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2023年 06月の記事 (30)

[♀/連載]不浄奇談 [1-2.休憩 高坂三夏]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     1-2.休憩 高坂三夏

 差し込む夕陽の光は、ここに来た時よりも格段に弱くなっている。天井に備え付けられた電灯は定められた時刻が来るに応じて点灯するはずだが、まだ点く様子はない。そのため、踊り場を包む陰は深く濃い。
 なに今の話――。
 高坂三夏は背筋を寒くしながら思う。皆も同じように感じているのか、休憩に入ったというのに、誰もろくに口を開かない。場は何とも言い難い沈黙に満ちている。
 なにせ、本当に亡くなった子の話だ。いくら生徒数の多い中学校とは言え、不登校だった生徒が亡くなったという話はみんな知っている。真偽は定かではないけれども、作り話にしたってあまりにも不謹慎で、あまりにも身近で――。
 あまりにも、真実味がありすぎる。三夏は背筋に震えが走るのを感じた。お尻をつけた床のひんやりとした冷たさばかりが原因ではない。強い怯えと、それとはまた別の感覚が入り混じったものだった。実を言うと、三夏はそもそも怖い話が苦手だった。『不浄奇談』の上演も内心では反対だったし、怪談遊びを実際にやるなんて嫌で仕方なかった。それでも、強く反対できず、やらざるをえなくなってしまったのは、『怖いからやりたくない』という自分の臆病さを誰にも知られたくなかったからだ。中学生にもなって幽霊が怖い、お化けが怖い、なんてことが仲間達に知られたら馬鹿にされるのが目に見えている。沽券に関わる。
 亜由美が披露した怪談も、この場にいる人間達への嫌がらせが目立ったものの、三夏の臆病な心臓を縮こまらせるには十分だった。
 三夏は無意識のうちに臀部を冷やさないよう、正座の姿勢で座り直す。それから、一つ身じろぎして、今、自分が座り込んでいる場所のことを考える。西棟4Fから屋上へと続く階段の踊り場。
 亜由美の嫌がらせは、実に手が込んでいた。秘密を書かせたページ片から始まり、各所に挿入されたトイレ関係の話、そして、極めつけは、葵ちゃんが閉じ込められたという幽霊が出るトイレの場所だ。
 西棟4F端にあるトイレ。そこは、現在、怪談遊びをしている場所から、最も近いトイレなのだ。よくできすぎている。きっと、作り話に違いない。三夏は決めつけようとする。だけれど、不安がよぎる。もし、亜由美の話が本当だったら?
 三夏は身を固くする。少し遠回りしてでも、別のトイレを選ぶべきかもしれない。
 沈黙を破り、三夏の思考の流れを断ち切ったのは亜由美だった。重い空気を打ち壊す、場違いに思えるほどの明るい声音。
「えー、ちょっと、みんな、黙らないでよ。あたしの話が悪かったみたいじゃん。色々調子に乗りすぎて、長くなりすぎたのは認めるけどさあ。お、そうだ。トイレ。みんな、トイレ行かなくていいの?」
 普段通りの亜由美の様子に、場の緊張が少しだけ緩む。それぞれ、隣や正面の人間とひそめた声で一言二言会話を交わし、顔を見合わせる。ようやく場に日常性の一端が戻ってきた気がして、三夏も内心かすかに安堵する。
 そうだ。トイレ。トイレは休憩中に、一人ずつしか行けない。それも、自分が話をする直前と話をした直後は行ってはいけないルールだ。自分は最後だから、途中の人と比べればある程度いつでも行けるけれど、少なくとも自分の番が回って来るまでには絶対に済ませておかないといけない。
 そこまで考えを進めた瞬間、ぶるっ、と下半身から嫌な震えが這い上って来る。それは恐怖だけが原因ではない、もっと生理的なもの。合わせて、出口の辺りの疼きが強くなる。
 思ったよりも、余裕はないのかもしれない。三夏は他の同年代の子と比較しても、トイレが近い方だという自覚を持っていた。遠回りするにしてもしないにしても、限界まで我慢すべきじゃない。早めにトイレに立った方が賢明だ。ただでさえ、恐怖感を煽る暗くて古い学校なのだ。タイミングが遅くなればなるほど、情勢は悪くなる。もしも限界まで我慢してトイレに立った場合、ちょっとしたことで大変な事故に繋がってしまうこともありうる。そんなことになったら、みんなに馬鹿にされて、もう二度と今の立場を取り戻すことはできなくなってしまう。
 怪談遊びのルール上、今、トイレに行っても良いのは直前に話者だった亜由美、今から話をすることになる悠莉を除いた四人。
 みんなが気味悪さと不安で尻込みする中、一番手として自分が名乗り出ることができれば、一目置かれる結果に繋がるかもしれない。さすがは三夏、と言ってもらえるかもしれない。三夏の中で、生来の虚栄心がむくむくと頭をもたげてくる。
「あー、行けたら行きたいんだけどねー。私はルール的にダメだし」悠莉が手すりに頭を預けて、飄々とした態度で呟く。嘘ではなく、確かに悠莉はそうなのかもしれない。三夏は自然と思う。悠莉が何かを恐れている姿なんて、想像できない。
「他のみんなは――あっれぇ、もしかして、あたしの話、結構怖かった?」亜由美が悪戯っぽくくすくすと笑う。三夏にはその目がこちらに向けられている気がしてならない。「休憩時間、終わっちゃうよ。トイレ、行かないでいいのお? 卒業式の日の葵ちゃんみたいにぃ、我慢できなくなっちゃうかもよぉ?」
 他の三人は視線を交わし合うばかりで、動かない。我慢しているとは言っても、程度はそれぞれだ。もしかしたら、まだみんな、それほどの状況ではないのかもしれない。あるいは、理由はどうあれ、一番手になるのに抵抗があるのかもしれない。
 亜由美の笑みの形に歪んだ目が、今度は明らかに三夏に据えられる。直接言われたわけではないのに、亜由美が言いたいことがはっきりと伝わってくる。『いつもかっこつけてるけどぉ、三夏ちゃんはぁ、怖い話が大の苦手なお子ちゃまなんでちゅよねえ?』
『怖い話が苦手』。自分がノート片に記した『誰にも言えない秘密』のことを、三夏は想い浮かべる。あんな汚い手で、人を騙して。馬鹿にしてる。
 三夏はおもむろに立ち上がった。そして、言い放つ。
「みんな、行かないのね。じゃ、私が行ってくる」
 おおー、と亜由美がわざとらしい感嘆の声を上げる。遅れてえりかが、三夏先輩勇気あるー、と合いの手のようなものを入れると、他のみんなも続いた。
 頻繁に満たしてあげないとすぐに空っぽになってしまう、穴の開いた器のような思春期の虚栄心がいっぱいに満たされて、三夏は深い満足を感じた。
 皆の声援を背に受けて、三夏は気持ち良く4Fへと続く階段を下って行く。足取りはしっかりとしていて、自分でも行ける気がしてくる。そうだ、怖くなんてない。亜由美になんて負けてたまるか。
 踊り場に残る五人の方を振り返って、ふと、あることを思い出す。そして、自然と口元が綻ぶのを感じる。そういえば、あの中には、今でもたまにおねしょでシーツを濡らしてしまう、毎晩おねしょの不安に悩んでいる子がいるんだったっけ。三夏は自分が五年生まで同じ身の上であったことを棚に上げて、うふふ、と笑う。
 誰なんだろう。中学生にまでなって、笑っちゃう。

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[♀/連載]不浄奇談 [1-1-3.小貫亜由美の話 急]

『不浄奇談』キャラクター紹介



 さて、茜音ちゃんは中学生になって、ここ、この秋ヶ瀬中学校に入学したの。一緒に葵ちゃんをいじめた美しい絆で繋がれたあの友達との仲も続いていたし、人付き合いもそれなりに覚えて、茜音ちゃんの人生は順風満帆。楽しい中学生生活を謳歌していた。
 一方、葵ちゃんも実は同じ中学校に入学したんだけど、こちらは卒業式の大事件(笑)のこともあって、すぐにクラスでいじめられちゃってね。しかも、最初はからかわれていただけだったんだけど、次第にね、ふふ、無視、されるようになっちゃったんだって。それで全然、学校に来られなくなっちゃった。
 それでも、茜音ちゃんは――いじめていた側特有のものなのかもねえ――全然平気そう。ケロっとしている。というか、葵ちゃんへの気持ちなんて、卒業式の大事件で完全に燃え尽きちゃっていたのかもね。
 上向きな人生を堪能していた放課後、茜音ちゃんは用事があって、西棟4Fの廊下にいた。忙しい先生に頼まれて、教材を特別教室に返しに行っていたとかだと思う。みんなも知っていると思うけど、あそこ、あんまり使われない系の特別教室が並んでいるから。で、これも知っていると思うけど、あそこに用のある人って少ないから、大抵誰もいなくてひっそりしているの。みんながもう帰ってしまっている放課後なんて、特にね。
 その時、茜音ちゃんの耳に、何かこう『ふっ』とね。本当にかすかな音が届いたの。すきま風の音かと思ったけど、でもね、注意して意識を集中してみると、違って。よく聞くと、人の声みたいなのね。誰かまだ残っているのかな、と思って帰ろうとするんだけど、茜音ちゃん、何故か気になっちゃって、音のする方に向かって歩いてみたの。
 辿り着いたのは、特別教室が並ぶ廊下の端っこ。そう、トイレ。知ってる? ここの女子トイレって、昔から幽霊が出るっていう噂のあるトイレなんだって。
 音がするのはやっぱり噂通りに女子トイレで、よく聞くと、それは泣き声みたいなのね。しくしくしくしく、泣いているみたいなの。
 茜音ちゃんは怖くなってきた。幽霊が出る噂のあるトイレだもん、当然だよね。花子さん的なものかもしれないし。でも、ここまで来たら、見たくなっちゃうのが人の心理だよね。そっとトイレの区画に入って、見ると、奥の個室が一つだけ閉まっててね。表面には「故障中」の貼り紙。でも、注意深く見ると、扉を固定するように何重にも補修用の透明なビニールテープが貼られていて、泣き声はその「故障中」の扉の向こうから聞こえてくる――。幽霊? 茜音ちゃんは思う。いや、でも、この声、どこかで聞き覚えが……。
「誰か、そこに、いるの?」
 茜音ちゃんの気配を察したのか、中から声が聞こえてくる。その瞬間、茜音ちゃんははっ、と息を呑んだの。凄く耳に馴染みのある声だったのね。同時に、ここで何が起こったのか、全部見当がついた。
 「故障中」の扉の向こうから聞こえるのは、葵ちゃんの声だったの。よくよく考えてみれば、「故障中」の貼り紙は大人が書いたものにしては少し歪んだ文字だったし、故障中の個室の扉を強度に優れたビニールテープでガチガチに固めるのは明らかに不自然。
 要するに、中にいる葵ちゃんは、誰かに――まあ、恐らくはいじめっ子達に――閉じ込められた。ひどい話よね。茜音ちゃんは、そのことを察した。それで、迷ったの。
 何ってもちろん――助けるべきか、このまま放って帰るべきか。道徳的に考えれば、助けるのが当たり前だよね。もうじき陽は落ちて夜になるし、季節的にも真冬だったから、もしもこのまま誰も助けに来なければどうなってしまうかわからない。でも、ここで葵ちゃんに手を差し伸べたら、葵ちゃんをいじめている子達に今度は自分が目をつけられるかもしれない。中学生になってからの茜音ちゃんは、もう葵ちゃんとは一切関わりを持っていなかったの。自分の平和な中学生活が壊れてしまうのは、とても困る。
 でも、やっぱり、助けないと。馬鹿な茜音ちゃんらしくないもっともな結論を出して、どうやって助けようかと周囲を見回した時、個室の扉のすぐ近くにある窓が目についた。夕暮れ時の、紅い光がかすかに差し込む窓ガラス……。その表面に、茜音ちゃん自身の顔が映っている。茜音ちゃんはそれを見て、ひどく驚いた。自分でも気付いていなかったんだろうね。
 窓ガラスに映った茜音ちゃんの顔ね、笑っていたの。口元を歪ませて、ひどく意地悪そうに、笑っていたの。
 それでね、気付いたの。自分自身の気持ちに。子供の頃から教えられてきた道徳に従って、なんとなく助けなきゃと思った。でも、本当は葵ちゃんのことなんて、自分は全然助けたくなんてないんだって。茜音ちゃん、葵ちゃんのことなんてもうどうでも良くなっていたけど、卒業式の日に言われたことだけは今でも根に持っていたんだ。葵ちゃんのぶつけた『もう、二度と顔なんて見たくない』という言葉は、なんだかんだ言って、茜音ちゃんの心に傷をつけていたのね。
 茜音ちゃんは、葵ちゃんを助けるために動かそうとしていた手を止めて、代わりにどうしたかって言うと、トイレの入り口に引き返しちゃった。
「ま、待って。行かないで!」葵ちゃんは当然慌てた声を出す。「故障中」の扉の向こうから、葵ちゃんの必死な声が聞こえる。「おねがい、閉じ込められてるの! おねがいだから、助けて! 無視しないで!」
『いい気味!』茜音ちゃんは思わず吹き出した。自分のしたことは全部棚に上げて、まるで自分が被害者のような顔をして。『いい気味! 私にひどいこと言うから罰が当たったんだ! 葵ちゃんみたいなおもらしっ子、閉じ込められて、ずうっとトイレにいるのがお似合い!』
 そのまま、トイレの入り口のドアを開けて出て行こうとしたんだけど、急にね。何かに気付いたみたいに、葵ちゃんの声の雰囲気が変わったの
「……茜音、ちゃん? もしかして、茜音ちゃんなの?」
 厳しく封鎖された「故障中」の扉の向こうから、不意に葵ちゃんの声が茜音ちゃんの名前を呼んだの。
 自分の名前を呼ばれた茜音ちゃんは、一瞬、驚きのあまり立ちすくんじゃった。葵ちゃんの惨めったらしいお願いを笑った時に、少し声が出てしまったのかもしれない。立ちすくんで、開けたドアから出ていくのも忘れて、続く葵ちゃんの声を聞いてしまった。
「やっぱり、茜音ちゃんでしょ?」葵ちゃんは言う。「助けて。お願い、お願いだからあ」
 葵ちゃんの鬼気迫る声が、自分の名前をずっと呼び続けるのね。茜音ちゃんのことを怒っていたことも忘れて、思春期の女の子として最低限の体裁を取り繕うことも忘れて。ただただ、茜音ちゃんに助けを求め続けるの。
「茜音ちゃん、茜音ちゃん、もう、夜になっちゃう。葵、ぐすっ、やだよぉ。無理だよぉ。怖いよぉ。こんな所で、ずうっと一人なんて。茜音ちゃん、昔、親友だったでしょ? 助け、助けてよぉ、茜音ちゃんんんん……」
 さて、ここで唐突にクイズです。茜音ちゃんは、葵ちゃんを助けてあげたでしょうか?
 あー、うん、そうだよね。そうなっちゃうよね。だって、これ、怖い話だもん。ハッピーエンドとかとは無縁なんだよね、残念だけど。
 茜音ちゃんは、葵ちゃんの必死の呼び声を無視して、さっさと家に帰っちゃいましたとさ。あははは。
 で、自分のやったことなんてぜーんぶ忘れて、自分が元親友を見捨てたこともなかったことにして、楽しく暮らそうと決意した茜音ちゃんの元に、翌日、葵ちゃんの近況が伝わってきました。さて、どんなものだったでしょう?
 うん、そうだよね。これもそうなっちゃうよね。お察しの通り。訃報、なんだよね。だって、みんなも知ってるでしょ? 去年、同学年で亡くなった子がいたことぐらいは。あれ、葵ちゃんだったんだよね、
 さすがの人でなしの茜音ちゃんも、これにはがつん、とね。強い衝撃を受けた。事情を詳しく聞くと、死因は恐らく自殺だけど、遺書も残っていなかったという。いじめのせいで学校に来られなくなって、色々と暗い方へ暗い方へと押しやられていった結果、とのこと。一つ不思議な点があって、これは生徒には秘密にされていることなんだけど、現場は本人がほとんど通学していなかったはずの、学校のトイレだったこと――。
 でも、当然、こんなことがあったら、茜音ちゃんだって思い出しちゃうよね。卒業式の日、自分が葵ちゃんにした仕打ちを。そして何よりも、助けを求める葵ちゃんを見捨てて逃げ出した、あの放課後のことも。
 葵ちゃんが亡くなった現場が学校のトイレだった謎、なんてさ。茜音ちゃんからしたら、別に謎でもなんでもないからね。だって、亡くなった日、学校の公式情報では葵ちゃんは学校に来てなくて、後から自殺するために忍び込んだことになっているけど、そんなわけはない。だって、茜音ちゃんがトイレで葵ちゃんの声を聞いた日は、まさに葵ちゃんの遺体がトイレで見つかる前日だったんだから。
 もちろん、公式情報が正しくて、茜音ちゃんが幽霊の出るトイレで幻聴を聞いただけの可能性もあるけどね。でも、あたしの想像だからはっきりしたことはわからないけど、やっぱり葵ちゃん、最後の日、本当は学校に来ていたんじゃないかな。トイレに閉じ込められていただろうから、誰も見ていないけど。あるいは、誰も見てないって口裏を合わせてるけど。いじめっ子に捕まって、一日中、誰も人の来ないトイレの個室に閉じ込められて、無視されているから誰にも助けてもらえなくて、夕方になって元親友が来たけど無視されて逃げられちゃって、夜になっても誰も来なくて、寒くてひもじくて淋しくて、それで――なあんて。
 茜音ちゃんの幻聴説よりも、いじめていた側の口裏合わせと学校側の見事な揉み消しが功を奏した説の方が、どちらかと言うと真実味があるかな、って思えちゃう。葵ちゃんが登校拒否を始めてから、家庭環境も良くなかったみたいだったのが、学校側としては幸運だったんじゃないかな。ぜーんぶ、そっちになすりつけて、どうにか逃げ切ったってわけ。
 茜音ちゃんも、やっぱり、そう思った。自分があの時助けなかったせいだって。もしそうなら、ほとんど殺したようなもの。これを気に病まないやつは、まあ、まずいないでしょ。そもそも、いじめられていた原因だって、大体は茜音ちゃんのせいだしね。茜音ちゃんも気に病んだ。本格的にね。馬鹿だから、加減ってものを知らないのよね。訃報の衝撃の時点で、もうぶっ壊れちゃってたのかもしれないけどさ。
 そうして、茜音ちゃんの楽しい中学生活は急転直下。葵ちゃんの死をきっかけに、一気に崩れ落ちていった。
 茜音ちゃんさあ、その時から、ずうっと言ってたらしいの。怖くて、この学校のトイレに行けないって。
 なんでだと思う? 
 ふふ、茜音ちゃんね。死んだはずの葵ちゃんの姿が見えるんだって。葵ちゃんがトイレで茜音ちゃんを待ってるんだって。
 復讐するために? 茜音ちゃんを取り殺すために?
 あたしもそう思ったけど、実際は違って。葵ちゃん、ただ、茜音ちゃんに、助けを求めているみたいなの。
 葵ちゃん、言うんだって。「無視しないで」って。「ねえ聞いて。みんなが葵のこと、無視するの。みんなが葵のこと、見えないふりするの。葵を閉じ込めて、そのままにするの。茜音ちゃんは、葵のこと、無視したりしないよね? 閉じ込めたりしないよね? 親友、だったもんね? ねえ、茜音ちゃん茜音ちゃん、聞いてよ、無視なんてひどいよ、聞いて聞いてお願い聞いて、茜音ちゃん茜音ちゃん茜音茜音茜音――」
 うん、やばいよね。それは茜音ちゃんでなくても、学校のトイレに行けなくなる。まあ、でも、あたしからしたら、自分が最初に無視しといてよく言うよ、ってなもんだけどね。よくわからないけど、『見えていない』んじゃなくて、無視されていると思い込んでいる辺り、もしかしたら、自分が死んだこと自体、忘れちゃってるのかも?
 茜音ちゃんは、それでもしばらくは頑張って通学していたけど、トイレには葵ちゃんがいるから行けないしね。結局、自分が卒業式にした通せんぼが返ってくるみたいなことになっちゃって、最後は教室で大失敗。大恥かいて、以後、姿を見なくなっちゃった。転校したのか、どこか病院にでも入院しているのか、行方は知れないね。多分、ろくなことになってないとは思うけど。あの子、馬鹿だしね。
 でもね、茜音ちゃんはいなくなったけど、葵ちゃんはまだこの学校にいると思うんだ。茜音ちゃんがいなくなってから、トイレで幽霊らしき人影を見たって子が多くなってるから。特徴も葵ちゃんにばっちり合ってるし。茜音ちゃんが学校から姿を消して、なりふり構わず、代わりに自分を助けてくれる誰かを探しているのかもね。あぁ、でも、葵ちゃんも人見知りなところあるからさ、全然知らない人の前には現れないみたい。葵ちゃんの噂話をね、話したり聞いちゃったりしたら、現れるようになるんだって。あはっ、今日はこれだけ噂話しちゃったし、葵ちゃんの誰にも知られたくない恥ずかしい秘密を、わいわい笑い合いながらしちゃったから――きっと、今日、行ったらいるんじゃないかなあ。みんなが来るのを、今か今かと待ってるんじゃないかなあ。もしかしたら、おもらしの噂話なんてしたから、すっごく怒ってるかもねえ。ふふふ、怖い怖い。
 そうだ。もし葵ちゃんがいた時のために、アドバイスしておいてあげる。茜音ちゃんがいつも言ってたよ。うわ言みたいに言ってたよ。
 絶対に、無視しなきゃダメだって。相手にしちゃダメだって。相手にしてしまったら、多分、私も……って。
 あははは、なあんて。まあ、頭のおかしくなった茜音ちゃんの言ってたことだから、勘違いかもしれないけどね。
 だけど、あたし、思うんだよね。これは本当に不幸な偶然だったなあ、って。だって、二人とも最初は本当に仲が良かったし、お互いに大好きだったんだから。
 もし、秘密を漏らした茜音ちゃんを、葵ちゃんが無視なんてせずに許してあげていたら?
 もし、茜音ちゃんが、卒業式の日に変なことを思いつかずに、葵ちゃんに誠心誠意、謝ることにしていたら?
 もし、茜音ちゃんが、最後の最後、葵ちゃんと過ごした楽しかった日々を思い出して、閉じ込められた葵ちゃんを助けていたら?
 もっともっと一番最初、そもそも、茜音ちゃんが秘密を漏らしたりしなかったら?
 きっと、こんなに不幸なことにはならなかったよね。
 それなのに、お互いが間違った選択をし続けてしまったがために、とんでもなく不幸なことになっちゃった。
 とっても悲しいお話だよね……。
 だからね――あはっ、この中にいるおねしょ常習犯ちゃんも、これを教訓にしなきゃダメだよ? とっても恥ずかしい秘密をここで軽はずみにバラされちゃったけど、ちゃーんと亜由美ちゃんをこころよく許してあげなくちゃ不幸になっちゃうよ?
 ほらほら、ごめんごめーん、って。失礼しましたー、って。こうやって、あたしも誠心誠意謝ってるわけだし?
 あははは。今日の合宿では、しっかり寝る前におトイレ忘れずに行くんだよ? みんなの前でおねしょしちゃわないよう気をつけてねえ? あー、もしかしたら、不安だからあたしにだけ秘密をそっと教えて、助けてもらいたかったのかなあ? それだったら、ざーんねん、あたしはお断りしまーす。中学生にもなっておねしょしちゃうような子、あたし、軽蔑しちゃうし、あたしのお友達には入れてあげませーん。一人で誰にも助けてもらえずに、孤独と不安の中で悶々としててね。
 おっと、みんな、おトイレ我慢しているのに、長すぎたあ? それじゃあ、以上でした。あたしの話は、これでおしまーい。十分間休憩ね。

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[♀/連載]不浄奇談 [1-1-2.小貫亜由美の話 破]

『不浄奇談』キャラクター紹介



 ――もちろん、この噂はすぐに広まってしまった。多分、クラス内の各地で似たようなやり取りがあったんだろうね。あはは。「約束だよ。誰にも言わないでね」なんて言い続けて、ついにクラスの全員に広まっちゃうっていう。冗談みたいな話。
 もちろん、茜音ちゃんは慌てたけど、もうどうにもならない。自分が話した誰が秘密を漏らしてしまったのかすら、茜音ちゃんには特定できなかったの。だって、複数人に教えちゃったからね。みーんな、自分は知らない、言ってない、の一点張り。
 さて、葵ちゃんは最初、噂が広まっていることに気付いてなかったんだけど、当然、ずっと気付かずに済むってわけにはいかない。ある時は、教室の隅で行われる陰口の中に自分の名前が聞こえて、首を傾げる。またある時は、廊下の曲がり角でのひそひそ話の中に、「おもらし」という単語が頻繁に使われていることに嫌な予感を覚える。そんな具合で、いつしか疑惑は確信に変わった。自分が裏切られたことを理解して、葵ちゃんは驚き、悲しさに涙さえこぼした。だって、葵ちゃんは本当に、茜音ちゃん以外にこの話をしていなかったから。
 しかも、厄介なことに、伝言ゲームみたいに噂には尾鰭がついていた。葵ちゃんが本当におもらししちゃったのは、『小さい方』を『一度だけ』だった。それなのに、何度もおもらししただの、実は『小さい方』ではなく『大きい方』だっただの、今でもおねしょしているだの、出自不明の新説まで続々登場。クラスの範囲を超えて、他のクラスの子にまで広がるに至っては、前後関係すらもめちゃくちゃになって、最後には「この前、葵ちゃん、学校でおもらししたらしいよ」とまで囁かれるように。もう、わけがわからない。
 それだけじゃない。噂が浸透するにつれて、クラスの中にも、今まではなかった葵ちゃんを馬鹿にしてからかうような空気が、徐々にだけど、目に見えて広がってきていたの。
 もう我慢できない――なぁんて言って、葵ちゃんは放課後二人きりになった時に、ついに茜音ちゃんを問い詰めた。今まで一度も見たことのなかった、葵ちゃんが本気で怒った時の表情を茜音ちゃんは初めてそこで目にしたの。
「茜音ちゃん、約束だって言ったのに」葵ちゃんは押し殺した声で言った。「信じてたのに。どうして、こんな、ひどいこと」
 怒りに身を震わせて、目尻に涙を浮かべる葵ちゃんを見て、茜音ちゃんはどうしていいかわからない。当然だよね。責任なんて、もう、どうやったって取れないもん。困ってしまった茜音ちゃん、仕方なく、起こったことをそのまま説明することにした。
 新しくできた友達に、何度も質問されて、秘密を話さなければ自分が仲間外れにされてしまいそうだったこと。
 『誰にも言わない』約束を破って、自分が数人に話してしまったこと。
 その数人は誰にも話していない、と証言していること。
 で――はい、これがまた大炎上。
「他の人が話してないって言うなら、誰が噂を広めたっていうの?」話を聞いた葵ちゃんは激情に任せて、茜音ちゃんに詰め寄る。「本当は全部、嘘なんじゃないの? 茜音ちゃんがみんなに言い触らして回ったんじゃないの?」
 思春期の繊細な時期に、誰にも知られたくなかった噂を広められてしまった葵ちゃんの怒りは一向に収まらない。一生懸命、言い訳したり、頭を下げたり。茜音ちゃんも精一杯努力はしたけど、葵ちゃんは許してくれなかった。
「茜音ちゃんなんて、友達じゃない。もう二度と話しかけないで」
 最後にはそう捨て台詞を残して、取り縋る茜音ちゃんを払いのけて一人で帰ってしまった。
 それから、葵ちゃんは茜音ちゃんを無視するようになったの。謝っても、何を喋りかけても、つーん、として何の反応もしてくれない。他の子が話しかけた時には、普通に受け答えするのに、茜音ちゃんに対してだけそうなのね。茜音ちゃんは悲しくなった。でも、『二、三日すれば、きっと許してくれる』『私達は親友だもん』と楽観的に考えていた。
 だけど、一週間経っても、葵ちゃんによる無視は続いた。悲しくて悲しくて、やり切れなくてね。ある日、葵ちゃんに無視されてすごすごと自分の席に戻った後、一人で声を殺して泣いていたの。
 すると、前に『誰にも言わない』約束を聞きたがった友達がね。声をかけてきたんだ。
「大丈夫? 泣かないで」それから、その友達は言ったの。「茜音ちゃんだけ無視するなんて、ひどいよね。あの子、おもらしのくせに、生意気なんじゃない?」
 茜音ちゃんはびっくりして、思わず顔を上げた。その友達の言い方が、険がある、って言うの? そういう言い方だったのね。
 それ以降、茜音ちゃんは、その友達と話をすることが多くなった。葵ちゃんは相手にしてくれなくなっちゃったからね。その友達は、葵ちゃんのことが元々気に入らなかったのか葵ちゃんの話題になるといつも「おもらしのくせに生意気」「おもらしのくせに生意気」としつこく陰口を叩いた。そんな時、茜音ちゃんは困ってしまって、いつも「そうかなあ、そうでもないと思うけど」とか言って愛想笑いを浮かべるしかなかった。無視されてはいても、茜音ちゃんは葵ちゃんのことがまだ大好きだったから、自分から進んで悪口を言いたくはなかったのね。
 無視が始まってから、二週間ほどが経過した頃。給食を一緒に食べている時にね、その友達が突然「葵ちゃんのまねー」と言い出して、「葵、おしっこ、おしっこ漏れちゃうよお、ああ、ああん、じょわわわ、じょわああああ」なんてくねくねした後、がに股で気持ちよさそうにおもらしする滑稽な小芝居をしたの。茜音ちゃん、牛乳を飲んでいる途中で虚を衝かれたんだろうね。ぶはっ、って吹き出しちゃって。その後も、「あっはははは、なにそれ、ひっどーい」なんてしばらく笑い続けちゃったりして。
 あっ、と我に返って、葵ちゃんの方を見ると、葵ちゃんは明らかに聞こえていたはずなのに何も言わない。背中を向けて、こっちを見もしない。でも、その背中がね、ちょっとだけ震えてるの。
 茜音ちゃん、これで気付いたんだ。葵ちゃんは今、無理して、自分のことを無視しているんだって。馬鹿にされて、笑われて、口惜しくて仕方ない。でも、無視することに決めたから、文句を言うこともできないんだって。
 この時、茜音ちゃんの中で何かが狂っちゃったんだろうね。もしかしたら、久しぶりに葵ちゃんの反応が得られて、嬉しかったのかもしれない。なんでそう思うのかって? だってえ、そうでもなきゃ、あんなことしないもん。あはは、実は茜音ちゃん、それから卒業式前日ぐらいまで、延々とね。事あるごとに、一番の親友だったはずの葵ちゃんをからかい続けたの。
 無視するなら、ずうっと無視してればいいんだ。そう、茜音ちゃんは考えていたんだろうね。だったら、私は葵ちゃんのおもらしのこと、いっぱいからかい続けてあげる。葵ちゃんが恥ずかしくてたまらなくなって、私を相手にしてくれる時まで、ずうっと。
 でも、どんなにからかい続けても、葵ちゃんは茜音ちゃんを頑なに無視し続けた。茜音ちゃんにおもらしの過去を囃し立てられて、クラスのみんなに笑われさえしても、意地になってたんだろうね。葵ちゃんは絶対に、茜音ちゃんを相手にしなかった。見えない空気のように扱い続けた。
 そんなグチャグチャな状況の中、いよいよ迎えたのが卒業式の前日。
 茜音ちゃんは焦った。葵ちゃんとはもうずっと一言だって話せていなかったし、そのせいで、葵ちゃんが自分と同じ近所の中学校に行くかどうかもわからない。もしかしたら、親友の葵ちゃんに無視されたまま、お別れになっちゃうかもしれないって。
 馬鹿だよね。茜音ちゃんって、そういうところは絶望的にセンスがないの。自分がやったことの意味が、全然、見えてないんだ。だって、もうここまで来たら、親友どころか友達ですらないのにね。葵ちゃんにとっては、ただの許し難い敵、なのにね。
 茜音ちゃんは、馬鹿な頭を絞って考えた。でも、馬鹿だからって、馬鹿なことばかりを思いつくとは限らない。この時もね、ある意味で天才的な、とんでもないことを思いついちゃったんだ。
 茜音ちゃんは、いつも葵ちゃんを一緒にからかっていた友達にこのことを話して、協力を求めたの。友達は弾けるような笑い声を上げて、「あはははっ、いいね、それ。最っ高」と同意してくれた。「それだけしたら、きっと葵ちゃんも茜音ちゃんのこと、もう無視していられないよ」
 誉められて、茜音ちゃんは自信をつけた。馬鹿だからね。仕方ない仕方ない。
 卒業式当日、茜音ちゃんと、その友達は張り切って動き始めた――って言っても、ただ、あらかじめ済ませるべき自分達の『仕事』を済ませて、葵ちゃんの行動をずっと見張っていただけなんだけどね。見張って、一体、何をしようとしていたかって言うと……。
 あはっ、ほらあ、演劇の本番でもそうだけど、卒業式とか、運動会とか、何かの発表会の直前とかってね。こう、みんなに注目されることになるから、気持ちがピン、と張るじゃない。緊張、するじゃない。そういう時ってさ、落ち着かなくなって無性に――ふふ、そうだよね。特に「今から本番!」って時に限ってさあ。不思議と、行きたくなる、よねえ?
 そう、常人離れした鉄の意志で、茜音ちゃんを無視し続けて来た葵ちゃんもそこは同じ。やっぱり、卒業式という人生の門出を前にして、行きたくなっちゃうんだよね。
 で、目的地に行こうとすると、何故だか後ろからついてくるわけ。無視しなきゃいけない、許せるはずもない、約束破りの子とその友達が。目的地に辿り着いて、個室に入ろうとすると目の前で通せんぼするわけ。無視しなきゃいけない、許せるはずもない、約束破りの子が。
 葵ちゃんは無視を続けて、もちろん、別のトイレに向かう。トイレなんていくらでもあるもんね。でも、そいつらは必ず後をついて来て、同じ行動を繰り返す……。
 こんな風にされちゃうと、葵ちゃんも、焦っちゃうよね。追いかけっこしているうちに式の本番は近づいてくるし、だって、式は長いから、式の前に行っておかなきゃ……くすくす、ねえ? 後で困っちゃうもんねえ。
 いよいよ時間が近い、となった時にね。葵ちゃんは危機感を覚えて、茜音ちゃん――ではなくて、その横にいる友達に言ったの。「変なことしないで」って。
「変なことなんてしてないよ」その友達は澄ました顔で返す。「ただ、ちょっとふざけて、後ろをついて行っているだけじゃん」 
「葵はトイレに行きたいの。通せんぼしないで」葵ちゃんも唇を震わせて、必死になって言う。
「通せんぼなんてしてないよ。私はしてない。私はね」友達はにやにやして言い返す。
 葵ちゃん、これには何も言い返せなくなっちゃった。だって、直接に通せんぼしてくるのは、毎回、茜音ちゃんの方だったから。ここまで空気みたいに無視し続けた以上、茜音ちゃんのことを今更相手にするわけにはいかなかったから。
「いいから。あっち行ってよ!」
 葵ちゃんは癇癪を起こして、次のトイレへ。でも、また通せんぼ。もう、時間がない。後がなくなった葵ちゃんは、ついに強硬手段に出ることにしたの。無視しなきゃいけない相手を前にして、実力行使。無理矢理、押し通ろうとしたんだ。でも、茜音ちゃんも、ここまで来たら引き下がれない。必死に葵ちゃんの服を引っ張るとかして、個室に入らせないようにする。葵ちゃん、なんとか個室にまでは入れたんだけど、一緒に中に入ってきた茜音ちゃんが鍵を閉めさせてはくれないし、全力で服を脱ぐのを妨害しようとする。ああいう式の時って、ただでさえ慣れないフォーマルな服装をしているからね。寒い日だったから、葵ちゃん、スカートの下はタイツも着込んでいたりしたし。邪魔されちゃ、たまらないよね。
「あー、もう時間! 葵ちゃん、ほら、卒業式行かないと!」
 そして、友達のわざとらしい声。ついに時間が来ちゃったのね。早く行かないといけない。遅れて式場に入っていくなんて恥ずかしい真似をしたら、先生にも、見に来るお母さんにも叱られちゃう。
 ……結局ね、葵ちゃん、行きたいトイレに行けないまま、本番の式に出ることになっちゃったの。
 長い卒業式がね、本当にゆっくりゆっくり進むの。みんなも経験あるよね。授業中とかでもそうだよね。ただでさえ、どことなく退屈で間延びした時間が、我慢なんてしていると特にさあ。時間の進みが、驚くほどにゆっくりになる。あ、みんなにとっては、『今この時』もそうかな? あはは。
 卒業式って、本当は感動したり、別れを惜しんだりする場面なんだろうけどね。葵ちゃんにそんな余裕、あるわけはない。最初はまだ精神的なものだけだからいいとしても、徐々にね。ふふ、本格的に来ちゃうから。身体的な、どうしようもない、うずうずする感じが。今みんなも感じ始めているかもしれない、早く出してよぉ、出したいよぉっていう切羽詰まった感じが。
 式が進行するにつれて、葵ちゃんは徐々に平静さを失っていった。伸びていた背筋は丸くなって、お尻はもじもじ。何度も足を踏み替えたり、身に着けた瀟洒? なワンピースの裾を人目を気にしながらぎゅ、と握ったりね。
 近くの席では、妨害に精を出せるよう、あらかじめ自分達の『仕事』を済ませておいた茜音ちゃんとその友達が、すらっと格好良く背筋を伸ばしつつ、葵ちゃんの困り果てた様子を横目で眺めているの。
 胸のすうっとするような――おっと、間違った。胸の悪くなるような、えぐ味のある光景でしょ? あはは。
 式は進んで、卒業証書授与の時。あの一人一人名前を呼ばれて、舞台に上がって証書を受け取るやつね。
 あれをやる時には、もう、葵ちゃんの顔は真っ赤を通り越して、真っ青になっていた。パイプ椅子に載せたお尻を突き出して、極端な前傾姿勢、もちろん両手はスカートの前をがっちり押さえちゃったりしてね。もう、人目を憚る余裕もない。いっぱいいっぱいなのね。
 でも、葵ちゃんの個人的な危機のことなんて、卒業式は考慮してくれない。順番が来れば、名前が呼ばれちゃう。名前が呼ばれちゃったら、葵ちゃんは立ち上がるしかない。立ち上がっても、両手を前から離すこともできず、もじもじ、くねくね。たまにとんとんとん、と無意味なその場足踏み。
 事情を知っている茜音ちゃんもその友達も、卒業式向けの澄ました顔をしながら、お腹の中では大笑い。『いい気味!』茜音ちゃんは思うの。親友だったことなんて、もう忘れたかのように。『いい気味! 私を無視するから罰が当たったんだ! 葵ちゃんなんて、みんなの前で大恥かいちゃえ!』
 葵ちゃんの立ち姿は、客観的に見ても明らかに不自然で、生徒や先生、父兄の中にも気付いている人はいるはずなんだけど、不思議だよね。式の進行の妨げになっちゃいけない、みたいな。そういう意識が働くのかな。葵ちゃんには不運なことに、誰も何も言わずに、式はしめやかに進行しちゃう。ほんと不思議。卒業式って、人の心って、不思議。
 葵ちゃんはもう本当に限界に達していて、ほとんどまともに立っていることすら難しいぐらい。でも、茜音ちゃん達に負けたくない。その一心で、なんとか自分の卒業証書を受け取ろうと舞台にまでは上がったけど――ふふふ、そこまで。みんなも知っているだろうけど、そういうのって、生理現象だからね。そんな意地とかプライドとか、精神的なものだけじゃあ何ともならないんだ。
 もうね、瞬く間に、じょわあああああ――って。ばしゃばしゃばしゃ、って。卒業式の、まさにその舞台の上で、幼稚園児みたいなおもらしショー。ざわめく観衆の目の前で、どんどん取り返しのつかない事態が進行していく。最終的には、着ていた洒落た服もタイツも靴もぜーんぶおしっこまみれのびしょびしょで、青かった葵ちゃんの顔は恥ずかしさで耳まで真っ赤っ赤。
 あっはははは。最っ高だよね。一つ大人の階段を上るはずの卒業式で、階段から滑り落ちて、二段も三段も子供方向に転がり落ちちゃう、卒業式おもらし! 葵ちゃんは結局、卒業証書すら自分の手で受け取ることもできず、慌ててやってきた先生達に連れられてみじめに退場! 最っ高にみっともなかった! あたし、今、思い出しても、笑いが――おおっと、失言。あたしなんて登場してなかったね。ケアレスミスだった。えへ。
 そういうわけで、葵ちゃんの卒業式は大失敗で幕を下ろしたの。茜音ちゃんとその友達は、もちろん、立派に卒業。乾いてぱりっとしたままのフォーマルな出で立ちを見せびらかすように、保健室送りになった葵ちゃんのお見舞いに訪れて、落ち込む葵ちゃんにたっぷりと慰めの言葉(笑)をかけてあげたわけ。
 その時ね。葵ちゃんは、ついに茜音ちゃんを無視することをやめた。もう、我慢しきれなかったんだろうね。おしっこも我慢しきれなかったんだけどね。あはは。
「もう、二度と顔なんて見たくない」そう、葵ちゃんは言ったの。「茜音ちゃんのこと、一生許さない」

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[♀/連載]不浄奇談 [1-1-1.小貫亜由美の話 序]

『不浄奇談』キャラクター紹介



     1-1.小貫亜由美の話

 みんな、人間だからさ。『誰にも言えない秘密』ってあると思うの。それで突然なんだけど、みんな、今から五秒数える間に、それぞれ『誰にも言えない秘密』を一つだけ、頭に思い浮かべてみて欲しいの。
 うん、そう。怖い話の一環で必要になるから。「恥ずかしくて誰にも言えない!」っていうのとか、「これ言ったらみんなに引かれちゃうかなー」っていうマジもんのやつお願いね。それじゃあ、始めるよ。はい、スタート。
 ……ストップ! 全員、思い浮かべた? OK。その秘密、覚えておいてね。後で使うから。
 さて……突然だけど、あたし達、仲間だよね? 友達だよね?
 え。なんで急にそんなこと聞くの、って?
 やー、考えたらさあ。あたし達って、同じ部活の仲間なのに、お互いの秘密みたいなことって語り合ったことないでしょ。
 この前、ふと寝る前にね。そういうの、本当の友達って言えるのかなあ、と思ったんだ。あたし、本当の友達って、実はいないのかも……なーんて考えたら、悲しくなって来ちゃったりして。やっぱり、本当の友達は、どんな秘密でも共有できる相手じゃなきゃって思うからさ。
 うん、だからね。今日、ここで、あたしはみんなと本当の友達になりたいなって思ってるの。みんな、さっき思い浮かべた『誰にも言えない秘密』、一つずつ教えてよ。ううん、もちろん、ここで直接教えてくれなくてもいいんだ。ただ、秘密を共有し合うことが大切、って思うから。
 というわけで、はい、ここにノートを用意しましたぁ。一ページずつ破って、と。ほい、一人一ページね。ボールペンもあるから使ってね。ここにさっき思い浮かべた秘密を書いて欲しいの。秘密を共有するって、お互いに秘密を書いた紙を持ち合うだけでいいと思うんだ。読まなくても、知らなくても、ただそれだけで心が通じ合うっていうか。
 あ、別の秘密じゃダメだよ? さっき瞬間的に思い浮かべた、『誰にも言えない秘密』そのものじゃなきゃ。これはもう儀式みたいなものだから、ちゃんと決まり通りやってくれないと、どうなっちゃうか保証できないからね。
 え? 『怖い話』と関係ないでしょ、って。うーん、いや、結構あるんだよねこれが。個人的なお願いでもあるんだけど、さっきも言ったように、『怖い話』の一環でもあるんだなコレが。だからね、協力して欲しいの。わかっていると思うけど、嘘とかふざけたことは書かないでね。さっき瞬間的に思い浮かべた、『誰にも言えない秘密』以外はダメだから。本気でダメだから。これ、もう、本気の儀式が始まっちゃってるから。変なことすると、呪われちゃったりすることもあるかも? あたし、真面目に書いてくれる前提で考えてきちゃったから。そういうおふざけに対する責任、ほんと、取れないからね。
 ん、あたし? うん、書く書く。あたしもとっておきの秘密、書いちゃうよお。
 いやあ、それにしても、秘密って不思議だよねえ。あたしとあなただけの秘密、みたいにすると、急にお互いの距離が縮まった気がする。凄く親密になれた気がする。あたし、そういうの、憧れちゃうんだよねえ。せっかく部活の仲間なんだし、あたし、みんなともっと仲良くなりたいんだ。いいでしょ? 友達少ない子の夢、かなえてよ。みんなの秘密、教えて。あ、そうそう、紙の裏には名前も書いてね。フルネームでよろしく。
 ――はい、ありがとう。やったあ。みんな、ちゃんと書いてくれたんだね。感謝感謝。全部、回収するよ。はい、どうもどうも。
 こほん。ところで、東川先輩にも相談したんだけど、あたしね。『不浄奇談』の劇中で出てくる怪談遊び、実際に遊ぶには欠点があると思ってるんだ。そう思わない? だって、あれ、途中でトイレに行くって言って、そのまま逃げちゃったらおしまいじゃない。臆病者とかって後で馬鹿にされるかもしれないけど、うーん、それだけじゃあ、かなり弱くない?
 だからね。あたし、その欠点を埋める方法を用意しました。まあ、考えたのはほとんど東川先輩だけど。うん、それぞれの『誰にも言えない秘密』を人質にしたらどうかなって思ったの。もし途中で逃げたら、この秘密みんなにバラしちゃうぞー、みたいな。あはは、ごめん、実はそうなの。さっき書いてもらったこの六枚の『誰にも言えない秘密』のページは、ぜーんぶ、その人質になるんだ。みんなが怖くて逃げ出したりしないように、ね。あははは、怒らないでよ。ゲームを盛り上げるためのシュコウ? ってやつなんだから。
 あ、せっかくだし、あたしだけみんなの秘密、先にちらっと見ちゃおうかなー。ふうん、はー、なるほどなるほど。あれだけ言ったのに、ちゃんとした秘密書けよオラァ、って言いたくなる奴が約一名……。どうせ、ろくでもない企みがあるって見破られてたのね。信用ないんだなあ。亜由美かなしい。あはっ、でもぉ、『呪われちゃうかも?』なんてホラー系で強めに脅してあげたからかな? それとも、『本当の友達』の話の方にほだされちゃったのかな? 結構面白いのもあるね。
 えー、うわわわ、これすっごい、これ最っ高。これ、誰の誰の? はー、なるほど、そうなんだあ。うふふふ、これ、衝撃的なの来ちゃったから、一つだけ発表しちゃおっかなあ? みんな、誰にも言わない? 約束ね。
 それじゃあ、はーい、注目ー。大事件でーす。この中にぃ、今でも夜ぅ、たまにおねしょしちゃってる子がいまーす!
 あっはははは。みんなにくすくす笑われちゃって恥ずかしいねえ。やあい、おねしょおねしょー。でもでも、怒れないでしょー? 怒ったら、誰がおねしょ常習犯か一発でわかっちゃうもんねえ。ほらほら、自分が犯人だってバレないように、みんなと一緒になって自分自身の恥ずかしくて情けないクセ、一生懸命笑わないとね。あっ、あっ、気を付けて。恥ずかしすぎて顔が真っ赤になっちゃってるよ。ふふ、誰にもバラされないはずだったのに、みんなにバラされちゃって、恥ずかしい恥ずかしいねえ。あーらら、頑張って笑ってる。恥ずかしいおねしょ癖、自分自身にまで笑われることになっちゃって、可哀想なおねしょ常習犯ちゃん。
 ふふ、みんな、誰の秘密かわかったあ? おっ、良かったねえ。みんな、わからなかったって。夕陽のおかげかな? なんとか誤魔化せたみたい。ふふ、よくできました。
 あ、ごめん。面白いのあったから、ちょっとはしゃいで、羽目を外しすぎちゃった。一発目から失礼。はい、前座はここまで。ここから本格的に怖い話、始めます。
 さて、みんな、今みたいに、「『誰にも言わない』から教えて」なんて約束で、誰かに自分の大切な秘密を喋っちゃったことってなあい? ほら、好きな子、の話とか。ふふ、みんな、一度ぐらいはあるんじゃないかなあ。ええ、はい。あたしも恥ずかしながら、経験あります。
 でもねえ、疑問なんだ。その約束って、本当に守られているのかなあ? どうなんだろう。
 実はね、あたし、知ってるんだ。気をつけた方がいいよ。前に何かで見たんだけど、ああいうのって、実際に約束をちゃんと守れる子はとっても少ないんだって。最初から破る気満々で聞き出すひどい子もいるだろうけど、大抵の子はそうじゃない。それなのに、どうしてそうなっちゃうのかな。不思議だよね。
 実は今さっきも、あたし、それをやったんだ。気付いた? 気付いた?
 お、三夏、鋭い。あたし、言ったよね。『みんな、誰にも言わない? 約束ね』って。『誰にも言わない』約束が、どうしてほとんどの場合、破られちゃうかって言うと、今みたいなことが起きちゃうのね。誰かの秘密を知ってしまったあたしは、その秘密が大きければ大きいほど、誰かにしゃべりたくてたまらない。秘密を知らないみんなは、他の人がすでに知っているのに、自分は知らないものだから聞きたくなっちゃう。でも、あたしは秘密を抱えた張本人と『誰にも言わない』約束をしてしまっているから、ただそのまましゃべってしまうのは、ね。なんというか、気が咎める。だからね、あたしは今から破りたい約束とまったく同じ約束を、今度はみんなにしてもらうの。『誰にも言わない』約束を。そうしておけば、あたしがしゃべっちゃった人達以外には、秘密は絶対に広がらないでしょ。仮に秘密がさらに広がっちゃったとしても、それはもう、あたしのせいじゃない。みんながあたしとの『誰にも言わない』約束を破ったせいだもん。
 前置きが長い? あ、ほんと? ごめんごめん。
 今回はこれと同じ話。何年か前、この近くの小学校に茜音ちゃんっていう女の子がいたんだって。六年生の茜音ちゃん……背は低めで少し痩せ気味、髪型はショートカット。内気で友達の少ない陰気な子。でも、陰気なくせに、頭はあんまり良くなかったりする。どう、想像できた? この茜音ちゃんが今回の主人公。
 さて、ある時、この茜音ちゃんのクラスに転校生がやって来た。黒板の前で自己紹介をする転校生の女の子の姿を見た瞬間、茜音ちゃんははっとした。一目見た瞬間、心を奪われてしまったの。ようするに、転校生はとっても綺麗で魅力的な女の子だったワケ。茜音ちゃんはあまり友達を作ったりするのが得意な子ではなかったんだけど、この子とは仲良くなりたいと強く思ったのね。憧れ、みたいな感じかな。
 でも、転校生はいつだって期間限定の人気者。どうせ、目新しさがなくなってすぐに寂れちゃうんだけど、最初はとにかく凄い人気なんだ。だから、教室では他の同級生に囲まれていて、なかなか話しかけられなかった。でも、放課後の帰り道、一人になったところを勇気を出して、茜音ちゃんはその子に話しかけた。転校生の子も大人しめの子だったから、話しかけてみると案外仲良くなれた。転校生の子は葵ちゃんっていうんだけど、話をしていると、葵ちゃんは自分のことを自分の名前で呼ぶの。「葵はパンが好き。葵はパセリが苦手」って具合にね。そのちょっと変わったところも、茜音ちゃんからしたら個性的で、素敵に見えたんだ。
 それから、日を追うごとに、二人はどんどんと仲を深めた。憧れの女の子と仲良くなれて、茜音ちゃんは幸せ。転校生の葵ちゃんも親友ができて幸せ。
 でも、幸せなんて、そう長くは続かない。言ったでしょ? 茜音ちゃんは、元々友達が少ないの。でも、葵ちゃんはそうでもなかったのね。新しい学校で、茜音ちゃん以外にもそれなりに仲の良い子ができちゃったんだ。
 茜音ちゃんはね、それがとても嫌だったの。自分以外の子と、葵ちゃんが仲良く話をしているのを見ていると、胸が引き裂かれるような心地がした。
 クリスマスの近いある日もね、茜音ちゃんは一人だった。理由は簡単、親友の葵ちゃんが他の子達とグループになって、おしゃべりに興じていたから。自分はひどく淋しくて相手にして欲しくてたまらないのに、葵ちゃんは自分をほっぽっておいて、他の子と楽しく笑っている。茜音ちゃんは、葵ちゃんの朗らかな表情を恨みがましく見やって、怒りすら感じていたの。でも、茜音ちゃんは、そんな自分が嫌でもあった。自分の一番の親友は葵ちゃんで、葵ちゃんの一番の親友は自分だと信じたかった。
 だから、たまりかねた茜音ちゃんは、あとになって誰もいない廊下で葵ちゃんを問い詰めたの。「葵ちゃんは、私より他の子の方が大切なの」って。まるで、恋人に言うみたいな物言いだけどね。
 葵ちゃんは突然、予想もしていなかったことを友達から言われてびっくりしちゃって、すぐに言葉が出て来ない。
「そ、そんなことないよ」葵ちゃんは言う。「茜音ちゃんが一番。でも、他のお友達も大切だから」
「信じられない」頭に血が上った茜音ちゃんは言う。「それじゃあ、何か、証拠をちょうだい」
 葵ちゃんは俯き加減で押し黙ったまま、しばらく口を開かなかった。何かひどく迷っているみたいだった。そんなめんどくさいこと言うなら知らない、とでも言えば良かったのにね。ばしん、って突っぱねちゃったら良かったのにね。でも、葵ちゃんはそうしなかった。真面目でけなげな良い子だったの。新しい学校に転校して、最初にできた親友に対して、心の底から大切に想っているという確かな証拠を差し出したいと考えちゃったのね。
 ずいぶんと間が空いてから、葵ちゃんは「わかった」と呟いた。俯いていた顔を上げた葵ちゃんの顔には、決意の色が窺えた。凄く、真剣な顔をしていたのね。頭に血が上っていた茜音ちゃんですら、一瞬たじろいでしまうほどに。
 葵ちゃんは言ったわ。
「葵ね、この学校に来てから、誰にも話していない秘密があるの。それを茜音ちゃんにだけ、教えてあげる。茜音ちゃんだけだよ。だから、葵の言うこと、信じて」
 葵ちゃんは、茜音ちゃんに耳打ちした。自分自身を守るために誰にも話さずにいたことを、茜音ちゃんだけにそっと伝えた。
 茜音ちゃんはね、その大変な秘密を聞いて、どうしたと思う? ひどく興奮したんだ。その秘密は客観的に見ても、大きな秘密だった。もちろん、小学生の『大きな秘密』なんて、たかが知れてるけどね。それでも、もしも明らかになってしまったら、葵ちゃんの教室内での人気が危うくなってしまいそうな程度の大きさはあったわけ。
 茜音ちゃんは感動したわ。自分にこんなに重要な秘密を話してくれた、って。葵ちゃんはやっぱり、誰よりも自分のことを大切な親友だと想ってくれているんだって。
「……茜音ちゃん、約束」葵ちゃんは消え入りそうな声で言うの。「絶対に誰にも言わないでね」って。茜音ちゃんは頷いた。
 それから、また、茜音ちゃんはしばらく幸せな日々を送ったの。葵ちゃんが他の子と楽しそうにしているのを見かけても、もう全然、平気だった。何故なら、心の中にはいつも、自分だけが知っている葵ちゃんの秘密があるから。『誰にも言わない』約束をした、二人だけの秘密があるから。
 ――でもねえ、秘密なんて、さっきも言ったようにそうそう守れるものでもないのよね。
 そうこうするうちに、年も明けて、小学校の卒業式はすぐそこ、という頃になった。その頃、茜音ちゃんの身の周りに、ちょっとした変化が起こった。葵ちゃんの存在のおかげもあって、茜音ちゃん、クラスの他の子とも徐々に打ち解けるようになっていたんだ。卒業間近になって、友達付き合いが苦手だったぼっちの茜音ちゃんにもようやく友達が新しくできたのね。これ自体はいいことだったんだけど――。
 ある日ね。茜音ちゃん、新しくできた友達に聞かれちゃったんだ。
「葵ちゃんが転校してきた理由って、茜音ちゃん、知ってる? 直接聞いても、『それはひみつ』って感じで教えてくれないんだあ」
 茜音ちゃんはすぐにわかった。あの秘密の話だ、と。茜音ちゃんはぽう、と胸に火が灯ったみたいに嬉しい気持ちになった。葵ちゃんは本当に他の子には話していないんだって。本当に自分だけが特別に教えてもらった秘密なんだって。
 でもね、茜音ちゃんは、失敗しちゃったの。わかるよね? 本当はこういう時は知らないフリをしなきゃいけない。だって、知ってるけど教えなーい、なんて都合の良いこと、誰も許してくれやしないんだからさ。
 だけど、茜音ちゃんは人付き合いが苦手な子だったし、知っていることを知らないフリをすることに慣れていなかったんだろうね。まずいことに、「言えないけど、私、知ってるかも」って正直に言っちゃったんだ。しかも、ちょっと得意げにね。本当に軽はずみだよね。
 さあ、そうなったら、もう大変。その友達はどうしても聞きたくなっちゃう。新しくできた友達は、何度もしつこく聞いてくる。「それは秘密だから」と何度か断っていると、ついに「教えてくれないなら、茜音ちゃんはもう友達じゃないから。他の子達にもそうするように言うから」なんて言い出す始末。
 いよいよ観念して、茜音ちゃんはその友達と、その仲間の数人にだけ耳打ちすることになってしまったの。葵ちゃんと自分の間だけのはずの秘密を。『誰にも言わない』約束をした、誰にも言ってはいけない秘密を。
「約束だよ。誰にも言わないでね」そう前置きして、葵ちゃん以外の人の耳元で、茜音ちゃんはこう言ったの。秘密を伝える人数分、繰り返して言ったのよ。「葵ちゃん、前の学校でね。おもらし、しちゃったんだって。それで、そのことで、ずっとしつこくからかわれたりしていて……それで転校してきたんだって」
 その友達と仲間達は「えー、あはっ、そうなんだあ。すっごい秘密じゃん。あの子、おもらしで転校してきたんだ。笑っちゃう」なーんて言って大喜び。この年頃の子、そういう失敗に対して、結構、残酷だったりするからね。同級生のトイレの失敗話なんて大好物、だったりして。まあ、中学生でも大差ないかもしれないけど。

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[♀/連載]不浄奇談 [0.プロローグ 芦田琴美]

『不浄奇談』キャラクター紹介


     0.プロローグ 芦田琴美

 自分でも抑えの効かない苛立ちを抱えて、グチグチと言葉にできない不満を心の中で繰り返しながら、賑やかな校庭を離れる。校庭の喧騒を背中に感じつつ、昇降口で上履きに履き替え、一歩、長い廊下に足を踏み入れる。

 その瞬間、目の前に広がった光景に、私は思わず息を呑んだ。
 電灯の点っていない廊下の暗さは、想像をはるかに超えたものだった。そして、暗闇の中に差し込む、目に痛いほどの紅い紅い夕陽。
 美しい、と感じることもできたとは思う。しかし、私は何よりも、まずその凄惨なまでの赤と黒の世界に『恐ろしさ』を感じた。それはいつも目にする廊下でありながら、まるで違う、どこか奇怪なものとして眼前に立ち現れていた。
 昇降口までは電気が点いていたため、何の準備もなしにいつもの感覚でその空間に飛び込んでしまったのもまずかった。目の前の凄まじい光景に、私は踏み出した足をそれ以上動かすことができなくなってしまう。
「うわ……」突如として湧いてきた底知れない不安を誤魔化すため、乾いた喉を震わせて独り言を呟く。「なんか、凄い……」
 雰囲気に呑まれかけていた私は、日常と変わらず鼓膜を震わせた自分の声に、ほんの少しだけ気分を落ち着かせることができた。
 一度、二度、その場で足踏みをしてみる。進めそうだ。トイレはこの廊下の突き当たりにある。早く済ませて、みんなの所に戻ろう。

 廊下は校庭の喧騒が嘘のように、しん、としていた。普段は意識もしない心臓の鼓動が、強く、早く、打っているのがわかる。できる限り、平常通りに歩こうとしているのに、上手く行かない。自分の足音にすら怯えながら、私は早足で廊下を進む。
 何かに急かされるようにせかせかと進み、ようやくトイレの前まで辿り着いた時――。そこで私を待っていたのは、予期しない光景だった。
 強い西日以外、光源らしい光源のない、古い校舎の、不潔な湿気をはらんだトイレ前の暗がり。そんな誰もが早く通り過ぎたくなる場所に、人影があった。それも、複数の人影が。
 人影――私と同じ制服に身を包んだ少女達が、一斉にこちらを見る。まるで、私が来るのをずっとそこで待っていたかのごとく。
「来たね、五人目」その内の一人が言う。口調は楽しげに弾んでいる。
「タカマキさんも来ちゃったんだ。あ、でも、良かったあ。知ってる子が来てくれて」
 見ると、中には同じクラスの見知った顔もいる。獲物の品定めをするみたいに、彼女達は私の姿を無遠慮に眺めて笑い合っている。
 なんだかよくわからない嫌な予感がして、私は彼女達に曖昧な笑みを返して、その場を切り抜けることにした。そのまま行くべき場所――トイレへと足を向ける。
 しかし、その私の正面、身体がぶつかりそうなぐらいの距離の所に、中の一人が立ちふさがった。
「な、なに?」
 近すぎる距離にたじろいで、私は身を引く。抗議の声を上げる。自然、口調は硬いものになる。
「だめだよ」返事は、端的な禁止。
「何がだめだって?」
「あなたは五人目なんだから。トイレに行っちゃ、だーめ」悪戯っぽく、『だ』と『め』の間を伸ばして言う。
「何を言っているのかわからないよ。五人目って、なんのこと?」
「簡単に言うとね。私達、これから――」
 その女子は実に楽しそうに微笑んで、私の腕をきゅっ、と掴んだ。まるで、もう逃がさないよ、とでも言うように。
「みんなで怖い話、するの。あなたも一緒にね」

 ――夕暮れ時、同じ中学校に通う演劇部の仲間五人とやって来たのは、屋上へと続く小さな踊り場。
 確かにぴったりだ、と芦田琴美(あしだことみ)は思う。天井に備え付けられている電灯は、時間帯の問題だろうか。まだ点灯していない。そのため、窓に嵌まった曇りガラスを通して差し込む、紅い紅い夕陽だけが唯一の光源となっている。その光量は鮮烈な見た目に反して弱く、周囲に溜まった黄昏時の闇を払うにはいかにも心許ない。
 今、練習している『不浄奇談』の舞台である踊り場のイメージに、ほぼ合致する。赤と黒の世界。薄闇の吹き溜まり。何かが”潜んでいそう”な、誰も寄り付かない場所。劇中の表現が、脳裏に蘇る。
「はい、目的地に到着ー」部の仲間である小貫亜由美(おぬきあゆみ)が、どこかで聞いたことのある台詞を言う。「楽しい楽しい『怖い話』の舞台にようこそ! ここ、いいでしょ? 雰囲気あるでしょ?」
「はは」と尼野悠莉(あまのゆうり)が意味ありげに笑う。そして、こほん、と咳払いを一つ。演技がかった口調に切り替えて続ける。「えー? 楽しい楽しい『怖い話』って、なんか矛盾してない?」
 琴美自身も気付いていたし、その場にいる全員が察しているであろうことも琴美にはわかった。亜由美の第一声は、今、練習中である『不浄奇談』の劇中の台詞そのものだったのだ。『不浄奇談』の主な舞台である階段の踊り場にキャラクター達が到着した時、亜由美が演じているミナトハラがまず場にそぐわない陽気な口調で告げるのだ。まるで、舞台下の観客たちに対しても告げているかのように。『楽しい楽しい『怖い話』の舞台にようこそ!』と。悠莉の発した言葉も、その次に続く劇中の台詞だ。
「矛盾? してないしてない」亜由美の演技は続く。劇中人物であるミナトハラの口調は、いつだって明るい。亜由美によく合っている、と琴美は思う。「怖い話は、イコール楽しい話でしょ」
「ふう」高坂三夏(こうさかみか)がついていけない、とばかりに嘆息する。順番通りに行けば、次の台詞は三夏の番なのだ。急かす亜由美の視線を受けて、三夏が声を発する。発した声質でわかる。これも台詞だ。「それじゃあ、ここでざっと円を描く感じで座ったらいいのかな」
「私は手前にしよっと」真崎(まざき)えりか。特に嫌そうな気配も見せずに、決められた台詞を決められたように言う。彼女は周りに流されるタイプだ。「あ、そうだ。これ、録画するんでしたっけ?」
「うん。だって、何か映るかもしれないでしょ?」
「うえー。これ、本当に映ったらどうするんですかあ?」
「さあ。お祓いとか? 必要かなあ」
 元気で明るい悪戯好き。亜由美にミナトハラ役はよく合っている。それは認める。でも、劇中人物と違うのは、場の空気が読めない独特の鈍感さと、物事の加減のわからない無神経さ。いつまで役を演じているつもりなのか。そして、いつまで、周囲が合わせてあげないといけないのか。琴美は早くも嫌になってきた。そろそろ、自分も登場しなければならない。
 亜由美の視線が、次の人物の台詞を待つ。次の台詞は『ちょっと待って』。台詞を発する人物は琴美の演じるタカマキ。最後の登場人物にして、巻き込まれた主人公の一人。
 琴美はため息をついた。
「……もういいよ。やめにしよ」気は進まないが、琴美は自らの手で流れを切ることにした。不満げな亜由美の顔が、ちらっと見える。「舞台の練習を、そのまま通しでやるために来たわけでもないでしょ?」
 一瞬、間が空いた。皆が役から自分自身に戻るわずかないとま。
 ほっとしたような雰囲気も、かすかに感じる。
「はは、ほんとほんと。琴美の言う通り」役の解けた悠莉がへらへらする。琴美の知る限り、彼女は役を演じている時以外は、いつでもへらへらしている。良識のある女子生徒・セナ役。皆はよく合っていると言う。けれど、琴美はそれほど役に合っているとは思えない。「長いよ亜由美。長ければ長いほど、最初に乗っかったわたしが悪いみたいになっちゃうじゃん」
「ええ? みんなもノリノリでやってくれているのかと思って」
「三夏とかため息ついてたじゃん……。ていうか、どこまでやる気だったん?」
「行けるところまで行こうかと」
「マジかこいつ。それじゃ、湯田ちゃん、何もしゃべれなくなっちゃうよ」
 名前を挙げられて、「あ、いやあ、あはは。わたしは別にぃ」などとぐにゃぐにゃするのは、湯田真冬(ゆたまふゆ)。この場にいる六人の演劇部メンバーの中で、唯一、役を演じることのない裏方だ。学年も一つ下で、特に仲が良いわけでもない琴美から見ると、変わった名前をしているおとなしい子、という認識。
「雑談はいいわ。そろそろ始めましょう」とりとめもなく続いてしまいそうな会話を、三夏が冷ややかな声で制する。「さらっとやって、さらっと終わりたいし」
 皆が黙る。琴美は心の中で賞賛する。さすがは我が部が誇るクールビューティー。美人で頭が良くて自分だけは他の連中とは違うみたいな澄ました顔をしていて――ちょっと、むかつく。本当は怖くて早く終わりにしたいだけなんじゃないの、と皮肉の一つも言ってやりたくなる。
「それじゃあ、ええと……始めるう?」
 亜由美が少し言いにくそうに言った。
 始める。亜由美の発した言葉に、しばしの沈黙が降りる。ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。お互いの視線が交錯し、誰からともなく頷く。
 琴美は感じる。皆が皆、どことなく、落ち着かない雰囲気であることを。皆が皆、今からある種の禁忌に触れることに対して、漠然たる不安を抱えていることを。軽口を叩く亜由美も、考えの読めないへらへら笑いの悠莉も、かっこつけで冷静な態度を崩さない三夏も、調子良く流れに任せるだけのえりかも、隅で所在なさげにしている湯田も、自分自身をも含めて。みんな、いつもと同じようでありながらも、どこかそわそわと、浮き足立っているように見える。でも、それもこれも、当然のことだとも思う。
「始めよう」
 だって、今から、この薄気味悪い場所で、自分達は『怖い話』の会をするつもりなのだから。しかも、『不浄奇談』の劇中と同じように、本当は外に出すべき溜まったモノを内側に封じ込めたままの状態で――。

 『不浄奇談』は演劇部に伝わる作品の一つである、らしい。少なくとも、琴美はそう聞いている。ジャンルとしてはある種のホラー作品で、脚本の出所ははっきりしていない。昔、演劇部の顧問をしていた先生が書いたという噂もあるし、演劇部OBの一人が系列高校在学中に書いたものであるとの説もある。
 琴美が通う中学校の演劇部は歴史が古く、代々伝わる作品がいくつもある。『不浄奇談』はその中の一つだ。
 内容は――ある中学校に通う五人の生徒が、夏休みに開催された『学校お泊まり会』の夜に最近流行しているという怪談遊びをする、というものである。『我慢怪談』『不浄怪談』などと作中で呼称される怪談遊びの特筆すべき点の一つは、そのメンバーの選定方法。あるトイレ前の廊下で待ち伏せて、トイレに入ろうとしたものを強○的に参加メンバーとするのだ。メンバーとなったものは、少なくとも、怪談遊びが始まって一人目の話が終わるまではトイレに立ってはならない。また、話と話の合間にはトイレに立って良いが、必ず一人ずつ向かわなければならない。
 要は、怪談遊びでありながら、一種の肝試しの要素も含まれているのだ。トイレは怪談の種と肝試しの舞台を兼ね備えた装置として使われている。
 そのような設定であるため、この作品に登場する五人の生徒は、程度はどうあれ、終始『我慢』していることになる。もちろん、演じる人間が本当に『我慢』している必要はないし、そんなことをしていてはまともに演技できない。あくまでも、『我慢』している演技が必要なだけだ。
 だから、この作品を上演することに決まっても、一部のキャスト以外は大きな拒否感を示すことはなかった。しかし、劇が完成に向かいつつある頃、どこから聞きつけたのか、演劇部OBの一人である東川が部室にやってきて言ったのだ。
 『演技』がなっていない。今度、学校でやる合宿でこの怪談遊びを一度、実際に必ずやってみて演技の参考にしろ、と。そして、やってみた証拠として撮影した映像を後で見せるように、と。
 正直、鬱陶しい、と琴美は思った。系列高校の演劇部との交流が多いせいか、演劇部は無闇にOBの発言力が大きい。顧問もあっさり説得されてしまい、怪談遊びをメインキャスト全員と裏方からの代表一人で本当に実施する運びとなってしまった。琴美はやたらと上から目線で口出ししてくるOB達に、内心、辟易していた。しかし、正面切って、高校生やもっと上の先輩達とやり合う思い切りも持てない。
 結果として、琴美を含む演劇部員の内心に関わらず、この場が設けられることとなった。琴美は踊り場に満ちたどことなく異様な雰囲気に呑まれそうになりながらも、息を軽く吸い込む。
 止める。そして、覚悟を決める。めんどくさいし、正直言うとかなり怖い。でも、ここまで来て逃げ出そうものなら、仲間達からは意地悪くからかわれ、東川先輩からは厳しく叱責される未来が目に見えている。琴美はこの場にいる演劇部の一癖も二癖もある面々に、さほど心を許してはいなかった。心を許していない相手に対して、弱みは極力見せたくない。やるしかない。ここまで来てしまった以上、言われた通りにやって、証拠の映像を送るしかない。
「順番は誰から?」三夏が口を開いた。車座になった六人の中で、三夏は琴美の正面に当たる箇所に座っている。
「お話通り、役通りでいいんじゃないのお?」
 悠莉の提案に、真冬がおずおずと声を上げる。
「いや、でも、それだとわたしは役がないんで……」
「あ、そっか。忘れてたわ」
「いうか、カメラ、ちゃんとセットした? ちゃんと撮れてる?」
「撮れてる撮れてる。ちゃんと映ってる……っぽい」
「え? 『っぽい』って何」
「普段、動画撮影とかスマホしか使わないし。正直、操作方法に確証が持てない」
「いやいやいや、ちょっと。ねえ、湯田ちゃん、裏方だし、こういうの得意でしょ。ちょっと見てみて」
「あ、はい」
「ていうか、スマホで良くない?」
「スマホは長時間の撮影はきついんだって」
「あ、そうなの?」
 油断すると、すぐに会話がテトリスのように歪な形で積み重なって、あらぬ方向へと流れていく。琴美は内心の苛立ちをため息として吐き出す。いよいよ流れを是正しようと口を開いた時、三夏が切り出した。その声は、ため息混じりだった。
「……順番なんか正直どうでもいいけど、まあ、東川先輩からも、本気でやれって言われてるから。一旦は役のことは忘れて、私達本人として普通に遊ぶのがいいんじゃない?」
「それじゃあ、じゃんけんで」琴美はここぞとばかりに話を進めにかかる。こんなことで、無駄に時間を浪費したくない。ただでさえ、自分達は余計なモノを体内に溜め込んだままでいる。「負けた人からってことで。あとはそこから時計回り。これでどう?」
「えー、やだ。くじ引きにしようよお」亜由美がどうでもよいことにこだわってくる。「て言うか、実はここに用意してあるのですよ。くじ引き用の道具が」
 亜由美が脇に置いた自分の鞄から、大きめの茶封筒を取り出した。琴美は不承不承、頷いた。すでに用意してあるのであれば、他の方法を選ぶ理由もない。反対意見は特に誰からも出なかった。
 くじを引いた結果、亜由美から始まり、悠莉、真冬、えりか、琴美、三夏の順番で話をしていくことに決まった。
「あはは。……それじゃあ、亜由美、どうぞ。やるからには、本気でね」
 何がおかしいのか、悠莉が意味の掴み難い笑顔のまま促した。きっと、意味などないのだろう。琴美は思う。この子は、最初からこういう顔なのだ。
 促された亜由美が、覚悟を決めたようにすう、と息を吸う。
 そうして、吸った息を一言目にして吐き出した瞬間から、新たな『不浄奇談』が始まった――。

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