【ホラー】北海道のある神事について【足裏○問】

 このドキュメントは、ある女性記者のPCに残されていた未発表原稿である。

 †


■北海道の巫女と命がけの苦行

 札幌駅からバスと電車を乗り換えて約三時間――、筆者は北海道の内陸にある▓▓町の▓▓▓神社へと辿り着いた。以前にレポートした火叢祭に参加していたIさんこと、衣部酒泉海(いぶさき・いずみ)さんが奉職する神社である。今は時期的には既に初春だが、山間部にある▓▓町ではまだ春の気配は程遠く、体感的には東京の真冬と変わらない寒さだ。

 昼過ぎに社を訪れると、巫女の泉海さんは神社の境内で雪かきを行っていた。緋袴を穿いた巫女姿だが、防寒対策として小袖の下にセーターを着込んでいるようだった。でも、もちろん足下は裸足だ。赤く腫れた素足で雪を踏みしめながら平然と作業をしていた。泉海さんは▓▓▓神社の巫女として、16歳の時から通年での裸足生活を義務付けられている。巫女になったその日に全ての靴と靴下を燃やしたと言っていた。

 泉海さんは私の顔を見ると、にこりと微笑んで作業を中断し、神社に併設されている自宅へと案内してくれた。筆者は翌日に泉海さんと一緒にホムラ神事に参加する予定だ。私の前を歩く泉海さんの足裏がちらりと目に入る。むごたらしく焼け爛れていたが、泉海さんはスタスタと進んでいく。

 和室の客間に通され、向かい合って座る泉海さんから説明を受けることになった。

「メールでお伝えしていた通り、明日、静川さんは豊祈祭とその後の雪中難行を取材頂けます。随行巫女という扱いになります」

 豊祈祭とは豊穣祈念の祭りである。ホムラノホマレヒメは自身が足裏苦行を行うことで当地に五穀豊穣をもたらすと信じられている。そして、そのホムラ姫の苦行を巫女が体現するのが雪中難行だ。

 雪中難行は巫女を雪山の奥深くに運び、放置するというもので、巫女はそこから一人で自力で下山しなければならない。無論、足下は裸足だ。雪中難行は年に三度、初冬、真冬、初春に行われ、今回行われる初春の雪中難行は最も難易度が低いとされている。随行巫女は、いわば裸足の巫女の見習いで、先輩の巫女に同伴し、指導を受けながら雪中難行を修める。つまり、私も裸足で雪山を下りることになる。

「ご説明していた通り、雪中難行は文字通りの命がけです。今回の難行は比較的安全ですが、危険性はゼロではありません。覚悟の上でお越し頂いているとは思いますが、静川さんはいつでも辞退が可能です。その場合は私一人で難行を行います」

 泉海さんは淡々と言う。命の危険すらある荒行を前に心の乱れが全く感じられない。まだ十九歳なのに立ち居振る舞いも非常に落ち着いており、筆者よりも年上の印象すら受ける。

 難行の危険性だが、私はもちろん覚悟を固めて取材に来ていたし、今更辞退などする気はなかった。しかし、不安に思うところもあった。裸足で雪山から下山することになるが、凍傷リスクなどはどうなのだろうか。壊死して指が落ちるなどといった話も聞くが……。

「凍傷になることはありません」

 泉海さんは即座に否定した。理由を尋ねると、

「ホムラ姫様の加護があるからです」

 と平然と言う。私が不安を覚えたのを見透かされたのか、泉海さんは説明を重ねてくれた。ホムラ姫の加護と言っても精神論的なものばかりではなく、裸足の巫女に代々伝わる対策がきちんとあるのだという。

「ご存知の通り、私は16歳で巫女となってから通年での裸足生活をしております。高校時代は10km離れた学校まで毎日裸足で登校していました。積雪の日はもちろん、マイナス10度の吹雪の日もです。雪中難行もこれで12回目ですし、問題ありません」

 泉海さんの自信は経験に裏打ちされたものなのだ。しかし、大雪の中を裸足で通学する女子高生は、相当に不思議な存在であろうが、当時はどのように見られていたのだろうか。

「そうですね……。地元の子たちは私が裸足の巫女だと知っていましたが、そうでない人たちには奇異の目で見られてましたね。可哀想だとか、頭がおかしいみたいに言われることもありました。けど、私は裸足の巫女であることに誇りを持っていますので堂々と裸足を貫きました」

 以前のインタビューでも、泉海さんは裸足の巫女としての日々を肯定的に語っていた。

「▓▓▓神社に貰われてきてから、私はずっと裸足の巫女に憧れていました。早く裸足の巫女になりたい、早く靴を脱ぎ捨てたい、と思っていましたし、16歳で正式に巫女になって、持っていた靴を全部焼き捨てた時は本当に嬉しかったです。夏に地面が焼け焦げようと、冬に雪で凍りつこうと、私にはもう靴を履くことは許されないんだ、足裏でその痛みを味わうしかないんだ、と思うと本当に幸せな気持ちになったんです」

 ホムラ姫を祀る神社では、しばしば身寄りのない少女を養子として招き入れ、裸足の巫女へと育て上げる。泉海さんもそのような巫女の一人だった。巫女は村中から敬愛され、大切に育てられるという。

 私は泉海さんに足裏を見せて欲しいと頼んだ。先程、ちらと垣間見えた時に、彼女の足裏が酷く焼け爛れているように見えたからだ。

「どうぞ、どうぞ。ぜひ御覧ください」

 泉海さんは先程までの大人びた態度から一転して少女の顔に変わると、ニコニコと嬉しそうに足裏を晒してくれた。やはり焼け爛れている。全面的に赤黒く爛れて皮膚が焼け落ちているが、時間の経過により、部分的にカビのように白く変色しており、見た目はかなりグロテスクだ。

「うふふ、良いでしょ! 一週間前に札幌のホムラ神事に参加させてもらったんです。全治一ヶ月の火傷を負いました!」

 足裏の火傷をまるで宝物のように自慢してくる。泉海さんのように育てられた生粋の裸足の巫女は、他のホムラ神事にも頻繁に呼ばれるという。最近は巫女の希望者が増えてきたが、彼女が巫女になりたての16、17歳の頃は、複数の神社からひっきりなしにオファーが来て、泉海さんを取り合っていたという。

「私のような巫女に拒否権はありませんので、行けと言われた神事には全て参加しました。もちろん私としても喜んで参加していました。巫女はきれいな足の裏で神事に臨むべきとされていますが、私が16歳の頃はどこも巫女不足で……。特例で、足裏がズタボロでも参加して良い、と言われて。二ヶ月の間に七つの神事に参加したこともあるんですよ。16歳の時の私の足の裏、もう本当にメチャクチャでしたよ。あの頃が懐かしいですね」

 嬉しそうにキャッキャとその時のことを語る泉海さんを見ていると、私もだんだんと彼女の火傷が羨ましく思えてきた。当然ながらまだ酷い痛みが残っているという彼女だが、その足裏で明日の雪中難行に挑むのかと尋ねると、「当たり前じゃないですか」と嬉しそうに言う。

「雪中難行は極めて危険な荒行ですが、私、もう12回目だし、普通にやったら刺激が足りないんです。焼け爛れた足裏での雪中難行、どうなっちゃうのか分からなくて、本当に楽しみです!」


■裸足で雪山の中に置き去りにされる

 翌朝、極寒の中で井戸水による禊を行った後、私は小袖と緋袴の巫女姿へと着替えた。泉海さんの助言により、小袖の下には様々な防寒着を着込んだし、袴の下には足首まで覆う保温性の高いレギンスを履いた。だが、もちろん足下は裸足だ。傍から見えなければどんな防寒対策をしても構わないが、裸足だけは絶対だ。

 かなりのボリュームの朝餉が出された。残さず平らげるようにと指示される。特徴的なのは小皿に入った白い豆のようなもので、穂村丸(ほむらがん)と呼ばれる一種の携帯食だ。雪中難行ではこれが命綱だと泉海さんは言う。動物性の油を煮詰めて作ったもので、妙なえぐみがあり、苦く、しょっぱく、箸の進むものではない。だが、確かに体の中から熱量のようなものが生まれるのを感じる。「ものすごい高カロリー食なので、日常的に食べると太りますよ」と泉海さんは言うが、これを日常的に食べたい人などいるのだろうか?

 九時過ぎに境内で豊祈祭が開始される。他のホムラ神事と比べると見学客の数はおとなしめで、ほとんどが村民だ。ホムラ神事の「追っかけ」はほんの数人しか来ていない。雪中難行は非公開だからだろう。その数少ない追っかけの一人であるAさんは、私がまた巫女として参加していることに驚いていた。「静川さんもすっかりホムラ神事にハマっちゃったねえ」。Aさんに言わせれば、私のように興味本位で近付いてどっぷりハマってしまう女の子が結構いるのだという。

 豊祈祭はあっさりとしたものだった。神主の祝詞の後、泉海さんが巫女舞を披露し、畑に鍬を入れる様子を儀式的に再現して終了だ。三十分程のごく短いもので、最後に私と泉海さんが目隠しをされ、皆が見守る中、輿に乗せられて送り出された。

 私たちは神社から少し離れた空き地に降ろされて、車に乗り換えるように指示される。昔は村の男衆が総出で輿を運んでいたが、今は村の高齢化も進んでおり車を使っているという。車中では私たちはずっと目隠しをされたままだ。これから雪深い山の中に裸足で放り出されるのかと思うと緊張を覚える。行きの車中で神主さんは何度も、

「静川さん。今なら辞めれます。取材でしたら無理せずとも、戻ってきた泉海に聞けば良いんです」

 と忠告してくれたが、私は自分の身体でぜひ体験したい、そうでなければ得られないものがあるはずだと言い張った。後で分かったことだが、神主さんは私が足手まといになることで泉海さんに危険が及ぶことを危惧していたらしい。

 その泉海さんは今からの苦行が待ち遠しくて仕方ないといった様子で、声を明るくしながら私に説明してくれた。

「雪中難行はとても危険な苦行なので、日頃の準備が大切なんです」

 真っ白な雪景色の山の中に放置されれば、当然ながら下山ルートなど分からない。そこから何とかして下山するには、普段から山に親しみ、山の地形を身体に覚えさせるしかないという。

「子供の時から山には毎日のように登ってました。夏の日も雪の日も。歳を取るごとにどんどん高くまで登って、山中で一泊することもありました。庭のようになるまで山に親しまないと雪中難行は成し遂げられません」

 巫女になって最初の雪中難行が最も危険で死亡率も高いというが、泉海さんはそれも危なげなく成し遂げたという。歴代の裸足の巫女の中でも泉海さんはかなり才能があるようだが、最近では雪中難行にもやや物足りなさを感じ始めたという。神主さんが困ったような口ぶりでこう言った。

「先週の神事も、泉海が、全治一週間程度に抑える、雪中難行には影響しない、って話だったから許可を出したのに、約束を破って全治一ヶ月の火傷を負って帰ったんですよ。あんな足裏で雪中難行をするなんて前代未聞だし、さらに静川さんの世話をしながらだなんて……。正直不安ですよ。静川さん、お願いですからパニックとか起こさないで下さいね。パニック起こすと確実に二人とも死にますから」

 数時間、斜面をゆっくりと走らせた車が止まり、降りるようにと指示が出る。暖房の効いた車内から出ると、雪山の身を切るような冷たさに襲われるが、裸足の足裏に感じる雪の冷たさは中でも別格だ。泉海さんは「絶対に凍傷にならない」と断言していたが本当なのだろうか。心配になってくる。

 雪の上に立っていると、背中にずしりと重たいものがのしかかった。巫女備(みこぞなえ)と呼ばれるものだが、要は登山用ザックで、雪山で2~3日過ごすための装備が入っている。事前に泉海さんと相談しながら内容物を選りすぐったが、どう頑張っても10kg以下にはならなかった。泉海さんのザックはさらに重く15kg近くある。

 私と泉海さんは目隠しをしたまま手を引かれて、さらに数十分、山の中を歩かされた。雪を踏みしめる足裏が冷たくて仕方ない。背負ったザックの重みにも体力が削られていく。まだ始まってすらいないのに既に辛い。

ここで止まれ、と言われた後、「千数えた後で目隠しを外すように」と指示される。律儀に千を数え終わった私たちが目隠しを外すと、もうそこには人の形跡は全くない。目の前には雪に覆われた斜面と、鬱蒼と茂る木々以外には何もなかった。

 裸足の私たちは雪山の中に本当に置き去りにされたのだ。

■命がけの雪山下山

 雪を踏みしめる足裏から冷気が伝わって体中が冷える。私はたまらず両足を交互に浮かせて少しでも雪から足裏を逃そうとする。

 泉海さんの勧めで穂村丸を口に含む。これを頻繁に舐めていれば凍傷にはかからないというが……。その泉海さんは雪の上に裸足で突っ立ったまま、しばらく何かを考えていた。下山ルートが分かりそうか、と尋ねると、

「いえ、全然分かりません。とりあえず登りましょう」

 そう言って斜面を登り始めた。下山するなら降るべきではないか、と思ったが、出鱈目に降りても道に迷うだけです、と返された。

とにかく泉海さんに付いていくしかない。穂村丸のおかげか、単に慣れが来たのか、足裏の冷たさはそれほど辛くなくってきた。この調子なら案外行けるのではないか、と思っていたら、泉海さんがニコニコしながら釘を刺してきた。

「どうです? 意外と足裏、平気になってませんか? この気温なら二、三時間くらいは意外と平気なんですよ。でも、それを超えると冷たさが痛みに変わってきます。そこからが本番ですから、雪中難行、楽しんでくださいね」

 私たちは延々と山を登り続けた。二時間が過ぎた頃、泉海さんの予言通り、慣れたと思っていた足裏が急激に痛みを覚え始めた。まるで針の山を素足で進んでいるかのように、一歩進むごとに足裏がズキズキと響く。だんだん歩みの遅れてきた私に気付いたのか、泉海さんは振り返って、

「足の裏、そろそろメチャクチャ痛くなってきたでしょ!」

 と嬉しそうに言う。

「雪中難行はこうなってからが楽しいんです! しかも、私は火傷のおまけ付きですし、嬉しいな!」

 泉海さんの爛れた足の裏は雪に責められて真っ赤に腫れ上がっていた。そもそもあんな大火傷した足の裏では普通の女の子は歩くことすらできない。裸足で雪山に放置されるなんてさらにありえない。だが、泉海さんは今それを望んで味わっているのだ。

 足裏の痛みに呻きながらも歩を進め、私たちは見晴らしの良い場所へと到達した。泉海さんは眼下に広がる光景を確認し始める。下山できる可能性の高いルートを探しているのだ。「あっちから降りてみますね」と泉海さんが言うので、何時間くらい掛かりそうか、どのくらいの勝算があるのかを尋ねると、

「さあ?」

 と、楽しそうに笑って言う。

「とりあえず丸一日は歩くと覚悟して下さい。勝算は30%くらいですかね。ダメだったら、またここまで戻ってきて他の道を試します」

 泉海さんの言葉に私はゾッとした。二時間強、歩いただけで、もう足の裏は限界に近い痛みを訴えている。これを少なくとも後一日……。耐えられる自信がない。しかも本来なら巫女はたった一人でこの難行に挑むのだ。最も難易度が低いとされる初春の雪中難行ですらこれなのだから、真冬に行われるという難行はどれ程の苦行なのだろう……。

「でも、降りる前に一度、足の裏を温めましょう」

 泉海さんに指示されて、私は痛む足を必死に引きずって枯れ枝を探し回った。私が何とか一束集めて持ってきた頃には、泉海さんは既に十分な枝を集めており、それを井形に組み合わせていた。

 慣れた手付きで火を熾した泉海さんは、ザックから取り出した防水シートを敷いて、私と二人で並んで焚き火の前に座った。雪中難行では二時間に一度は火を熾して、足裏を温めながら進むのが肝要だと予め説明を受けていた。凍傷対策の一環であり、医学的にも正しい。火を前にして泉海さんは「最初のお楽しみタイムですね」と声を明るくし、私に小袋を手渡してきた。

 小袋の中身は瓶に入った液体で、黒くどろりとしている。例の、毒草を油に浸して作った毒油の一種で、足裏を凍傷から守る神秘的な力があるとされている。科学的な裏付けはあやふやだが、巫女を凍傷から守ってきた実績は無視できない。冷え切った足裏に油を薄く塗ると、ズキズキとした痛みに痒みを伴う不快感が加わった。

 その足裏を炎に近付けると、足裏の痛みと不快感が数倍に膨れ上がって私を苦しめた。脂汗が全身から溢れ出し、体が震え出す。痛みだけではなく、得も言われぬ異様な気持ち悪さが足裏から全身に這い上がってくるが、それでもしっかりと足裏を温めなければ危険だと聞いていたので、私は無理をして足裏を炎に晒し続ける。

 泉海さんはと言えば、私の隣で足裏に油をたっぷりと塗りたくっていた。そして、ニコニコしながら焚き火へと足裏を近付けたが、その瞬間に、

「あッ! ああッ、あッ、あああああアッッ!」

 悲痛な叫びが泉海さんから漏れた。焼け爛れた皮膚が雪で凍り、それが熱により解凍された時に皮膚組織を傷つけて、凄まじい激痛を生じさせたのだ。

 泉海さんは先程までの余裕ある態度を一変させて、痛ましい悲鳴と共にガタガタと体が震え始める。整った顔も痛みのあまりにひどく歪むが、それでも泉海さんは自分の体を抱き、必死に耐えながら足裏を炎に晒し続けた。今すぐにでも炎から逃げ出したくなる両足を無理矢理に押さえつけて、むしろじりじりと焚き火の方へと近付けていく。獣じみた悲鳴を上げながらも、泉海さんは足裏を炎から逃さない。私よりも遥かに凄まじい苦痛を味わいながらも、十分以上もの間、泉海さんは耐え続けた。凍傷予防のためとはいえ、とんでもない苦行だ。

 ようやく焚き火から足を離した泉海さんは、防水シートの上に倒れ込み、ああ、とか、うう、とか力ない呻きを漏らしながら、びくびくと震え続けた。目を見開き、口からはよだれを垂らしながら、今も足裏に生じているであろう痛みを心ゆくまで味わっている。同じように処置した私がそれでもまだ座っていられることを思えば、彼女が追加で用意した「全治一ヶ月の火傷」の効果はてきめんだったと言える。あの火傷は泉海さんの期待通りに、この難行をさらに過酷なものへと変えていた。

 泉海さんは震えながらもニターッと嬉しそうに笑った。

「うふ……ふ…………辛い……痛すぎる……。耐えれないくらい……苦しい……この苦しみを……あと何回、味わえるんだろ……」

そんなことを言いながらも体を震えさせ続けている泉海さんを見て、こんな調子で下山なんて本当にできるのだろうか、という不安が私の心をよぎった。だが、同時に、これほどの苦行を望んで行っている泉海さんへの、憧れのような感情が微かに生まれ始めていた。


■切り立った崖が絶望をもたらす

【 全治二週間 】プラン以上限定 月額:500円

プランに加入すると、この限定特典に加え、今月の限定特典も閲覧できます 有料プラン退会後、
閲覧できなくなる特典が
あります

月額:500円

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索