特殊スーツのテスター(過去作)
手に触れる黒い膜の触感はラップのように薄くて軽かった。全身をコーティングする液状の潤滑剤のおかげで肌にへばりつく様子もなく、黒い膜は底なし沼の水面のようにズルズルとイズミの細く白い足を呑み込んでいく。危機感が漂う見かけとは裏腹に指先を一本ずつ包み込むほど繊細な作りに息をのむ。
「……っ」
泥に包まれたような潤いがイズミの両足を覆った。自分で身に着けたとはいえ、初めての感覚に戸惑いを隠せない。できるだけ深く考えることはせず、さきほどナガレに説明された通りに次の動作へ駒を進めるべくイズミは手を動かす。
下半身を包みこみあげる黒い膜を胸の前まで掲げて、体幹を包む込む冷たさに身を震わせながら黒い膜の淵にある双方の穴を掬いあげるように両腕を通してみた。
「うわぁ……変な感じ……っ」
泥の中に両腕を潜り込ませるようなゾワリと撫でてくるひんやりとした歪な触感が両腕を掠め、耐えがたい感触に背筋に緊張が走ってくる。その余韻に浸り、身動きできずに止まっていたイズミの背後で、白衣に身を包む黒い人影がイズミに残された白色の皮膚を黒い膜に封じこめてしまう。
――ギチッ。
「あっ、キツッ……」
首から下の全身が黒い膜に閉じ込められ、突然の収縮に全身が引っ張られたみたいに肌が締めつけられる。そこへ黒い膜の触感が潤滑液のベールによってイズミの肌に密着し、沼の中に浸かっているような刺激に襲われる。そのころにはイズミの背中にあるはずの黒い膜の繋ぎ目は消えていた。スーツの特殊な機能の一つのようだ。脱ぐときはどうずるのだろう。。
「どうですか? 着心地はいかがでしょう?」
白衣の女性ことナガレは全身を包み込む刺激に身を強張らせているイズミの肩に両手を添えながらスーツに問題が生じていないか確かめつつ問いかける。
「えーっ、と……なんていうか、そのぉ……すごく、恥ずかしいです」
イズミとナガレしか居ないこの白い部屋の一面には鏡が貼りつけられていた。今は正面に鏡が対峙しており、イズミの身体が白いキャンパスの中で真っ黒く点在している光景があまりにも現実離れして見えていた。
だからだろう。紅く染まっていくほっぺたが嫌で、両手で隠そうとする。だが、動かした両腕がミチミチと音を鳴らし、全身の黒い膜が伸びて張りを作ると背筋でヌルリと潤滑液が這いまわる。
「ひッ」
幽霊に背筋をなぞられたかのような感触に思わず顎がこわばったが、横にいるナガレの含み笑いを見て自分がもっと恥ずかしい様を晒していることにイズミは気づく。さらにほっぺたが紅くなり、黒い膜越しに両腕を抱え込んで身を縮めてしまう。本当に恥ずかしいのだ。
「痛む場所があれば教えてください」
黒一色に首から下を包み上げる黒い膜にイズミは視線を落とす。黒い膜で覆われた身体は上腕や太ももに胸や腰など、細かな部位ごとのラインを黒のコントラストで妙に強調されていたが局所的な痛みはなかった。着用時に自動でサイズ調節されるとのことだったが本当らしい。
「大丈夫、です……それよりもコレ……」
成長期を終えた二つの乳房が動くたびにぷるぷると震える。こんなところを男の人に見せてしまったらお嫁には行けなくなる。よくよく考えてみれば肌に密着するスーツということはスーツ越しにイズミの身体をそのまま表に現わしているわけである。素肌で見るよりも一層卑猥にみえるその姿にイズミは不気味ささえ感じる。こんなスーツを一体何のために使うのか。イズミには想像がつかない。
「私も着ています、お揃いですよ?」
「わかってますけど……」
白衣の下に着こむ黒いスーツをイズミに見せるナガレの冗談めいた動きにイズミは内心ため息を吐く。どうしてこんな場所にきてしまったのか。今すぐにでも帰りたい気持ちでイズミの頭の中はいっぱいだった。数日前、友人の誘いに軽くうなずいてしまった少し前の自分に戻りたくて仕方がない。
「スーツも無事に着れましたし、行きましょうか」