尾上屋台 2017/01/17 18:48

誠実であるということ

誠実、と言葉にすると簡単だけど、誠実であるということは、生きていく上で一番大切なことだと思っている。

と、この誠実という言葉、辞書的な意味はわかるとしても、具体的なイメージをもって行動できている人は、そんなにいないのではないだろうか。
もちろん、ここを読んでくれてる人を責めるような意味合いで書いているわけではなく(笑)、思いのほか、イメージが漠然としている言葉なのだ。
特に、行動に移そうとすると。
ただ自分の場合、それを行動として示してくれた人が、何人かいる。
その内の一つ、自分が浪人生だった頃の話をしようと思う。

自分が浪人の時に通った予備校は、なんとなく「塾」みたいな言葉がしっかりくる、小さな予備校だった。
浪人生は全生徒合わせても、20人いなかったんじゃないかと思う。
夏休みとか冬休みなんかだと学生の子たちが来たりしたので、それなりに人数は増えたりもしたのだけれど。
実はこの予備校には、そして浪人生の間にも色々あったりしたのだが、それはまたの機会に。

ともあれそんな小さな予備校で、かつ世界史の授業を取っているのは、なんと自分含めて二人しかしなかったのだ。
おまけに、そのもう一人は夏休み前に予備校に来なくなってしまったという(汗)。
さらに言えばその彼は、その前にもよく授業をサボっていたっけ。
そんなわけで一年間、自分とその講師だけの世界史が続いたのだ。

一応、名前をT先生としておこう。
このT先生、途中からは完全に自分だけだったというのに、授業の始まる時間になると、実にしっかりと講義をしてくれた。
普段は結構人当たりのいい人で、授業以外の時間では「尾上君〜♪」と、とても気さくに接してくれた。
が、授業の間は一切私語を挟まず、自分一人だけの為に、ちゃんと講師をしてくれたんだな。
適当に済ますみたいのは一切なく、ホワイトボードにガシガシとテキストを書いていき、自分も必死になってそれを写しつつ、質問したところや気になった点は、しっかりとメモを取った。

T先生の年齢は、確か二十代後半だったと思う。
十九歳だった自分とは、ざっくり十歳差か。
T先生は毎年司法試験を受けていて、いわば浪人生のような環境だった。
実は予備校の講師の仕事は掛け持ちしているバイトのひとつで、他にも昼夜問わず、様々なバイトをして生計を立てているという話だった。
その予備校の講師もその年が初めてだったそうだが、とてもそうとは思えない、というよりそれまでに通った予備校の中でも、間違いなく一番の講師だったと断言できる。
知識が異常に幅広いことはもちろん、わかりやすく、受けた講義がすっと頭に入ってくるのだった。

いよいよ受験まであと三ヶ月の頃合だったか。
T先生は世界史の、問題として出そうな所を空欄にしたプリントを持ってきた。
ワープロで作った、T先生自作のものだ。
世界史通史で問題となるであろうところだけをまとめたものだが、実際これはかなりの厚さだった。
年号順で、それこそクロマニヨン人から太平洋戦争までだから、世界史全部を網羅したものとなる。
「もっと必要だったらバンバンコピーするからさ」
そう言って笑う
T先生を見て、真面目に取り組んでいた世界史だが、これは絶対に受からなくてはと思いを新たにしたものだった。
たった一人の生徒の為に、ここまでしてくれたのだ。

当時恐ろしく入りづらかった大学という所に、進学校に通っていたわけでもない自分が一浪だけで合格できたのは、間違いなくこのT先生のおかげだろう。
得意なのは現国のみだった自分に、世界史という一番の得意科目を加えてくれたのだ。
T先生は確実に、僕を世界史で大学に入れてやるという真剣さがあった。

合格が決まり、その報告に行った際、そのT先生は予備校にいた。
事前に予備校には最後の挨拶に行くと言っていたので、待っていてくれたのだろう。
そして飯をおごってもらった。
美味い店があるからと、予備校から新宿までを、二人で歩いた。
確か一時間くらいかかったと思うんだけど(笑)。
かなりカツカツの生活をしているとは聞いていたので、飯をおごってもらえると聞いた時には、ありがたいやら申し訳ないやら、しかしそこで食べたパスタの味は、昨日のことのように思い出せる。

入試とは関係ない話だが、当時自分は詩を書いていて、このT先生にも幾度となく読んでもらった。
その都度感想や的確な指摘をもらい、その意味でもとてもお世話になった人だった。
大学に行った後もちょくちょく連絡は取っていて、よく深夜のファーストフードで色々な話をさせてもらったものだ。

まずT先生の授業が面白かったというのはあるかと思う。
しかしたった一人の生徒に対して、普通だったらもう少し手を抜いたり、いい加減な対応を取っていても、決して責められるようなものではなかったと思う。
授業はいつも真剣で、それ以外の時間も、例えばあのプリントにしても、一人の生徒にそこまでしてくれるのだと、今思い出しても胸が震える。
驚いたことに後から聞いた話だと、 そのプリントを作る前の時点で、あまりに生徒がいないので、来年度からはその予備校から世界史がなくなる、要は
T先生はこの一年でクビになることがわかっていたのだという。
それを聞いて、T先生も予備校の講師自体をやめることを決意していたという。
にも関わらず、そこで手を抜かなかったことが、いかに大変なことか。

誠実、という言葉に関して考える時、自分にはいつもこのT先生のことが頭に浮かぶ。
十九歳という多感な時期だったので、それは一層胸に沁みた。
自分が人と接する時に、誠実でありたいというのは、その頃から始まったことだ。

以後も、誠実であることが求められる、あるいはそうでありたいと思った時、自分はいつもこのT先生の態度を頭に置いている。
今日の、今の自分は、人、仕事に対して誠実でいられたか。

ただ、こちらがそうであることを利用したり、都合の良いように解釈したがる人間を前にすると、ひどく憤るし、また傷つきもする。
今では当時のT先生よりもずっと年を食ってしまったけれど、思い出すにつけ、とてもT先生には敵わないなあという思いは大きい。

誠実であるというのは、自分でそう思い込むことではなく、相手にそうであると思われることでもあると思う。
相手があって、初めて成り立つものなんだ。
そしてそうあろうとする限り、見ていてくれる人はきっといるものだと、信じている。

さて、今日の自分は誠実だったかな。
君はどう思う?

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