するだけで、すぐにトイレに行くのが怖くなってしまいました。……ええ、あんまり言いたくはありませんが、その通りです。わたしはこの話のせいで、また何度か……。お兄ちゃんはやはり嬉しそうに、わたしをからかっていました。からかわれて、わたしは悔し涙を流しました。
 お兄ちゃんは変でした。最初はそうでもなかったのですが、ある頃から、明らかにわたしがトイレに行きにくくなるように誘導している節が見られました。この年になってようやくわかってきましたが、多分、お兄ちゃんにはそういう趣味があったのです。ある種のヘンタイ、だったのです。つくづく、ひどい話です。
 そのようなヘンタイ的趣味を持つ兄の嫌がらせに鍛えられ、二年生に上がった辺りから、わたしはようやく知恵をつけ出しました。お兄ちゃんの得意とする手法を理解し、お兄ちゃんのオカルト話を真に受けないようになりました。これはコツを掴めば、簡単なことでした。一度、距離を置いて冷静に考えてみるだけ――それだけで、世の中にはびこる怪談の大半は、現実には到底起きそうもないことだと気付くことができます。三年生や四年生辺りにまでなると、見様見真似で、わたしはお兄ちゃんから仕入れたオカルト知識を自分の生活に役立てることもできるようになったのです。

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[♀/連載]不浄奇談 [2-2.休憩 真崎えりか]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     2-2.休憩 真崎えりか

 続きの言葉が発せられるのを待つ。
 続きの言葉はなかなか発せられず、そのまま、話者の悠莉がまぶたを伏せる。これで終わり、というサインと理解し、真崎えりかが口を開こうとした瞬間――。
 がらんがらんがらん。
「ひっ――」
 階下、それほど遠くない場所から、大音響が鳴り響いた。びくっ、と反射的に身が跳ねる。金属製のものが激しく転がるような、無音に近い日暮れ時の学校で発生するにしては、あまりにも物凄まじい音。音は残響を残し、ゆっくりと虚空へ吸い込まれ、やがて消えた。
 突然のことに何も考えられず、全身を硬直させて、ただ次に続く何かを待つ。
 しかし、音に続きはない。あるのは、じっとりと湿気をはらんだまとわりつくような薄闇と、耳鳴りのするような静寂だけ。
 ごくり、と唾をを呑み込む。唇が、わななく。
「あ、あの。今の、何の音、ですか?」どうにか発することができた自分の声に、えりかは驚いた。みっともないほどに胸の奥の震えが混入した、頼りない声。
「さ、さあ、なんだろ。バケツかなにかが転がった――んじゃない?」
「この棟には、私達以外、誰もいないはずなのに?」
 不安や怯え、好奇心の入り混じった各人の視線が、自然とえりかに集まる。言外に、階段に一番近い位置に座るえりかに『確認しろ』と言っていた。
 気は進まない。しかし、先輩達の指示とあれば断れない。えりかは立ち上がった。そうして、つい先ほどまで背にしていた階下をそっと覗き込む。踊り場の電灯も、廊下の電灯も、まだ点いてはいない。そのせいで判然としないものの、薄く埃の積もった階段と闇の中に浮かぶ光沢のある廊下がうっすらと窺えるばかりで、これと言って目につくものは何もない。
 振り返り、何もないことを示すために首を横に振ってみせる。こぼれる安堵の吐息。えりかから見て一番近い位置にいる三夏と琴美の顔は、しかし、それでも明らかに強張っていた。えりかは少しだけ意外に思う。先輩達も、全然、平気ってわけじゃないんだ――。
「部の誰かが、私達を驚かせようとしてやったとは考えられない?」硬い表情のまま、三夏が推測する。努めて冷静に推測してみせることで、場の空気を、ひいては自分の怯えを鎮めようとしている――。えりかにはそのように見受けられた。「ほら、裏方の子とか。今は別の棟にいるけど、合宿には来てるんだし」
「そ、そうですねえ。それもあるかもしれませんよね……」でも、可能性は低い。心の中ではそう感じつつも、えりかは三夏に同調した。意見そのものというよりも、ただならぬ雰囲気の漂う場と自分の気持ちを一旦鎮めたい、という三夏の思いに同意した形だった。
「えー。そうかなあ」遠慮なく異を唱えたのは、亜由美だった。「裏方の子達、下級生が多いじゃん。性格的にもやりそうにない子ばっかりじゃない? やるかなあ。そんなこと」
「先輩相手でも、亜由美ならやりそう」
「しないよー」
「するって」
 上級生四人の中でも、比較的平気そうにしている亜由美と悠莉の間で罪のないやり取りが続き、脱線していく中、残りのメンバーの間で話は続く。
「裏方の子達がやらないなら、じゃあ、さっきの音は……」
「幽霊――」えりかにとっては唯一の同学年である湯田が、ひどく真剣な面持ちで述べる。「かも、しれませんね」
「幽霊なんていない」三夏がどこか頑なな口調で返す。「お化けとか幽霊とかって、中学生にもなって馬鹿みたい」
「でも、それなら、これは……」
 知らないうちに自分の背後に落ちていた二輪の花を視線で指し示して、えりかは声をひそめる。悠莉の話の最後に、不意に出現した花。種類は異なり、一輪は黄色、一輪は黒色。黄色の花は木に咲く花のようで、枝葉も付随した形をしている。黒い花の方は茎がほとんどなく、花の首に当たる所で切り取られているようだった。
「この中の誰かが置いた以外、考えられないでしょ。悪戯にしても悪質だけど」三夏が苛立たしそうに周囲を見回す。その疑いの目は、とりわけ、いまだ緊張感の薄いやり取りを続けていた亜由美と悠莉に注がれている。「正直に言ってくれる。これはどっちが置いたの?」
「えー、私ら限定? ひどくない? いや、でも、ほんと、知らないよ。さっきまでなかったよね。どうせ、亜由美でしょ?」面倒な疑いをかけられるのは勘弁とばかりに、悠莉が言う。
 それを聞いて、亜由美はきょとん、とした表情を浮かべた。それから、心底驚いたように声を上げる。
「えっ、ちょ、マジで、悠莉じゃないの? こんなの、あたしも知らないよ? 誰かが置いたとしても、気付きそうなもんだけど、気付かなかったし」亜由美が反論しつつ、他の面々を見回す。「本当に誰も知らないの?  ……でも、だとすると、ヤバくない? てことはさ」
 亜由美は語尾を濁し、探るような視線を周囲に投げた。はっきりと、口にはしない。でも、言いたいことは明確に伝わってくる。
 てことはさ、マジで”いる”んじゃないの、この辺――。
 無言のうちに、全員が周囲を見回す。自分達の他に、誰もいないことを確認する。えりかも同様にする。しかし、何度見ても、何もないし、誰もいない。不気味に静まり返った踊り場が、いかにも背後に何かを隠していそうな佇まいでそこにあるだけだ。メンバーの中には半ば冗談めかして同調している人間もいたが、それでも、その表情は若干ひきつっている。
 数分後、結局、何も手がかりらしいものを見つけられないまま、全員が元の位置に戻る。カメラで映像は撮影しているのだからまた終わってから確認してみよう、と琴美が言い出し、その意見が通った結果だった。
 定位置に戻ってからも、えりかの気は晴れなかった。なんだか薄気味が悪い。それがえりかの歯に衣着せない感想だった。唯一、自分だけが階段を背にしているのが、いっそう心細く感じられる。階下の音の件もそうだけれども、何故、よりにもよって、自分の後ろに変な物が落ちていたりするのか。座った時には、確かになかったはずなのに。
 えりかは、幽霊なんていない、と固く信じ込もうとする。幽霊なんて信じるのは、小学生までだ。自分はもう中学一年生なのだから、信じない。
 だって、いたら、怖い。怖くて、困る。だから、幽霊なんていない。そうでなければならない。だけど、と続きを考えてしまう。だけど、ひょっとしたら、悠莉先輩の話にあった演劇部の霊を引き寄せてしまう体質の人間というのが、本当にこの中に混ざっているんじゃないか――。そして、幽霊と同じ名前の自分が、幽霊の標的になってしまっているんじゃないか。そんな風に思えてくる。
 えりかは、話に出て来たリカちゃんのことを思い返す。二週間の便秘の末、トイレ前の廊下で大恥をかいたリカちゃん。自分と同じ名前を持った、過去にこの中学校に通っていた女の子。
 不安な気持ちに応えるように、周囲には聞こえないぐらいの小さな音で、お腹がきゅるる、と鳴る。誰にも気付かれてはいない。それでも、薄闇の中、えりかの頬は朱に染まった。今現在、自分が置かれている状況を鑑みると、まるで無関係の話とは言い切れない。
 『実は慢性的に便秘気味です……☆』。自分がノート片に記した『誰にも言えない秘密』の文言が脳裏に蘇る。記憶を辿ってみると、えりか自身も、ここ二週間以上、お腹の中に溜まったモノを出せていなかった。そして、二週間越しのそれが今、すでに出口付近まで来ている点まで符合している。嫌な予感が、した。
「で、一応、休憩時間なんだけど。誰か、トイレ、行く?」
 悠莉が心なしか、神妙な顔で呼びかけてくる。
 今のうちにトイレに立っておかなければならない。そう思い立って、えりかは手を挙げようとする。でも、瞬間、背筋にひやっとした冷気が走って、尻込みしてしまう。自分と同じ名前の幽霊。階下のけたたましい音。奇妙な二輪の花。あんなの、自分を怖がらせるためだけにこしらえた、ただの作り話に決まっている。そう信じたいけれど、不吉な符号が頭の片隅にこびりついて、踊り場にいる皆から離れ、自分一人で階下に向かうことにたまらない心細さを感じてしまう。向かわなければならない踊り場の下の階段はほの暗く、夕闇が沈殿したように溜まっている。この先にある誰もいない暗いトイレの個室で、ほぼ陽が落ちた時間帯の今、たった一人、『大きい方』を済ませられるだけの度胸が自分にあるとは思えない。だけど、でも――。
 えりかが逡巡しているうちに、すう、と別の所で手が挙がった。見ると、それは亜由美だった。
「それじゃあ、満を持して」よくわからない謎の溜めを作って、亜由美がキメ顔で言う。「あたし、行ってきます。――トイレに」
「トイレに、じゃねーよ。何の言い方。別に満を持してもないし。二人目だし」
 悠莉のツッコミ風の指摘に、場に薄い笑いが広がる。えりかだけが笑えなかった。
 本当は自分が行きたかったのだ。次の話の順番は、真冬、そして次がえりかになる。その次は琴美と三夏。自分の話の直前と、直後はトイレに立つことはできないルールだから、今を逃すと琴美の話の直後までトイレには行けなくなってしまう。
 我慢できる? と自分のお腹に問う。お腹がきゅるるる、と子犬みたいなかよわい声で鳴く。無理かも、と言っているように聞こえる。
「そんじゃ、気合入れて行ってくるー」
 亜由美が身を軽くのけ反らせ、中年男性がよくやる仕草で腰を伸ばす。階下へと、一歩目を踏み出す。止めるなら、今しかない。
「あっ、あのっ」えりかは慌てて、制止の声を上げた。みんなの視線が一斉に集まる。望まぬ注目に、えりかはへどもどしてしまう。年上の先輩の前で、こんなことは言いにくい。だけど、言わないと。「や、私も、そのぉ、実は行きたいんですけどぉ……」
「えー」亜由美が露骨に不満そうな声を上げる。「これって、二人以上、手を挙げた場合のルールはどうなってるんだっけ?」
「早い者勝ち、だった気がするけど」
 琴美が答える。えりかは内心、顔をしかめる。いつも眼鏡をかけている琴美先輩は、いつも眼鏡をかけているだけあって、頭が良い。記憶力も良い。こういう時には発言力がある。頼りにもなる。でも、たまに感じる。この先輩は冷たいところがある、と。下級生で、後輩で、それなりに仲良くはしているのだから――こういう時、助けてくれたって、いいのに。
「そっかー」亜由美があっけらかんと言う。「それじゃあ、あたしの勝ちってことで。OK?」
「あ、ああ、えっと」えりかは口ごもった。でも、言わなきゃ。言わなきゃ。「でも、あの、いやいやいや、ちょっと」
「えー、なになに」亜由美が独特の薄ら笑いを浮かべる。人が困っているのを見て喜ぶような、底意地の悪い粘着質な微笑み。「あっれえ? ひょっとしてえ。えりかちゃん、まさかぁ、中学生になってまで我慢できないとかぁ?」
「……! いえ、そんな。そんなことはぁ、ないんですけどぉ」
「それじゃあ、いいよね」
「あ、でも……」
「我慢、できないの?」
「我慢はっ……でき、ます」
「だよね。だったら、あたし、先輩。えりかちゃんは後輩。年長者を敬うべきだし、演劇部は基本先輩ファースト。でしょ?」
「それは、そうです、けど」
 亜由美に押し切られそうになって、お腹がぐるぐるぐる、と抗議するように鳴る。ここで引いたら、ダメ。我慢できなくなっちゃう。そう訴えているように感じる。お腹の中に隠したグロテスクな形状をした便塊が、ぐいぐいと出口の辺りを押している気配がする。でも、でも――。

「はい、行ってきまーす」
 階段を下りていく亜由美の後ろ姿を見送りながら、えりかは漠然と思う。要領が良いってどういうことなんだろう、と。
 要領が良い、とやっかみ半分に他人から言われることも多い。でも、どうなんだろう。要領が良いって、結局、どういうことなんだろう。
 自分に関して言えば、何事も適当に受け流すのが上手いだけだ。厄介ごとを避けるのが得意なだけ。争いごとを遠ざける――そういう、演技が得意なだけ。
「えりかちゃん、トイレ、行きたかったんでしょ? 大丈夫ぅ?」いつもと同じ調子に戻った悠莉が、ヘラヘラしながら覗き込んでくる。
 えりかは顔を上げた。そして、にっこりと笑う。いつもやっているように、自分の内心をおくびにも出さずに。
「はい、全然大丈夫です。それほどでもないので。悠莉先輩の話、ちょっと怖かったんで、暗くならないうちに済ませておきたいかなあ、って思っただけだったんです」
 自分自身が用意した脚本を自分自身で演じる最中、要求を押し殺されたお腹が、きゅるるる、と切なげに鳴いた。
 演技はどんどん上手くなる。でも、自分の希望を通すのは、いつまで経っても上手くはならない。

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[♀/連載]不浄奇談 [2-1-3.尼野悠莉の話 急]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 それから先のことは、もう言わなくても大体わかるよね。数日後、心の傷が癒えないままで、どうにか登校してきたリカちゃんに対して、醜い女子達はこれ見よがしに鼻を摘まんでくさいくさいと陰口攻撃。ちょうど本人の耳にかすかに届く程度の、絶妙に調整した声でね。はっきり言って、ああいうのってほとんどわざとだからね。わざと本人に聞かせてあげてるんだから。いっぱい陰口叩かれてますよー、はずかしいですよー、って。「近くに寄ると泥棒される」「近くに寄るとうんちのにおいが移る」と言っては、本人を遠巻きにくすくす笑い合う。リカちゃん、神経質すぎるほどに全身を何度も洗い流したから、においなんてもうするわけがないのに。
 苦境に立たされた仇敵の姿を見るのが面白くてたまらない醜い女子達は、それはもう熱心に、飽きることなくリカちゃんの心の傷をいじくり続けた。ほじくって、爪を立てて、塩をすり込む。リカちゃんからしたら、たまらないよね。そもそも、ただの逆恨みみたいなものなんだし。リカちゃんのことを「うんこ女」「うんち女」と呼んで、まるで自分は『大きい方』なんてお腹の中に持っていたこともないし、一度だってしたことすらないとでも言わんばかり。もちろん、しっかり、その黒ずんだお腹の中にも、リカちゃんが下着の中にしちゃったのと同じものを抱えているんだけどね。それどころか、不揃いに毛の生えた汚らしいお尻の穴から、毎日のように同じものを出しているんだけどね。リカちゃんが廊下で失敗したその直後から、彼女達の多くにとって、トイレで便器にまたがることが生きていくためだけに行う作業ではなくなった。勝利を実感できる、途方もない悦びの瞬間に変わったの。便器の上で、彼女達はいつもリカちゃんがした失敗の情景を克明に想い出した。そうして、思い切り心の中で囃し立てた。「やあい、おもらし!」「うんち漏らし!」「きったなーい!」「なにこのにおい! いくつだと思ってるの!」「パンツの中でブリブリしてる! あははは、だっさーい!」――そうして、漏らしたうんちをぼとぼととこぼして涙ながらに歩くリカちゃんの醜態を想い描き、そのリカちゃんを容赦なく指差し笑いつつ、自分はきちんとトイレで済ませていることを誇るかのように気持ち良く排泄物を便器の中にひり出す。その、身を震わせる、たまらない優越感と勝利の快感。――みたいな。あはは、ごめんごめん、やりすぎたね。引かないで引かないで。
 まあ、とにかく、醜い女の子なんてそんなもの。姿形どころか、色々な意味でお腹の中まで真っ黒なんだから。とは言え、ある意味では、しょうがないところもあるんだけどね。女の子として生まれたのに見た目が悪いって、それ、その時点で相当大きなハンデと闇を背負ってるから。私、この程度の見た目で良かったあ、ってよく思うもの。同じクラスの子とかでもねえ、あの見た目じゃあ生きるの辛いだろうなあ、と思う子もいるからね。あの子ら、ただそこにいるだけで、常に周囲のかわいい女の子達に負け続けているような、『引け目』とか『悔しさ』みたいなものを日々感じながら生きているんじゃないかなあ。不細工のくせに女の子ぶって馬鹿みたいって気もするけど、ああいう子だって、心はちゃんと女の子なわけでしょ。好きな男の子と仲良くもしたいし、みんなに注目されてチヤホヤされたい。女の子として優しく、丁寧に扱われたい。そういう願いだって、きっと、抱いているわけじゃない。だけれど、その願いがかなうことは、多分、一生ない。だって、見た目が醜いから。かわいくないから――。考えてみればさ。そういう子達にとっては、生まれて初めてかわいい女の子に勝つことができた瞬間かもしれないんだよね。リカちゃんが廊下で大失敗した瞬間って。それはもう、慣れない勝利の喜びに浸って、有頂天になってしまうのも無理ないんじゃないかなあ。
 さて、話を戻すね。まあ、そういう感じで、一週間ほどに渡り、醜い彼女達の慰み物として様々な方法で心の傷をいじくり続けられたリカちゃん。ただでさえ、デリケートな問題なのに、こんな環境で傷が快方に向かうわけがない。触り続けられた心の傷口は血塗れ膿塗れのぐちゃぐちゃになって、リカちゃん、いよいよ精神の調子をはっきりと崩して、本当に自分からはまだひどい悪臭がしているような気がしてくる。ついには、その悪臭が、自分の鼻にさえ感じられるようになってくる。そうなると、もう、教室になんていられない。結局、リカちゃんは教室から姿を消した。
 こうして、泥棒の上に、うんち漏らしまでしでかして、全てを失ったリカちゃんの惨めな退場を、醜い女子達は大喜びで祝ったのでしたとさ。めでたしめでたし。
 ……え? めでたくないって? あ、そうね。バッドエンドだしね。でも、まだこれで終わりじゃないの。
 学校から姿を消してひと月ぐらいが経過した頃、実はリカちゃん、ふっ、とまた学校にやって来たらしいの。
 ひと月前みたいに、またリカちゃんをいじめ抜いてやろうと醜い女子達がリカちゃんの周辺に結集したんだけど、どうも様子がおかしい。何がおかしいのか、はっきりとは彼女達も掴みかねたんだけど――何か、こうね。目つきが以前とは異なる感じがしたの。彼女達は懸命に言葉や手段を尽くして、トイレ前で味わった屈辱をリカちゃんに想い出させてあげようとするんだけれど、リカちゃんはずうっと黙ったまま。うんともすんとも言いやしない。ただ、じいっとね。周囲にいる子達なんて誰も見えないかのように、何もない宙空を見つめているの。まるで、家の年老いた猫がそうするのを真似るように。醜い女子達は拍子抜け。なんだか気味の悪い物を見る目で、リカちゃんの様子を遠巻きに窺う。
 そうしているうちに、事態は静かに動き出した。リカちゃんの顔から徐々に血の気が失せていき、傍目にもわかるほどにガタガタと震え出す。醜い彼女達の見つめる前で、突然、リカちゃんは絹を裂くような悲鳴を上げた。それから、怯えた様子で髪を振り乱し、駆け出して、教室を飛び出しちゃったの。まるで、その仕草は見えない“何か”に追われているかのようだった。
 その尋常ならざる様子に圧倒されて、醜い女子達の一部はリカちゃんを追うことを躊躇った。でも、リカちゃんのことを特に憎悪していた一部の女子は、まだまだいじめ足りなかったのね。ひと月前のおもらし事件の時と同様に、廊下を走るリカちゃんの後を追ったの。リカちゃんはただならぬ様子で通行人を押し退け、廊下を駆け抜けて、突き当たりへと進んでいく。その間も誰もいない場所に目を向けては、そこにあたかも何かおぞましいモノがいるかのごとき金切り声を上げて、逃げ惑いながら。最後、彼女が辿り着いたのは、廊下の突き当たりにあった非常階段だった。普段、誰も触れることすらない非常階段へ抜ける扉を開けて、リカちゃんは非常階段にまで飛び出した。そこで、追ってきた醜い彼女達は目にした。まるで誰かに突き落とされたのごとく、リカちゃんの足が浮いて、リカちゃんの身体が手すりの向こうに消えるのを。
 そこは三階だった。非常階段の手すりの向こうに消えた、ということは三階から地面に墜落したということに他ならない。醜い女子達が恐る恐る手すりから身を乗り出して、地面を見てみると――不思議。奇妙なことに、そこには誰もいない。倒れたリカちゃんの姿もなければ、誰かが落ちたような痕跡すらない。ただ、乾燥して黄色がかった地面があるだけ。彼女達は狐につままれた心境で、錆の浮いた手すりと地面とを見比べた。それから、ほんの少し考え事をした後、ここまで追ってきた数人の間で短い話し合いをした。意見はすぐに一致した。口裏を合わせることに決まったの。……だってね、もしも、リカちゃんが死んでしまっていたり、大変な怪我でもしていたら、最後まで深追いした自分達の罪になってしまう危険性があるでしょ。だから、彼女達はリカちゃんが非常階段から降りて、裏門から出て行った所までを目撃したということにしたのね。要するに、保身に走ったの。でも、こういう醜いことをさせたら、醜い彼女達の右に出る者はいない。嘘の目撃証言はあっさりと通り、リカちゃんは学校から出て行って、その先でいなくなったということに落ち着いた。
 さて――肝心のリカちゃんがどうなってしまったのか、というと。実はそれっきり、誰もリカちゃんの姿を見た人はいないんだって。でも、学校の非常階段から落ちてそのまま失踪、なんて。おかしいよね。どうかしてる。なんとなく、悪い予感しかしないよね。
 ……実はこの話さあ、年の離れたお姉ちゃんから、大分前に聞いたんだ。お姉ちゃんがこの中学校にいた頃に、本当にあった実話らしいんだけど。『大きい方』のおもらしとかもあって、やたらとインパクトが強いお話だから、やけに印象に残っちゃってさ。私も三階の非常階段の辺りを通る度に、ついつい気になっちゃうんだ。それで、思うんだ。もし本当に実話だったのなら、今、リカちゃんはどうしているんだろう、ってね。もしかしたら……ふふ、今でもこの学校のどこかにいたりするのかも……。
 私さあ。あとで考えたんだけど、多分、最後に学校に来たリカちゃんは、年老いた猫の『見方』みたいなものを習得していたんじゃないのかな。だから、最後、学校にやって来たリカちゃんには見えたんじゃないかなあ。ずっと彼女を悩ませ続けてきた、物の移動する原因が、本来は人間には見えないはずのモノが。リカちゃんはその『猫の目』で、一体、何を見たんだろうね。廊下の色々な所に目を向けて、何度も悲鳴を上げたところからすると――きっと、そのモノは『一人』じゃなかったんだろうと思うんだけど。もしかしたら、リカちゃんの目には、この学校中に無数のおぞましいモノがいるのがはっきりと見えたのかも。だとしたら、見えないだけで、学校にはそんなおぞましいモノがうじゃうじゃいるってことになるんだけど。うーん、ぞっとしないって言うか、ぞっとするって言うか。
 想像してみて。今この場には、一見、私達しかいないよね。でも、本当は目に見えないだけで、こうして怖い話をしている私達の様子を、そういうモノ達がすぐそこでじっと眺めているのかもしれない。そう考えると、なんだか、気持ち悪くない?
 お姉ちゃん、こうも言ってた。この事件はもっと昔、結婚できないまま、この学校で死んでしまった女性教師の霊の仕業なんだって。
 この女性教師は見た目が醜くて、性格も醜い、それはもう最悪の奴だったらしいんだけど。この人は、嫉妬だろうね、見た目の良いかわいい女の子が大嫌いだったの。だから、教師の立場を利用して、しょっちゅう、かわいい女子生徒に嫌がらせをしていたんだって。かわいい子に難癖をつけて叱ったり、泥棒の濡れ衣を着せたり。中でも一番好きだったのが、理不尽なことを言ってトイレを我慢させることだったんだって。
 結局、この人は教室で授業をしている最中に急病で倒れ、一度も結婚できないままに死んでしまった。もしかしたら、彼氏すら一度もいたことがなかったかもしれない。処女、だったのかも。それでね、その先生が倒れた教室っていうのが、偶然、リカちゃんのクラスが使っていた教室と同じ教室だったっていう話。
 だから、死んでしまって、自分が幽霊になってからも、忘れられなかったんじゃないかな。自分にはない若さと美しさを持った女の子に、濡れ衣を着せて、大恥をかかせて、クラスの他の生徒を扇動してでも泥の中へと引きずりおろす――自分は恵まれなかった若さと美しさを持った女の子の人生を、踏みにじって、めちゃくちゃにして、台無しにしてしまう。その時の快感を、ね。リカちゃんは、その犠牲になったんじゃないかって。それにね、その先生、実はリカちゃんと下の名前が同じだったんだって。確かに自分と同じ名前の、自分よりもずっと若くてかわいい女の子なんて。憎たらしく思うのも当然だよね。格好の標的になっちゃってもおかしくないよね。
 あ、気付いた? この話、確かに変よね。リカちゃんの周囲で起きていた超常現象が、この女性教師の霊が原因だったなら、中学校に入る前にもたびたび起きていた『物が勝手に動く』現象に説明がつかない。
 私もそう思った。でも、私自身がこの中学校に入ってから、ちょっとわかった気がするんだ。原因の一端は、やっぱりリカちゃんの方にあったんじゃないかって。リカちゃんの周囲でやたらと物が動いてしまうのは、リカちゃんが霊を引き寄せて、霊の活動を活発化させてしまうような、ある種の特殊な体質を持っていたからなんじゃないかって。俗に言う、霊感があるってやつかもね。そういう資質があったから、最終的には本来は見えないはずの霊すら見えるようになったんじゃないかなあ。
 自分がこの中学校に入って、どうしてそれがわかったのか?
 あれ、言ってなかったっけ。実は演劇部に入ってから、やけに私の周囲でも物が勝手に動いている気がするんだよね……。ねえ、みんなもそんな気しない? 心当たりないかなあ?
 ふふ、どうして、そんなことが起きるんだろうね。私が思うには、きっと、いるんじゃないかなあ。リカちゃんと同じような人が、この演劇部に。リカちゃんと同じように、霊を引き寄せて、霊の活動を活発化させてしまうような特別な体質の人間が……。よくよく考えたら、『下の名前が一緒のかわいい子』もちゃんといるし、あの最悪な先生、また出て来ちゃってたりしているのかも?
 演劇部に『リカちゃん』はいない? ああ、うん。そうね。言い忘れてたね。実はリカちゃんって、正確な名前じゃなくてあだ名なの。本名はえりか、なんだ。
 ……ふふ、ねえ、えりかちゃん。どう思う?
 ううん、脅かしているんじゃないの。そうじゃなくて――さっきから、気になってるんだよね。えりかちゃんの後ろに落ちているそれ、何だと思う? 花みたいだけど、どうして、こんな所に、花なんかが落ちているんだろうね。近くに花なんて飾っているところあったかな……。それに、私の記憶だと、ここに来た時にはそんな物なかったと思うけど。
 不思議だね?

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[♀/連載]不浄奇談 [2-1-2.尼野悠莉の話 破]

『不浄奇談』キャラクター紹介


 翌日、リカちゃんが学校にやって来るとね。何故だか、自分の机の上に花瓶が置いてあったの。花瓶には枝ごと折り取られた、黄色い花が挿してあった。花からは、どこかで嗅いだことのある甘い独特の香りがする。リカちゃんはすぐにトイレを連想した。その花、トイレの芳香剤の香りによく似ていたのね。リカちゃんは周りの子達に聞いて回ったけれど、誰もそれを置いた人間を知らなかった。リカちゃんはなんだか胸騒ぎがした。
 数時間後、リカちゃんは早速、昨日した約束を後悔することになった。トイレに行きたくなっちゃったのね。リカちゃんはこの時のために、前日からその覚悟を少しずつ固めていたつもりではあったんだけど――実はその時発生してしまった『トイレに行きたい』がね。想定外の『トイレに行きたい』だったの。ふふ、そう。リカちゃん、よりにもよって学校で『大きい方』を催しちゃったんだ。しかも、前日までの精神的なストレスが原因の便秘で、二週間近くも一度も出せていなかったものだから、便意は相当に激しい。人前なんかでは、到底できるわけもないぐらいに。しかも、不思議なことに、片付けたはずなのにずうっと机の周りから消えないのよね。朝置いてあった、芳香剤によく似たにおいのする花の香りが。そのせいで、リカちゃんは授業中もトイレのことを片時も忘れることができない。リカちゃんの便意を誘うように、ずうっと鼻の奥にその独特の香りが漂っているの。まるで、「ほおら、トイレに行きたいでしょ? 行きたいでしょー?」って嫌らしく耳元で囁き続けられているみたいに。
 休憩時間、リカちゃんは自分を監視する女子にそっと相談した。「トイレに行きたい」と。
「行けばいいじゃん」監視係の女子はへらへら笑って返事をする。「別にいちいち言わなくても、勝手についていくし」
「違うの」リカちゃんはもじもじしながら説明する。男子ならその仕草を見るだけで心奪われそうなかわいらしい素振りで、「その、ええっと」言いにくそうに、そっと、小さな声で。「……『大きい方』、なの」
 監視係の女子は虚をつかれたように目をまん丸にしてから、笑みを深くする。それなりの見た目をした女子なのに、その笑い方はずいぶんと醜く見える。
「いいよ」と女子は言う。「行ったらいいじゃん。もちろん、監視は続けるけどね」
 それじゃあ、意味がない。リカちゃんはどうしても一時的に監視を解いて欲しかったから、何度かお願いを続けた。でも、監視を解いてもらうことはできなかった。
 リカちゃんはトイレに行くことができないまま、次の授業に臨むしかなかった。授業の終わりが近くなった頃には、お腹はぐるぐる、きゅるきゅる、不穏な音を立てている。こう、下腹の辺りに、きしむような感触の大きな異物感があって、お尻の穴の辺りが、こう、ぐいぐいとね。中から出て来ようとしている何かに押されている感じがするの。
 ……でもさあ。突然だけど、人間って、よくよく考えたら奇妙なものだよね。かわいい女の子なんて、特にそう。だって、どんなに見た目が良くて、素敵な立ち姿でそこにある女の子であっても、人間として生きている限りは、周囲から憧れの目で見られるそのお腹の中にしっかり隠されているんだもんね。誰もが顔をしかめ、鼻を摘み、目をそむける――この世で一番と言えるぐらいに臭くて汚い、どんなに飾っても汚物以外の何者にもなれない本物の汚物がさ。リカちゃんも、そう。『かわいい女の子』という可憐で清楚なラッピングで覆い隠してはいるけれど、二週間以上そこで熟成されて腐敗しきった、それはもう醜悪で歪な形をした悪臭を放つモノが、確かにお腹の中にある。しかも、そのおぞましいモノは、もうすぐそこまでやって来ている。力の入れ加減をちょっと間違えるだけで、ソレが出口からひょっこり顔を出してしまいそうなほどの状況に追い込まれて、リカちゃんは堪らず身体を揺する。目を閉じても、意識を他に向けようとしても、「ほおら、リカちゃん、トイレに行きたいでしょ? 行きたいでしょー?」とばかりに鼻の奥を刺激し続ける独特の花の香りはまだ消えない。意地悪く、執拗に、リカちゃんの抑えていなければいけない便意を誘い続ける。リカちゃんは目をきつく閉じて身悶えしながら、その授業が終わるまで堪え続けた。
 やっと、休憩時間が来た。リカちゃんは、息せき切ってまた同じ女子にお願いをする。断られる。リカちゃんは自分の苦しい状況を伝えて懇願する。それでも、むげに断られる。
 ゴロゴロゴロ、とはるか遠くの空で鳴る雷のような音をお腹が立てて、今からやってくる嵐の存在を伝えている。放課後まで我慢することは絶対にできそうにない。
 どう考えても、トイレでするしかない状況だった。だけれど、人前で『大きい方』を済ませるなんて、どうしたってできない。ままならないお尻を両手で抱えて、その二つの間を心の中で行ったり来たりするリカちゃん。そうこうしている間に、時間は進み、どんどんと身体のタイムリミットは近づいてくる。困り果てたその時、リカちゃんの耳に悪魔の一言が耳打ちされた。
「盗みなよ」
 そう耳打ちしてきたのは、監視役の女子。驚いて顔を上げると、女子はニヤニヤしていかにも意地悪げに言う。「知ってる? もうじき林間学校があるでしょ? あのお金、大抵振り込みだけど、一部は現金で集金するの。集金は今週中だから、今日持って来ている奴もいるでしょ。次、移動教室だから、人が減ったところで取りなよ。私が現行犯逮捕してあげるから。そしたら容疑確定、監視なしでトイレに行かせてあげられるよ」
 ……まあ、これ、ちょっと昔の話みたいだからね。今は事故防止とかで現金集金はないけど、この話の頃はあったみたいね。
 とんでもない。リカちゃんはそう思って、抗議する。
「そんなこと、したくない」リカちゃんは言う。当然だよね。そんなことをすれば、せっかく取り戻しかけた信用を完全に失ってしまう。
「ふうん、じゃあ、私の前でうんちしたいんだ? トイレでブリブリするの、私に見せてくれるんだ? あ、面白そうだから、私、他の子にも声かけて、連れて来ちゃおうっかなあ」
 『うんち』や『ブリブリする』というシンプルな物言いに、リカちゃんのお腹が激しく騒ぐ。ぷう、と小さな、でも確かな音がリカちゃんのお尻から出る。女子はそれがリカちゃんのおならの音だと察して、鼻をつまんで、くさいくさいと大笑い。リカちゃんは真っ赤になってしまう。
 世にも愉しそうな笑みを浮かべて、女子はリカちゃんの耳元で問う。
「リカちゃん、どうするう? みんなの前で、うんち、したいの?」
 ――こんなのおかしい。そうわかっていながらも、リカちゃんには考えている余裕も時間もない。結局、リカちゃんは目の前にぶら下げられた餌に食いついてしまった。本当に欲しいわけではない現金を取るために、人が減った教室で他人の机を物色。二、三人分を集めたところで、話を持ちかけてきた女子に取り押さえられ、教室に残っていた生徒や話を聞いて戻ってきた生徒達に囲まれる羽目に。
 リカちゃんは一刻も早く、一人で落ち着いてトイレを済ませたいだけなのに、みんなに詰め寄られちゃう。やっぱりあんたが犯人だった。今までどうやって監視をすり抜けて盗んでたの。なにもごもご言ってんの、誤魔化すなよ、全部認めろ、みんなに謝れ。
 リカちゃんをよく思っていなかった醜い女子達は喜び勇んで、鬼の首を取ったように厳しく追及する。
 リカちゃんは今にも漏らしてしまいそうなお尻を抱えて、その場で足踏みをしながら、早くトイレに行かせて欲しい一心で言ってしまう。
「私が、全部、やりました。今までも、全部、私が盗んでいました。ごめんなさい。……だから、だから、私、あ、あの、トイレ、に」
「トイレなんて後でいいでしょ!」心まで醜い女子達は容赦しない。「盗んでおいて、反省が足りないんじゃないの!」
「でも、トイレ、私、トイレ。あぁ、も、もう――ごめんなさい!」
 リカちゃんはいよいよ限界。謝るだけ謝って、はっきりと行き先を告げずに急いで教室を駆け出した。もう、全然、余裕がなかったのね。でも、醜い女子達はこの程度のことではとても満足できない。中の一人がすぐに声を上げた。
「あっ、泥棒が逃げたよ。追って追って」
 その声に扇動されて、同級生の数人が後を追いかける。
 一生懸命に走るリカちゃんがトイレに辿り着く寸前、視界の悪い廊下の曲がり角。トイレの区画への入り口が目の前に見えて、リカちゃんが本能的にほっと安堵した――その足下。
 そこに、それはあった。
 『トイレの個室に縄跳び』『交差点に佇む木彫りのクマの置物』『人ごみだらけの駅に置き忘れられた長靴』――その類のものが。それはテニスボールぐらいの大きさのボールだった。それも中学校ではまず使わない、子供が遊びで使うような、蛍光色の、柔らかいゴム素材のボール。
 焦っていたリカちゃんは、それを思い切り踏みつけてしまった。ゴムボールはリカちゃんの体重でぐにゃり、と大きく歪み、予想もしていなかった感触にリカちゃんは大きくバランスを崩す。
 あ、と思った時にはもう遅い。リカちゃんは玉乗りに失敗したような要領で、前のめりに倒れこんでしまった。
 そこに追いついて来たのが、醜い容貌の女子達を中心にした同級生達。その同級生達の目の前で、リカちゃんはすぐそこに見えるトイレに向かって跪いたような姿勢のまま、スカートに包まれたお尻をぎゅう、と力を込めて抱え込んでいたんだけど――。
 ついにね、その時が来たの。突然、リカちゃんのスカートの中から爆発音めいた破裂音が響いた。ブッ、ブバッ、ブビビビビビビィ――って。あはは、笑っちゃダメだよ。みんなもトイレではさせるでしょ? お尻からの、爆発音めいた、破裂音。音に少し遅れて、もわあん、と周囲に漂う吐き気を催すほどの、どことなく酸っぱさすら含んだ悪臭。人糞特有の、ひどいにおい。そう、リカちゃん、転んだ拍子にね。まだトイレに辿り着いてもいないのに、パンツの中に、あははっ、ぶちかましちゃったの。しかも、ちょっとだけじゃない。かなりたくさん。我慢に我慢を重ねていたから、一度始まってしまったら、もう止められなかった。耳障りな排便音は止まらず、不規則にリカちゃんのスカートの中から鳴り続ける。二週間、リカちゃんのお尻の穴に栓をしていた硬くて太い固形のモノが外に出終わってしまえば、あとは一気。腸内で二週間熟成されて、腐敗しきったペースト状の下痢便までが、リカちゃんの身に着けたパンツの中に後から後からぼとぼとぼとぼと排出される。二週間分のうんちを受け止めてずっしりと重く膨らんだパンツのお尻部分、その隙間から溢れる汚いものを、リカちゃんはお尻ごと抱え込んだスカートの裾で受け止めたから、床にはほとんど落ちなかったけど――でも、所詮は、無駄な抵抗。
 このささやかな抵抗のせいで何が起きたのか、最初、同級生の子達はわからなかった。でも、音もにおいも、ひどく身近で、自分達にも身に覚えのあるものだったから、床に『そのもの』が漏れ出て来なくても、すぐにピンと来た。
 ――ふふ。私、リカちゃんの存在を面白く思っていなかった醜い女子達のこの瞬間の気持ち、凄くよくわかる気がする。もう、嬉しくて嬉しくて、高笑いしたいぐらいの気持ちだったんじゃないかなあ。
 泥棒のくせに、自分達には与えられなかったかわいさなんていうイカサマじみたもので、男に好かれて生き延びて来たにっくき女。この許し難い悪である女が糞臭に塗れて滅びるまさにその瞬間を、目の前で指差し、あざ笑いながら眺めることができたんだから。
 もちろん、この子達はここぞとばかりに大騒ぎしたわ。
 ある子は喜びを隠さずに。「きゃー、大変! この子、うんこ漏らしてるー!」
 ある子は鼻を摘まんで不快げに。「うわ、きったな、くっさーい!」
 ある子は座り込んでしまった相手を見下ろすように。「やっば。マジで間に合わなかったの? ありえない。いくつだと思ってるの? ちゃんとトイレでやってよねー!」
 ある子は興奮して小学生みたいに大笑いしながら。「きゃははは、なにこれ、音すごーい! やってるやってる! まだやってる! 廊下で履いたままやってる! ブリブリ言わせてるー!」
 残酷だけど、でも、仕方ないよね。この最大のチャンスをフイにしたり、変に親切心を出したりするようでは、姿形の醜い女の子なんてやっていけないもの。はは、これは偏見かなあ?
 ……こうして、リカちゃんの学生生活は終わりを告げた。騒ぎを聞きつけて飛んできた先生に連れられて、自らひり出したうんちをぼとぼと床にこぼしながら保健室に向かうリカちゃんを見送る同級生達は、揃いも揃って鼻を摘まんでいた。醜い女子達以外も。友好的であった男子達も。

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[♀/連載]不浄奇談 [2-1-1.尼野悠莉の話 序]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     2-1.尼野悠莉の話

 それじゃあ、時間ね。私の番。
 ……って、まだ、三夏が戻って来てないじゃん。長いなあ。いつまでしてるんだっての。時間はちゃんと守ってよね。
 あ、戻ってきた戻ってきた。もう、遅いよ。三夏。休憩時間、もう過ぎてるよ。おしっこ長い女の子なんて、男の子に嫌われちゃうんだから。お、そうだ。トイレ、どこ行ったの? 4Fの端? おー、猛者じゃん。強者じゃん。亜由美の怪談の直後に、その舞台に真っ向勝負ですか。さっすがうちの看板女優。勢い良いねー。まあ、でも、アレかな。三夏のことだから、気付いてたんでしょ? 亜由美の話がインチキくさいって。
 ねえ、亜由美ー、さっきの話、眉唾っていうか作り話じゃないのー? だって、色々強引なところあったよ? 特にトイレの個室に閉じ込められるくだり。みんなもそう思わなかった?
 まずさあ。トイレに閉じ込められる、っていじめ系の話では確かによく聞くよね。でも、いっつも感じる素朴な疑問なんだけど、トイレの個室って基本内開きなんだよ? ドアノブとかもほぼなかったりするじゃん? 外から人を閉じ込めることなんて、そう簡単にできるのかな? 相当強度の高いビニールテープで重ねて補強したって、本当に人を閉じ込められるほどのものなのかどうか怪しくない?
 仮にそこが上手い具合にクリアできたとしても、今回の話の場合、最大の疑問点が残るでしょ。葵ちゃんの死因は自殺ってことだけど、具体的にはなに? そこ、曖昧なまま進むからさあ。気になって仕方なかったわあ。あ、ふうん、窒息死。道具はなにで? え、縄跳び? ああ、縄跳びかあ。そう。
 まあ、何でもいいんだけど……いや、あのさあ、おかしいでしょ。葵ちゃんはいじめっ子達にトイレの個室に閉じ込められたんじゃないの? え、自ら縄跳び持参なの? 何の意味があって? 意味わからなさすぎるでしょ。
 トイレの個室に閉じ込められたんじゃなく、後からトイレの個室に葵ちゃん自身が忍び込んで自殺した説の場合も、それはそれで変だしさあ。自殺するつもり満々で学校に忍び込む奴が、縄跳びなんて持参する? もっと本気の縄とか、丈夫な紐とか、準備するでしょ。
 ……えー、おお。トイレの個室内に最初から縄跳びがあったパターンか。それは考えていなかった。それ、考える価値あんの? なめてんの?
 ――って言いたいところなんだけどぉ、ここ完全に否定しちゃうと、私の今からする話が成り立たなくなっちゃうかあ。いや、実は私の話、ちょっとそういう方向性の話なんだよね。オッケー、これは探偵小説でも裁判でもない現実、はちゃめちゃなことも案外起こる。トイレの個室内に縄跳びは最初からあった。あるいは、床か壁から突如として生えた。これで手を打とうか。
 さて、それじゃあ、異議申し立ておしまい。ここからは私の話ね。今の縄跳びの話じゃないけど、みんなは、物が勝手に動いたように感じたことってない? 例えば、テレビのリモコンとかさ。あれー、こんな所にこんな物、移動させたはずないんだけど……みたいなこと。たまにあると思うんだよね。
 まあ、九分九厘は、ただの思い違い。物は普通、勝手には動かない。機械とかは動くこともあるけどね、動かない物は動かない。当たり前のことだよね。でも、稀に本当にさ、さっきの『トイレの個室に縄跳び』みたいな感じで、「何故ここにこんな物が?」って物が落ちていることがあったりするじゃん。冬で使われていない学校のプールに浮かぶ手鏡、交差点にぽつんと配置された木彫りのクマの置物、人ごみだらけの駅に置き忘れられた長靴――。視聴覚室に女性物の下着、なんてのもあったな。いや、そこで脱がないでしょ、っていうね。全然意味なんてないんだろうけど、意味がわからなさすぎて逆に深く考えてしまったり。この子達、何が原因で、どういう経緯を経てこんな所に辿り着いてしまったの? っていう。台風か何かの影響? でも、別に台風なんてしばらく来ていなくても、そういうのは平気であるしね。テレビに出てくる探偵とかだと、こういうのもすぱっと理屈をつけて解決してくれたりするんだけど、現実では誰も理屈なんてつけられなくて、「なんかあるなー。わけわからんなー」で済まされちゃう。
 今回はこの謎を追って、この謎と戦った女の子の話。女の子の名前はリカちゃん。この子の周囲では、小さい頃から動くはずのない物がよく動いた。そうは言っても、すー、と物が動く光景を見かけるわけじゃない。気付けば、さっきここにあった物があそこに移動している、といった感じ。
 リカちゃんは幼い頃から、不思議に思っていた。どうして、誰も移動させていないのに、物が動くことがあるんだろうってね。
 よくわからないまま、リカちゃんは小学生になった。小学生になっても、リカちゃんの周囲では頻繁に理由のわからない物の移動が起きた。一度、席が遠い同級生の男子の鉛筆が、気付かないうちにリカちゃんの服の胸ポケットに収まっていたことがある。気付いた持ち主の男の子は、当然、文句を言う。「なんで僕の取るんだよ」ってね。
「取ってないよ」リカちゃんは悪気なく答える。「勝手に入ってたんだもん」
「勝手に入るわけないだろ。物は勝手に動いたりしないんだから」男の子も言い返す。「返せよ。人の物を取るのは泥棒なんだぞ」
 リカちゃんは「え」と思って、あっさりと返した。男の子は不満げに「もう盗むなよ」と言い残して足早に去ってしまった。
 リカちゃんは、この時、改めて知ったの。物は勝手には動かないのが普通なんだ、という至極当然の常識を。
 それで日々、物をしっかり観察するように気を付けていても、やっぱりリカちゃんの周囲では気付かないうちに物が勝手に動いている。不思議。そうして観察を続けていると、次第に家で飼っている猫の様子が気になってきた。この猫は年寄りだったけど、まだまだ元気で、家の中で放し飼いにされていた。猫って動く物によく反応するし、好奇心をそそられるものをやたらとじいっと見つめる習性があるんだけど――あの子達と来たら、わりとあるのよ。何にもないところを、ただただ、じいっと見つめていることが。
 リカちゃんは、猫のこの行動に目をつけた。自分には見えないけど、この猫にはもしかしたら何かがそこに見えているんじゃないかって。肉眼では確認できないだけで、そこには確かに何かがいて、その何かが移動させるから、物が勝手に動くんじゃないかってね。
 とかなんとかやっているうちに、リカちゃんは中学生に成長。それでも、リカちゃんの周囲で起きる超常現象は止まらない。むしろ、格段にひどくなってくる。
 同級生の持ち物が、知らぬ間にリカちゃんの机や鞄の中に入っていることも、一度や二度のことじゃなく起きた。そのせいで、リカちゃんは次第に陰口を叩かれるようになる。何か物がなくなった時、真っ先にリカちゃんが疑われるようになる。机にカッターナイフで『ドロボウ』と文字の形に傷がつけられる――。
 自分の机に刻まれた『ドロボウ』の文字を見て、リカちゃんは悲しさと口惜しさで胸がいっぱいになった。やったのは自分じゃないのに、見えない誰かが悪いのに、どうしてリカが責められなくちゃいけないの――。見えない誰かが、罪を押し付けておきながら、みんなに責められる自分を陰で笑っている気がしたのね。
 ある時、リカちゃんがちょっと気になっていた男の子の体操着がなくなる。リカちゃんのロッカーから発見される。クラスのみんなに体操着盗みの犯人として糾弾され、変態と罵られ、学校に母親まで呼び出される事態になる。
 その日、リカちゃんはついに本気になった。大恥をかかされ、乙女の純情――あはは、死語かも?――を傷つけられて、口惜しさのあまり目に涙を滲ませながら、見えない誰かへの復讐を誓った。
 翌日から、リカちゃんは即座に行動を開始。自分の無実を証明するには、証拠を撮影すればいい。でも、動く物が何になるかわからない以上、物が動く瞬間を映すことは難しい。でも、ここで必要になるのは自分が無実である証拠だから、監視すべきはリカちゃん自身だという結論に達した。
 だけど、リカちゃんは中学生でお金もないし、監視カメラの使い方もわからない。その当時はスマホもまだなかったから、結局、リカちゃんは自分に監視をつけてもらうことにした。誰も反対しなかった。何かと盗みを働くと思われていたリカちゃんに監視をつけることは、同級生としても意義のあることに思えたのね。だから、賛成意見多数で、リカちゃんに監視員をつけることになった。監視員はクラスの男子と女子まぜこぜで、一日一人ずつ出すことになった。
 でも、この作戦には大きな欠陥があった。だって、日によって、見張りは男子一人になってしまうことがあるんだから。体育の授業の着替えはどうする? リカちゃんが見張りの男子の視線を気にして、トイレに立つのをためらっていたら? 言い忘れていたけど、リカちゃん、クラスで一、二を争うぐらいに見た目がかわいいの。一部の男子なんかは、恥ずかしげに我慢するリカちゃんのかわいらしい行動に、勝手に見張りを解いてしまったりもする。見た目がかわいい子には、男子はどうしても甘くなっちゃう。
 そうなると、きちんと見張らない男子達に対して、他の女子達が猛反発。結局、見張りは女子だけでやることになった。
 男子を排除した女子による監視は容赦なく行われた。だけど、結果は出なかった。執拗な監視の甲斐なく、リカちゃんは何も手を下していないのに、教室では物が勝手に動き続けたのね。ついに男子達の多くは、リカちゃんの無実を信じるようになった。疑ったことを謝罪すらして、友好的な関係を築く者も出てくる。でも、これで無事事件解決、とはならない。見た目の良さで己の罪を帳消しにしようとする泥棒女を妬みそねみ忌み嫌う、残念な見た目の女子達の後ろ暗い情熱は凄まじかった。こういう女子達からしたら、もう、自分が持っていない『可愛さ』を持っているというだけで、ズルいし憎いし万死に値する罪なの。その美しさの罪と盗みの罪はまるで別物なのに、それさえ自分の中でぐちゃぐちゃの一緒くたになってしまっているから、この女子達は絶対にリカちゃんは罪を犯しているはずと信じて疑わない。許せないインチキ女、物を盗んでどうにかして誤魔化しているんだ。そう言い張って聞かない。
 彼女達は色々と難癖をつけては、リカちゃんへの監視を強める。だけど、それも全部空振りで、何の尻尾も掴めない。
 いよいよなりふり構わなくなった醜い女達は、リカちゃんのトイレ内の行為さえ『透明化』することを要求。今までの監視は、トイレの個室に入ったことを確認した後、出てくるのを廊下で待つだけだった。それに対して、今度は個室の中にまで入って監視する必要があると言い出した。自分の無実を証明するため、これまでは大抵の要求に進んで協力してきたリカちゃんだったけれども、こればかりはすぐにうんとは言えない。
 だって、考えてもみてよ。トイレの中で『している』姿を他人に見られるなんて、思春期に入った女の子にとって抵抗がないわけがない。だから、リカちゃんもそれはさすがに断ろうとした。だけど、相手はここぞとばかりに、「怪しい! やっぱり、トイレからそっと抜け出して盗んでるんだ!」と言い出す始末。そっと抜け出すも何も、唯一の出口を監視しているんだから、できるわけもないのに。ほんとのところ、彼女達はもう自分でもどうしようもないほどにリカちゃんが憎くて憎くて、ただただ嫌がらせをしたいだけだったの。
 リカちゃんは迫力に押し切られて、結局、うなずいてしまった。他人の目の前でトイレを使う覚悟なんてできてもいないのに、その約束をしてしまった。

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