尾上屋台 2017/03/21 21:13

剛健が先にくる。剛健が

高校は、今ではどうなのかなあ、当時ではそれなりに有名なところに通ってたんだ。
保善高校ってとこなんだけど、君は知ってるかな?
ここが、後のモテ校になるんだな。
まあ、俺の時はそんな自覚はなかったんだけどね。

といっても当時はどちらかというと偏差値の低い学校で、滑り止めで受験したところだったんだよ。
実を言うとここより偏差値の高い都立に受かってたんだけど、第一、第二と落ちたんで、他の受かったところと見比べて、ここにしようかなあと。
ここだけ、男子校だったのが決め手だな。

中三の時って、それまで比較的良かった成績もがんがん落ちちゃって、おまけに元から運動は不得意だったからね。
何かこう、自分を変えてくれるような環境を求めていたんだな。
なんとなく、このまま都立だったり共学のとこ行くと、それまでと変わらないような気がしていたんだよ。
今の自分を知ってる人からすると想像もできないかもしれないけど(汗)、中学、特に中三の時は、コンプレックスの塊だったんだ。
後々振り返るとそれなりにできてたことや、それこそ今の商売に繋がるような礎を作ることができた大切な時機だったんだけど、当時はわかんなかったんだな。
それは、中学の時の話をする時に、あらためて振り返ってみるよ。

ともあれ、環境をがらっと変えたいって気持ちがあって、男子校を選んだ。
結果的に、それは大成功だったと言えるかな。
今でも、胸を張って母校だって言えるとこは、ここだけだよ。
保善の卒業生だってことを、本当に誇りに思う。

で、この高校が、男子校かどうかってこと以前に、今までとはまったく異質の世界だったんだよ。
こっちは初めての学ランだけでもある種の緊張があるのにさ、それを威圧するように、下駄箱のとこに、大きな標語が出てたんだ。
でかい木の板にね、これまたでかい字が彫ってあって、そこにはこう書いてあったの。

「剛健質実」

うわー、質実剛健じゃなくて、剛健質実なんだって。
剛健が先に来るんだよ。
なんか結構体育系だって噂も聞いたし、ひょっとしたら来るとこ間違えちゃったんじゃないかって、その時は愕然としたよ。
まだ公立高校でも普通に体罰ある時代だったしね、これは大変なことになるかもしれないと思った。

結果としては、まず理不尽な暴力のない、むしろ公立とは比較にならないくらい環境良かったんだけどね。
まず先生の腕っ節が強かったからなあ(笑)。
体罰みたいなもんに関しては、別の時に話すよ。
先日もある先輩と飲んでて話したんだけど、これにはずばっと賛成とか反対とか割り切れるような、単純な話じゃないんでね。

ただ、ここは体育の授業が、やたらと多かったよ。
毎日一コマあったもんね。
さすがに三年時は少なかったけど、一年の時は毎日あったわけよ。
「トレーニング」なんて授業まであったんだから(笑)。

中身も結構ハードでね、四月の何回目かの授業で、保健室送りの洗礼にあってしまったよ。
この時は体育館での授業だったんだけど、最後の方で、一周ぐるっとダッシュするってのがあって。
あ、一周で終わりじゃなくて、走り終わったら自分たちのグループがくるまで小休止、来たら全力ダッシュってのを何本もやらされて。
まだこの時は全然体力ないもんだから、何本か走ったところで、やばいくらい気持ち悪くなっちゃって。
で、最後の二本くらいかな、待機してる時に先生のとこ行って、「すみません、気分悪いんで、ペース落として走っていいですか?」って聞きにいったの。
おっかない先生だったからさ、こんなこと言いにいくのもかなり勇気いるはずなんだけど、その時はホント、視界の上下が暗くなったりしてて、それどころじゃなくてね。
そしたら先生は「大丈夫か。休んでてもいいぞ」って、 言ってくれて。
なんかすごい心配してくれて、変な話、ちょっとやってやろうと思ってね。
さすがに全力ダッシュでは無理だったけど、なんとか完走できたんだよね。
で、その後力尽きて、保健室送りだったよ。

毎日ハードな体育の授業があったんだけどさ、みんな一生懸命やってたよ。
大体さ、先生が竹刀とか木刀みたいの持ってたりすることあって、手を抜けない雰囲気があるんだよな(笑)。
でも逆に、こっちを信頼してくれてる、手を抜かないでしっかりやってくれるみたいなのは確実にあったね。
でさ、信頼されると、裏切れないじゃない?
だから、それまで運動なんてまともにやったことない自分でも頑張れたし、実際その三年間で、かなり鍛えられてしまったな(笑)。
んで、体調悪いとか、途中で気分悪くなってみたいのは、ものすごい心配してくれて。
それでもやれとか、そういうのは一切なかったよ。
そういう理不尽なとこは、まったくない学校だった。
それだけハードなことやらせてるってのが、まず先生側にあったってのは間違いないんだけど(笑)。

なにはともあれ、まずは剛健が先にくる学校だったわけだ。
ただ、体力以上に、そういった先生たちの態度から、多くのものを学んだな。

ここでは、他にもたくさんのことを学んだし、卒業から二十年以上経った今でも、連絡を取り合っているような恩師とも出会えた。
でもその話は、また別の機会にしようか。

いつか出会うことがあったら、君の学生時代の話も聞かせてくれよな。

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