kotaro / 俺時空 2024/02/01 14:09

俺のゲームのつくりかた

ゲームづくり、どうやってるの?

ゲームを作る、と言っても何から始めたらいいのかわからない。
そもそもどんなゲームを作るのか。どういうゲームを作りたいのか。
一番最初に出すアイデアはどうやって生まれてくるのか。
そんな根本的な部分を僕がどうやって決めているか、またその考え方などをメモっておこうというお話。話ですらなく独り言ですが。
もしかしたら誰かの参考になるかも?

ゲームの根本的な部分

ゲームにおいて最も重要な部分とは。
人によって答えが違うと思います。ゲーム性、ストーリー、世界観、キャラクター。
当然不正解はありません。どれもその人にとって重要な要素なのです。
では僕はどうかと言われると、そのゲームが生み出されたきっかけとなる部分。
アイデア、コンセプト、テーマ。ゲームの根本的な部分こそ、最も重要だと考えます。

では「根本的な部分」とは何か。
ゲームを作るとき、アイデアも何もない無の状態から作るなんてことは到底できない。必ず何かしらのアイデアやコンセプトがあり、そこからゲームへと発展していくものです。
これはゲームに限らず創作物であれば何にでも言えることです。
絵を描き始めた後に「よし決めた、これを描こう」とはなりませんし、何か書類を書き始めた後に「この書類にはこれを書いていこう」とはなりません。
必ず、それを創るためのアイデアやテーマが存在します。絵であれば「描きたいもの」、書類であれば「書きたいもの、書くべきもの」
それを創るべき理由や、それを創るための発想。これこそが「根本的な部分」 です。

「根本的な部分」の重要さ

ではそのアイデアはどのように生み出されるのか。アイデアを出す方法は五万とあります。検索しても出てくる。
既存の要素の組み合わせで新しいものを生み出したり、いままで誰も見たことがないような突飛なものだったり。日常生活などから着想を得るのもいいですね。
ことゲーム制作において、このアイデア部分は非常に重要な要素です。ここがそのままゲームの面白さに直結していると言っても過言ではありません。
秀逸なコンセプトやテーマがあれば、それは必ず面白いと思えるものになります。逆に言うと、ここが中途半端なものはだいたい中途半端なものになってしまいます。
この感覚は一度でもゲーム制作に触れたことがある人はなんとなくわかるんじゃないでしょうか。

…いろいろと思想強めなことを言い切っていますが、あくまで個人的な意見だということをご留意ください。変な言いがかり付けられても困りますし。

「面白いゲームを作る」は罠?

さて、そんな大事な部分(だと思っている)ですが、これはゲーム制作者が陥りやすい罠になりえるものでもあります。
一体どういうことかというと、ゲームにおいて重要な部分、もしくは根幹に深く関わる部分ともあれば、誰もがよく考える部分になるはずです。
ましてやそれがゲームの面白さに直結するかもしれないということは、より面白いものであるべきと考えるのです。
その結果、自分の出したアイデアが他のゲームやコンテンツと重複していないか、いかに独自性やオリジナリティを持たせられるかなど、ゲームの面白さについて非常にセンシティブな状態になりやすいのです。
要は他のゲームより面白いゲームを作ろうとしてしまうのです。

もちろんこれが悪いことだとは言いません。面白いゲームを作ろうと頑張ることには価値があります。それは否定できません。
しかし、面白いゲームに固執するあまりアイデアを生み出すことに難が生じては本末転倒です。このまま無理に考え続けるのは効率がいいとは言えません。
どうにかして客観的な視点から見てみたり、自身の価値観を疑ってみることができれば良いのですが、この罠にハマってしまうとどうにも抜け出すのは難しいんですよね。

自分の「やりたい」をゲームにする

面白いゲームを作りたい。これはゲームを作る人たちの共通認識だと思います。
どうせ遊んでもらうなら、遊んでくれた人が「面白い」と思ってくれた方がいいですよね。中には苦しませる目的のゲームもありますが。
ここに共感できた人は、既に罠にハマっています。
というか、この罠にハマらない人はいません。

ゲームを作るにあたって、必ず「面白さ」を考える時間があります。では、その面白さはいったい誰に感じてほしいのでしょうか。
もちろん遊ぶ人には面白いと思ってほしいでしょう。ただ、何も遊ぶ人だけに面白さを感じてほしいわけではないはずです。
僕が言いたいのは、一番最初に「面白い」「遊びたい」と思わせるべき人物は誰かを考えてほしいのです。

それは紛れもなく、自分自身のはずです。

自分が作るゲームというのは、まず自分自身が面白いと思わなければそもそも作る気にすらならないと思います。
自分が「つまらない」と思うゲームなんてわざわざ作りたくないですし、作ったとしても「つまらない」で終わりです。
まず自分が「面白い」と思ってこそ、「遊びたい」「やりたい」という気持ちも生まれますし、作るモチベーションにもなります。

こうした自分が感じる「面白い」を「他の人も面白いと思ってくれるだろうか」と考えたり、自分が「やりたい」と思ったことを「でも他のゲームが既にやってることだし」と考えてしまう。
これこそが「罠」の正体です。
自分の「面白い」という気持ち、自分が「やりたい」と思ったこと。これらに素直に従うことこそ、面白いゲームを作るために必要なことなのです。

…何度でも言いますが、あくまで個人的な意見です。当然人によって考えも違うと思うので、僕の言うことをあんまり信じすぎないようにしてくださいね。

自分が先、他人は後

実際、僕が作っていたゲームは「自分のやりたいこと」をそのまま形にしたものが多いです。というか全部そうです。
どれも「全部斬りてえ~」とか「機関銃撃ちてえ~」とかから生まれています。
こんなのでいいんですよ。ゲーム制作なんて。(おい)
自分が「やりたい」と思ったものを作っているときが一番楽しいんです。
ただ、人間という生き物は賢いので、どうしても「声」が聞こえてきます。
今話題になっているゲームだとか、注目を浴びている表現だとか。そうしたものがあれば取り入れたくなってしまうものです。
もっと言うと、作ったものに「ここがダメ」とか「こうした方がいい」とか言われることもあります。
改善案やシステムの問題点などを提示してくれる「参考になる意見」はありがたいものですが、ただの批評の場合もあります。
そんな時は、この言葉を思い出してください。

「うるせえ黙れ!」

無理に流行に合わせる必要はありません。無理に他人の意見を聞く必要はありません。
最優先は自分の「やりたい」という気持ちです。これを形にすることが何よりも大事なことです。
「ちょっと自分のやりたいことからはズレたけど、流行を取り入れました!」「自分のやりたい表現ではないですが、話題の表現を使いました!」
これで満足できるのであれば問題ないと思いますが、それは本当に自分の「やりたいこと」だとは思えません。
やはりゲームは自分のやりたいことを形にしてこそ、と僕は考えます。

…あくまで個人的な(以下略

おわり

まとめると、

  • ゲームはアイデアやコンセプト、テーマが大事
  • 自分の「面白い」を基準に考える
  • 他のものに影響されがちなので気を付けよう

ということ。やりたいことをやろう。
もちろんこれが正解というものはないので、大いに悩んでください。自分の「やりたいこと」を理解するのは、実は難しいことなのです。
まあそもそもこれらの考えは「個人」での考えだと思うので、必ずしも当てはまるわけではないんですよね。何度でも言いますがあくまで個人的な意見です。

それじゃ、またね。

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